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第九章 襲撃と出立
歪んだ性質
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イカロスは、「誰とも話したくない。クライスを連れてきてくれ」と主張し、自室にたてこもっているという。
女官姿となったアンジェラが、食堂に行っていかにも気分屋に振り回されている体で「お腹が空いてしまって、私が運べば食べるそうで」と適当なことを言って軽食を確保してきた。
その上で、「出入りの際に突入されたくないみたいだから、見えない位置まで下がってほしい」と護衛と監視を兼ねた兵を廊下から追い出すことに成功した。
すべて、「イカロス様の魔法はなんだかすごいらしい」という不確定情報を利用した形である。
部屋を離れていたアンジェラに意思を伝える方法があるらしいとか、護衛兵を魔法で叩き潰す恐れがあるとか。
正体不明の魔導士の襲撃を受けた後だったせいもあり、魔法が過剰に恐れられていた。
それが役目を投げ出す理由になるかといえば、なるはずもない。
しかし、食事をとってなかったのは事実だったのと、イカロス付きのアンジェラは王子に危害を加える恐れが無いというのが一応の根拠となって、説得はあっさり成功してしまっていた。
* * *
ずいぶん回りくどい方法をとるんだなと、クロノスは発案者のルーク・シルヴァに尋ねた。
「あまりすぐに追跡されたくない。さすがに今イカロスが城外脱出となれば、追われるだろう。お前じゃあるまいし」
「オレは居ても居なくてもだからな」
クロノスは薄く笑みを浮かべた。
物言いたげにちらりとその顔を見たものの、ルーク・シルヴァはさっと身を翻して隠れていた柱の影から廊下を歩き出す。クロノスもその後に続いた。
イカロスの部屋の前では、アンジェラが待機している。
ルーク・シルヴァはドアに向かい、軽く握りしめた拳でノックした。
「俺だ。魔王だ」
ぶふっとクロノスが噴き出す。
傍らで、アンジェラは目を瞬いていた。
少し待ってから、ルーク・シルヴァが振り返った。
「返事がない」
「『壊していいか?』みたいな顔やめろよ」
「言ってない。アンジェラ、開けられるか」
「そうですね、中で何かあったときに入る必要があるので、鍵がかかっていても方法は……。もう、魔法で塞がれているということはないんですよね?」
人質をとって立てこもったときも、自室に引っ込んだ後も、何か常人には手出しできない力が働いていたのだという。
「大丈夫に見えるんだけど。もし仕掛けがあっても、オレなら突破できないこともない」
クロノスが一歩踏み出し、ドアに触れようとすると、横から伸びてきた手に阻まれた。
「だめだ。お前これ以上魔力使ったら昏倒するぞ」
「誰のせいだよ」
「責任を感じた俺にもう一回濃厚なのをされたいのか」
力ない笑みをもらしてクロノスは手をひく。
(濃厚な『何』だよ……)
魔王、嫌がらせを心得ていると思わずにはいられない。
クロノスは、報われない恋愛が習い性となっていて、追われる関係が苦手だ。積極的に攻められると引き気味になる。
それを見抜かれた。ここぞとばかりに弄ばれている気がする。
嫌がらせのためならキスくらいなんでもないというのは先程の一件で了解した。
やると言ったらやるのだ、この男は。
全然嬉しくない。
(オレ頭おかしいのかな。形式だけでも『両想い』みたいな対応されると、無理無理の無理みたい)
相手に嫌がられたり、面倒くさそうにされていないと、いまいち萌えない。
薄々自覚してはいたが、恋愛や人間関係に対する思いは歪んでいること甚だしい。
「開いてる。気を抜いているのか、イカロス」
分厚い木製のドアに掌を置いていたルーク・シルヴァはそう言って、取っ手に手をかけてドアを開いた。
* * *
イカロスは、ソファに横たわって目を閉じていた。
白髪に、血の気のない白い肌。どうかすると、普通に死体。
「いつもああなのか?」
クロノスがアンジェラに雑に尋ねると「お行儀よくと言っても聞かない方です」とのんびり答えられた。
なお、ルーク・シルヴァは起きるのを待つ気はないらしく、部屋を横切り、すぐそばまで行くと、腕を組んで見下ろした。
「今すぐとどめを刺されたくなければ起きろ」
渋々という様子で、イカロスがうっすら目を開けた。赤い瞳。
「クライスは」
「いない。俺がいる」
すうっと目が閉じられる。
振り返ったルーク・シルヴァはアンジェラを見て、無表情に言った。
「食べ物を。腹に詰め込んでやらないと、目を開けるのも辛いらしい」
「何その独自解釈。いま目開けたよ。明らかに面倒くさいから寝たふりしているだけだろ」
「冷たい兄貴だな」
ルーク・シルヴァから、非常に正しいことを言われた感覚があり、不安になってクロノスはアンジェラを見た。妙に力強く頷かれた。
「お前は良い兄貴だったのかよ」
言うに事欠いて、変なつっかかり方をしてしまった。
気がつくと、アンジェラから気の毒そうな目を向けられていた。
「リュートさんは不器用なところはありますけど、悪い人じゃないですよ」
しかも諭された。
クロノスは勘弁してくれという気持ちをそのまま口にする。
「恋人のいる男の肩を持ちすぎでは」
「職場の同僚として適切な範囲で擁護しているつもりです。殿下は邪推が過ぎます。ご友人がいない、いえ少ないからそう」
「『いない』でいいよ。『いない』から」
そのくらい全然不敬だなんて思わないし、と鷹揚に構えたつもりであったが、発言には僻みが滲んでしまった。
「まあいい。後は起こしてなんとかする。アンジェラ、助かった」
ルーク・シルヴァが、それとなくアンジェラに退出を促す。
それはそうだ。
先程の「魔王」発言はさすがに冗談だと思っているだろうが、これ以降の会話は聞かせるわけにはいかない。
後は素知らぬふりをして外の衛兵を誤魔化してくれればそれで。
そう考えている二人を見透かすかのように、アンジェラはまったく裏のなさそうな顔で微笑んだ。
「出て行きません。私、イカロス様付きですから」
「この先は別に仕事じゃない。首突っ込んだら引き返せなくなるよ」
クロノスはごく当然のことを言ったつもりであるが、アンジェラも一切ひく様子を見せず、口調と表情は非常に穏やかに言った。
「まさか巻き込むだけ巻き込んでおしまいということはないですよね? 何をなさるつもりか知りませんが、ここで追い払われるつもりはないですよ。万が一そんな捨てられ方したら、悲しくて洗いざらい報告しにいってしまいます」
脅された。
女官姿となったアンジェラが、食堂に行っていかにも気分屋に振り回されている体で「お腹が空いてしまって、私が運べば食べるそうで」と適当なことを言って軽食を確保してきた。
その上で、「出入りの際に突入されたくないみたいだから、見えない位置まで下がってほしい」と護衛と監視を兼ねた兵を廊下から追い出すことに成功した。
すべて、「イカロス様の魔法はなんだかすごいらしい」という不確定情報を利用した形である。
部屋を離れていたアンジェラに意思を伝える方法があるらしいとか、護衛兵を魔法で叩き潰す恐れがあるとか。
正体不明の魔導士の襲撃を受けた後だったせいもあり、魔法が過剰に恐れられていた。
それが役目を投げ出す理由になるかといえば、なるはずもない。
しかし、食事をとってなかったのは事実だったのと、イカロス付きのアンジェラは王子に危害を加える恐れが無いというのが一応の根拠となって、説得はあっさり成功してしまっていた。
* * *
ずいぶん回りくどい方法をとるんだなと、クロノスは発案者のルーク・シルヴァに尋ねた。
「あまりすぐに追跡されたくない。さすがに今イカロスが城外脱出となれば、追われるだろう。お前じゃあるまいし」
「オレは居ても居なくてもだからな」
クロノスは薄く笑みを浮かべた。
物言いたげにちらりとその顔を見たものの、ルーク・シルヴァはさっと身を翻して隠れていた柱の影から廊下を歩き出す。クロノスもその後に続いた。
イカロスの部屋の前では、アンジェラが待機している。
ルーク・シルヴァはドアに向かい、軽く握りしめた拳でノックした。
「俺だ。魔王だ」
ぶふっとクロノスが噴き出す。
傍らで、アンジェラは目を瞬いていた。
少し待ってから、ルーク・シルヴァが振り返った。
「返事がない」
「『壊していいか?』みたいな顔やめろよ」
「言ってない。アンジェラ、開けられるか」
「そうですね、中で何かあったときに入る必要があるので、鍵がかかっていても方法は……。もう、魔法で塞がれているということはないんですよね?」
人質をとって立てこもったときも、自室に引っ込んだ後も、何か常人には手出しできない力が働いていたのだという。
「大丈夫に見えるんだけど。もし仕掛けがあっても、オレなら突破できないこともない」
クロノスが一歩踏み出し、ドアに触れようとすると、横から伸びてきた手に阻まれた。
「だめだ。お前これ以上魔力使ったら昏倒するぞ」
「誰のせいだよ」
「責任を感じた俺にもう一回濃厚なのをされたいのか」
力ない笑みをもらしてクロノスは手をひく。
(濃厚な『何』だよ……)
魔王、嫌がらせを心得ていると思わずにはいられない。
クロノスは、報われない恋愛が習い性となっていて、追われる関係が苦手だ。積極的に攻められると引き気味になる。
それを見抜かれた。ここぞとばかりに弄ばれている気がする。
嫌がらせのためならキスくらいなんでもないというのは先程の一件で了解した。
やると言ったらやるのだ、この男は。
全然嬉しくない。
(オレ頭おかしいのかな。形式だけでも『両想い』みたいな対応されると、無理無理の無理みたい)
相手に嫌がられたり、面倒くさそうにされていないと、いまいち萌えない。
薄々自覚してはいたが、恋愛や人間関係に対する思いは歪んでいること甚だしい。
「開いてる。気を抜いているのか、イカロス」
分厚い木製のドアに掌を置いていたルーク・シルヴァはそう言って、取っ手に手をかけてドアを開いた。
* * *
イカロスは、ソファに横たわって目を閉じていた。
白髪に、血の気のない白い肌。どうかすると、普通に死体。
「いつもああなのか?」
クロノスがアンジェラに雑に尋ねると「お行儀よくと言っても聞かない方です」とのんびり答えられた。
なお、ルーク・シルヴァは起きるのを待つ気はないらしく、部屋を横切り、すぐそばまで行くと、腕を組んで見下ろした。
「今すぐとどめを刺されたくなければ起きろ」
渋々という様子で、イカロスがうっすら目を開けた。赤い瞳。
「クライスは」
「いない。俺がいる」
すうっと目が閉じられる。
振り返ったルーク・シルヴァはアンジェラを見て、無表情に言った。
「食べ物を。腹に詰め込んでやらないと、目を開けるのも辛いらしい」
「何その独自解釈。いま目開けたよ。明らかに面倒くさいから寝たふりしているだけだろ」
「冷たい兄貴だな」
ルーク・シルヴァから、非常に正しいことを言われた感覚があり、不安になってクロノスはアンジェラを見た。妙に力強く頷かれた。
「お前は良い兄貴だったのかよ」
言うに事欠いて、変なつっかかり方をしてしまった。
気がつくと、アンジェラから気の毒そうな目を向けられていた。
「リュートさんは不器用なところはありますけど、悪い人じゃないですよ」
しかも諭された。
クロノスは勘弁してくれという気持ちをそのまま口にする。
「恋人のいる男の肩を持ちすぎでは」
「職場の同僚として適切な範囲で擁護しているつもりです。殿下は邪推が過ぎます。ご友人がいない、いえ少ないからそう」
「『いない』でいいよ。『いない』から」
そのくらい全然不敬だなんて思わないし、と鷹揚に構えたつもりであったが、発言には僻みが滲んでしまった。
「まあいい。後は起こしてなんとかする。アンジェラ、助かった」
ルーク・シルヴァが、それとなくアンジェラに退出を促す。
それはそうだ。
先程の「魔王」発言はさすがに冗談だと思っているだろうが、これ以降の会話は聞かせるわけにはいかない。
後は素知らぬふりをして外の衛兵を誤魔化してくれればそれで。
そう考えている二人を見透かすかのように、アンジェラはまったく裏のなさそうな顔で微笑んだ。
「出て行きません。私、イカロス様付きですから」
「この先は別に仕事じゃない。首突っ込んだら引き返せなくなるよ」
クロノスはごく当然のことを言ったつもりであるが、アンジェラも一切ひく様子を見せず、口調と表情は非常に穏やかに言った。
「まさか巻き込むだけ巻き込んでおしまいということはないですよね? 何をなさるつもりか知りませんが、ここで追い払われるつもりはないですよ。万が一そんな捨てられ方したら、悲しくて洗いざらい報告しにいってしまいます」
脅された。
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