16 / 31
11月・恋育つ編
16・旅行の準備
しおりを挟む鍋を囲んだ翌日の夕方、毎度お馴染みの足音がして、千早が商品管理室へ入ってきた。
「おつかれぃ」
「おつかれさまですー」
知佳はちらと千早の顔色を窺うが、仕事終わりにしては元気そうだし、なんなら機嫌が良さそうだった。
「淡路島、レンタカーでええ?」
彼はスマートフォンをいじり、画面を見せながら話しかける。
淡路島観光、昨夜勢いで決まったこの二人の小旅行の計画を立てねばならないのだ。
正確には美月と高石も入れての4人なのだが、現地までの移動は2組に分かれて、ということになっている。
「俺は車持ってへんから」
「あ、なら私の車では?」
「いや、俺運転したいし…なんかあったときに保険とか…ややこしいやろ」
「はぁ、いいですよ。……淡路島、詳しいですか?」
「いや、玉ねぎしか知らへん」
「……」
「……」
「…やめま、しょうか」
「ちょい、待ってよ。俺も知らんから…一緒に行こうや…」
こっそり犬を拾って咎められた子供のように、千早は辛そうな顔をして食い下がった。
「……じゃあ、なんとなく行きたいところお互いピックアップしときましょうね」
「チカちゃん、俺、楽しみにしてるから」
窓の下枠に肘をつき、ぐにゃりと頬を歪ませて千早は真っ直ぐに知佳の目を見る。
「……はい…ふふっ」
これは愛想笑いではなく母親が「しょうがないなぁ」とでもいう時の笑顔、その口元から覗いた八重歯を得物として、千早は仕事へ戻った。
・
その日の夜。
自社事務所に戻った千早は業務報告を書き、パソコンで淡路島について調べ始める。
同時刻に戻った高石はその様子を後ろから眺めていた。
「高石、淡路島は何かあんのか?」
「んー、玉ねぎやろ」
「玉ねぎ以外や…冬の名産…あかん、ふぐとレタスや、食った気になれへん」
「待って、スマホで調べる……なに、11月の見所…紅葉。これ行き先変えた方がええんちゃうか?しっとり紅葉狩りできるか?なんやイベントとか、体験とかやないと間が持たんやろ、」
「いや…静かな方が好きかもわからんし…お前こそ、紅葉なんか好きちゃうやろ」
「失礼な…俺はミーちゃんとやったらどこでもOKよ。自然を見てると文章がつらつらと降りてくんねんな、ほら、俺詩人やか」
「あー、淡路島か…明石で降りたろかな、明石焼き食うて…」
「おぉ、それええやん、帰りに明石観光したったら。んで大橋の夜景よ…」
「うわ、えらいこと言いよんな、そらもう…」
「デートやろ?」
「デートか?俺いけんのか?」
「いや、告白くらいせな…」
「まだそんなんちゃうねん…いきなり遠出は…姉さん…」
「姉さんちゃうからね。とりあえず距離を詰めな、タメ口で話すくらいにはな」
「せやな…」
・
さらに翌々日の夕方。
知佳が伝票の事で配工センター事務室にて相談をしているところへ、本日の業務を終えたスタッフがわらわらと室前のホールへ帰還してきた。
その中には気怠げな千早もおり、配工の社員が彼を見つけてチョイチョイと手招きして呼び寄せる。
「千早くんおかえり、明日行ってもらうお宅、難しい方みたいでさ、事前の金額提示しっかり噛ませてね」
「へぇ、そら毎度してるけど…そんなにかいな」
怪訝そうな千早へ、知佳も補足説明に入る。
「千早さん、その方前にエアコン工事頼んだ時に、相当ふっかけられたってご立腹で。必要な作業代なんですけどね、すみません」
「はぁ、はいはい」
「なんでチカちゃんが謝んの?」と聞きたいところだったが千早は飲み込み、ホールへ引き返してトイレへ入っていく。
その後を追うように知佳は商品管理室へ戻り、発注の確認作業をするのだった。
トイレから出てきた千早はいつものように窓から身を乗り出し、「しかし寒いね」と落語の入りのように細い体を震わせた。
「千早さん、さっきの…工事の件、前のエアコンもムラタで買われたらしいんですけど、販売担当がその…なんていうかだらしない人で、ろくに工事代金の説明もしてなかったみたいで炎上しちゃって。現場に嫌な思いさせてしまうかもしれないです…すみません」
「はぁ、ええよ。俺らは接客業ちゃうし。必要な金額弾いて『出せん』言われたら帰るだけやしな。なんか有りゃ売り場にポイよ。チカちゃんが謝ることちゃうよ」
「いや、その売り場と配工を繋ぐのが我々の仕事ですんで…何卒穏便に…お願いします」
「うん、チカちゃん、頼みごとやったら納めるもん納めてもらわんと」
千早は左手を前に出して恐らくだが食料を乞う。
カクカクと手首から先だけ動く様は、小学校の保健室で見た骨格標本に似ているなと知佳は思ってしまった。
しかし今更怯む事なく私物入れから手の平大の缶を持ち出し、千早の正面で蓋を
「じゃーん、どれでもどうぞ!」
と開いて見せた。
缶の中には色とりどりの飴、そして自信満々に披露する知佳の表情が千早の目に眩しく映る。
「限定もありますし…オススメは普通のコーラ味…あ、溶けてる!コレ以外でどうぞ、」
「いや、なんで溶けんの?」
その形状を大きく崩して個装フィルムにくっ付いたソフトキャンディー、知佳はそれをバツが悪そうにポケットにしまう。
「車に缶ごと置き忘れた日があって、割に暖かい日だったんで溶けちゃって…味は変わらないんでね、責任持って食べます。ハイ」
「チカちゃんさ、ドジっ子なん?」
「いや…あのー、そういや入社してすぐから、先輩に不思議ちゃんとか天然とか言われてますね…パニック…というほどでもないんですけど、周りが見えない感じで…不本意です」
「ふぅん、おもろいね。その溶けたやつでええよ。コーラ味ちょうだい」
顎を少し上向にして、伏した目の睫毛の長さが知佳の気を引いた。
「えぇ、限定でもないのにー……ハイドウゾ」
「おおきに、またね」
ホールへ戻る千早の背中に、はて貴方も大概不思議さんなんだけど、と知佳はテレパシーを送る。
それが届いたかどうかは定かでないが、途中で彼は小さく振り返り、口の中を見せながらくちゃくちゃと崩れきったキャンディーを噛むのだった。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】
remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。
干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。
と思っていたら、
初めての相手に再会した。
柚木 紘弥。
忘れられない、初めての1度だけの彼。
【完結】ありがとうございました‼
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
【完結】もう辛い片想いは卒業して結婚相手を探そうと思います
ユユ
恋愛
大家族で大富豪の伯爵家に産まれた令嬢には
好きな人がいた。
彼からすれば誰にでも向ける微笑みだったが
令嬢はそれで恋に落ちてしまった。
だけど彼は私を利用するだけで
振り向いてはくれない。
ある日、薬の過剰摂取をして
彼から離れようとした令嬢の話。
* 完結保証付き
* 3万文字未満
* 暇つぶしにご利用下さい
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】
迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。
ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。
自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。
「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」
「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」
※表現には実際と違う場合があります。
そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。
私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。
※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。
※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。
お前を誰にも渡さない〜俺様御曹司の独占欲
ラヴ KAZU
恋愛
「ごめんねチビちゃん、ママを許してあなたにパパはいないの」
現在妊娠三ヶ月、一夜の過ちで妊娠してしまった
雨宮 雫(あめみや しずく)四十二歳 独身
「俺の婚約者になってくれ今日からその子は俺の子供な」
私の目の前に現れた彼の突然の申し出
冴木 峻(さえき しゅん)三十歳 独身
突然始まった契約生活、愛の無い婚約者のはずが
彼の独占欲はエスカレートしていく
冴木コーポレーション御曹司の彼には秘密があり
そしてどうしても手に入らないものがあった、それは・・・
雨宮雫はある男性と一夜を共にし、その場を逃げ出した、暫くして妊娠に気づく。
そんなある日雫の前に冴木コーポレーション御曹司、冴木峻が現れ、「俺の婚約者になってくれ、今日からその子は俺の子供な」突然の申し出に困惑する雫。
だが仕事も無い妊婦の雫にとってありがたい申し出に契約婚約者を引き受ける事になった。
愛の無い生活のはずが峻の独占欲はエスカレートしていく。そんな彼には実は秘密があった。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる