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第一話
第十七節 寂しさに耐える
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ブルメンガルテンから帰還したスグリたち。玄関では、ヤナギが彼らの帰りを待っていたらしく、出迎えを受けた。ヤナギはその帰還した人員の中にアマツがいないことに気付いたが、まずは休息をとスグリに湯浴みを勧める。気を失ったままのヤクとアマツから託された刀を彼に手渡し、スグリはヤナギの勧め通りに湯浴みをすることに。脱出するときは必死で気付いていなかったが、手足が痺れるくらいにひどく冷えていた。
誰もいない脱衣所で衣服を脱ぎ、静寂が包み込む風呂場に入る。湧かされていたお湯を風呂桶に入れ体を流すと、最初こそは痛みすら感じたが、やがてじんわりと熱が体を覆っていく。あたたかいな、純粋にそう感じる。
ちゃぷん、と湯船に浸かる。再び静寂が下りる風呂場に天井の水滴が一つ、寂しく落ちた。それが嫌で嫌で、思わず湯に潜る。つい先日まで、ここもあんなににぎやかだったのに。一人で入る風呂が、こんなにも寂しくて静かなものだなんて。そんなこと、知りたくなかった。
そう思うも、スグリは決して泣くことはしなかった。自分より傷付いているのは明らかにヤクの方だ。泣いたら、ヤクが泣けなくなる。泣かないように守るとは言ったが、泣きたいときに泣けなくなることは、させたくないと感じたのだ。
それにこれからは、自分も領主として自立していかなければならないのだから。
湯船から上がったスグリは勢いそのままに髪と体を洗い、用意されていた衣服に着替える。髪を乾かすこともそこそこに、彼はまずヤナギに報告することに。おそらく部屋にいるだろうと考え、ヤナギの部屋に向かう。
スグリの予想通りで、彼は部屋にいたようだ。廊下に部屋の明かりが漏れていることを確認したスグリは、まずは部屋に入らずに声をかける。
「爺、今いいか?」
「若様。ええ、構いませぬ」
「入るぞ」
許可をもらい、部屋の中に入る。ヤナギの部屋の奥の襖は開けられている。開かれた襖の部屋には布団が敷いてあり、そこにヤクが寝かせられていた。彼の顔を見たいが、まずはヤナギに事の顛末を報告することが先だ。ヤナギに対面するかたちで座りスグリはゆっくりと、しかし正確に起きたことを話す。
ブルメンガルテンの研究施設に行くまでは順調だったこと。内部潜入も成功したこと。しかしその途中で出くわした研究員に、すべて壊されたこと。助けるために向かったはずなのに、ヤク以外の彼の仲間は死んでしまった子もいたこと。
そしてその話を聞いたヤクが暴走を引き起こし、その暴走に巻き込まれてアマツが命を落としたこと。
スグリから知らされたアマツの訃報に、ヤナギは一瞬息をのんだようだ。彼にとっては、アマツは己の息子でもあった。彼は帰還者たちの中にアマツがいなかったことで、ある程度は予想はしていたらしい。静かに一言、そうでしたかと呟く。
「けど、ヤクは悪くないんだ!アイツは、自分が助けようと思っていた仲間たちが殺されたって知ったことで、我を忘れちゃっただけだから……。だから、ヤクのことは責めないでほしい」
「もちろんですとも。この屋敷内でヤクを責めるような人物はいませんよ、若様。領主様のことについては残念には思いますが、それでもあの方は若様にヤクを託されたのでしょう?」
「うん。この子をお願いするって……そう、言ってた」
「ならば、我らが口を出すことはありませぬ。ご安心召されよ」
「……ありがとう、爺」
そしてスグリは続けて、その後脱出には成功したがブルメンガルテンはその一面が氷で覆われてしまったこと、それ故にアマツの遺体を持ち帰ることはできなかったことも伝える。ヤナギのそばに控えていた刀に視線を送り、彼に告げる。
「父上の遺体は氷の中で取れないから……。その刀を、遺体の代わりとして埋葬してほしい。それが、父上の意思だったから」
「……かしこまりました。のちほど、手筈を整えましょう」
「ああ……頼む」
「……若様もお疲れでしょう。ひとまず、夕餉までおやすみになられてはいかがです?」
「……そう、しようかな……。悪いな、爺。とりあえずお言葉に甘えるよ」
「ええ。ごゆるりとおやすみくださいませ」
時刻はまだ昼過ぎ。食欲もあまりなかったスグリはヤナギが提案するように、自分の部屋で少し休むことにした。そろそろと自ら布団を敷き、その上に横になる。今は起きて考え事をするよりも、眠っていたかったのだ。そして何より、今は自分しか知らない彼女──潜在意識に住むヴェルザンディ──に会いたかった。
******
見覚えのある泉と樹木が見える。その傍らに、ヴェルザンディもいた。彼女はスグリに気付くと短く、やぁ、と声をかけられる。それに小さくうなずき返事を返してから、スグリは樹木の方へと近寄った。
「……お疲れ様だったね、スグリ」
「……ありがとな、ヴェル」
「いや、礼には及ばないよ。私は君の願いを聞いただけだからね」
「……そっか」
それだけ言うと、スグリは伸びていた樹木の枝の上に座る。現実世界ではこんな姿は、もう誰にも見せられない。今度は自分が、村を引っ張らなければならないのだから。それでも弱気になることだってあるのだ。今がその時であり、自分だけしか知らない存在のヴェルザンディになら、安心して弱い姿を見せることができる。そう思ったのだ。
「……厳しいことを言うようだけど。これも運命の一つの結末なんだよ、スグリ」
「結末……?」
「初めて会ったときに、言ったろう?巫女の力を求めることは、今の平和な日常には戻れないってことだって」
「うん……」
「それに、キミがヤクと出会ったあの日も。私はある意味で忠告はしたよ、竹藪を進むか否かが、キミの運命の分岐点の一つになる。この先の竹藪に進めばキミは、二度と戦いの運命からは抜け出せない、とね」
「……わかってる……。全部、俺が決めたことだから……決めたことで、決まったことなんだって……わかってるよ……。それに、ヤクを守りたいって思ったのは、俺の本当の、気持ちだから……。それは、本当のことだから……」
「……そっか」
さらさらと風が吹く。悲しくなるくらいに優しい風だった。
己の言葉の通り、スグリはこれまでのことが全て自分の判断によって齎されたものであるということは、頭では理解していた。ヤクを優先したことも、後悔はしていない。あの時も、今も。それが自分の為すべきことだということは、誰よりも理解していた。
しかしまだ彼は十二歳の子供であることには変わりない。ゆえに覚悟できていなかったのだ。突然訪れてしまった肉親との別れに対する、覚悟が。
今日と同じ明日が来ると信じていた。今日と変わりなく、父親が隣にいてくれるものだと疑わなかった。その淡い希望が目の前で消えた。その衝撃にまだ、心では慣れることはできない。そこまですぐ整理をつけられるほど、スグリ・ベンダバルはまだ成長できていない。
そのことを、ヴェルザンディは理解していた。
そしてただでさえ小さい子供の背中が、一層小さく見えたのか。ふわりとスグリのそばに寄ると、彼に膝枕をさせる。突然の行動に、スグリはといえば呆気にとられている。
「ヴェル……?」
「今日はもうゆっくり寝た方がいい。このまま起きてても、思考がぐちゃぐちゃになるだけだぞ?」
「そうじゃなくて、どうして膝枕なんて……別にいいのに」
「おいおい、運命の女神さまの膝枕なんて激レア中の激レアなんだぞ?存分に堪能してくれたまえ」
そのままよしよし、とまるで親が子供を甘やかすように頭を撫でられる。結局彼女は、自分に膝枕をした理由を話すつもりはないらしい──どうしてもそれが聞きたいというわけではなかったが。言われるがままヴェルザンディの言葉に甘えるように体を預けてみると、どうしようもなく安心している自分がいることも確かだ。人間のようにぬくもりのある温度に、包まれる感覚を覚える。
心のどこかで思う。まるで母親のようだと──スグリにとってヴェルザンディの存在は母親というより、年の離れた姉のような感覚なのだが。
もしも母親が生きていたら、自分はこんな風に甘えることがあったのだろうか。そう思考を巡らせようとして、考えをやめた。それはないものねだりだ。あったかもしれないという可能性なだけの話であって、実際にそうすることはできないのだとスグリは幼心に理解していた。
「どうだい、気持ちいいだろう?」
「……あったかい」
「それは何より。暖かくなれば眠気も下りてくるよ。目を閉じてごらん」
その指示に従って瞳を閉じれば、目の辺りを手で覆われるような温度を感じた。じんわりと筋肉を和らげるような、芯に優しく届くような温度が心地よい。己が一人ではないという安心感に加えて、包まれるような温度。それがあればスグリの眠気が誘われるには、十分な理由だった。寝るつもりなんてなかったはずなのに、今はこの温度に包まれて眠りたいと思う。
そうして意識を手放す直前に、スグリの耳にはその声が届く。
慈しむようなヴェルザンディの、「おやすみ」という声が。
誰もいない脱衣所で衣服を脱ぎ、静寂が包み込む風呂場に入る。湧かされていたお湯を風呂桶に入れ体を流すと、最初こそは痛みすら感じたが、やがてじんわりと熱が体を覆っていく。あたたかいな、純粋にそう感じる。
ちゃぷん、と湯船に浸かる。再び静寂が下りる風呂場に天井の水滴が一つ、寂しく落ちた。それが嫌で嫌で、思わず湯に潜る。つい先日まで、ここもあんなににぎやかだったのに。一人で入る風呂が、こんなにも寂しくて静かなものだなんて。そんなこと、知りたくなかった。
そう思うも、スグリは決して泣くことはしなかった。自分より傷付いているのは明らかにヤクの方だ。泣いたら、ヤクが泣けなくなる。泣かないように守るとは言ったが、泣きたいときに泣けなくなることは、させたくないと感じたのだ。
それにこれからは、自分も領主として自立していかなければならないのだから。
湯船から上がったスグリは勢いそのままに髪と体を洗い、用意されていた衣服に着替える。髪を乾かすこともそこそこに、彼はまずヤナギに報告することに。おそらく部屋にいるだろうと考え、ヤナギの部屋に向かう。
スグリの予想通りで、彼は部屋にいたようだ。廊下に部屋の明かりが漏れていることを確認したスグリは、まずは部屋に入らずに声をかける。
「爺、今いいか?」
「若様。ええ、構いませぬ」
「入るぞ」
許可をもらい、部屋の中に入る。ヤナギの部屋の奥の襖は開けられている。開かれた襖の部屋には布団が敷いてあり、そこにヤクが寝かせられていた。彼の顔を見たいが、まずはヤナギに事の顛末を報告することが先だ。ヤナギに対面するかたちで座りスグリはゆっくりと、しかし正確に起きたことを話す。
ブルメンガルテンの研究施設に行くまでは順調だったこと。内部潜入も成功したこと。しかしその途中で出くわした研究員に、すべて壊されたこと。助けるために向かったはずなのに、ヤク以外の彼の仲間は死んでしまった子もいたこと。
そしてその話を聞いたヤクが暴走を引き起こし、その暴走に巻き込まれてアマツが命を落としたこと。
スグリから知らされたアマツの訃報に、ヤナギは一瞬息をのんだようだ。彼にとっては、アマツは己の息子でもあった。彼は帰還者たちの中にアマツがいなかったことで、ある程度は予想はしていたらしい。静かに一言、そうでしたかと呟く。
「けど、ヤクは悪くないんだ!アイツは、自分が助けようと思っていた仲間たちが殺されたって知ったことで、我を忘れちゃっただけだから……。だから、ヤクのことは責めないでほしい」
「もちろんですとも。この屋敷内でヤクを責めるような人物はいませんよ、若様。領主様のことについては残念には思いますが、それでもあの方は若様にヤクを託されたのでしょう?」
「うん。この子をお願いするって……そう、言ってた」
「ならば、我らが口を出すことはありませぬ。ご安心召されよ」
「……ありがとう、爺」
そしてスグリは続けて、その後脱出には成功したがブルメンガルテンはその一面が氷で覆われてしまったこと、それ故にアマツの遺体を持ち帰ることはできなかったことも伝える。ヤナギのそばに控えていた刀に視線を送り、彼に告げる。
「父上の遺体は氷の中で取れないから……。その刀を、遺体の代わりとして埋葬してほしい。それが、父上の意思だったから」
「……かしこまりました。のちほど、手筈を整えましょう」
「ああ……頼む」
「……若様もお疲れでしょう。ひとまず、夕餉までおやすみになられてはいかがです?」
「……そう、しようかな……。悪いな、爺。とりあえずお言葉に甘えるよ」
「ええ。ごゆるりとおやすみくださいませ」
時刻はまだ昼過ぎ。食欲もあまりなかったスグリはヤナギが提案するように、自分の部屋で少し休むことにした。そろそろと自ら布団を敷き、その上に横になる。今は起きて考え事をするよりも、眠っていたかったのだ。そして何より、今は自分しか知らない彼女──潜在意識に住むヴェルザンディ──に会いたかった。
******
見覚えのある泉と樹木が見える。その傍らに、ヴェルザンディもいた。彼女はスグリに気付くと短く、やぁ、と声をかけられる。それに小さくうなずき返事を返してから、スグリは樹木の方へと近寄った。
「……お疲れ様だったね、スグリ」
「……ありがとな、ヴェル」
「いや、礼には及ばないよ。私は君の願いを聞いただけだからね」
「……そっか」
それだけ言うと、スグリは伸びていた樹木の枝の上に座る。現実世界ではこんな姿は、もう誰にも見せられない。今度は自分が、村を引っ張らなければならないのだから。それでも弱気になることだってあるのだ。今がその時であり、自分だけしか知らない存在のヴェルザンディになら、安心して弱い姿を見せることができる。そう思ったのだ。
「……厳しいことを言うようだけど。これも運命の一つの結末なんだよ、スグリ」
「結末……?」
「初めて会ったときに、言ったろう?巫女の力を求めることは、今の平和な日常には戻れないってことだって」
「うん……」
「それに、キミがヤクと出会ったあの日も。私はある意味で忠告はしたよ、竹藪を進むか否かが、キミの運命の分岐点の一つになる。この先の竹藪に進めばキミは、二度と戦いの運命からは抜け出せない、とね」
「……わかってる……。全部、俺が決めたことだから……決めたことで、決まったことなんだって……わかってるよ……。それに、ヤクを守りたいって思ったのは、俺の本当の、気持ちだから……。それは、本当のことだから……」
「……そっか」
さらさらと風が吹く。悲しくなるくらいに優しい風だった。
己の言葉の通り、スグリはこれまでのことが全て自分の判断によって齎されたものであるということは、頭では理解していた。ヤクを優先したことも、後悔はしていない。あの時も、今も。それが自分の為すべきことだということは、誰よりも理解していた。
しかしまだ彼は十二歳の子供であることには変わりない。ゆえに覚悟できていなかったのだ。突然訪れてしまった肉親との別れに対する、覚悟が。
今日と同じ明日が来ると信じていた。今日と変わりなく、父親が隣にいてくれるものだと疑わなかった。その淡い希望が目の前で消えた。その衝撃にまだ、心では慣れることはできない。そこまですぐ整理をつけられるほど、スグリ・ベンダバルはまだ成長できていない。
そのことを、ヴェルザンディは理解していた。
そしてただでさえ小さい子供の背中が、一層小さく見えたのか。ふわりとスグリのそばに寄ると、彼に膝枕をさせる。突然の行動に、スグリはといえば呆気にとられている。
「ヴェル……?」
「今日はもうゆっくり寝た方がいい。このまま起きてても、思考がぐちゃぐちゃになるだけだぞ?」
「そうじゃなくて、どうして膝枕なんて……別にいいのに」
「おいおい、運命の女神さまの膝枕なんて激レア中の激レアなんだぞ?存分に堪能してくれたまえ」
そのままよしよし、とまるで親が子供を甘やかすように頭を撫でられる。結局彼女は、自分に膝枕をした理由を話すつもりはないらしい──どうしてもそれが聞きたいというわけではなかったが。言われるがままヴェルザンディの言葉に甘えるように体を預けてみると、どうしようもなく安心している自分がいることも確かだ。人間のようにぬくもりのある温度に、包まれる感覚を覚える。
心のどこかで思う。まるで母親のようだと──スグリにとってヴェルザンディの存在は母親というより、年の離れた姉のような感覚なのだが。
もしも母親が生きていたら、自分はこんな風に甘えることがあったのだろうか。そう思考を巡らせようとして、考えをやめた。それはないものねだりだ。あったかもしれないという可能性なだけの話であって、実際にそうすることはできないのだとスグリは幼心に理解していた。
「どうだい、気持ちいいだろう?」
「……あったかい」
「それは何より。暖かくなれば眠気も下りてくるよ。目を閉じてごらん」
その指示に従って瞳を閉じれば、目の辺りを手で覆われるような温度を感じた。じんわりと筋肉を和らげるような、芯に優しく届くような温度が心地よい。己が一人ではないという安心感に加えて、包まれるような温度。それがあればスグリの眠気が誘われるには、十分な理由だった。寝るつもりなんてなかったはずなのに、今はこの温度に包まれて眠りたいと思う。
そうして意識を手放す直前に、スグリの耳にはその声が届く。
慈しむようなヴェルザンディの、「おやすみ」という声が。
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