彼の背中の楽園

片桐瑠衣

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あいつ

リウス

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 訃報が届いたその朝は、わけもわからず腹が立ったんだ。

 お前に。

 だって、そうだろ。

 なんで、俺に許しも請わずに命を絶つなんて考えたんだ。

 お前は俺の奴隷だった癖に。

 主人に申し出ずにいなくなる使用人があるか?

 ねえよ。

 ねえ。

 だからさ……せめて、殴られて死ねよ。

 そしたら、少しはお前のいなくなった世界も生きる価値が出たから。

 なあ。

 今ならわかるよ。

 お前が背負ってたものが。

 今でもわからないこともあるよ。

 あの言葉の意味とか。

 あの遅刻の意味とか、さ。

 お前はいつも唐突で、いつも読めなくて。

 手駒にしてるふりも、結構大変だったんだぜ。

 知らないよな。

 知られないようにしてたからな。

 今もしお前と話せたら、云ってやるのに。

 素直に。

 正直に。

 簡潔に。

 とっくに楽園に逝ってしまったお前に、どう声をかければいいのか、思いつかないよ。 



















 リボーリウス。
 略してリウス。
 それが、あいつの名前。
 俺が決めた、あいつの名前。
 俺以外には呼ばせない、名称。
「リウス。風呂に入りたい」
「畏まりました……フレデリク様」
 メロヴィング家に生まれたというそれだけで、俺は生まれたときから二ケタの使用人を従えていた。
 大抵は女だが、その中に二人だけ同性がいた。
 一人はリウス。
 俺が十二歳の時から傍に仕える同い年の小柄の青年。
 太陽に煌めく小麦畑みたいな髪と、灰色の眼。
 色弱だと初め疑ったが、彼を見ていると、まるで世界が他の者とは違って白く褪せて見えるらしい。
 しかし色がわからないわけでも遠視でもない。
 ただたまに、窓辺に佇んでは見えないものまで見透かすように目を細めている。
 いわゆる浮いた存在だった。
 もう一人はマルク。
 物心ついた時にはすでにいた、執事というか、お目付け役に近い男。
 四つ年上で、背も十は違う。
 俺を見下ろすなと、いつも半径二メートル以内には近寄らせないようにしている。
 だから風呂と給仕は大抵リウスの仕事になっている。
「失礼いたします」
 伏し目がちのまま俺の衣服に慎重に手を掛ける。
 プツプツとボタンを外すリウスを眺めていると、その手が止まった。
「どうした」
「いえ……ここ、どうなされたんですか」
 細く白い指が示したのは、昨晩社交界の後に抱いた女に爪を立てられた痕だった。
 小さな赤い線となっている。
「ああ。シュトルベルク家の女にあの時やられたんだな。あとで目立たないようにしてくれ」
「……はい」
 リウスは数秒その傷を見ていたが、すぐに手を動かし始めた。
 裸になった俺を浴室に促し、シャワーの温度を確かめつつ身体を洗う。
 脇に控えたメイドが器具をリウスに渡す。
 女に身体を触られるのはベッドの上だけでいい。
 だからリウスが休みの時、俺は風呂に入らない。
 マルクが怪訝そうにしてもかまわない。
 リウスの髪の洗い方にマルクは適わないしな。
「新しい入浴剤が届きましたので、今日はそちらをお試し頂きたいと思います」
「香料は?」
「百合だそうです」
「入った時からの匂いはこれだったのか」
 足先から湯に漬かる。
 恭しく控えたリウスを少しからかってやりたくなって、こう言った。
「お前も入れ」
 グレイの瞳が怯むように丸みを増す。
「そんなご無礼は」
「俺が入れと云っている」
 チャプンと音を立てて壁を緩く蹴り、場所を空けてやる。
 メイドが湯煙の奥に消え、眼を泳がせながらリウスはお辞儀をした。
「畏まりました……」
 捲っていた袖や裾を元に正し、衣服を脱ぎ捨てる。
 現れた無駄一つない細い肢体に一瞬目を奪われるが、すぐに俺は薄ら笑いを浮かべて眼で促す。
「いいのですか」
「はやくしろ。裸で突っ立ってる男を見る趣味はねえぞ」
 ほんのり頬を赤らめたリウスが下唇を噛みながら湯船に足を漬ける。
 その瞬間、潜めていた足をスライドさせて、リウスの支えを払った。
 正に足元を掬われ、腰から落ちる。
「あっく」
 背中を縁に強打したらしく、暫くうずくまる。
 裸で縮こまったリウスを見ていると、さらに傷つけたくなる。
「リウス」
 顎に手を掛け、無理に顔を起こさせる。
「……フレデリク様。お湯をおかけして、申し訳ありません」
「別にどうでもいいさ」
 そう笑いながら彼を押し倒していく。
 肩まで湯に漬かり、当惑した顔で此方を見上げる。
 ああ、このまま沈めてしまったらどうなる。
 その灰色の瞳は何色に歪むんだ。
 そんな好奇心が黒い渦となる。
「どう……なさいました」
「お前は何でも言うことを聞くよな」
「はい?」
 その肩をトンと両手で突き飛ばす。
 一瞬抵抗した腕を掴み上げ、身を重ねるようにして身体を沈める。
 必死に起き上がって来る頭を空いた手で抑えつけ、泡に塗れたリウスの顔をうっとり眺めた。
 苦痛に染まる、綺麗な顔を。
 お前は初めからそうだった。
 使用人にしては美しすぎる容姿。
 力仕事には向かない身体。
 だから、虐めたくなるんだ。
 本来その身に与えられるべきでない罰をしてやりたくなる。
 お前は俺の奴隷。
 快楽の掃き処。
 ゴボゴボと息を求める音が鼓膜を擽る。
 このまま殺してしまったら……
 そんな想像にぞくぞくする。
 だが、大きな手が俺をリウスから引きはがした。
「フレデリク様!」
 その手の主を見上げて、力なく笑う。
「なんだよ……邪魔するな。マルク」
 正装のまま駈け込んで来たマルクが、息を切らしながらリウスを抱き上げる。
「呼ばれたのですよ。フィオナに。一体何の御冗談を」
「ああ、冗談だ」
 濡れたリウスの水滴が伝っていくマルクの袖から目が離れない。
 この手で壊せる場所にあったリウスの体が、もう遠い。
「大丈夫か、リボーリウス」
 揺さぶられて、咳き込む。
「がっ……げほっ」
 安堵の息を吐いたマルクが、今から叱りますという眼で俺を睨んだが、俺にはリウスしか見えてなかった。
 唇の端から滴を零し、涙で充血した目を潤わせる姿を。
「……さ、ま」
「なんだ、リウス」
 こちらに伸ばしてきた手を一瞥する。
 すると、リウスはにこりと笑みを浮かべた。
「もうし、わけ……り、せん」
 マルクが目を見開いた。
 そして、すぐにリウスを掛けたまま浴室から出て行く。
 その背中を見送りながら、俺は快感に浸っていた。

 あいつの生死は俺のもの。

 その確認にご満悦というように。
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