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16話 襲撃の後
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屋敷が燃えてから一週間が過ぎた。
今はハイルディー商会が経営するホテルのスイートルームで生活している。
そう、最悪の初夜を過ごした部屋だ。
旦那様は眠り続けている。
ベッド横の椅子に座り、青白く動かない彼を見る。
肩の刺し傷や背中にできた数ヵ所の傷は見る度に痛ましく思った。
医師と共に、化膿しないよう毎日清潔な包帯に取り替えている。
私は髪を切られた程度で、とくに外傷はない。彼が庇ってくれたから…。
ミリアリアは今、平民用の牢屋に捕らえられている。
面会はできない。
侯爵家のサーシス様殺傷事件の首謀者とローベンシュタイン子爵殺傷事件現行犯で毒薬による死罪が確定した。
あと、共犯で裏商人も捕まり、極刑が決まった。
双子の姉の事なのに、私の中では他人事のように思えた。
悲しいとか、ざまぁみろとか、そんな感情は不思議と沸き上がらなかった。
屋敷は全焼してしまった。
再建するにも彼の確認やら承認やらが必要で、後片付けしかできていない。
彼が目を覚まさないと、動くに動けないのが現状だ。
コンコン。
扉をノックする音だ。
「失礼します。紅茶をお持ちしました」
侍女長だ。
「ありがとう」
侍女長の優しい笑顔が嬉しい。
この笑顔に私はいつも励まされていたのだと、今更ながら痛感する。
屋敷が燃えて、彼が昏睡状態に陥ったとき、医者と共に駆けつけてくれた侍女長と執事長。
彼に代わり、使用人に指示を飛ばし、治療の為にホテルの手配などもしてくれた。
そして、侍女長に泣きながら抱き締められた。『よかった』と何度も嗚咽混じりの声を聞いた。
申し訳なさと愛しさで胸がいっぱいになった。
ありがとう。
心配してくれてありがとう。
側にいてくれてありがとう。
愛してくれて、ありがとう。
たくさんのありがとうを込めて
「心配をかけてごめんね。大好き」
と、涙が出てしまったが、精一杯の笑顔を贈った。
何も感じられなくなった、あの時からの記憶はまばらで、脳内に霧がかかっているような、そんな不思議な体験だ。
何も見たくない、聞きたくない、感じたくなくて、全てを閉ざした。
あのまま死んでも良いとさえ思っていた。
でも、『それでいいのか?』と何度も問いかける自分がいた。
全てを諦める自分と問い続ける自分。
ジレンマで苦しかった。
ぼんやり覚えているのは、孤児院に行って、子供たちの勉強風景を見たこと。
私が描いた『ラウトゥーリオの丘』を読んでいた。
その声を聞いて、恥ずかしくなった。
私は何をしているのかと。
子供達に読んで聞かせた自分の物語で『懸命に生きなさい』と、言葉を綴っているのに、私は何をしているの。
『辛い事があっても、懸命に生きてさえいれば、必ず幸せになれる』と子供達に教えていたのに、現実から逃げる自分は甘ったれの、ダメな大人であると。逃げてはダメだと心が叫んでいた。
しかし、脳裏に映るのは初夜の出来事や、愛する旦那様の残酷な復讐劇。
逃げてはいけないと叫ぶ自分とあんな思いは二度としたくないと拒む自分に身動きが取れなくなっていた。
そのあとは、花の香りだ。
いろいろな花の香りを感じた。
時折、胸が痛くなることがあったが、よく思い出せない。
断片的だが、彼に謝られたのは覚えている。
「誤解だった」
「すまなかった」
そんな言葉だった。
正直、どうしていいかわからなかった。
それは今も変わらない。
彼に虐げられた事実は変わらない。
悪意に満ちた仕打ちも忘れられない。
今まで向けられた愛が偽りだった事に胸を痛めた事も覚えている。
彼に対する恨みや怒りが無い訳じゃない。
でもーーー。
「うっ」
彼が呻いた。
侍女長と二人でベッド脇に控える。
右手が持ち上がり、さ迷っている。
「お嬢様」
どうしようか迷っていたら、侍女長に
「握って差し上げてください」
と言われ、恐る恐る触った。
苦痛に歪んでいた彼の顔が、少し落ち着いたように思える。
「医師を呼んで来ますから、ここをお願いします」
そういって、侍女長は退出した。
彼の大きくて暖かい手。
今まで触るに触れなかった。
少し固くて、ゴツゴツしている。
男性の手だ。
不意にギュっと握られた。
「…エリー…ゼ?」
ドキっとして、手を離そうとしたが、彼は離してくれなかった。
「あっ、あの…」
まだ心の準備ができてない。
「お水はいかがですか?持って参ります」
離れたくてそんな事を言った。
それが伝わったのか、さらに手を強く握られてしまった。
「行か…ないで」
弱々しい声が胸を締め付ける。
声も掠れてしまってる。
「やはりお水を」
「どこ…に…も、行かない…なら…」
「はい、どこにも行きません」
そう言わなければ、傷を押してでも追い掛けて来そうな雰囲気に負けた。
彼は私の顔をじっと見つめたのち、手の力を緩めてくれた。
ベッド横のサイドテーブルにある冠水瓶
(かんすいびん)から病人用の吸い飲みに水を注ぎ、彼の口元に運んだ。
「ありがとう」
うまく飲ませることが出来てひと安心だ。
「上手いんだね」
「その…孤児院で子供達の看病するときがあったので…」
なんだか恥ずかしい…。
「そうだったね。君はとても熱心に子供達の世話をしていた。あの孤児院の子が努力家で勉学に貪欲なのは、君が教えていたからだと思っているよ」
「いえ、そんな…。子供達が良い子ばかりでしたから…」
そんなことを言われると、ソワソワしてしまい、顔が熱くなってきた。
顔を見られたくなくて、サイドテーブルに吸い飲みを置き、背を向けた。
沈黙。
まごまごしていたら、背後で「うっ」と呻く声がした。
振り向くと、彼が一人で起き上がろうとしていた。
「ダメです!安静にしていて下さい!」
急いで駆け寄る。
「すまない。座りたいんだ…」
額に汗が光っている。
相当お辛いはず…。
私は急いで枕やらクッションを彼の背中に集め、少しでも楽な体勢をとれるようにした。
他に支えられるものが無いか探していると、彼に手をとられた。
一瞬ビクッと体が強ばった。
彼が酷く悲しい顔をした。
しかし、手は離してくれなかった。
今はハイルディー商会が経営するホテルのスイートルームで生活している。
そう、最悪の初夜を過ごした部屋だ。
旦那様は眠り続けている。
ベッド横の椅子に座り、青白く動かない彼を見る。
肩の刺し傷や背中にできた数ヵ所の傷は見る度に痛ましく思った。
医師と共に、化膿しないよう毎日清潔な包帯に取り替えている。
私は髪を切られた程度で、とくに外傷はない。彼が庇ってくれたから…。
ミリアリアは今、平民用の牢屋に捕らえられている。
面会はできない。
侯爵家のサーシス様殺傷事件の首謀者とローベンシュタイン子爵殺傷事件現行犯で毒薬による死罪が確定した。
あと、共犯で裏商人も捕まり、極刑が決まった。
双子の姉の事なのに、私の中では他人事のように思えた。
悲しいとか、ざまぁみろとか、そんな感情は不思議と沸き上がらなかった。
屋敷は全焼してしまった。
再建するにも彼の確認やら承認やらが必要で、後片付けしかできていない。
彼が目を覚まさないと、動くに動けないのが現状だ。
コンコン。
扉をノックする音だ。
「失礼します。紅茶をお持ちしました」
侍女長だ。
「ありがとう」
侍女長の優しい笑顔が嬉しい。
この笑顔に私はいつも励まされていたのだと、今更ながら痛感する。
屋敷が燃えて、彼が昏睡状態に陥ったとき、医者と共に駆けつけてくれた侍女長と執事長。
彼に代わり、使用人に指示を飛ばし、治療の為にホテルの手配などもしてくれた。
そして、侍女長に泣きながら抱き締められた。『よかった』と何度も嗚咽混じりの声を聞いた。
申し訳なさと愛しさで胸がいっぱいになった。
ありがとう。
心配してくれてありがとう。
側にいてくれてありがとう。
愛してくれて、ありがとう。
たくさんのありがとうを込めて
「心配をかけてごめんね。大好き」
と、涙が出てしまったが、精一杯の笑顔を贈った。
何も感じられなくなった、あの時からの記憶はまばらで、脳内に霧がかかっているような、そんな不思議な体験だ。
何も見たくない、聞きたくない、感じたくなくて、全てを閉ざした。
あのまま死んでも良いとさえ思っていた。
でも、『それでいいのか?』と何度も問いかける自分がいた。
全てを諦める自分と問い続ける自分。
ジレンマで苦しかった。
ぼんやり覚えているのは、孤児院に行って、子供たちの勉強風景を見たこと。
私が描いた『ラウトゥーリオの丘』を読んでいた。
その声を聞いて、恥ずかしくなった。
私は何をしているのかと。
子供達に読んで聞かせた自分の物語で『懸命に生きなさい』と、言葉を綴っているのに、私は何をしているの。
『辛い事があっても、懸命に生きてさえいれば、必ず幸せになれる』と子供達に教えていたのに、現実から逃げる自分は甘ったれの、ダメな大人であると。逃げてはダメだと心が叫んでいた。
しかし、脳裏に映るのは初夜の出来事や、愛する旦那様の残酷な復讐劇。
逃げてはいけないと叫ぶ自分とあんな思いは二度としたくないと拒む自分に身動きが取れなくなっていた。
そのあとは、花の香りだ。
いろいろな花の香りを感じた。
時折、胸が痛くなることがあったが、よく思い出せない。
断片的だが、彼に謝られたのは覚えている。
「誤解だった」
「すまなかった」
そんな言葉だった。
正直、どうしていいかわからなかった。
それは今も変わらない。
彼に虐げられた事実は変わらない。
悪意に満ちた仕打ちも忘れられない。
今まで向けられた愛が偽りだった事に胸を痛めた事も覚えている。
彼に対する恨みや怒りが無い訳じゃない。
でもーーー。
「うっ」
彼が呻いた。
侍女長と二人でベッド脇に控える。
右手が持ち上がり、さ迷っている。
「お嬢様」
どうしようか迷っていたら、侍女長に
「握って差し上げてください」
と言われ、恐る恐る触った。
苦痛に歪んでいた彼の顔が、少し落ち着いたように思える。
「医師を呼んで来ますから、ここをお願いします」
そういって、侍女長は退出した。
彼の大きくて暖かい手。
今まで触るに触れなかった。
少し固くて、ゴツゴツしている。
男性の手だ。
不意にギュっと握られた。
「…エリー…ゼ?」
ドキっとして、手を離そうとしたが、彼は離してくれなかった。
「あっ、あの…」
まだ心の準備ができてない。
「お水はいかがですか?持って参ります」
離れたくてそんな事を言った。
それが伝わったのか、さらに手を強く握られてしまった。
「行か…ないで」
弱々しい声が胸を締め付ける。
声も掠れてしまってる。
「やはりお水を」
「どこ…に…も、行かない…なら…」
「はい、どこにも行きません」
そう言わなければ、傷を押してでも追い掛けて来そうな雰囲気に負けた。
彼は私の顔をじっと見つめたのち、手の力を緩めてくれた。
ベッド横のサイドテーブルにある冠水瓶
(かんすいびん)から病人用の吸い飲みに水を注ぎ、彼の口元に運んだ。
「ありがとう」
うまく飲ませることが出来てひと安心だ。
「上手いんだね」
「その…孤児院で子供達の看病するときがあったので…」
なんだか恥ずかしい…。
「そうだったね。君はとても熱心に子供達の世話をしていた。あの孤児院の子が努力家で勉学に貪欲なのは、君が教えていたからだと思っているよ」
「いえ、そんな…。子供達が良い子ばかりでしたから…」
そんなことを言われると、ソワソワしてしまい、顔が熱くなってきた。
顔を見られたくなくて、サイドテーブルに吸い飲みを置き、背を向けた。
沈黙。
まごまごしていたら、背後で「うっ」と呻く声がした。
振り向くと、彼が一人で起き上がろうとしていた。
「ダメです!安静にしていて下さい!」
急いで駆け寄る。
「すまない。座りたいんだ…」
額に汗が光っている。
相当お辛いはず…。
私は急いで枕やらクッションを彼の背中に集め、少しでも楽な体勢をとれるようにした。
他に支えられるものが無いか探していると、彼に手をとられた。
一瞬ビクッと体が強ばった。
彼が酷く悲しい顔をした。
しかし、手は離してくれなかった。
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