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10月
2・不審者ですか?
しおりを挟む「お姉ちゃん、シロミ町のタカハシ様、商品変更なったらしいで」
そう聞こえたかと思うと、「お姉ちゃん」と呼ばれた女性の正面の窓から、袖をまくり骨張った腕がずいと乗り出してきていた。
呆気にとられて顔を上げると、そこには見知らぬ男が覗いていたので肩がビクッと上下する。
「(ひえっ…)」
今更だが、声の主・千早は人相が悪かった。
ギョロリと三白…いや四白眼の目に薄い眉毛、痩せているのか痩けているのか頬骨は浮き、線が細い。
見えている上半身だけでも骸骨のような印象を受けた。
前髪はオールバックだったのだろうが真ん中で分かれてサイドに垂れ、横髪後ろ髪は胸まで伸ばして…というか切らずにおいたら伸びてしまった、くらいに毛先が不揃いであった。
新しい配送員か、こんな目立つ人は女性…宗近の記憶にはなかった。
ここは守衛も兼ねる部署、不審者ならば自分が責任を持って追い返さねば、宗近は手元の武器になりそうな物を確認する。
さて、この不穏な空気は千早本人ももちろん感じるところで、明らかに警戒した目で見つめられて初めて、このいきなり過ぎた訪問を後悔したのだった。
家電小売業ムラタは全国展開企業、宗近の勤める皇路本店はこの地区では一番の大型店舗である。
郊外の国道沿いにあるため交通の便がよく、地域の配送拠点として配送工事センター・略して【配工】も併設している。
宗近の仕事場とする商品管理部の事務室は客目に触れない1階にあり、50坪程のだだっ広いホールの角に位置していた。
スタッフはここを『商管室』とか『事務室』、そのまま『商品管理室』などと呼ぶ。
この6畳ほどの部屋は売上情報の資料室のような物で、デスクとレターケースが6割を占領する窮屈さだが、廊下側の窓のおかげで案外開放感がある。
そしてその窓際に作業机とパソコンデスクをベタ付けして、来訪者用のカウンターにしているのだ。
千早は今、そのカウンターにもたれかかりあの八重歯の推しギャルを見下ろして…もちろん名札もチェック、なるほど『むねちか』だから『チカちゃん』か、とひとり納得する。
「(何だろう、この人…?)」
宗近にしてみれば、千早の来襲はまるで未知との遭遇のようなものだった。
疲れているのか気怠げで、窓の下枠にしな垂れかかるように立ち、開襟したツナギからは中の派手な柄Tシャツも見える。
なんともだらしない印象を受けたが、人相の悪さだけで言うと他にも似たような人は居るのでさほど抵抗は無い。
1日中大型家電の上げ下ろしと車移動を繰り返す体力勝負の配送員である、中には不良上がりや彫り物をしている者もいる。
しかしこの千早の風貌はヤンキーというよりもっとパンキッシュであった。
彼女は一瞬怯んでしまったが我に返り、隣のパソコンで伝票情報を更新する。
そうすれば確かに、明日の配送に関して連絡メールが1件追加されていた。
「あ…メール来てますね。確認して登録しておきます」
「うん、」
パソコン机に移動したので千早から若干離れたが、宗近の視界の隅には彼がまだ映っている。
「登録しといたんで、再印刷してくれると思います」
宗近は一応千早の顔を見てニコリとしておく。
「用事が済んだのでお引き取り下さい」という意味合いの会釈と笑顔だった。
黒々と長い髪を1つに束ねた女性社員の模範的なスタイル、今はジャンパーを羽織った事務員だが、宗近もかつては売り場に立っていた。
相手の目を見るのが最低限のマナーだとは思っているが、話し慣れない人に対しては口元を見るようにしている…これくらいの誤差は相手からも気づかれないらしい。
「(おぉ、笑ろた)」
それは畑違いの千早にもはっきり分かるほどの営業スマイルだったが、口元から少し覗いた八重歯はやはりあの写真のギャルと同じだった。
そして数回の発言からでも分かる、おそらく彼女は関西弁は喋らない。
丁寧語でも関西訛りは出ていなかった、転勤で他の地域から赴任してきたのかもしれない、様々な考察が千早の頭の中を飛び交う。
千早はふーん、とでも言いたげな表情をして、しかしチラと見えた宗近の歯が可愛らしくて、
「おおきにね」
と口を綻ばせて窓を閉めた。
「(…かわいかった、ええな、女子が居ると張り合いが出る…)」
・
「(緊張した…)」
宗近はふぅー…と張り付いた笑顔を剥がしむにむにと頬を揉み解すと、緊張と緩和、なぜだろうジワジワと口の端が震えて自然と笑みが溢れる。
「……?」
「おおきにね」と言い終わった時に、間違いなく男は笑った、元の口の形より更に口角が上がるのを見てしまったからか。
「ふむ」
窓の向こうにはホールの長机へ着席する千早がいる。
著しく華奢と言うほど小柄ではなく、長髪だが女性的ではない。
輪郭や手は骨張っていてむしろ男らしい印象を受けた。
顔は何となく、最後に口元を見ていたからそこだけ強烈に記憶に残っている。
両の口角がクイと上がり、唇がセクシーだった。
そして去り際に笑うなんて悪い人ではない気がする、そう宗近に思わせるほどにそれは魅力的な微笑みで、にわかに心臓まわりを巡り出す血がドキドキと胸を打つ。
彼と話した後に宗近の身に起きたこの変化、宗近自身がそれを思い出し自覚するのはもう少し後のことである。
「(男の人は特に緊張…)」
男性だらけの1階において、空調が効き冷蔵庫とレンジがあり、女性が居る事務室はある種のオアシスになっていた。
確かに、年配の配送員は娘のように孫のようにと宗近に気安く声をかけてくれたりはする。
しかし今回のように、そんなに大きく歳が離れていない配送員に声をかけられることは初めてだった。
これは隠しもしない自覚していることで、宗近は目を奪われる美人とか、ヤンチャ系に好かれるような派手な見た目では無いのだ。
「(新しい人かな…いや、新しいかどうかも分かんない)」
さて、急ぎでもない案件をわざわざ持ってきた配送スタッフ、彼の目当ては何だったのかと宗近は考え始める。
彼女目当てで来訪した線はまぁ無いとして、彼がもし個人情報溢れるこの部屋自体に用事があったなら何らかの手を打たねばならない。
他の部員の財布や貴重品類も雑に置いてあるし、空調・照明・防火シャッターなどの各種電源もここに集約されている。
あまり無いとは思うが、店に損害を出すならこれらの電源を壊してしまうのが一番手っ取り早いのだ。
夕方の売り場巡回を減らして、室内業務で滞在時間を増やすのが良いか、とりあえずの方針を決めてから宗近はタイムカードを押した。
新しい配送員が残したのは、強烈な印象と捨てきれない不審者の可能性だった。
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