28 / 30
12月・(最終章)
27・決壊
しおりを挟むなんだか可愛いことを言っている。
千早は相談してほしくて機嫌を損ねていただけだった、そのいじらしさがきゅんと知佳の胸を打つ。
『うん、もうええから。価値観がな、ちゃう事はよう分かったから』
知佳は冷蔵庫から小さな乳酸菌飲料を1本取り出し、スマートフォンを耳と肩で挟んでその銀紙のふたに爪で2ヶ所穴を開ける。
『よく分かんないけど、納得されました?』
『うんうん、せやけど…こんな寒いのに髪切らんでもええのに』
『…男の人って防寒のために髪伸ばすんですか?同じ事先輩にも言われましたけど』
リビングのカーペットの上で知佳はドリンクをちびちび飲みながら通話を続ける。
ここが一番暖かいのだ。
『…!なぁチカちゃん、そいつが誰かは知らんけどや、チカちゃんがよぉ歯ぁ見せて笑てる男はあれ誰や?呼び捨てにされてるやろ』
『呼び捨て?あー…、松井さんかな…歯を見せてるかは分かんないけど、その先輩ってのも松井さんですよ』
『!』
千早は苛立ちを感じ、座卓の上の煙草に手をかけ咥えて続ける。
『…どういう仲?』
『仲って…ドライブとかホームパーティーとかを主催してる人ですよ。私が入社した時の教育担当なので、一番長い付き合いですね』
『姉さんが言うてた奴やな…なんで呼び捨てなん?』
『あの人、女子には大体そんな感じですよ』
『わざわざ電話かけてきたりする奴やろ?』
『内線から離れてる時がありますんでね、無線より聞き取れるし直接かかってきますね……千早さん、よく知ってますね。松井さんが何かしましたか?』
『!』
松井側に立たれた、千早はガスライターの蓋をカチカチと音を立てて開閉を繰り返す。
その音は電話先の知佳の耳にも入っていた。
『………ソイツの味方なん?チカちゃん』
『ハイ?味方も何も…え、仲悪いんですか?…』
『ソイツと付き合うてた?』
『まさかぁ、ないですよ…あのー、何が言いたいんです?ハッキリ言ってくださいな』
ハッキリ言っていいのか、なぜこの女は分からない。
わざとか、俺を弄んでいるのか、嫌われようとつれない態度を取るのか。
千早はいよいよの準備をする。
『………』
『………』
知佳も知佳とてハッキリしない千早に苛立ちを覚えていた。
何故彼氏でもない人に散髪を咎められねばならないのか?自分の好意をいなしたクセに容姿を褒めたり先輩との仲を疑ったり。
思わせぶりは沢山、いっそ自分から…だがその自信が無いのも腹が立つ。
『…歯は重要ですか?最初から言われてますけど』
『見してくれんかったからな』
『は?』
『可愛い言うて褒めてんのに、俺にはなかなか見してくれへん!………ぁ…』
千早は言ってしまったと、火のついていない煙草を落として口元を押さえる。
動いた拍子に肘が当たって卓上の灰皿が落ち、鈍く重い音と千早の「げぇ」という悲鳴が知佳の耳にも届いた。
『……』
そこまで聞いた知佳の心は不思議と落ち着いて、耳は徐々に温もっていく。
『…千早さん、……勘違いならすみません、あの、松井さんと私との仲にやきもち妬いてるってことでいいんですかね?』
電話の向こうのこの慌てぶりに乗じて、知佳は自分なりに精一杯の質問を千早へ投げかけた。
こちらは彼女にとってはなかなかの冒険発言、だって千早に「私に気がありますか?」と聞いているようなものなのだから。
『は、…ぁ?…わー……』
床に散った吸殻と灰を片手でかき集めながら、千早は頭を働かせて返事を紡ぐ。
直感で答えてくれるかと思ったがやはり慎重派だった、当然答えになってないので
『すみません、思い上がり勘違いでした恥ずかしい切ります』
と、知佳も質問を取り下げた。
『ちゃうよ、ちゃう、待って、チカちゃん!』
何が「違う」?もう逃げられない、ふわふわとしたモラトリアムは終わりである。
『……』
『アー………俺な、チカちゃんの八重歯可愛いなぁていつも言うてるやん。あれ…』
『は、い?』
「かわいい」と聞かされるたびに高鳴る知佳の心臓、音声だけでこんなにもドキドキとするようになってしまって、早く、いっそ鋭く貫いてほしいと願う。
『仲良うして欲しいって言うたけど、ほんまは……いや、分かるやろ⁉︎』
鈍い知佳でも分かる、じわじわと緩んで振れる唇。
千早の動揺が琴線に触れて撫でて揺らして、僅かな嗜虐性が顔を覗かせる。
『いやぁ…ハッキリ言われなきゃ判断しかねます』
『ハァ⁉︎なんで分からへんねん‼︎』
きっぱりと、決定的な言葉で示して、この心臓を落ち着かせてほしい、チカは誘導尋問のように千早を崩す。
『だから端的に要点を!私だって恥ずかしい勘違いしたく』
『~~~っ!!!』
スマートフォンからはしばしの歯軋りの音の後に座卓をバァンと叩く大きな音がして、
『す、好きや言うてんねん…ボケェ!分かってんやろ⁉︎しゃ、写真見て可愛いかったて言うたやろ!一目惚れじゃ、文句あんのか⁉︎他の男に歯ァ見せんのが腹立ってん、ワシだけに笑ときゃええねん、名前かて気安く呼ばしてんなよアホンダラァ‼︎』
…遂に千早が決壊した。
・
盤面を叩いた手は痛い、せっかく集めたのに再び落ちて舞い上がる灰に千早は咽せる。
煙草は喫むもの、灰は吸うものではない。
触発されたとはいえ意中の女性に使う言葉ではなかった、千早のふわふわした頭には「終わった…」の文字が浮かんでいた。
楽しいモラトリアム、告白するまでの試し合うような心理戦、そんな物も一方的に吹き飛ばしてしまった…この煙草の灰のように。
『も…もうええ、もう…切るで』
『あ、待って』
知佳は案外激しい言葉には耐性があったので彼の予想に反してケロリとしており、
『あの…返事は要ります?』
と、「好き」という決定的な言質を取って自信を持って優位に立ったつもりでいる。
『あァ⁉︎後で送っといてよ…もう知らん…終いや』
口汚い言葉に泣かれなくて良かった、しかし怖い、もう会いたくない、好きに書けばいい。
千早は本気でこの関係のオシマイを想像できていた。
『私、筆まめではないので返事打たないかもしれませんがよろしいですか?』
『は?いや、よろしないよ。ほな返事きかせぇな』
『もう一度言って下さい、アホとか無しで』
恥ずかしい、烏滸がましいなんて奥ゆかしさはどこへやら、知佳は増長する。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
凶器は透明な優しさ
楓
恋愛
入社5年目の岩倉紗希は、新卒の女の子である姫野香代の教育担当に選ばれる。
初めての後輩に戸惑いつつも、姫野さんとは良好な先輩後輩の関係を築いていけている
・・・そう思っていたのは岩倉紗希だけであった。
姫野の思いは岩倉の思いとは全く異なり
2人の思いの違いが徐々に大きくなり・・・
そして心を殺された
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~
けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。
ただ…
トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。
誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。
いや…もう女子と言える年齢ではない。
キラキラドキドキした恋愛はしたい…
結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。
最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。
彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して…
そんな人が、
『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』
だなんて、私を指名してくれて…
そして…
スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、
『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』
って、誘われた…
いったい私に何が起こっているの?
パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子…
たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。
誰かを思いっきり好きになって…
甘えてみても…いいですか?
※after story別作品で公開中(同じタイトル)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる