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しおりを挟む数日後。
薫の方も正式に人事に異動願いを出して手続きが始まり、ひと月後に甕倉本店にて以前のポストが用意されることになった。
『そういう訳だから、この前決めた物件、成約しに行ってくれる?聡太くんにばっかり任せて申し訳ないんだけど』
電話を繋ぎっぱなしにして摂る夕食にも慣れたもの。
画面の向こうの薫は済まなさそうに箸を持つ手をちょんと合わせる。
『大丈夫だよ。それより入居日は休み取るから…ちゃんと教えてね』
『うん…荷物はそんなに無いけどね』
『あの箱も持って来てね、ムラタの手帳を入れてたやつ』
『ハイハイ』
ラブな日記をいじられるのももう慣れて、薫は焼きそばをちゅるちゅる啜って適当にいなした。
『そういやさ、あの箱に書いてた『M』ってムラタのM?』
『うん、過去に貰った名刺とか会社関連のものをまとめてたの』
『なるほど。僕さ、あれ『望地』のMかと思って開けちゃったんだよね。書いてなくても開けたと思うけど』
『あっそう……ねぇ、一緒に暮らし出しても最低限のエチケットは守ってね』
『もちろんだよ~』
互いに無駄な嘘をつかず信用を損ねぬよう振り出しからのスタートだ。
けれど一旦崩れた誠実さを出汁に相手を突いたり翻弄したり、良い感じに力の抜けた関係性が出来つつある。
薫はもう偉そうに理屈を捏ねることは出来ないし、聡太も小狡いことで良心を痛ませることも無い。
もっとも、聡太の所業は小学生のイタズラくらいなもの、揚がったチキンをつまみ食いしたり奇数個のプリンの最後のひとつを勝手に食べてしまうとかそれくらいのことであろうが。
『あのさ、もうシフト表に名前が出たから私がそっちに復帰するってバレたと思うんだけど…その、周りの反応どうだった?』
『ん?普通だよ、業務上心強いし。まぁ短期でのとんぼ返りを不思議がってはいたかな。薫ちゃんは出身がそっちなんだし』
『……もし、私と聡太くんが結婚するって皆が知ったらさ、その…私、聡太くんの株、下げたりしないかな…』
『えー、そんなことないでしょ。薫ちゃんは職務に真面目なだけで悪人じゃないよ。きっとみんな祝福してくれるよ』
『うん…』
おやこれはマリッジブルーなのか。
話題を変えて通話を切って、聡太は食事を片付けこれからの薫の身の振り方について思案した。
厳しいイメージでやっていくのが疲れたならたくさん笑うようにすれば良い。
ミスを叱りつける前にどうして起きてしまったのか話を聞いてあげれば良い。
対話して理解して自分を出して、コミュニケーションのそれ自体を楽しめるようになれれば周りからの評価も印象も変わって来るはずだ。
実際、とっつき難いというだけで薫はスタッフに嫌われている訳ではない。
金銭や書類を統括する営業事務・レジ部門はルールに厳格なのが持ち味みたいなものである。
鬼嫁と陰ながら呼ばれている人もいるが職務に真っ当なだけ、厳しいと恐れられはしているが性格が悪いなんて皆思っていやしない。
「…薫ちゃんのイメージを変えるかぁ……ふむ」
聡太は不真面目ついでにイタズラな策を練り、翌日から施行することにした。
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