先生、マグロは好きですか?

茜琉ぴーたん

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2020・初春(最終章)

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 時刻は夜の9時を回り陣痛は激しく…急激に感覚が短くなったのでいよいよ病院へ連絡した。

 荷物を載せて走る車の中で、潤は故郷の父へも電話を入れる。

「いだい……あ、もしもし、お父さん、産気づいたの、これから病院行ってくるから。うん…頑張る、うん…またね、うん、」

「お義父さん、寝てただろ」

「うん、でも一応伝えとかなきゃね。無事に帰ってくるとも限らないし」

「なんで恐れさすようなことばっかり言うんだよ、無事に産んで無事に帰るんだよ‼︎」

飛鳥は涙腺が決壊寸前なのか大声を出し切れないで、ところどころ裏返っては痛切な悲鳴のように訴えた。

「落ち着いて、アスカ、出産って何があるか分かんないって…会社の人にも言われたの。本当そうだと思ってる」

「立ち会うから…絶対にジュンちゃんは無事にお家に帰るんだからね」

「赤ちゃんもね」

「当たり前だよ…」


 病院に着いて夜間受付からロビーを抜けて…分娩準備室で診てもらうともう充分に子宮口が開いているらしかった。

「痛かったでしょう、よく持ち堪えたわね、分娩着に着替えましょうね」

「はい、そうでもない、うん、いたい、」

「ジュンちゃん、麻痺しちゃったの?大丈夫か?」

「なんだろ、マタニティ ・ハイって言うのかな?やる気がすごい」

叫んでも不思議ないくらいの激痛が走っている割には潤は落ち着いていて、武者震いの如くふぅふぅと息を吐きながら目が据わっている。

「痛いだろ?声出していいから、」

「うん、痛い…プールに行った時…アスカ言ったじゃない、私って結構タフだって…本当、そうなのかも、案外…安産タイプだったりして、ふふっ…い、だぁ…」

「よーし、清里きよさとさん、分娩室行くよ!歩けるかな?」

 潤は助産師に連れられて分娩室へ、飛鳥も徹底的に消毒をしてから後を追う。

「失礼します…わ…ジュンちゃん、頑張ろうね、」

「うーん、あ、いだあー……いぃ…もー…!」

分娩台に上がった潤は先ほどより幾分か顔色が悪く、腕には点滴を打たれ足首は固定され満身創痍といった感じで吠えていた。


「早いわね、先生!これ早いわ!」

 ナースはパタパタと産科医を呼びに行き、助産師は開きを確認して

「髪の毛フサフサよ、お父さん似かもよ」

と励ましてくれる。

「えぇ、ボク似か…じゃあ天パかな、手入れしてあげなきゃ」

「天使、みたい、ねえッ……ッあ!いだぁい!もぉ辞めるぅ、痛い!」

「やめないで、ジュンちゃん、練習したろ、吸って、吐いて、」

「ふー、ゔー!ふー、」

「お待たせ、清里さん」

 当直室から走ってきた産科医は消毒をしつつ、分娩台の鯉になった潤の股を確認して

「…あー…どうする、切らずにいけそうかな…いや、いっとこうか」

とナースへアイコンタクトを送った。

「⁉︎」

会陰えいん切開のことか、情報だけ仕入れていた飛鳥はこれにもおののき…医師が黙って器具を動かせば自身の急所を切られたかのように唇を震わせる。

「上手よ、うん、よし、もう、息止めないでね、吸って、吐いて、次吸っていきむからね、吸って、吸って、いきんで!」

「ゔー‼︎」

「いけるよ、休んで、吸って、吐いて、吸って、いきんで!」

「ゔあッ‼︎あ、あああ‼︎」

「早いわ、出るよ‼︎」


 潤を励ます助産師の掛け声も勢いづいてナースも一歩前へ出る、吸って吐いてを3回ほど繰り返した後…

「あー、やめて、あー‼︎あ、いやあぁああ‼︎」

彼女の断末魔に似た叫びがキンキンと轟いた。


「うわあ‼︎」

握った手を潰さんとするほどの力と迫力、繋がったまま飛鳥は腰を抜かしてぺたんと床に尻を付ける。

 耳にしたことのない妻の奇声、切れそうなほどに浮き出た額の血管。

 そして仕切りの向こうから聞こえた液体が流れ出る音と微かな微かな声…生まれ落ちたばかりの紅いシワシワの小さな生命が涙で滲んだ。


「ジュンぢゃ、ん、あ、生まれ、だ、がんばっだ、ねぇッ…あっ…ふぅっ…」

「あすかぁ…私より先に泣かないでぇ…」

「ごべん……っあ…こ、こわがっだ…あ…」

立たない脚で必死に立ち上がり潤を抱く、妻の分娩着には飛鳥の鼻水がぺたーと付着する。

「失礼な……あー……いたた…いだぁい、まだぁ、」

胎盤たいばんも出たよー、うん、押さえるねー」

「いっだぁ…いぃ………ふー…ふー…」

「おめでとう、元気な女の子ですよ、綺麗にしてカンガルーケアしましょうね」

「はぁい…」

「それじゃ縫合しますから、お父さんは廊下でお待ち下さいね」

「ほーごー……ひッ」

そうか切開した所を…飛鳥は何故か下腹部を摩りながら急ぐように退室した。

 入ってもいいと言われ飛鳥が再び分娩室へ入ると、妻のたわわな胸の上で生まれたばかりの娘がうつ伏せにされていた。

「本で読んだやつだ…カンガルーケア、」

「うん……ちっちゃいね、かわいい…」

「ジュンちゃん…写真、撮っていい?」

「いいよ、撮ってあげて」

「違う、ジュンちゃんを写したいんだよ…キレイだから」

「やぁだよ、化粧もしてないのに…もー…」

「キレイだよ、うん…頑張ったね、世界一キレイだよ」

「ナンバーワン?ふふっ」

「ナンバーワンで、オンリーワン、ジュンちゃんじゃなきゃダメ、もう……好きだよ、愛してる。チビちゃんも、」

「うん…うれしい」

「乱れた髪もいいね」

「ばか」

「泣きぼくろがそそる」

「いいってば」

「キスしていい?」

「…いいよ、」

「ん、……ゎ、しゃっくりしてる…」

「ふふっ…かぁわいい…」
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