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しおりを挟む「…おはよう、橘」
二階堂邸のガレージで黒塗りの送迎車に乗り換えていると、スンと澄ました歩夢嬢が使用人さんを伴って挨拶をくれる。
「おはようございます、歩夢さま」
「よく眠れたみたいね。顔がツヤツヤしてるわ」
「…歩夢さまは?」
「ちっともよ……行ってきます」
後部座席を開けて閉めてしている間も、使用人さんはじぃと俺を窺っていた。
やはり暴行疑惑を持たれているのだろうか、にしてはすんなり俺たちは送り出してもらえた。
考え過ぎたかな、車を出して何か話そうかと思っていると
「橘、昨日のあれ、どういうことなの?」
歩夢嬢はミラー越しにまたもや睨んできた。
「…えーと」
「私を置いて、よくも逃げたわね」
「まぁ」
「私のこと、嫌いってことね、よく分かったわ」
「え、いえ、違いますよ」
「じゃあなんで逃げたのよ、命令に背いて。抱きもせず。あの後、北埜さんが血相変えて部屋に飛び込んで来たわよ。橘に襲われたんじゃないかって…疑われたわ」
北埜さんというのは、昨日台所で会い先程歩夢嬢と一緒に居た使用人さんのことである。
数人いる使用人の中でも、特に歩夢嬢の身辺の世話を任されているベテランだ。
「すみません…その、大丈夫でしたか」
「貴方が出て行って私も起き上がってたから…足音を聞いて服も直してたし、大丈夫だったわよ。『ケンカしちゃった』って言っておいたわ」
「恐れ入ります…」
何らかの弁明をせねば許してもらえそうにない。
しかし彼女の態度からも北埜さんの様子からも、すぐのすぐクビになるということはなさそうだ。
そして気付いたが、歩夢嬢は贈り物の香水を着けていないようだ。
直前に纏うのかもしれないが、車内に知らない匂いが混じらないのは俺としては嬉しかった。
「で?なんで逃げたの」
「…臆病で、怖くなりました」
「はぁ?何がよ」
「本音を吐露してしまいそうになり」
「…トロ?」
知らない単語が出たことで、歩夢嬢は頓珍漢に目を丸くする。
いつもなら知識が追い付かなくてもなぁなぁで話を合わせるのだが、流れを止めてでも趣旨を理解せねば不利益を被ると察知したようだ。
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