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大人編
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しおりを挟む次の年の春、千鶴は約束通り渉の待つ島へと帰って来た。
引越しを済ませて部屋を整え、刈田組へ出向き入社に向けての書類や資料のやり取りをしたりと忙しく過ごす。
ちなみにだが千鶴も何か役立てばと在学中に勉強して重機の運転資格を取得、やってみると楽しかったのか積極的に利用していこうと張り切っていた。
「分からんことは母ちゃんに聞いてくれ、ワシでもええ」
「うん…あ、敬語の方がいいのかな?先輩だし」
「そんなん………いや、新鮮でええのぅ」
「ふふ…よろしくお願いします、刈田さん」
「…たまらんな」
これはデートの約束を取り付けねばと鼻息を荒くしかけると由恵が入ってきて、
「あら、ロマンスは他所でやんなさいな」
と二人を嗜める。
「違うって…」
「ちーちゃん、しんどいこともあるじゃろうけどな、頑張っていこうな」
「はい、お願いします!」
「うちの料理の味も覚えてな」
「あ、そっちも?」
「花嫁修行も同時進行じゃな、ふふっ」
「そんな、まだまだ…」
実際、卒業して就職したら結婚をと漠然と考えていた渉だったが、具体的な日にちも決めてはおらずプロポーズさえもきちんとはしていなかった。
「二人のタイミングでな、一応あんた長男じゃし付き合いもあるしで式はきっちりさせてもらうけぇ…日取りとかな、二人で決めて、教えてな」
「ほぉか…いつにするかのぅ」
「……」
渉本人も既成事実を優先してプロポーズはすっかり忘れているようで、千鶴はなんだか釈然とせず入社日を迎える。
それからしばらくは覚えることだらけで忙しい日々、取引先やら市の担当者やら商工会の上役やら、千鶴は由恵に伴われて挨拶をして回った。
それはあくまで「うちの新しい事務員です、ゆくゆくは引き継いでいきます」という紹介で、のちの社長夫人であるとかそんな事は抜きにした全く業務上のことだった。
「(顔と名前が一致しない…専門用語…分かんない…)」
一応事務の基礎は学んだもののゼロからのスタート、千鶴の春は慌ただしく過ぎて行く。
一方の渉は近くに千鶴が居るというだけで気分が高揚して仕事に張りが出て、作業効率も上がり予定時刻よりも早く事務所へ戻って来ることが増えた。
難しい顔をしてパソコンに向かう千鶴を窺いながらニマニマと笑い、たまに睨まれてもデレっと締まりのない表情で終業まで居座るのだ。
・
なんとか形になってきた初夏のある日の夕方、事務所を施錠した千鶴は付き纏う渉へ遂にあの質問を投げることにした。
「…ねぇ渉くん、」
「なに」
「あのさ……私たち、結婚…するのかな?」
「うん、するよ、たりめーよ」
「…そっか、うん……あの、あのね、その…」
「あ、日取りとか決めるか?チィの仕事が落ち着いたらと思うて窺ようたんじゃが」
やはりそれは揺るぎない決定事項で最重要なスケジュールのひとつで、渉は買い換えたばかりの二つ折りの携帯電話をパカと開いてカレンダーを確認しようとする。
「あ、それはありがたいんだけど、違くて…その、」
「なん、今さら破棄はねぇど、意地でもするし」
「あの、あのね、プロポーズね、」
「うん?」
「して、もらってない、の、」
通信料金を気にしつつもインターネット検索で六曜を調べていた渉は振っていた手を止めて、
「………そう?」
と千鶴へ顔を向けた。
「そうだよぉ、嫁ぐとか就職するとか言うばっかりで…肝心なとこは…全然…」
「そりゃあ…悪かった。んー…西にバイパス走ったとこにホテルができたんよなぁ…行ってみるか?」
「…それって、ラブホテル?」
「ウン」
携帯電話をポケットに収めた渉は作業着の上から股間をぐいと持ち上げて、無意識にポジションを直す。
「やだよぉ、なーんで一生に一度のプロポーズがホテルなのさぁ」
「…チィ、案外そういうのこだわるんじゃの」
「私だって女の子だよ、なんかもう…この田舎者ぉ!」
忙しなさと己の無力さに打ちひしがれる日々、久々ののラブタイムは嬉しいがそれにプロポーズを混在させてもらっては困るのだ。
これまで多くのフィクションに触れてきた千鶴は、ロマンチックとは言えなくてもそれなりに工夫を凝らした文言で愛を伝えてほしいと考えている。
ガサツな渉に歯が浮くような甘ったるい演出は望めないし望まないけれど、せめて工夫や思案した証などは見せてもらわなければ乙女心が納得できない。
「ええがの…夜景くらい見えるど?」
「……ぶー」
「シとうないか?」
「………渉くんのばぁか!」
千鶴はバッグで渉の尻を叩き、母へ「今日、ご飯いらない」と電話を入れて彼の愛車の方へとつかつか歩く。
「素直じゃないのぅ」
渉も由恵へ『デートしてくるわ』とメールをして、車へと乗り込んだ。
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