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20・悠一side・兄ちゃん*
しおりを挟む遡ること3日前、香澄ちゃんとの激しい一夜が開けた翌朝、早番で出勤してみると職員駐車場に見たことのある女が座り込んでいた。
「……」
「あ♡おはよー」
「は…」
この人はマッチングアプリで出会って遊んだ中の1人、俺を『ナリ』と渾名で呼び嫌に身辺を嗅ぎ回るので連絡を絶っていたストーカーじみた奴である。
職場がバレているということは自宅も割れているか…面倒だな、とそれしか思わなかった。
俺は早番の日は誰よりも先に来て車内で食事を摂るのが習慣なので他の従業員はまだ見えず、とりあえず車の陰で事情を聞く。
「急に連絡取れなくなったから…探しちゃった」
「あーそう、ストーカーは犯罪でっせ」
「1回でもエッチしたのに、逃げるとか酷い」
「交際する気は無かってんけどな、そっちも同意してたやん」
ご批判はあろうが俺は性処理をしたいだけで、マッチングアプリで恋人など見つけるつもりは無い。
だから気軽に仮名で登録できるものを選んだのだし俺もこの人の本名など知らないし興味も無い。
軽薄だと罵られても構わない、ただ言わせてもらえば近付いてきたのはいつだって女の方からで、俺は「そう言うなら」と抱かせてもらっただけである。
アプリで知り合ったのは3人だが同時進行は断じてしていないし金銭のやり取りもしていない、こっそりフェードアウトしてしまったのは卑怯だったかもしれないが…持ち物から身元を探るのは信頼を損なう行為として許せなかった。
まぁ俺はこの人を最初から信頼などしてはいなかったけれど。
「次に付き合ってた人と終わったからアンタのこと思い出しちゃって。この前ネヤがムラタに来たじゃない、あの時アンタ見つけてさ、休み取れたから来たの。…眠たーい…ねぇ、やっぱナリくんの身内なんでしょ?連絡取ってくれない?」
「嫌や、俺もう彼女いるから…帰って」
「ふーん…張って私との思い出とか話しちゃおうか?」
「は…」
軽々しく恋人の存在なんて明かすもんじゃないな、この女は県北の田舎住みで滅多に会わないから都合が良かったのだが…香澄ちゃんまで巻き込む訳にはいかない。
「……晩に…話そか」
と提案すれば女は「うん」と腰を上げる。
そして
「スマホ、預かっとくわ。逃げられると困るから」
と尻ポケットに手を伸ばし不敵に笑いやがるので殴りそうになった。
「あーそう、……うらっ!」
俺はすかさずコンマ何秒かの葛藤の後に固いアスファルトへとスマートフォンを叩きつけて押し曲げて、香澄ちゃんや弟の情報を漏らさぬよう強硬手段を取った。
機種や様々な記録が惜しいが物理的に壊すのが一番確実だった…仕事の用事はトランシーバーがあればとりあえず何とかなるし、失ったアドレス帳は後でクラウドサービスから引き出せるはずだ。
女は若干引きつつも「じゃあまた夜にね」と離れ、俺はすぐさま店に入り準備中の携帯キャリアのお姉さんに「乗り換えと、在庫のある携帯電話の新規契約させて」と頼み書類を作ってもらった。
・
そこから生きた心地がせず仕事に励み、休憩の間に香澄ちゃんに新携帯電話から連絡をと思ったが短時間で説明もできないし周りの目もあるしで動けず終わる。
パソコンからメールをする手もあるが個別とはいえ会社のアドレスから不審なものを送るわけにもいかず…結局終業後に徒歩で近所のファミレスへ、ドリンクバーだけ頼んで向かい合って座れば女はニコニコと表情を崩した。
話によると以前探ったのは予備で入れていた店名無しの名刺で、フルネームでナリとの関連を勝手に確信、暇な時に近辺のムラタを探っていたらしい。
「…んで、ナリに連絡取りゃあ満足なんかいな」
「うん、会わせて欲しい」
「会ってどうすんの、アイツ恋人いてるよ?」
「関係無いよ、会いたいんだもの」
「……」
話が通じないな、アポイントを取るのは容易だが弟が応じてくれるとも限らないしアイツの彼女にも迷惑をかけることになりそうだ。
「ね、連絡してみてよ」
「…俺で我慢すれば?」
「はぁ?アンタでナリくんの代わりになるわけないじゃない、ナリくんにそっくりだから遊んでやったのに話はつまんないしセックスは下手だし逃げるしで最低、その顔じゃなきゃ誰にも相手されないでしょうよ」
「……下手なんかい」
そうか、俺は自覚していなかったがセックスが下手だったのか、女を抱いていい気になっていたがとんだ笑い者だ…これまで経験した残りの3人と香澄ちゃんもそう思っているのだろうか。
そして話はつまらないのか、話芸を生業にする弟の代わりにはなれないか、グサリグサリと言葉の槍が薄い胸を貫く。
「アンタ、また私みたいなナリくんファン釣ってんの?」
「知るか、元カノでもあれへんのに関係あるかい」
「どうだか、教えてあげようか」
そう言ってニュー携帯を探ろうとする女は妖怪のように見えた、俺は舌打ちしてから大して情報の入っていないそれをカチッと開く。
ここから香澄ちゃんの情報は漏れやしない、何たって店に長年眠る化石のガラケーだ。
もうすぐ事業自体終わるのではと噂される古い通信規格、流行りのアプリもチャットツールも搭載されていない通話特化のまさに『電話』だ。
水面下で香澄ちゃんに連絡を取って改めてスマートフォンを契約するしかない、しかしそれを強奪されでもしたら大切なもの全てがコイツの手に渡ってしまう。
「…あの子になんかしてみぃ、ナリの連絡先は教えへんぞ」
「あら、そう…じゃあ教えて、いま電話してよ」
「……待って」
昼間に実家の母から弟の電話番号は聞いている、俺の番号が変わったことも伝えてもらっている。
しかしアドレス帳を開く手が震えるな、俺は香澄ちゃんと自分を守るために弟を売ってしまった、あんなに馬鹿にしていた弟にこんな女を仕向けてしまった、憎い女はニコニコして「まだ?」とテーブルを指で叩く。
「……ほらよ」
俺は登録名『名無し』の弟の番号をタップして電話を掛けた。
『……もしもし、兄ちゃん?番号変えたんやてな、電話なんか珍しい』
「おう、すまんな…あの……お前のファンや言う子ぉにな、連絡取れ言われてん…すまん、」
『……うん?』
こうして電話で話すのも数年ぶり、登録したものの用途は無いとふんでいた兄からの連絡で何かを察したのか、弟は少々警戒したようだった。
『兄ちゃん…その子が近くに居てんの?代わって?』
「ごめん、ごめんな…」
俺は目を輝かせる女へガラケーを渡す。
あぁ最低だ、軽率な女遊びが時限爆弾のように遅れて爆ぜて全てを失うなんて、この女の動向次第ではしばらく香澄ちゃんに会うこともできない。
女はペラペラと弟と何か話して、楽しそうに捲し立てて、頬を染めて5分ほどして通話を切った。
「ふー…ふふっ、嬉しー♡ナリくんとお喋りできるなんてぇ♡ありがとね、またお願いね」
「はぁ?もう満足したやろ」
「私が望む時に電話貸して。登録外の番号からは着信あっても出ないらしいから。また時間が取れたらこっち来るから…警察に言ってもいいけど、婦女暴行で捕まりたくないでしょう?」
「…合意してたやろ」
「こっちの小手先ひとつでどうにでもなるわよ」
「……」
この女は香澄ちゃんに会うことはできないだろう、連絡先も消したし家も知られていない。
俺が近付きさえしなければ彼女の身元はバレない、変なことを吹聴されなくて済む。
彼女と築こうとした信頼や関係性がこの女によって壊されるのだけは絶対に許せない…俺はしぶしぶ了承して別れ、ひとり歩いて自宅へと戻った。
家に着くと弟から着信があり、
『もしもし、兄ちゃん、さっきの何やねんな』
と、かなり不審そうに声を潜めているのがなんだか可笑しい。
「すまん、ちょっと…人質というか…すまん」
『なに…』
あの女は俺の裸なんかも隠し撮りしていたらしい、それを『ナリの流出写真』として広めようなんて脅しも受けた。
守りたい恋人と家族、都合良く利用したのに迷惑は掛けたくない…これは兄としての責任感なのか今後のための保身なのか。
ざっくりとあらましを話せば弟は俺そっくりな声で「ふむ」と唸り、
『ええよ、あの人が満足するまで電話付き合うわ』
と言ってくれた。
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