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四十二話 背中を押されて (オーウェン視点)
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リリーシアさんを乗せた馬車は、北門に向けて出発した。涙をこらえて笑う彼女がとても印象に残っている。
これから新しい土地で一から基盤を作り、子育てにも奮闘する彼女を心配に思うのは、覚悟を持って旅立った彼女に悪い気がするが、心配せずにはいられない気持ちだ。
「よかったの?」
ソフィアが不満そうな顔で聞いてくる。
「……そうする他ないだろう。彼女に迷惑をかけたくないからな。彼女が幸せであることが一番重要だ」
世論では概ねリリーシアさんを擁護する声がほとんどだが、悪意ある人はどこにでもいて、彼女にも非があったのではないか。本当は浮気していたのではないかと面白おかしく噂する者もいる。
そんな状態で自分が彼女に着いていけば、『やっぱり浮気していたのだ』と悪意ある噂が出回ってしまう。
それは避けたい。
「ぼやぼやしていると、リリーシアを誰かにかっさらわれるわよ。あんな可愛い子を男どもが黙って見守るなんてないからね」
胸がズキッと傷んだ。
「……彼女が幸せなら……」
ソフィアに頭を叩かれた。
痛くはないが良い音がした。
「この根性なし。どへたれ」
「……俺が追いかけたら、彼女の評判が――」
またソフィアに頭を叩かれた。
「本当バカ。そんなの、王都を出たら関係ないじゃない。バカ貴族どもの噂話なんて、王都の中の出来事が大半よ。それに、リリーシアは人妻じゃなくなったんだし、自由に恋愛する権利があるのよ。それなのに、人の目を気にして、やりたいことやらないで後悔するなんてバカらしいわよ。変に噂するバカは、人生つまんなくて、誰でも何でもいいからこき下ろしたいだけの、クソつまんない人間ってだけよ。コソコソ陰口言うしかない小物。そんなのに負けんな」
ソフィアが真剣な顔をして怒ってくる。
「オーウェン。あんたはクソ真面目で、堅物で、歯が浮くような甘い口説き文句も言えない、寡黙なヤツだって知ってるけどさ。いざって時はなりふり構わず突っ走んなさいよ。黙ってるだけじゃ、女は離れて行っちゃうの。恋も、結婚もタイミングなのよ!わかってるの?!」
すごい剣幕に思わず一歩下がってしまう。
「本当じれったい!私はね!オーウェンには幸せになって欲しいの!他人の事ばかりにかまけてないで、自分の幸せを追いかけてよ!」
「そっ、ソフィア……落ち着けよ」
「それにさ。あんた、今回、何も受け取らなかったでしょ?!貴族籍とか、伯爵家に戻るとかはどうでも良いけどさ、せめて慰謝料くらいもらいなさいよ!弁護士として、そういう甘ちゃんな考えが許せないんだけど!!」
興奮してるからだろうが、胸元を掴まれた。
この小言は長くなるな……。
「ソフィア、落ち着けよ」
ソフィアの後ろから、彼女の頭を優しく撫でるヤツがいた。
「「カイン!」」
「よっ!リリーさんは行っちゃったか~。王妃様から預かった手紙があったんだが……」
「「え?!」」
「ぷっ。お前ら息ピッタリ……」
カインは意地悪く笑った。
「ほら、オーウェン」
手紙を差し出された。
封蝋に王家の印が入っている。
「王妃様が冒険者ギルドに依頼を出したぞ。オーウェンを指名してる。内容は王妃様の手紙をリリーさんに届けることと、彼女をメイディー領のラキまで護衛し、生活が落ち着くまで守ってほしいって。詳しくはギルド長が知ってるから、すぐにギルドに――」
カインの言葉を最後まで聞かず、俺は手紙を奪うように取り、冒険者ギルド本部に向かった。
「頑張れよ~!」
背中にカインのからかう声が聞こえたので、片手を上げて答えた。
◇◇◇
我ながら情けないと思う反面、みんなの気遣いが嬉しく、彼女のもとに向える口実に心が騒がしくなる。
彼女を追いかけることは、彼女にとって迷惑なことだと……自分を律していた。口さがない噂話、悪意の視線、嘲笑……もう彼女を傷つけたくない。そう思っていた。
『王都を出たら関係ないじゃない』
『自由に恋愛する権利があるのよ』
『いざって時はなりふり構わず突っ走んなさいよ』
ソフィアの言葉が背中を押す。
臆病な自分が『良いのだろうか……』と囁いてくるが、『これは王妃様の依頼だから』と言い訳を思い浮かべて立ち止まりそうな自分を動かす。
「オーウェン」
ギルド本部の出入り口付近に、ギルド長が馬を伴って立っていた。その馬はローゼンタール伯爵家で俺の相棒だったニックスだった。
「どっ、どうしてニックスが……」
「王妃様から預かったぞ。経緯は知らんが、役人が『王家の命令書』を持って連れて来た。処分はお前に任せるってさ」
ギルド長はニカッと豪快に笑った。
おそらく、俺が王妃様からの報償金も、伯爵からの慰謝料も何も受け取らなかったから、処分という名目でニックスを寄越したのだろう。
ニックスは「ブルルル」と嬉しそうに鼻を鳴らした。前足で何度か地面を掻くので、俺の所に来たいのだろうが、大人しくギルド長の横に立っている。忍耐力のある馬だ。
明るい茶色体。鼻筋に大流星の模様が特長だ。
「ニックス」
名前を呼ぶと、また鼻を鳴らした。
近づくと鼻先をすり寄せてくる。
「突然居なくなって悪かったな。元気にしていたか?」
話しかけると返事をするように鼻を鳴らした。
本当、可愛いヤツだ。
「ほらよ」
不意にギルド長が金貨が入った袋を投げてきた。
「依頼主からの前金だ。それだけあれば、旅先で洋服やら食料を買ってもお釣りが来るだろうよ。残りの依頼料はメイディー領のラキ支店で受け取るように言われてる。あと言伝てな。『良い友人を持ちましたね』だとよ」
「……カインか」
良き友人。
カインが王妃様にニックスのことや、リリーシアさんのことを言ったんだろう。
「お節介め」
「ハハハ、お節介はオーウェンの十八番だったのにな。まぁ、カインもお前が心配なんだろ。こんなときは有り難く思っとけ」
「……そうします」
いつものようにニックスに騎乗する。
しっくりくるな。
「気をつけて行けよ」
「はい。行ってきます!」
俺が合図すると、ニックスは軽快に走り出した。俺もニックスに会えて嬉しいが、もしかしたらニックスは俺以上に嬉しいのかも知れない。
心なしか弾んでいるように感じる。
リリーシアさんを見送ってから一時間は経っていない。赤子が乗っている馬車だから、少しゆっくり走っているはずだ。
ニックスの足なら、夕方前には追い付けるだろう。
出発するときの、泣きそうな笑顔が蘇る。
彼女には笑っていてほしい。
孤児院で子供たちと笑いあう彼女が好きだ。
ピアノを弾いているとき、穏やかな顔をするのも好きだ。
アリアお嬢様を寝かしつけるとき、子守唄を歌う声も、優しい顔も、リズムよく体を揺らす姿も……全部……好きだ。
ローゼンタール伯爵との離婚審議会も、毅然と前を向き、凛とした姿勢、眼差しが気高くてとても美しかった。
彼女は自分が仕え、お守りする主人……だったのに、いつの間にか……彼女の全てから目が離せなくなっていた。
ローゼンタール伯爵家を追い出された時、彼女が苦し気に笑った顔が、シャンドリー子爵家で肩身が狭くとも、俺に笑いかけていた母を彷彿とさせた。
はじめは同情や、亡くなった母に重ねていたのは否めない。けれど、彼女を知れば知るほど尊敬と愛しさが募り、いつしか恋情へと変わっていた。
彼女にとって、俺のこの感情は迷惑だろう。
一人で子育てをするとなれば、きっと恋愛している余裕などない。
だから、今すぐ俺の気持ちを伝えることはしない。その代わり、誰よりも一番近くで彼女を支えたい。
彼女を笑顔にしたいんだ。
これから新しい土地で一から基盤を作り、子育てにも奮闘する彼女を心配に思うのは、覚悟を持って旅立った彼女に悪い気がするが、心配せずにはいられない気持ちだ。
「よかったの?」
ソフィアが不満そうな顔で聞いてくる。
「……そうする他ないだろう。彼女に迷惑をかけたくないからな。彼女が幸せであることが一番重要だ」
世論では概ねリリーシアさんを擁護する声がほとんどだが、悪意ある人はどこにでもいて、彼女にも非があったのではないか。本当は浮気していたのではないかと面白おかしく噂する者もいる。
そんな状態で自分が彼女に着いていけば、『やっぱり浮気していたのだ』と悪意ある噂が出回ってしまう。
それは避けたい。
「ぼやぼやしていると、リリーシアを誰かにかっさらわれるわよ。あんな可愛い子を男どもが黙って見守るなんてないからね」
胸がズキッと傷んだ。
「……彼女が幸せなら……」
ソフィアに頭を叩かれた。
痛くはないが良い音がした。
「この根性なし。どへたれ」
「……俺が追いかけたら、彼女の評判が――」
またソフィアに頭を叩かれた。
「本当バカ。そんなの、王都を出たら関係ないじゃない。バカ貴族どもの噂話なんて、王都の中の出来事が大半よ。それに、リリーシアは人妻じゃなくなったんだし、自由に恋愛する権利があるのよ。それなのに、人の目を気にして、やりたいことやらないで後悔するなんてバカらしいわよ。変に噂するバカは、人生つまんなくて、誰でも何でもいいからこき下ろしたいだけの、クソつまんない人間ってだけよ。コソコソ陰口言うしかない小物。そんなのに負けんな」
ソフィアが真剣な顔をして怒ってくる。
「オーウェン。あんたはクソ真面目で、堅物で、歯が浮くような甘い口説き文句も言えない、寡黙なヤツだって知ってるけどさ。いざって時はなりふり構わず突っ走んなさいよ。黙ってるだけじゃ、女は離れて行っちゃうの。恋も、結婚もタイミングなのよ!わかってるの?!」
すごい剣幕に思わず一歩下がってしまう。
「本当じれったい!私はね!オーウェンには幸せになって欲しいの!他人の事ばかりにかまけてないで、自分の幸せを追いかけてよ!」
「そっ、ソフィア……落ち着けよ」
「それにさ。あんた、今回、何も受け取らなかったでしょ?!貴族籍とか、伯爵家に戻るとかはどうでも良いけどさ、せめて慰謝料くらいもらいなさいよ!弁護士として、そういう甘ちゃんな考えが許せないんだけど!!」
興奮してるからだろうが、胸元を掴まれた。
この小言は長くなるな……。
「ソフィア、落ち着けよ」
ソフィアの後ろから、彼女の頭を優しく撫でるヤツがいた。
「「カイン!」」
「よっ!リリーさんは行っちゃったか~。王妃様から預かった手紙があったんだが……」
「「え?!」」
「ぷっ。お前ら息ピッタリ……」
カインは意地悪く笑った。
「ほら、オーウェン」
手紙を差し出された。
封蝋に王家の印が入っている。
「王妃様が冒険者ギルドに依頼を出したぞ。オーウェンを指名してる。内容は王妃様の手紙をリリーさんに届けることと、彼女をメイディー領のラキまで護衛し、生活が落ち着くまで守ってほしいって。詳しくはギルド長が知ってるから、すぐにギルドに――」
カインの言葉を最後まで聞かず、俺は手紙を奪うように取り、冒険者ギルド本部に向かった。
「頑張れよ~!」
背中にカインのからかう声が聞こえたので、片手を上げて答えた。
◇◇◇
我ながら情けないと思う反面、みんなの気遣いが嬉しく、彼女のもとに向える口実に心が騒がしくなる。
彼女を追いかけることは、彼女にとって迷惑なことだと……自分を律していた。口さがない噂話、悪意の視線、嘲笑……もう彼女を傷つけたくない。そう思っていた。
『王都を出たら関係ないじゃない』
『自由に恋愛する権利があるのよ』
『いざって時はなりふり構わず突っ走んなさいよ』
ソフィアの言葉が背中を押す。
臆病な自分が『良いのだろうか……』と囁いてくるが、『これは王妃様の依頼だから』と言い訳を思い浮かべて立ち止まりそうな自分を動かす。
「オーウェン」
ギルド本部の出入り口付近に、ギルド長が馬を伴って立っていた。その馬はローゼンタール伯爵家で俺の相棒だったニックスだった。
「どっ、どうしてニックスが……」
「王妃様から預かったぞ。経緯は知らんが、役人が『王家の命令書』を持って連れて来た。処分はお前に任せるってさ」
ギルド長はニカッと豪快に笑った。
おそらく、俺が王妃様からの報償金も、伯爵からの慰謝料も何も受け取らなかったから、処分という名目でニックスを寄越したのだろう。
ニックスは「ブルルル」と嬉しそうに鼻を鳴らした。前足で何度か地面を掻くので、俺の所に来たいのだろうが、大人しくギルド長の横に立っている。忍耐力のある馬だ。
明るい茶色体。鼻筋に大流星の模様が特長だ。
「ニックス」
名前を呼ぶと、また鼻を鳴らした。
近づくと鼻先をすり寄せてくる。
「突然居なくなって悪かったな。元気にしていたか?」
話しかけると返事をするように鼻を鳴らした。
本当、可愛いヤツだ。
「ほらよ」
不意にギルド長が金貨が入った袋を投げてきた。
「依頼主からの前金だ。それだけあれば、旅先で洋服やら食料を買ってもお釣りが来るだろうよ。残りの依頼料はメイディー領のラキ支店で受け取るように言われてる。あと言伝てな。『良い友人を持ちましたね』だとよ」
「……カインか」
良き友人。
カインが王妃様にニックスのことや、リリーシアさんのことを言ったんだろう。
「お節介め」
「ハハハ、お節介はオーウェンの十八番だったのにな。まぁ、カインもお前が心配なんだろ。こんなときは有り難く思っとけ」
「……そうします」
いつものようにニックスに騎乗する。
しっくりくるな。
「気をつけて行けよ」
「はい。行ってきます!」
俺が合図すると、ニックスは軽快に走り出した。俺もニックスに会えて嬉しいが、もしかしたらニックスは俺以上に嬉しいのかも知れない。
心なしか弾んでいるように感じる。
リリーシアさんを見送ってから一時間は経っていない。赤子が乗っている馬車だから、少しゆっくり走っているはずだ。
ニックスの足なら、夕方前には追い付けるだろう。
出発するときの、泣きそうな笑顔が蘇る。
彼女には笑っていてほしい。
孤児院で子供たちと笑いあう彼女が好きだ。
ピアノを弾いているとき、穏やかな顔をするのも好きだ。
アリアお嬢様を寝かしつけるとき、子守唄を歌う声も、優しい顔も、リズムよく体を揺らす姿も……全部……好きだ。
ローゼンタール伯爵との離婚審議会も、毅然と前を向き、凛とした姿勢、眼差しが気高くてとても美しかった。
彼女は自分が仕え、お守りする主人……だったのに、いつの間にか……彼女の全てから目が離せなくなっていた。
ローゼンタール伯爵家を追い出された時、彼女が苦し気に笑った顔が、シャンドリー子爵家で肩身が狭くとも、俺に笑いかけていた母を彷彿とさせた。
はじめは同情や、亡くなった母に重ねていたのは否めない。けれど、彼女を知れば知るほど尊敬と愛しさが募り、いつしか恋情へと変わっていた。
彼女にとって、俺のこの感情は迷惑だろう。
一人で子育てをするとなれば、きっと恋愛している余裕などない。
だから、今すぐ俺の気持ちを伝えることはしない。その代わり、誰よりも一番近くで彼女を支えたい。
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