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四十一話 後悔と絶望と… (エドワード視点)

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 鳥が飛んでいる。
 庭園にあるガゼボから、ただ空を見ていた。
 明日にはこの屋敷を出て、リーガル公爵家の邸宅で世話になる。何かなければ、五年はこの屋敷に帰ってくることはない。
 ローゼンタール伯爵家は王家の管轄となり、王宮国政機関の職員が、代理として管理すると説明を受けた。
 古くから居た使用人や、騎士団の騎士は王宮騎士団の取り調べを受け、問題ない者は王宮で一時預かりの形で勤めるそうだが、半数以上が放逐された。中には自主的に辞める者もいた。

 伯爵領を任せていた家令や騎士団長も、俺の馬鹿げた行動に愛想をつかしたと、伯爵家を退職し、自ら望んで王宮の使用人、騎士へと転身していった。
 父上の代から仕えてくれたのに……。
 俺は彼らの信用を失った。自業自得だ。
 本当に、出来損ないの失敗作だ……。

『貴方は失敗作なんかじゃない』
 不意にリリーシアの言葉を思い出した。
 そして……胸が締め付けられた。

『名前は何が良いかしら?』
『あぁ……。産まれたときの顔を見て決めたらどうかな?』
『それは良いわね。フフッ、名前って、親が初めて子供に贈るプレゼントでしょ?私ね、エドから贈って欲しいと思っているの!』
『あぁ、わかったよ。考えておくね』
『ありがとう!あっ、蹴ったわ!この子も楽しみにしているって言ってるみたい』
 
 出産前、赤子の名前について彼女と話したのも、このガゼボだった。
 彼女が男と浮気していると思っていたから……。いや、イモージェンと不本意な夜を……。
 違う。後ろめたさを誤魔化すために、彼女を攻撃したかったんだと、今ならわかる。
 彼女が悪いことをしたから、自分も悪いことをするんだと……。幼稚な自己防衛をすることでしか自分を保てなかった弱い自分が情けない。

 彼女はあの時、幸せそうな顔で笑っていた。
 眩しくて、愛しくて……。
 もう、取り戻せない。
 審議会で離婚届にサインを迫った彼女の顔は、激しい怒りと悲しみで歪んでいた。

 自分の愚かさが恨めしい……。

 どうしてあんなことをしたんだろう。
 彼女が浮気をしていると思った時点で、まっすぐ、正面から聞けば良かったんだ。
 失いたくないなら、素直に話し合って、嫌なことも、愛していることも、胸の中の不安も全て晒してしまえば、違う未来があったのではないだろうか。


 ◇◇◇


 ガゼボが色々な意味で眩しくて、堪えられなくて、屋敷に戻った。
 使用人は一人もいない。
 自分の足音しか聞こえない。そのはずなのに……。誰かの、彼女の足音を無意識に探している自分がいる。
 いつの間にか夫婦の寝室の扉の前にいた。
 彼女を追い出した日から、この部屋は使っていない。
 
 ゆっくりと扉を開くと、部屋には何もなかった。少し驚いたが、そういえば自分で『全て捨てろ!』と命令していたのだった。
 家具も一式買い換えるように言っていたが、時間と心の余裕がなくて、手付かずだったな。
 リリーシアが使っていた隣の部屋に足を運ぶと、そこも同様に何もなかった。

 あそこに彼女のベッドがあって、化粧台があって、ここにテーブルと椅子、ソファーはそこで……。
 無意味なことを思い出す。
 カーテンさえも撤去してしまった部屋に、彼女を思い出す物はなく、匂いさえも消したのは自分なのに、どうしようもない気持ちが胸をしめる。


 ◇◇◇


 自室で酒を飲もうとしたが、グラスがなかったのでキッチンに取りに行った帰り、玄関ホールを横切った。
 また、無意味な思い出が甦る。

『ただいま』
『お帰りなさい。お仕事、お疲れ様でした』
 明るい笑顔で出迎えてくれる彼女の姿が甦る。
 たった……たったそれだけなのに、幸せだった記憶が胸を締め付ける。

『エド』
 優しく俺の名を呼ぶ声。
『エド!』
 俺を見かけて嬉しそうに駆けてくる声。
『エ~ドっ』
 ハンカチに大作の刺繍を指して、完成品を見せに来た得意気な声。
『エド?』
 仕事が忙しくて寝不足な俺を心配する声。
『エド』
 愛しそうに抱き締めてくれたときの声……。

 あぁ……。
 こんなにも彼女に愛され、愛していたのに。
 どうして……。

 ガタンッ!
 不意に玄関が開いた。
 ゆっくりと……。
 逆光で人影しか見えない。
 彼女のはずはないのに、期待する自分がいる。

「ローゼンタール」
 男の声に、膨らんでいた気持ちが消えた。
 リーガル公爵様の声だ。
「あ~……夕飯を一緒にどうかと聞きに来たんだが……。取りあえず、我が家に来い。しっかり食事をして、風呂に入って、それから話をしよう」

 風呂……。
 そういえば、最後に入ったのはいつだったか……。


 ◇◇◇


 公爵家に着くと、すぐに客間の風呂に通され、使用人に補助されながら久しぶりの風呂を堪能した。無精髭も綺麗に剃られ、乱雑な髪も軽く整えられた。
 風呂から出ると、ダイニングに通された。そこにリーガル公爵様が紅茶を飲んで待っていた。

「うむ。だいぶマシな顔になったな」
「……ありがとうございます」
「さっ、座りなさい」
 公爵様の斜め右の席をすすめられた。
 俺が席につくと、扉前で待機していた使用人が退出した。おそらく食事を持ってくるためだろう。

「さて……。何から話そうか」
「あのっ。……お聞きしたいことがあります」
「ん」
「リーガル公爵様はどうして――」
「エルヴィス。これから君は私の部下だ。仕事は信頼関係が重要。その人を知り、自分を知ってもらうことから始めると良いだろう」
「はい。エルヴィス様」
「うん。私もエドワードと呼ぼう。これから宜しくな」
「っ!こちらこそ、宜しくお願い致します」
 優しい微笑みを向けられ、温かい気持ちが胸に広がった。

「では、エドワード。私に聞きたいことは?」
「……なぜ、私を気にかけて下さったのですか?リーガっ、エルヴィス様が弁護してくださらなければ死んでいましたし、母上の刑罰の嘆願のアドバイスも助かりました。そして……あの日、隣に座っていただけて、気持ちが落ち着きました」
 エルヴィス様と知り合ったのは、いや、知り合ったと言っていいのかわからないが、はじめて言葉を交わしたのは、王宮国政機関前で、リリーシアの弁護をするのか聞いたときだ。その後は審議会まで接点はなかった。
 それなのに、リリーシアと話す時間をもうけてくれたり、その後の弁護も引き受けてくれて、刑罰も自身の部下として教育すると、俺を引き取ってくれた。

「その事か。それは君の父親、ナイジェルに頼まれていたからだ」
「え?」
「ナイジェルとは冒険者ギルドで知り合った。頑固で、融通が利かず、不器用で、パーティーを組んだときはよく対立していたよ。まぁ、喧嘩仲間みたいなもんだな。お互い貴族だが、踏み込んだ詮索はしない。だが、変な気遣いが面白い奴で、亡くなる前、サシ飲みをしたとき、君のことを話していた」
 騎士団に所属して、伯爵家の仕事もこなして、そして冒険者もしていたことに驚きが隠せない。

「君に『すまない』と言っていたよ。政略結婚であっても、自分がしていることは浮気で、最低な行為だと。あいつは……君が成人したら爵位を君に渡し、離婚して平民になるつもりだと話していた。そのために優秀な部下を育て、領地の事業を軌道に乗らせようと必死だった。もちろん、騎士団の仕事も疎かにせず、給金全部を伯爵家に入れていたそうだ。そのため、恋人の生活を守るために冒険者をしていたらしい」
「……そう……ですか……」
「自分に何かあったら、君を助けてくれと言っていた。まぁ、弁護士としてなら力になれると言ったがな!私に父親代わりはできん。助けが必要なときに、手を差し伸べようと思っていた程度だ。それで、今回の件だ。正直、どうしようもない奴だったなら、手を引こうと思っていたが、まぁ……愚かだが悪人ではないと判断した。だから助けた。それだけだ」
「そうですか……」
 複雑な気持ちだ……。

「こちらでの仕事が片付いたら、すぐにリーガル公爵領に向かう。しばらくは領地経営の勉強と、部下との顔合わせ。私の経営する商会の営業などで諸外国をまわる予定だ」
「わかりました」
「商人はくせ者揃いだから、いい勉強になるだろう。ローゼンタール伯爵家を復興するにも人脈はいくつあっても足りないだろうから、未来を見据えて行動するんだ」
「はい……」

 未来……。

「……明日、早朝に出掛けるから、準備しておくように」
「はい……」
 話が終わると、タイミングよく使用人がドアをノックし、入室した。香ばしい肉の匂いや、ニンニクの匂いが立ちこめ、気持ちとは裏腹に腹の虫が喜びの声を上げていた。


 ◇◇◇


 エルヴィス様に連れられ、馬車に揺られる。
 行き先は教えてもらっていない。
 こんな早朝におこなう仕事があるのだろう。自分は勉強する身だ。しっかり勉強して……それから……。
 一生……このむなしい時間を生きるのか……。

「間に合ったな」
「え?」
 馬車が止まった。
 教会の前?
「この馬車は隠密用で、窓ガラスは外から黒く見えて中がわからないようになっている。君が愚かにも馬車を降りなければ、気がつかれないだろう」
 誰に?と思った瞬間、その人が見えた。
 リリーシア……。
 あと、腕に……子供?
 えっ……銀髪……?

「あっ……」
 体が震える……。
「魔法を解除したら赤子の本来の髪色になった。どうやら瞳の色も変わっていたらしく、君に似た青い瞳だったよ」
 審議会で、魔法スクロールによって、赤子の髪色が黒にされていたと知っていたが、まさか……銀髪で青い瞳だったなんて……。

「おっ……俺の……子……」
「あぁ、間違いなく、君の子供だ」
「あっ……あっ……」
 涙が後から後から溢れてくる。
 衝動的に馬車のドアに手をかけた。が、エルヴィス様にその手を掴まれ、ドアを開けることが出来なかった。
「どの面下げて行くつもりだ」
「……」
 答えられない……。
 どの面も何も……。会わせる顔なんかない。
 俺はドアにかけた手を離した。

『それは俺の子じゃない』
 あの時の言葉が、重くのし掛かる。

「君は子供を見たことがなかっただろう」
「あっ……」
 生まれたときにチラリと見ただけで、まともに見たことはなかった。
 彼女の腕に抱かれているので、その姿をハッキリと見ることは出来ない。だが、手足を動かしているのは見える。
 そして、リリーシアが愛しそうに柔らかい眼差しを向けていた。
 
「面会交流は五歳からと、話がまとまったのは覚えているな」
「はい……」
「正直、父親の自覚はあるのか?」
 父親としての自覚……。
 それは……どんなものだろうか……。
「……わかりません」
「だろうな。一般的な話だが、親としての自覚は、子供と接することで徐々に自覚していくと言われている。子供と共に成長し、父親にしてもらうとな」
 子供と共に成長……。
 それじゃ……俺は一生父親になれない。
「子供と共に成長するとは、物理的な距離は関係ない」
「え?」
「心の距離が大切なんだ」
 
 心の距離?
 
「子供は元気だろうか?今、何しているだろうか。このおもちゃは気に入ってくれるだろうか。会ったときにこんな話がしたい。こんな場所に連れていってあげたい。この絵本を読み聞かせたら、どんな顔をするだろうか。わかるかい?子供のことを考え、その子を笑顔にしてあげたいと思い、願う。直接触れあえなくても、子供と共に父親として成長出来るんだよ」

 子供のことを考える……。

「面会交流の日。君はどんな父親でいたい。昨日のように、風呂にも入らず、無精髭をはやし、ヨレヨレの服、生気のない目、陰鬱とした男として会いたいか?それとも、伯爵家を立て直し、身だしなみを整えた、子供に胸を張れる父親として会いたいか?どちらだ?」

 そんなの決まってる。

「子供に、胸を張れる父親として会いたいです」
「そうか。ならば、これからどうすればいいかわかるな」
「はい……」
 グダグダとリリーシアのことを考え、幸せだった思い出を反芻する時間はないと、頭では理解している。
 これから仕事に打ち込み、伯爵家を立て直し、子供に『君の父親は俺だ』と胸を張れるよう頑張ろうと思う。
 だけど……あと少し、リリーシアが馬車に乗って立ち去るまで……。
 
「みんな!ありがとう!いってきます!」
 リリーシアが叫ぶ声が聞こえた。
「「「いってらっしゃい!」」」
 数人の子供の声が響いた。

 いってらっしゃい。リリーシア。
 俺の子を頼む。
 次会うときは、立派な父親として会えるように頑張るよ。

 旅立つ馬車をいつまでも見送りたいのに、涙でぼやけて、いつの間にか見えなくなっていた。
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