あの店に彼がいるそうです

片桐瑠衣

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随分未熟だったみたい

随分未熟だったみたい09

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 バタン。
 誰もいない。
 鏡の前に立ち、洗面台に両手をついて体重を預ける。
 落ち着け。
 深く息を吸うんだ。
 何度も自分に言い聞かせる。
 喉が開き、酸素が少しずつ体に入ってくる。
 首を締め付けるボタンを外す。
 鏡に写った鎖骨に散る華。
 そっと指で撫でる。
 髪を押さえると、耳にも痕が残っている。
 まるで、烙印みたいに。
「なに、考えてんだか……」
 体が熱くなる。
 静めなきゃ。
 蛇口を捻る。
 水音を聞き、眼を瞑る。
 少しずつ心拍が遅くなってくる。
 大丈夫。
 大丈夫だ、瑞希。
 次に鏡に写ったのは、いつもの俺。
 よし。
 大丈夫。

「客待たせちゃダメだよ」
 アカが通りすぎざまに囁く。
 見ると蓮花はグラスを片手に店内を見回していた。
 今日は白い羽のストールに真っ赤なドレスだ。
 髪はアップにして、キラキラ光る。
 ハリウッドにいそう。
 俺は急ぎながらも見とれた。
「すみません、お待たせ致しました」
 テーブルにドンペリが並んでる。
「ダメじゃない、待たせちゃ」
 アカと同じ台詞に頭を下げる。
 ヘルプについていた名前の知らないホストが去る。
 俺は恭しく隣に座った。
 途端に腿を撫でられる。
 百合の香りが鼻を掠めた。
「あの……」
「遅れた理由は? 答えによって入れるお酒を決めるわ」
 上目遣いに試す唇。
 この人、こんな人がなんで俺なんかを指名したのか未だにわからない。
「えっと……えと、頭冷ましに行ってました」
「はい?」
 蓮花が眉を上げ、それから破顔した。
 細い肩を震わせて笑う。
「蓮、花さん?」
 戸惑う俺の頬に手をかけた。
「あなたって面白いわ、素直で飾らないところが」
 それからくいっと俺の目線を合わせるように顔を下げられる。
「ホストとしては未熟者だけど、私は好きよ。なんだか惹かれるの」
 緊張とは違う。
 ぼーっと聴きしれてしまう。
 凄く名誉なことを言われた気がする。
 そう思わされる。
 この人の持つ空気は、油断したら呑み込まれるけど、厭に蠱惑。
「光栄です」
 知らなかった。
 この時、類沢があの蒼い眼で見ていたことを。
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