こじらせ騎士と王子と灰色の魔導士

有沢真尋

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第十一章 友達とか家族とか(前編) 

戦いの中だけ

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 風の音だけを聞いていた。

 ――魔力が、旋律みたいに体内から流れ出している。

 半身はルーク・シルヴァに預けたまま、クロノスは薄青い空に手を伸ばす。
 指先から金糸のように光の線がたなびく。
 使うつもりのない魔法が溢れ出している。
 目を瞑れば暗闇の中に、失われた景色が、通り過ぎた日々が、二度と触れることのできない笑顔が。

 ――俺はここにいる。まだここにいる。

 心が生き延びたことを誰にも気づかれないように生きてきたけれど。
 やり直しのきかない瞬間を思う。
 こびりついた記憶に何度も心を折られながら、透明な膜に隔てられた果ての断崖から叫び続ける。
 ルミナスと、ルークシルヴァへ。
 殺し合わないでくれ。そこで止まってくれ。わかりあえたはず。今それが可能なら、あの時にだってできたはず。傷つかず、死なず、違う世界があったんじゃないか。
 届かない。
 平行世界なんかない。決まってしまった出来事を、動かすことなんかできるはずがない。

 ――それなのに魔力が沁み出す。遠い昔に失ったもの、指の先がようやく触れただけで、一度も手に入れていない何かを求めるように。

 心がぼろぼろと崩れ落ちていく感覚をどう言葉に表せと。

(俺は詩人じゃない。損なわれた魂の傷を表現する術などない)

 手繰り寄せるように言葉を掴んで、力なく離す。
 生者とは決定的に違う、死の影を背負って生まれ直した深い悲しみのようなもの。今さら。
 言葉にできない感情が細い糸となっていくつもいくつも身体から溢れ出して、それを隣にいる男はまともに浴びている。

「なんだか俺、壊れてる。魔力が流れるのを止められない」
「そうだな。しばらく大きい呪法はやめておいた方が良さそうだ。制御できなくて自分が死ぬぞ」

 会話は成立しているけど、望んだのとは違う事務的な回答。

(そうじゃなくて。これはお前の身体に害がないのかって)

 ステファノとして生きていた頃から、こんな風に魔力を暴走させたことなんかない。
 何が起きているのかよくわからなくて、怖い。
 早く一人になって、誰にも迷惑かけないように膝を抱えてじっとしていたい。

「魔力が言うこときかないんだ」
「わかっている。だから俺が飛んでる」
「そうじゃない。わざとなのかよそれ」

 ほら、少し話すだけで声が濡れる。感情と魔力が直結しているなんてこれまで意識してこなかったけど、明らかに。

「お前を攻撃してしまうかもしれない」
「問題ない」
「魔王だからな」

 笑おうとして、言葉が途切れる。何か嫌な記憶が頭の中を駆け巡った。手足が勝手に暴れそうになって、ルーク・シルヴァに抱え直されてしまう。
 彼は彼で、過去に負った大きな怪我のせいで、うまく魔法を使えないと。

(それはおそらく聖剣が……。聖剣の勇者ルミナスが)

 記録上は「相打ち」になっているのだ。死んでいなかったのが奇跡なだけで、死んでいてもおかしくなかったのだろう。

「なんでだ? お前はルミナスを殺しているけど、殺されかけている。その後遺症で今も最盛期ほどの力は出せない、だよな? なのに、なんでルミナスを許している? ステファノである俺のことを生かそうとしている?」

 疑問のままに見つめたら、地上に目を向けていたルーク・シルヴァは答えぬまま降下を開始した。
 何を見ているのかと、クロノスも目を凝らす。

「あそこで戦闘が起きている。魔族が人間を襲っているようだ。このまま介入する。魔力がおかしいなら、お前は無理するなよ」

 * * *

 炎をまとった剣が、飛来したガーゴイルを切り裂いていた。
 ざっと目を凝らしたところ、魔法剣士が一人で応戦している。
 すでにいくつかの焦げた死体が転がっているが、数が多い。

 地上に降り立つ前から、クロノスは口の中で短く詠唱していた。魔法の行使には必ずしも必要ではないが、集中力を高めるために。
 糸のように流れ出していた魔力がより合わさっていく。

(大丈夫だ。いける)

 元々、戦闘向けの魔導士なのだ。その場に立てば、迷うことなどない。
 地面に足がついた瞬間、目の前に迫っていたオークの群れを薙ぎ払うように業火を炸裂させた。
 炎の中で肉を焦げさせ叫びを上げる魔物を見ながら、血が沸き立つのを感じる。
 何度も何度もしてきたことだから、迷いが無い。
 強い魔力を解き放つことで、身体の中の血が正常に巡り出す感覚がある。

(もっと殺したい。もっとだ。足りない)

 人間を襲っているのだ。遠慮する必要はない。
 視線を辺りに滑らせる。さらなる魔法を撃とうとする。

《人間の領域を侵すな。目を覚ませ。境界を越える者には死が与えられるだろう。疾く帰れ》

 ルーク・シルヴァの音楽的な響きを持つ声がその場を支配するように響き渡った。

(魔族の言葉か……)

 クロノスには何を言ったのかまではわからない。だが、効いている。魔法剣士に切り裂かれて、断末魔の叫びを上げて崩れ落ちた一体を最後に、魔族も人間も全員が動きを止める。

《この場に残る者には私が相手になろう。塵の一つも残らぬ永劫の死を》

 ルーク・シルヴァが眼鏡を外して睥睨すると、魔物たちがずずっと後ろ脚で後退を始める。

「そっちじゃない。この先には町があるんだ。あの森の方へ行くように言ってくれ」

 剣をだらりと下げた魔法剣士が歩いてきて、ルーク・シルヴァにごく平然とした声で願い出る。
 髭をまばらに生やした、せいぜい二十代半ばか後半といった若者だ。

(あのくらいの年齢で魔物との交戦に躊躇いがないのも珍しいが)

 ルーク・シルヴァの迫力の美貌や謎の言語にまったく動揺していないのも、得体が知れない。

「魔物の言葉が話せるんだな。説得してくれてるんだろ。ほら、あっちだ」

 手で、近場の森を示す。
 無言で男の顔を見返してから、ルーク・シルヴァは不意に抑揚も張りもない間の抜けた声で言った。

「あっちだそうだ。さっさと行け。聞き分けがないのは、そこの魔導士が焼き払うぞ」

 示した方向に、魔物がずるずると移動をはじめ、やがて背を向けて我先にと走り出す。概ね、間違いなく森の中へと消えて行った。
 その様子を見て、クロノスは小さく息を吐き出す。それから、ふと視線を感じてルーク・シルヴァを見た。
 そこの魔導士、と言った。
 自分のことを言われたのはわかった。普段の言葉であったし、ルーク・シルヴァはセリフの途中で確かにクロノスを見て言ったのだ。

(悪かったよ。戦闘になると血が騒いで、かえって冷静になっちゃうんだよ俺。勝ちたいから)

 無駄なく効率よく被害を出さずに迅速に殲滅する。
 頭が計算を始めていたのを見透かされた気分でクロノスは顔を背けた。

「いやー、どうなることかと思った。助かっちゃったねえ」

 その、顔を背けた先で、地面にしゃがみこんで抱き合っている小さな人影が二つ。
 片方は金髪の少女のようであり、もう一方は。
 のんびりした言葉とは裏腹に、魔物の消えた森を鋭い視線で見つめてから、クロノスに視線を向けてきた。
 互いが互いを認識した瞬間、クロノスは息を飲む。

(俺……!?)

 髪の色。目の印象。顔立ち。一瞬、鏡があるのかと思った。
 ただし、映し出されているのは今ではなく、過去。
 体格は小柄で、目元や口元にどことなく甘さが漂っているが、その顔は他人の空似と思えないほど、「ステファノ」と似通っている。
 生霊を見たような戦慄が駆け抜けた後に、妙に気まずく居心地悪い思いをするクロノスを、その人物はきょとんと見上げていた。
 一方、背後では魔法剣士が気安い調子でルーク・シルヴァに声をかけていた。

「助かった。いや~、こんな辺境でこんな強い魔導士に会えるなんて」

 クロノスの目の前で、「ステファノ」によく似た人物に抱きかかえられていた金髪の少女が、弾かれたように立ち上がった。

「だめよ、ヴァレリー! それは『魔族』よ!! 魔族の言葉を話していたじゃないの!!」


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