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1月・純化したサキュバス
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しおりを挟む「ただいまー」
「おかえりなさい、ご飯できてますから着替えてきて下さい」
「おおきに」
帰宅した唯は台所から香る醤油と出汁の匂いからおかずを推測しながら、自室へ上がり部屋着に着替える。
これから会社でされた話を打ち明けねばならない、リビングで待ち構えていた彼の無邪気な顔を見ればずぅんと気が重くなった。
「お待たせ……わ、おでん♡」
「はい、煮込むだけ簡単おでんです…練り物大丈夫でしょうか?」
「何言うてんねん…割烹屋の娘やで?知ってるやろ、」
ユイの父は割烹料理屋を営み、現在は彼女の兄も協力して板場に立っている。
ちなみに母は外で働いているので、全くの「家業」とも言えないらしい。
「ふふ、そうでした……いただきます」
「ん、美味い♡これ、大根も上手に包丁入れてるやん…何やらせても器用やな」
「へへ…調べながら頑張りました」
褒められて喜ぶ姿には尻尾を振る忠犬の姿が重なって…これをドン底まで叩き落とすのは気が引けるが、早めに済ませたいと唯は一旦箸を置いた。
「…龍ちゃん、食べながらで悪いんやけど…話があってな、聞いてほしい」
「何ですか…改まって…」
「今、この地区で異動が増えてるやんか、嘉島チーフが北店行ったりジュンの代わりに和田所長が来たり、」
法人事業部の所長で唯と懇意の清里潤が産休に入ったので、今北店から所長代理で和田という男が本店へ転勤してきている。
そして彼とトレードで北店へ出されたのがチーフフロア長だった嘉島…向こうでは副店長としていわば栄転扱いされていた。
さらに隣の市に新店舗ができるにあたり、近隣から副店長以下スタッフを集めて新規の管理職を増やす流れになってきており…コーナー長がフロア長へ昇進、という辞令がこの界隈でも増えてきているのだ。
「ええ…それが?」
「うちとこ本店のDCにもフロア長を付けよう言うて、今のPCフロア長がそっちになんねんて。したら空いたPCに西店のフロア長が来るらしいねん、んで、」
「嫌や」
皆まで言う前に葉山は拒否の意を示し、噛みきれない牛すじをクチャクチャ咀嚼しながらあからさまに不機嫌な顔をする。
「まだ言うてへん」
「転勤でしょう?ユイさんが…嫌や」
「うん、せやねん…西店の黒のフロア長がPCに、黒のコーナー長がフロア長に昇進やね。空いた黒のコーナー長にうちや…断る理由もあれへんし、受けることにしたから…あと1週間…も無いか、4日で本店からサヨナラやねん」
転居を伴わない転勤は割と簡単に行われて、さながら将棋の駒のようにあっちへこっちへと動かされるのである。
「嫌や…せっかく朝から晩まで一緒におれるようになったのに…あ、もしかして僕たちの同棲が関係してたりしますか⁉︎」
「無いよ、社内恋愛禁止なんかしてへんし…夫婦で働いてる人は仰山おんねんから…周りがやり辛いとかも無いやろ」
同一店内で纏まってもどちらかを転勤させることなどはまず無い、ましてやただの同棲など特に感知もされてはいないだろう。
「うわ………ユイさん、もしかして昇進が近いんでしょうか?」
諦めて牛すじをごくんと飲み込み、葉山も箸を置いて項垂れた。
もしそうなら喜ばしいことである反面、今より格段に忙しくなることが分かっているのだ。
「ゆくゆくはあるかもな、したら他の部門も勉強せな………女性の管理職増やそう言うて本社も力入れてるからな…でもわからんよ、子供とか出来たら…なぁ、」
「そうですね…ユイさんのキャリアアップに関わるならライフプランを練り直さないと…」
「待ちいな、ほんまに子作りも計画しとったんか?」
「はい、ユイさん30歳で1人目を産んでいただくつもりでした」
「ハァ」
唯は菜箸を取り、彼があまり沈まなかったことに安堵しながら小皿へ餅入り巾着をよそう。
葉山も箸を持ち直してこんにゃくを掴んだ。
「あー……そうですか……でも良かった、同棲した後で…毎日会えるし…会社でユイさんを見れないのは淋しいですけど…何でしょう…うん、淋しいな…僕、働くユイさん見るの好きだから…いずれ、僕も巡店するでしょうか?」
「全国転勤あるかもよ?龍ちゃんは早く出世しそうやし」
「単身赴任は嫌ですよ、絶対について来てもらいますから」
全国に山ほどある店舗を北へ南へ、根拠はないが県を跨いでの異動はじきに昇進話が来るとか来ないとか、噂になっていたりする。
「うん、ついて行くよ」
「……ユイさん、抱いてもいいですか?」
「あかんよ、危険日やから…知っとるくせに、悪い子やね」
はふはふと餅を頬張り、上目遣いで葉山を嗜めた。
「はい…授かり婚もいいなって…思っちゃった…」
「賛成は出来ひんな、まだ二人で過ごしたいからな」
自分との時間を大事なものとして扱ってくれる唯に葉山は想定外とばかりに深く感銘を受け、
「ユイさん……何もしませんから、一緒に寝ましょう?好きです、ユイさん…好きです、」
と食卓へカランと箸を落として彼女の小さな手を握る。
「うん、好きやで、龍ちゃん…可愛いなぁ、」
行儀の悪さを叱るでもなく、唯は歯を見せてにかっと笑った。
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