Fragment-memory of moonlight-

黒乃

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第三話

第四十八節 幸運を招く

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 最近は空間転移の鉱石の改良を何度も重ねながら、検証と実験を繰り返す日々を送っているヴァダースとメルダー。改良を重ねていったことで、徐々に空間転移の効果が発動するまでの時間は短縮されている。ただし戦闘時のことを考えると遅いことに変わりはなく、しかしどうしたものかと手詰まりの状況も続いていた。

 恐らく、あと一歩のところまでは来ているのだ。何か一欠けらのピースが揃えば、空間転移の鉱石は理想通りの鉱石に完成する。そんな予感は胸に掠めているのだ。
 メルダーも何かヒントはないものかと、実地任務の時に周囲を観察しているらしいのだが。今のところ、これといった収穫はなかった。

 そんななか、ヴァダースは執務室の資料の整理をしていた。任務の報告書は今や膨大な数となっていて、近頃は資料を探すのにも一苦労している。仕事のロスにも繋がるので、ヴァダースは時折こうして資料整理の作業をすることがあるのだ。
 もしかしたら過去の資料の中に、空間転移の鉱石完成のヒントになるものがあるかもしれない。そんな一縷の望みを抱きながら、慣れた手つきで資料を整えていく。

 全体の三割ほどの資料を整え終わった頃。執務室のドアが開き、メルダーが帰還してきた。彼は執務室中に広がっていた資料の山を目にして、驚愕の声を漏らす。

「ただいま帰還しました……って、うわ!?」
「ああ、申し訳ありませんね。久々に資料整理をしていたんです。足の踏み場があまりありませんが、少々我慢してください」
「それは、大丈夫ですけど……。もしかして、今までずっとお一人で資料整理をしていたんですか!?」
「ええ。以前話したでしょう?この執務室にある資料はそのほどんどが秘匿事項で、外部に漏洩してはならないものだと。なのでたとえ四天王であっても、任せるわけにはいかないんですよ。まぁ、この手の仕事は慣れているので構わないんですがね」

 類似した資料をファイリングしながら、淡々とヴァダースは話す。その様子を見たメルダーは、何を思ったのか手伝うと声をかけてきた。猫の手も借りたいほど、というわけではなかったが、彼の好意を無下にすることも憚れる。素直に彼の好意を受け取ることにしたヴァダースである。

「感謝します。巻き込んで申し訳ありませんね」
「大丈夫です。手伝えるのは俺しかいませんし、たまにはこういった事務仕事もしておかないとって思ったので」
「それでは遠慮なく」
「任せてください!」

 その後メルダーに時折指示を出しながら、床に広がっていた資料を整理していく。そのお陰か、想定していたよりも短時間で全体の七割ほどの資料を整理することができた。あとは細々としている書類をまとめていくだけだ。

 そろそろメルダーに休憩を促そうと考え、彼に声をかけることにした。背後にいるであろうメルダーを見てみれば、彼はある資料を見たまま固まっている。何をそんなに熱心に見ているのだろうと疑問に思い彼を見つめていたが、メルダーの方がヴァダースの視線に気付き、軽く謝罪した。

「すみません、呼んでいましたか?」
「そういうわけではありませんが、何をそんなに熱心に見ていたのですか?」
「ああ、それはですね。この資料なんですけど……」

 そう言いながらメルダーが見せてきた資料に目を落として、思わず息を呑んだ。
 その資料は、四年前出会った魔物に関するもの。ヴァダースを含めカーサ全体が、初めて大きな深手を負った時の事件の資料だった。忘れられるわけがない、ヴァダースにとって忌むべき存在。ヴァダースの様子に違和感を覚えたのか、メルダーが心配の色を滲ませて声をかけてきた。

「……ダクターさん?大丈夫ですか?」

 彼の呼びかけで、我に返る。頭の中で当時の光景がフラッシュバックしていたが、どうにか冷静さを取り戻そうと息を吐く。額に手を当ててから、肺に溜まった不安を吐き出すかのように、声を絞り出す。

「……ええ、大丈夫ですよ」
「とてもそうには見えません。その……四年前、いったいなにが……」

 彼の疑問も当然だろう。彼にこの事件の詳細を話すかどうかしばらく考えたが、隠しておいても、いつか彼には知られてしまうだろう。そう考えたヴァダースは、思い出したくない記憶をそれでも辿りながら、ゆっくりと話し始めた。

 四年前の、世界保護施設によるカーサ襲撃事件。彼らの罠にまんまと引っ掛かり、カーサは多大な損失を負ってしまった。多くの同僚が殺され、多くの戦力を失った。守ることができなかった、救うことができなかった。

 そして忘れもしない、事件の元凶である例の魔物。生まれたばかりの赤ん坊に投薬などを施し、その胎児を切り裂いた魔物のメスの腹に移植させ、孕ませ成長させる。そうすることで生み出された、世界保護施設の実験の産物。
 魔物の腹の中で無理に成長させられた赤ん坊は、成長の過程で突然変異する。その際に目は失われ、人間としての骨格は残しつつも肉体は人間のものから乖離してしまう。最後に、魔物が出産すると同時に赤ん坊は急成長する。まるで深海魚が陸に打ち上げられた時のように肉体が膨張して、資料にあるような姿へと変貌を遂げる。
 話の内容のおぞましさに、メルダーの顔色は蒼白に変色している。

「その魔物に知能はありませんが、己以外の生命の臭いを嗅ぎ分ける能力に秀でていました。当時の私たちには、彼らを止める術がなかった。……同士討ちでしか、倒すことができなかったのです」

 ぐ、と拳を握る。脳裏に、自分を育ててくれたシューラの姿が蘇った。
 最後に、今のカーサの体勢はその事件後をきっかけに造られたのだと話した。ヴァダースが話し終えた後、執務室には沈黙が漂う。ややあってから、メルダーがおずおずと言葉を紡ぐ。

「……申し訳ありませんでした。話しにくいことを喋らせてしまって……」
「いえ……隠していても、いつかは知られてしまうと思ったんです。それならば、今話しても問題はない。そう判断しただけですよ」
「それでも、申し訳ありません。簡単に聞いていい話じゃないのは、本当のことでしょうから」

 申し訳なかったと頭を下げるメルダーに対して、資料を彼の手から受け取りながら諭すようにヴァダースは口を開く。

「もう、過ぎたことです。それに貴方がこの事件に対して罪悪感を抱く必要も、その資格もありません。貴方が気に病むことではありませんよ」
「そう、ですね……。過ぎたことを、言いました」
「責めているわけではありません。ですから謝罪も必要ありませんよ」

 この話はこれで終わっているのだ、と言外に伝える。この言葉で、一応納得はしてくれたのだろう。わかりましたと頷き、メルダーはそれ以上謝罪の言葉を述べることはなかった。

「それにしても、世界保護施設はなんて卑劣な手を使うんでしょうか……。魔物とはいえ、命をまるで試験管か何かみたいに扱うだなんて……!」
「姑息な手段、という点に関してはカーサよりも上手でしょうね。彼らは自分たちの実験のためなら、命を冒涜することなど苦にも思わないでしょうし」
「絶対、潰さなければならない組織ですね」
「ええ。この借りはいつか必ず返します」

 ぐ、と手にした資料を強く掴む。その後は特に会話もなく資料を片付けていたが、メルダーが突然声を上げる。

「そうだ……試験管ですよ、ダクターさん!」

 彼の突然の叫びにも、その内容にも理解が追い付かない。どういうことかと説明を求めた。それに対してメルダーは、空間転移の鉱石を作成する際、試験管の要領を試みることを思いついたのだと答える。

 現在の空間転移の鉱石は、まず土台となるレッドジャスパーの原石を加工して鉱石としたものに、空間転移の能力である遺伝子情報を転写することで製作している。しかし原石の量が有限である以上、将来的な量産は見込めないと考えられていた。
 そこで原石を鉱石としてではなく、試験管のように中を空洞にして加工することができないかと考えたそうだ。鉱石を薄い入れ物のように加工できれば、原石の使用量も抑えられるので増産も可能になる、と。

 空洞になった鉱石の中には、能力の遺伝子情報を増殖させるための培養液を注ぐ。最終的に完成した鉱石は今までとは違い、破壊させることで発動させることが可能になる。こうすることで空間転移発動までの時間の、さらなる短縮も見込める可能性もあるのではないかと考えた。

 最初の検証の後、何度も改良を重ねて実験を繰り返したが、鉱石の使用回数を一回以上に増やすことは結局できなかった。ならば鉱石を使い捨て式のものに変更しても特段問題はないだろう、とメルダーは説明した。

「世界保護施設が生み出した魔物からのアイデアなんて、ダクターさんにとっては業腹かもしれませんが……。でも、可能性があるかもって思ったんです」
「簡単に言いますが、それが果たして本当に実現できるものかどうか……」
「確かに化学も何も知らない俺の提案ですから、失敗する可能性だってあります。だけど物は試しって言葉があるじゃないですか」
「どちらかと言うなら、当たって砕けろではないですか?」
「どっちでも同じですよ!それに行き詰まっているのは本当のことです。何でも試してみるってことも、時には大事だと思いますね」

 自信たっぷりに、どうだと胸を張られてしまってはそれ以上苦言を呈することもできず。あまり期待しないように、とだけ付け加える。忘れないうちにキゴニスに相談してきた方がいいと告げれば、満面の笑みで返事を返された。

「そうですね!じゃあ忘れないうちに、キゴニスに提案しに行ってきますね!あとの資料整理はよろしくお願いします!」

 そのまままるで突風のごとく、執務室を後にするメルダー。彼の提案に多少呆れながら、絵空事でもあるまいしとぼやく。捕らぬ狸の皮算用とは、これ如何に。何故か一気に疲れが出てきたヴァダースは、残っていた資料の整理をさっさと終わらせようと手を動かすのであった。
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