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アイカギ(全6話)
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しおりを挟む翌朝、彼は寝起きだというのに疲れた顔で猫を撫でて出かけて行った。
さて、私も彼の出番を観なければならないので、いそいそと準備に取り掛かる。
押さえつけていた髪はボサボサ、硬い床に寝たから体の節々が痛む。
昨夜の内に徒歩数分の自宅へ帰ってそこから出た方が都合は良かったのだけれど、不安がる彼を独りにはしておけなかったから仕方がない。
あまり使っていない彼のヘアブラシで髪を整え、手持ちのメイク道具で化粧を施し、いつでもそばに居たいという想いから彼のTシャツを一枚拝借して身支度を終えた。
彼の飼い猫が私を睨んでシャーと唸る、やはり好かれていないようだ。
噛まれたくないので、いつも撒いている猫除けスプレーの缶を見せると、猫はすぐに奥の部屋の方へ逃げてしまった。
「あ、いけない…忘れ物…」
私はベッドの下に置いたままのパンの空袋を回収し、壁際のコンセントタップの作動確認をしてカバンを肩に掛けた。
例によって裏の勝手口から出て、合鍵で施錠してから劇場へ急ぐ。
昼間に堂々と彼に会えるのが楽しみで、私の足取りは軽い。
最前列なんて望んでない、日陰の女でいい。
その姿を見せてくれるだけでも充分だった、最初は。
でも機会あってお近づきになって、
特別な存在になったからもう離れられない。
ただのファンには戻れない。
私は、特別な存在。
・
出番を終えた彼を出待ちするべく、私は劇場の裏口で溜まっているファンの中へ紛れた。
彼は私が声をかけるとTシャツに気付かず力なく笑い、でも差し入れを受け取って写真を撮ってくれた。
「おおきにね、」
窶れた頬、生気のない瞳、彼をここまでさせるなんて、本当にストーカーが許せない。
家まで付き添ってあげたいけど私は明日は仕事だから自宅に帰らなきゃいけないし…次に会えるのはまた週末、金曜か土曜の夜かな。
彼のそばに居られない日は、持ち帰った彼の私物の手入れをしたり…動画配信とSNSの確認も欠かせない。
半同棲してるのに、いまだにいちファンとしてファンレターも送ったりする。
連絡はいつも私の方から、便利な時代、会えない日でも文明の利器を駆使して彼の近況を知ることができる。
目を瞑って聴き入ると、声の調子や生活音で彼の部屋に居るような気分になれるから楽しくて止められない。
彼はまだカメラを仕掛けた様子はない。
本当に設置するだろうか、そうしたら私もそれを見てみたい。
彼の何気ない日常を配信してくれないかしら、音だけではもう満足できなくなってきている。
応援ありがとうございます!
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