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9月(最終章)

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 そして来たる連休の2日目水曜日。

 千早ちはや知佳ちかは新幹線で広島県へと入る。


 待ち合わせに指定されたのは駅前の一番大きなホテルで、知佳母はお城だとか街並みだとかを一望できる地上16階の特別個室を予約してくれていた。

 千早は慣れないスーツに地下の更衣室を借りて着替え、知佳も透け感のあるワンピースを纏い母との再会に備える。




「…チカちゃん、それ可愛い」

「ありがとうございます…千早さんも、スーツ…すごく……良いですね…」

「好み?」

「はい…細い方のスーツ、非常に眼福がんぷくで…」

 廊下からエレベーターまではそんなくだけた会話をして、しかし乗って階数が上がっていくにつれて知佳から笑顔が消えた。

「(えらい萎縮いしゅくしてもうて…可哀想に……心なしか顔つきも違って見えて…いや、化粧の具合か?)」


 絨毯じゅうたん敷きの廊下に慣れない千早の革靴の先が引っ掛かる。

 顔が強張こわばる知佳を励まそうと思うものの窓から景色が見えても大した感想が浮かんでこない。

「緊張してる?」

「はい…すみません、本当に…穏便に済ませたいとは思うんですけど、嫌な思いをさせてしまったらごめんなさい」

「ええよ…アカンかっても俺はチカちゃんから離れへん、大人やねんから本人の意思で…あ、」


 指定の部屋に通されて上座で待ち構えていたのは知佳にはちっとも似ていない中年女性…いやギャル仮装の時の彼女の雰囲気は少し面影が近いような気もするか。

 ともかく知佳をタヌキとするならば知佳母は細いキツネ系統の顔立ちをしていた。


「チカ、久しぶりね…なぁに、相変わらず辛気臭い顔して、」

「ごめんね」

まぁこれくらいの悪態は許容範囲か、しかしナチュラルに下げ発言をひと言目に持ってこられて千早は面食らう。

「あ、あの、初めまして、千早諒介りょうすけです、チカさんと交際させていただいて」

「はいこんにちは、宗近むねちかです。チハヤさん?この子、こんなだから話しててもつまらんじゃろ?愛想が無いんよね、」

「はぁ…?」

何を言っているのか理解が追い付かない。

 差し出された名刺を見つめるも情報は脳へ入って来ず…知佳をおとしめるフレーズがぐるぐると耳の中で留まり繰り返し再生される。

「あんた、ちゃんと化粧しとる?可愛げが無いんじゃけ、顔くらいキチンとし、振られるよ、」

「気を付けまーす」

「ほんまに私に似とらん、はいはい、さっさと食べようね」

知佳母が目配せすればコース料理なのだろうかアミューズとお洒落なサラダが運ばれて来た。

「うん」

「あんた、ちゃんと働きよる?自立しぃよ、あてにされても困るけぇな」

「うん…千早さんも、食べましょ、いただきます」

知佳は終始能面のような表情で、張子の虎のように頭をコクコクと動かしては母へ同意を示している。

「……はぁ、」

なるほど、知佳の自己評価や自己肯定感の低さはこの母からくるものなのか…千早は会って数分で悟ってしまった。


 悪し様だが泣くほど酷くもない、世話を焼く感覚でサラリと、ナチュラルに知佳を下げてその向上心や自信を摘んできたのだろう。

 やはり世に言う「毒親」というものか。

 相応に反発しながらもそれなりに愛情深い家庭で育った千早には、目の前の母娘は酷く歪んだ関係にしか見えなかった。

「ほんで、今日は?結婚のお知らせ?」

「まぁそんなとこですわ、あのー、オカアサン………ワシら、一緒に住んでるんすけどね、」

話すことはしっかり台本のように決めてきた千早だったが、一気に高まった不快感によって早めに終わらせてしまおうと言葉を崩す。

「あら、そう、」

「へぇ。もし結婚が本決まりになったら、兵庫で所帯持つつもりですけど、ええですかね?」

「もう30近いんじゃけ遅いくらいよ、ええよ、好きにし、」

 あの元宿敵・松井まついを煮詰めて凝縮したような毒素を食らい、千早はもはや料理の味なども分かりはしなかった。

「チハヤ…さんじゃったっけ?大学はどちら?」

「いや、高卒っすよ」

「あら、チカにはあれほど大卒の男にしなって言ったのに」

「へぇ(その辺の価値観もこの人の教育か…)」

「っ…お母さ」

 能面のようだった知佳も矛先が千早に向けば我慢ならず、しかし彼女が言い返そうとするのを彼は振り向き手で止める。

「ええねん、学歴は名刺みたいなもんやからね。親御さんならそら心配でしょう」

「あなた、きちんと勤めてる人?食いっぱぐれてこっちを頼られても何もできんけぇさぁ」

「へぇ、そらぁ大丈夫ですよ。チカさんより貰うてますから」

 普段は絶対にしないマウントを仕掛けてみれば、母は「おや」という顔で

「あぁそう、それなら安心。見かけによらずお稼ぎになるんじゃなぁ」

と眉を吊り上げ嫌味で返した。
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