Fragment-memory of moonlight-

黒乃

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第一話

第四節 深い海に誘う

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 ジェラート店で各々好きなフレーバーを頼んだダクター一家は、噴水の見える飲食スペースでジェラートを堪能することにした。ヴァダースはキャラメルベースに砕かれたローストナッツが混ぜられている、キャラメルナッツ。アニマートは自家製ミルクをたっぷり使ったミルクジェラート。そしてドルチェは、バラ園のバラを使って作られるローズジュースを練りこんだバラのジェラートを。それぞれカップに綺麗に盛り付けられていたそれを、各々楽しむ。

 カラメルナッツになっているアーモンドは程よい甘さと苦みがあり、子供の舌でも楽しめる味わいになっている。ジェラート自体もほんのりとした苦みの奥に甘さが感じられ、キャラメルの風味を存分に味わうことができる品だ。自分のジェラートも感動するくらい美味しいのだが、両親の食べているジェラートにも興味が出てしまったヴァダース。気恥ずかしそうに俯きながら、試しに尋ねてみた。

「あの、お父様お母様。お二人のジェラートも……一口いただいてみても、よろしいでしょうか?」

 彼のその言葉に快く承諾したアニマートとドルチェ。せっかくだから食べ比べをしようという話になり、まずはアニマートのミルクジェラートを一口。
 舌の上でまったりと溶けたジェラートが広がり、次に濃厚なミルクの味わいが口の中に広がる。甘く蕩けるようなミルクの風味。他の素材を加えないシンプルなジェラートだからこそ、味の良し悪しははっきりと分かれる。そんな中このミルクジェラートは、間違いなく美味に入る部類だ。また一口食べたくなるような、そんな味わいである。

 次に、ドルチェのバラのジェラートを口にしたヴァダース。しかしまだそのジェラートの味わいは、子供の舌である彼には早かったのだろう。先程まで感じていたミルクの味わいをかき消さんばかりの苦い風味に、思わず顔をしかめてしまう。花を食べるという感覚は、こんなに形容しがたい味わいなのか。このままでは口の中にバラが生えてしまう、とヴァダースは自身のキャラメルナッツのジェラートを慌てて口に運んだ。だがそれはかえって、バラの風味を増してしまう結果になる。少し時間がたたないと、口の中のバラは枯れないだろう。
 それを微笑ましい光景に思ったのだろう、ドルチェが笑って話しかける。

「ふふふ、ヴァダースにはまだ早すぎましたかね?大人になると、こういう味わいも楽しめたりするのですよ」
「そうなのですか?僕には、わからないです……」
「大人になると、色々なものが見えてくるのだよ。様々なものを見て、聞いて、身につけることでな」
「僕も早く、大人になりたいです……」
「焦らなくても、貴方もきっと立派な大人になりますわ。楽しみですわね」

 そんな会話をしながらジェラートを楽しんだ一行。店を出る前にとマエストンと屋敷の者たちへ、お土産として販売されているジェラートセットを購入する。最後にもう一度公園を見て回ろうと、話が落ち着いた時のことだった。

 何やら公園の奥が騒がしい。見世物でもやっているのかと最初は思ったが、どうやらそうではなさそうだ。奥から走ってきている貴族たちはみな、恐怖の表情。まるで一目散に逃げている、そんな様子にも見て取れる。
 ただ事ではないとヴァダースたちが確信した直後、突如公園の奥からオオカミ姿をした魔物の群れが飛び出してきた。群れを見た貴族たちから悲鳴が上がる。彼らは貴族たちを獲物としているのか、獰猛な牙や爪を、逃げ遅れた貴族に突き立てていた。群れのボスだろうか、ひときわ大きく黒い体毛で体躯を包んでいた魔物は、倒れていた貴族の体を噛み千切る。あまりの悲惨な光景に体が竦んでいたヴァダースだったが、ドルチェの言葉で我に返る。

「何をしているのですヴァダース!逃げるのです!」
「あっ……は、はい!!」

 ヴァダースや、彼らの周りにいた貴族たちも我先にと逃げ出していく。幸運なことに、この公園には魔物を撃退するための装置が設置されている。その装置も、公園内で異常事態が発生したことで起動したようだ。背後から、迎撃されたであろう魔物の悲鳴が耳に届いた。

 混乱に陥る公園内。慌てふためく貴族たち。それはもちろん、ヴァダースやその両親も例外ではなく。整備された公園が荒らされてしまったためか、ヴァダースが石につまづき転倒してしまう。

「ヴァダースッ!!」

 ドルチェの悲鳴が聞こえた。急いで体を起こして逃げなければ。
 そう考えるも、子供の足よりも魔物の足は速かった。例の魔物のボスが飛び掛かり、起きて振り返ったヴァダースの顔──正確には右目辺り──に噛みつく。

 突如襲った激痛に、ヴァダースが悲鳴を上げる。どうにか離そうとともがくも、子供の力ではどうすることもできず。痛みに呻きながら、もしかして自分は死ぬのかなと予感したその時。公園の防衛装置が作動し、その魔物を射抜く。その衝撃でヴァダースは魔物から解放され、魔物はそのまま息絶えたのだろう。ピクリとも動かなくなった。

 しかし魔物の生死は気にしてはいられなかった。顔から全身に回った痛みに耐えきれず、ヴァダースは地面でのたうち回る。そこにどうにかアニマートとドルチェがたどり着く。アニマートがヴァダースを起こし、ドルチェが必死に彼に声をかけている。

「ヴァダース!」
「ああ、ヴァダース!しっかりして、お願い!」
「いた、い……!痛いで、す……!おとう、さまおか、あさま……!おね、がいたすけてぇ……!!」
「ああ、待っていなさい。必ず助けよう!」

 そう告げたアニマートに抱えられ、ヴァダースはマエストンの待つ馬車に戻る。騒ぎを聞きつけたマエストンは、戻ってきたヴァダースたちを見て血相を変えた。

「お坊ちゃま!!」
「マエストン、急ぎ馬車を!医師たちは今日は学会で各々の診療所にはいないが、まずは屋敷で手当てを!!医者はそれから探すんだ!」
「承知いたしました!さぁ、お早く……!」
「いぁ……い、たぃよ……!おとうさ、ま……お、かあさ、ま……」
「ヴァダース!しっかりするのです!必ず助けますわ、だから死なないで!!」
「お三方、急ぎますので多少馬車が揺れます、お気を付けを!!」

 アニマートの腕に抱かれ、ドルチェが手を握ってくれているのが辛うじてわかるヴァダース。しっかりしろ、と二人のなく声も聞こえている。しかし全身を回る痛みで意識は遠のき、ふっと全身の力が抜けてしまうのであった。

 ******

 それから、どのくらいの時間がたったのだろうか。深く暗い、見えない何かに体が引っ張られそうな感覚を覚えそうになった頃。ふっと、誰かが自分を呼ぶ声がぼんやりと耳に入ってきたのを、ヴァダースは理解した。
 温かく、そして切望している声。まるで祈りを捧げているかのような、縋るような声。自分はそれを、知っている気がした。その声が聞こえたら、帰らなければならないような気がした。瞼のあげ方を忘れそうになっていたが、大丈夫。どうにか持ち上がるみたいだ。

 ゆっくりだけど、瞼が持ち上げる。今まで暗い闇しか見えなかった視界が、白くぼんやりと輝いていく。輪郭がはっきりしない視界が、煩わしい。そんな中でも聞こえてきたのは、あの切望している声。その声の正体を、ヴァダースはやっと思い出す。何度も聞いていた、母親の声だ。

「……ぉ、かあ……さ、ま……?」
「嗚呼……ヴァダース、ヴァダース!わたくしの声が、聞こえますか?母の声は、届いておりますか!?」

 徐々に輪郭を取り戻していく視界。右手が温かく、それでいてぽたりぽたりと何かが落ちてきている。それが母親の涙だということに気付く前に、ヴァダースは一つ頷いた。その反応に、ドルチェは涙を堪えることができなかったらしい。大声で泣き始める。そして彼女の泣き声に気付いたのか、慌てた様子のアニマートが血相を変えて飛び込んできた。

「ドルチェ、何があった!?」
「嗚呼、あなた……あなた!ヴァダースが、ヴァダースが目を覚ましましたの!わたくしの声に、反応してくださいましたのよ!」
「ヴァダース!?」

 ドルチェの言葉に、アニマートもヴァダースを覗き込む。不安そうな父親の顔も見えたヴァダースが、ゆっくりと口を開く。

「……お、とうさ、ま……」
「嗚呼……奇跡だ、奇跡が起きたのか!信じられん……!よかった……!本当に、良かった……!!」

 滅多に見ないアニマートの涙ぐむ姿に、ヴァダースはようやくここが自分の部屋であることを理解した。まだ動かない頭で、どうにか言葉を絞り出す。

「ぼ、く……いき、ている……?」
「ええ、そうです。あなたは奇跡的に助かったのです!」
「そうだ。お前を診て、助けてくださったお医者様にも報告せねばならんな。待っていなさい、呼んでこよう」

 そう言うと、アニマートが涙を拭きながら部屋を後にする。ドルチェはヴァダースの手を握りながらすすり泣く。それでも、よかったと繰り返しつぶやきながら彼の頭を優しく撫でる。
 数分後、アニマートに連れられて部屋に入ってきた人物を見て、ヴァダースは小さく「あ」と口を開いた。何せその人物とは、一度会っているからだ。そう、父親の背後で微笑んでいる、あの緋色の髪と深く暗い赤い瞳を持つ男性と。
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