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9月・承服のサキュバス
29.5*
しおりを挟む9月中旬。
仕事終わり、唯は嘉島チーフ・守谷フロア長と共に食事に出た。
たまたま近くにいた白物・刈田美月と法人事業部の所長・清里潤も誘い、会社近所のファミレスで落ち合う。
今日のメインは黒物全体の事、棚卸しの手順確認、そして懇親である。
あらかた業務の話が終わると、守谷は「嫁のメシがあるから」とドリンクバー代に千円札を置いて帰っていった。
残った者はそれぞれ食事を頼み、雑談に花を咲かせる。
「話聞くって言ったきり時間経っちゃってごめんね」
嘉島が唯に副流煙を浴びせて以来、2ヶ月半が経過していた。
「いえいえ、もう忘れてました」
「…あれから笠置さん、接客態度が少し変わったからさ、何かあったのかと思って」
「あー、彼氏がね、まぁなんやかんやいい影響があって、接客態度を少し崩したり…してる感じで」
「そう、柔らかくなったような気がしたよ。いい付き合いなんだね」
「相性が良くって♡」
「笠置さん、今日は飲み会じゃないよ。女子がいるんだから下衆な話はやめときなさいよ」
嘉島は眉をひそめて部下を牽制する。
「え、うちも女ですけど」
食事が届いたので食べ始め、葉山の成長、新型TVの情報、仕事に関わる雑談をしながら時間が進む。
潤と美月の方も盛り上がっており、数日後に控えた棚卸しに向けて鋭気を養えて良かった、と嘉島は感じていた。
「そういや、松井さんはヒナちゃんから離れたみたいですね。何か知ってます?」
話の流れで、潤がポツリと話し始める。
松井は美月と同じく白物の中堅社員、ヒナちゃんとは、営業事務でレジ担当の新庄陽菜子のことだ。
「うちのカウンターから、ヒナちゃんに付き纏う松井さんがよく見えてたんだけど、昨日も今日もさ、数分の暇でもあれば立ち寄ってたのに来ないからさ、振られたのかな。ユイ、トマトあげる」
松井はつい最近まで陽菜子に張り付いて付き合いたいアピールをしていたが、ここ2日急に大人しくなっていた。
美月がその話を受けて、続ける。
「あー、ヒナちゃんね、ここ最近彼氏のお試し期間だったみたいで、それが本決まりになったんじゃないかしら?ちょっと、ユイちゃん、グリンピースは自分で食べて?ん、松井さん明らかに元気なさそうだったから、彼氏の存在を知っちゃったのかもね。チーフ、励ましてあげて♡」
「…俺に言われても……んー、棚卸しの後に、何か食事でもしようか、お疲れ会的なさ。松井くんに幹事を頼もう、得意だし」
「それいい♡」
「しかし、お試し期間って何?」
聞き捨てならない言葉を拾って潤が疑問を呈し、その質問にも美月が答える。
「なんかね、ヒナちゃんが告白したら、お試し期間を設けられたらしいの。最終日に結論を出すからって。でも期間中は全然構ってもらえないらしくって、ヒナちゃん寂しそうだった…」
「なにそれ、さっさと振ればいいのに。弄ぶね。オレ様系なのかな」
「どうなのかな?でも昨日とかヒナちゃんすごくキラキラしてたから、私、成就したんじゃないかって踏んでるの」
「そうかァ、ならいいね。松井くんはまァ、次があるよ。さァて、コーヒーにしようっと」
女子会の空気に耐えきれず、嘉島はドライに話を切り上げた。
・
「そういや、陽菜子はあのパンケーキ行ってきたらしいですよ」
食事があらかた済み、潤と美月がドリンクバーへ離席した時、唯がグリンピースをフォークで転がしながら嘉島へ話し出す。
「あァ、話題のやつ?松井くんが騒いでた…」
嘉島は爪楊枝を齧り、スマートフォンで松井あての幹事打診メールを打ち始めていた。
「チーフ的にはどうでした?甘すぎやって聞きましたけど」
老眼のため画面を目から遠く離し、人差し指で1文字ずつ入力していく姿を唯はニラニラと観察し、ここぞとばかりに聞きたかったことを切り出す。
「あー、確かに、ひと口で充分だったよォ…」
「…ヒナコがはしゃいだでしょう?」
「そうだねェ…やっぱ今時の子だよね、食べる前に写真まで撮ってよっぽど嬉し………なに?」
うっかり発言に気付いて手を止めて、嘉島が目を白黒させる。
「パンケーキ、ヒナコがはしゃいだでしょう?どんな服にしようかて深夜に連絡してきてね。誰と行くんかなー、思てたけど」
「かさ」
嘉島は言いかけて詰まり、
「なに、その…ちょっとおいで。…所長、刈田さん、ちょっと煙草吸いに出てるから!」
と、唯を店の入り口の喫煙スペースへ連れ出した。
「あの、さっきから何のこと言ってるの?」
神妙な顔をして尋ねる上司へ、
「パンケーキ、ヒナコが可愛かったでしょって話ですやん」
と唯はおちょくるように惚けて見せる。
「あのー、」
「えぇ?チーフも行ったんですか?」
大袈裟に驚いてみた彼女を睨んだ嘉島はひと言、
「……何が目的だい」
とドラマさながらに渋い顔をした。
「なにも…こない簡単に引っかかる思わへんから…」
こうも簡単に情報を引き出せた、笑いを堪えきれず唯の肩が震えている。
苛ついた嘉島は懐に手を入れ、
「はァ……ごめん、吸っていいかい?」
と一応お伺いを立てて煙草を1本トントンと取り出した。
「どうぞどうぞ」
禁煙中の唯から少し離れて嘉島はタバコに火をつけ、大きく吸って吐き出してから戻ってくる。
「…何で俺だって?」
「ヒナコが『アラフィフはどんな食べ物が好きか』って聞いてきたりしてたんで、近しい該当者にカマかけてみた次第で。2人の休みが被ってたし、社外なら分からへんけど、もし社内の人間ならチーフやろな、と」
「なるほど、休み予定は筒抜けだからね…ちなみに、その質問にはなんて答えた?」
「お茶と漬け物ちゃうか、って」
唯はいたいけな後輩からの質問に、想像だけで回答していた。
「…今どき、還暦でも肉食うよ…いや、年々漬け物が旨くなってきてるけどさ…」
「あと、『アラフィフでも子供作れるかな』って聞かれて」
ドキン、と嘉島は胸が痛くなる。
「………待って、変なこと吹き込んでないだろうね」
「もう枯れてんちゃう、って」
「まだ、枯れてない…勃つ。…はァー……迂闊だなァ」
「アイツ、たぶん生娘でしょ?あんま無茶せんとって下さいよ」
「しないよ、大事に育てる…生々しい言葉使うなよ」
「ヒナコ、腰弱いですよ」
女子同士ゆえに知った情報、これは真情報であった。
「………俺から楽しみを奪わないで…」
「もうキスくらいしました?」
「……まだしてないよ…やめようよ…」
「全部答えてくれますやん、何歳になっても恋バナ楽しいですね♡」
恋話と言うよりは猥談、嘉島は自分の性癖と恋人の性的趣向を広めたくないので話を切り上げる。
「…次は、お酒が入った時にね…あ、あの服装、君のアドバイスか⁉︎えらく…ここ開いてた」
「んー、おっぱい強調すれば嫌がる男はおらんやろって提案しときましたけど」
「あのさァ、うちの子はそういう路線じゃないだろ……」
「したらちゃんと好みを教えたって下さいよ。うちは、夜会うんなら、脱がせやすいワンピースがええって提案したんやけど、蹴られてもうて」
「もういいよ!」
嘉島は灰皿に煙草を押し当てた。
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