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第十二章 友達とか家族とか(後編)

これはそれだけの話

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 心臓がじくじくと痛み始めて、クライスは服の上から薄い胸を手でおさえた。

(好きだなんて思ったことないし、思わないようにしてきたけど。いますごく会いたいよ。クロノス王子は元気かな)

 つい最近まで、親しく話すこともなかった。どんなひとかも知らなかったし、興味もなかった。知り合ったときにはすでに他に好きなひとがいて、クロノスから向けられる気持ちには困惑しきりだった。注意深く、惹かれすぎないようにしてきた。自分という人間はひとりしかいなくて、何人も同時に、同じように愛せるとは思えなかったから。
 心の大事な場所を明け渡さないように。決して、迎え入れることなく。
 だけどもし、彼が抱えるものを知っていたのなら。

「……王妃様は、ステファノがいまどこにいるか、ご存知ですよね」

 いつしか冷え切ったお茶に口をつけることなく。ハイティースタンドに盛り付けられた焼き菓子に手を伸ばすこともなく。
 日差しは明るいのに。
 梢を揺らす風にすらうすら寒さを感じながら、クライスはアンナに確認をした。
 アンナは即座に答えることはなかった。優美な所作で広がったスカートを手で押さえながら軽く座り直し、艶やかに微笑んでようやく口を開いた。

「ステファノは、魔王討伐メンバーになくてはならないひとだったと思う。決して身分は高くなかったけれど、精神的な意味で『高潔』という言葉があれほど似合うひともいなかった。聡明で、優しくて思いやりがあって、一途で。彼はルミナスだけを見ていたけれど、そんな彼を好きなひとはたくさんいたわ。……最期は、なんだか彼らしかったけど、死んだなんて到底信じられなくて。死ぬはずがない。きっとこの世界のどこかにいて、ある日ふらっと戻ってくる。そう思ったの。私は世界で一番嫌われていたから、再会がどんな形であっても、彼が私に笑いかけることはないとわかっていたけれど」

 なぜ笑っているのか、クライスの理解を超える。目の前の女は一体何を言っているのかと。

(会いたかったとでも? 会ってどうするつもりだったの? あなたは、だってステファノを……)

 まなざしがひどく暗いものになるのを自覚しつつ、吐き出した。

「魂を呼び寄せるような、そんな邪法でもあるんですか?」
「不思議なことを言うわね。親は生まれてくる子どもを選べないし、子どもだって生まれる場所を選べるわけじゃない。私はこの世の摂理に従って生きています。すべてあるがままよ」
「摂理でこんなことになってるなんて、あんまりですよ。親子だなんて……」

 クライスはそこで絶句した。言葉が続かなかった。凝縮された悪夢ようなひととき。豪雨を降らせる雲が空を覆うように、脳裏に暗雲が広がっていく。埋め尽くされる。

(僕はあまり頭が良くない。ひとの気持ちにも疎い。勘も悪い。だけどこの話、王妃様の言葉通りじゃないことはわかる)

 アンナが王妃となる前、ルミナスの婚約者だった頃。本当に好きだった相手は誰なのか。絶対にその心は手に入らないと思い知らせた男が、いたのではないか。思いが叶わないばかりに、激しい嫌がらせをして、自分への注意をひくしかできない相手が。
 高潔な魔導士。
 その彼は最期のときまで自分の愛を貫き、そして死んだはずなのにあるとき思いがけない形で彼女の元へと戻ってきた。
 彼女にできたのは――自分が、彼を愛していたのだと、決して悟られないこと。
 形を違えて親子という関係になってしまったからこそ。
 自分が絶対的な強者であると知るだけに、決して彼を支配しないように突き放した。それが親としての務め、最善だと考えて。

「誰かがあの子を……。私ではない誰かが幸せにしてくれればと。いま目の前にいるあなたが、ルミナスであってルミナスではないことはよくわかっている。あなたに謝るのもお願いするのも筋違いだとはわかっているから、頭を下げることはない。ただ、あなたが知りたいと言ったから、私は話した。これはそれだけの話よ」 

 密談の時間の終わりを悟り、クライスは席を立った。
 頭がぼんやりとしていて、気を抜くと涙が出そうだったが、そんな場合ではないと思い直す。
 深々と頭を下げて、考えた末に一言だけ礼を述べた。
 顔を上げてから、さらに躊躇いを捨てて鋭く言う。

「知らないでいるよりは、知って良かったのだと思います。ありがとうございます。自分に何ができるかはまだわかりませんが、あのひとに会ってきます」

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