嫁が可愛いので今夜は寝ない

茜琉ぴーたん

文字の大きさ
上 下
64 / 87
2月・嫁が可愛いので激務も乗り越えられる

50

しおりを挟む
* * *


 ふっと目を覚ました。自分がどこにいるのか分からないようなクラクラした感覚に襲われ、思わず手の甲を額に当てる。
 随分久しぶりの夢だった。
 あの時の夢。
 みなしごなんて言われたからだろうか。それとも、年甲斐も無く泣き喚いてじじいに当たったからだろうか。
 今だけは、誰が悪いとかいう追及をするのを止めてしまいたい、許されるなら。自明なことで、誰のためにもならないことなのだ。
 奇妙に気怠い気分で、腫れぼったい目を触りつつ起き上がった。

 (いつの間に、ベッドに入っていたのだろう)

 汚れを落とすため湖に浸かった所で、記憶がぷっつり途切れている。もう少し時間が経てば、思い出すこともあるかもしれないが。それ程重要な事とは思われなかった。
 素足でぺたぺたと窓際に移動し、日に焼けたカーテンを緩慢な仕草で開ける。瑠璃色の空にちらほらと星が瞬き始めていた。日が暮れたばかりであったのか。
 (いつもなら、燭台を出すところだけれど)

 今日はやめておきたい気分だった。火を灯してしまえば、また何かが明らかになってしまう。

 前世では体感したことのない闇夜に、身体の小さな頃は怯えた事もあったなと朧げに思い出す。そういう時はいつも、じじいがあやしてくれていた。
 (思えば、あの時からじじいは私を大事にしてくれていたのに、私は警戒し通しだった)

 我ながら、終始不義理なやつであった。そうどこか遠くで思いつつ、私はじじいの長椅子を探り当て、柔らかな肘置きに頭をもたれて床にずるずると座り込んだ。長椅子を占領する荷物は、丸めた表彰状も分厚い専門書も全て四年前のままだ。
 なんて、したくもなかったから。

 こんな所で寝たら風邪を引くよ、とベッドへ私を運ぶじじいももういない。四年も経っているのに、もう私も人に抱えられるような姿をしていないのに、まだそんなことが頭を過ぎる。
 意識が落ちる一瞬、まるで抱え上げられたような浮遊感を感じて、そのしめやかな優しさに、夢だと分かっていても涙が一筋零れ落ちた。



 
 小さな物音に、意識が浮上した。見ると、枕元のローテーブルにある燭台にあかあかと蝋燭の火が灯されたところだった。
 (……誰?)

 やけに現実感の薄い光景だった。生真面目そうに蝋燭を見つめる長い銀髪の持ち主を、ぼうっとした頭のまま眺めた。
 先程私は長椅子にもたれて意識を手放したはずなのにどうしてまたベッドに戻っているのか、と不思議に思っていたが、夜半にがここにいる訳はないのだ。私はどうやら夢を見ているらしいことに、漸く思い至った。


 (今日はやけに明晰夢を見る日だ)

 今頃現実の私は体を冷やしているだろうか。風邪まで森がなんとかしてくれるとは思っていない。体調のために早く起きるべきなのだろうが、私はこの夢のような(実際夢なのだが)充足感を手放すのが惜しまれて、どうにも気が進まないのであった。

 そうこうしているうちに彼が私に目を向ける。
 二色の瞳は、光源の位置に影響されて、藍色の方が黒曜石のような黒色に見えた。

 「寒くないか」

 現実の私のことを教えようとしているのだろうか。
 なんと答えるべきか判らず、私は黙って彼を見つめ返した。
 私が返事をする気がないと見た彼は「寒くなったら言え」などと言う。毛布の収納場所も知らないだろうに。
 益々おかしな夢だった。

 一方、まるで理想的な時間でもあった。星月夜のような、うねって重奏的な時間が、亀のような歩みで、緩やかに、しかし確実に流れていた。

 とうに日が暮れているのに、我か人かも曖昧になりそうな。ここには私を含め誰もいないような気もするし、自分ともう一人の気配でこの空間が成立してもいるような。


 だからだろうか。

 気付いた時には吐露していた。


 「……私、大事な人を、作っちゃあいけなかった……」

 吐息を吐く程の声量で紡がれた言葉はひどく掠れ、まるで私のものではないかのようだ。

 「……どうしてそんなことを」

 動揺を、押し隠したような声。尋ねられるままに答える。

 「大事に、出来なかった……大事にしてもらったのに、返せなかった……私なんて、居なければ、始めから、よかっ、たのに」

 じじいを、じじいが大好きだった森で死なせてあげられなかった。
 それは私の、過失。
 じじいは私のことを考えていてくれたのに、私はじじいのことなんて、ちっとも考えてはいなかったのだ。私の存在で、じじいは、自分の天命を狂わせたのだ。

 「分かってたの……でも、怖かった……。変わるのが怖くて、気付いてないふりして……それすらも、気づかれていたことに、気付いてあげられなかった」

 年々体を動かすのが億劫そうになって、森番の仕事もほとんどできなくなっていたのを知っていた。なのに、失うのが怖くて、私が現実を見ないようにしていたから、じじいに全て決断させてしまった。

 私はどれだけじじいを傷つけただろうか。どれだけ、苦悩させたのだろうか。

 「挙げ句、私のせいって思いたくなくて、相談してくれればよかったのにって、もう居ないのにじじいに当たって、嫌いになってしまおうって……」

 「……なったのか? 嫌いに」

 目から温い滴が伝った。首を横に振る。

 「大好きよ。ずっと」

 言葉にすれば、百の言い訳も千の否定も敵わない。

 「だからずっと、一人が寂しい」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

パート先の店長に

Rollman
恋愛
パート先の店長に。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

一夜の男

詩織
恋愛
ドラマとかの出来事かと思ってた。 まさか自分にもこんなことが起きるとは... そして相手の顔を見ることなく逃げたので、知ってる人かも全く知らない人かもわからない。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...