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第九章 襲撃と出立
匙を投げる
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「叱ってくれって言われても」
匙を投げつけられた。
もちろん「匙を投げる」は比喩で、実際にはそこに何もないわけだが、クライスは丁寧に拾って投げ返す仕草をした。
「嫌ですよ。殿下の弟君です」
「話は聞いている『フィリス』。あれはお前の弟の『クライス』なんだろ?」
投げつけられた架空の何かをかわす仕草をしながら、アレクスは確認するように言った。
「前世の話はやめてください。率直に嫌なんですよ。イカロス殿下とは関わりたくないんです」
「『嫌です』二回目だな」
「嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です」
数えられたのが癇に障ったせいで、意固地になってしまった。
何か言おうとしたアレクスだが、結局何も言わずにふーーっと大きな息を吐き出してクライスを見つめ、眉間に皺を寄せる。
膠着状態に陥った。
広場での後処理が終わった昼すぎ、王宮のアレクスから呼び出しがあった。
何事かと急いで帰ってみれば、前日使った会議室に通されて、バルコニーで待ち構えていたアレクスに「ちょっとイカロスを叱ってくれ」などと言われてしまい。
なんでそっちの兄弟喧嘩をこっちに投げて来るのかと、感情的に反発してしまった次第。
「イカロスが、『お姉ちゃん』の言うことなら聞くって言っている。裏を返せばお姉ちゃんの言うことしか聞きたくないと。そもそも昨日両親を人質にとって要求してきたのがお前、『お姉ちゃん』だったんだ」
さらりと驚愕の事実が明かされていたが、クライスは黙殺をすることにした。よもやクーデターもどきの原因が自分にあるなどと、迂闊に話題にしたくない。すでに片付いたその件は、事情を知る家臣団の間では兄弟喧嘩+親子喧嘩で、解決済みとみなされている。クライスもその流れにのりたい。
「僕がお姉ちゃんだったのはもう随分前の話です。どうにもできません。それに、お姉ちゃんがいなくてもお兄ちゃんはもう一人いますよね。何しているんですか、クロノス様。戦闘にも出てきませんでしたし」
「クロノスはいない」
「いない?」
片眉をぴくっと跳ね上げて聞き返すと、アレクスは細めた目でクライスを見返した。
「どこに行ったか、知らないか」
「朝早くに会いましたけど。部屋にはいませんか」
「誰も入るなとは言っていたらしいが、そもそも封印されている。あと、いる様子がない。イカロスの件はともかく、昨日の襲撃者の件はクロノスが対応している。詳しい話を聞いて、早急に話し合う必要があるというのに。街が強襲されても姿を見せなかったとなると、本格的にいないようだ」
風が吹いて、アレクスの長い黒髪を乱していた。
その様子をしげしげと見ていたクライスだが、思わず口走ってしまった。
「元気がないですね。アレクス様が。よぼよぼしていますけど、大丈夫ですか」
「クライスは容赦がないな」
しおれた様子で返されても、よぼよぼの裏付けにしかならない。
(容赦する筋合いでもないような……)
この先王宮勤務を続けるなら、まず間違いなく仕えることになる相手だ。出世の類にそれほど関心がなかったとはいえ、意地悪しちゃまずいな、くらいはわかる。
わかるが、昨日また終わったはずの求婚話で無駄に引っ掻き回された覚えがあるので、優しくできない。
「殿下。発言してもよろしいですか」
クライスの後ろに控えていたスヴェンが、そのときになってようやく口を挟んだ。
「許可する。早速の働きご苦労だった。スヴェンと……」
アレクスの視線が、その横にいる金髪の麗人に向けられる。
心得ていたように、スヴェンがひとつ頷いてみせた。
「神聖教団の脱走兵です。魔族の逃亡を手引きした罪状で教団に追いかけ回されていましたが、無事に保護が完了しました。この上は殿下の良き兵として剣を振るうと誓いをたてています。ジュリア」
促されて、ジュリアが進み出る。
(教団の脱走兵!? しかも、魔族の逃亡を手引? 魔族と関わりのある「人間」?)
この若さであの強さ、何かわけはあるだろうなとひしひしと感じていたが、思った以上の素性を明らかにされたような気がする。
「お初にお目にかかります。お招きいただきありがとうございます」
「君か。かなり実戦向きだったとは報告を受けている。『魔族』を切るのに躊躇はなかったのか」
アレクスの問いかけに対し、ジュリアはすうっと目を細めた。まとう空気が冷ややかなものになる。
「どういう意味ですか?」
相手が王族であると知っていてなお、態度に卑屈さのかけらもない。
(このひと、強い)
剣の腕だけじゃない。そもそも、この若さであれだけの強さを身に着けている時点で、並の精神力ではないのだと知れた。
ジュリアから圧を感じているだろうに、アレクスは泰然自若としてしれっと言った。
「ずっと『魔族』と暮らしてきたと聞いている。街を襲撃した魔物たちが本当は人型をとれて、人間と意思疎通もできる相手だと、ちらっとも考えなかったのか。問答無用で切ることに抵抗はなかったのか」
(人型をとれる? 人間と意思疎通ができる?)
クライスには未知の情報が語られる中、ジュリアは落ち着き払って答えた。
「戦争で人間を切った兵士にも同じ質問をしますか? お前はいつも人間と暮らしているだろうに、よくも敵というだけで相手を殺せるな、と。殿下の仰っているのはそういうことです。俺はそれに答えた方がいいんですか」
すらっと言い放ってから、こほんと咳ばらいをして、言い直した。「私は」と。
(このひと、どっちなんだろう。男の人にも、女の人にも見える)
それこそほんの少し化粧をして着飾れば、これ以上ないくらい映えるだろう。だが、名目上男性しかいない近衛の正装で街にくりだそうものなら、確実に女性たちの目も心も奪うのがわかる。
聖剣の勇者が、かつての自分だと言われているからこそ結びつけないようにしていたが、「ルミナス」の名にふさわしいのはこういう人なのではないだろうか。
「たしかに。今の質問は悪かった。君はそういった事情に流されない人間のようだ」
言いながら、アレクスが視線を広間の方へと向ける。バルコニーとの境目に立つ柱に、いつの間にか現れたアゼルがもたれかかっており、ぼんやりとアレクスを見つめていた。
クライスと同じように、ジュリアも視線を流す。そして物言いたげにアレクスを見つめた。そのまま待ちになるのかと思いきや、待たなかった。
「スヴェンの説明を聞いたときから気になっていました。殿下は随分魔族に詳しいようです。身近にいたんですか。人型の魔族が。というか……、将来的に魔族と王族の婚姻もあり得ると? それはどんな未来予想図ですか」
「ジュリア」
さすがにスヴェンが口を挟むが、ジュリアは黙れとばかりにきつい視線をスヴェンに向ける。苦言を聞く気はないと態度で示していた。
「人型をとれる魔族な……。その辺の事情を知る人間は一握りだ。実際に彼らに会えばかなり特殊なので気付かざるを得ないわけだが。彼らは一様に人間の魔導士より魔力が高く、人間基準で言えば寒気がするほどの美形が多い。本来は人間よりよほど高等な生き物ではないかと思わされる。不老長寿でもあるし」
アレクスの語る内容が、クライスの耳から耳へと通り過ぎる。
何か、聞いてはならないことを言っているような気がする。
優れた魔力と容姿。不老長寿。そういった特徴を持つひとを知っている。
人とは少し違う種族だという彼の同族は、いずれもずば抜けて端正な容姿の持ち主である。
そして、力の強い魔導士でもあった。
クライスが見つめると、アゼルは曰く言い難い顔をして目を逸らした。
(勇者ルミナスの仲間の「アゼル」だとしても、年齢が合わない気はしていたけど、不老長寿……、いやいやいやいやいや!? 『魔族』なの!? なんで魔族が勇者の仲間で魔王と戦っているの!?)
クライスはそっと挙手してみた。アレクスは気付いただろうに顔をそむけた。
もう少しわかりやすく主張しようと背伸びまでして手をぴんとたててみる。やっぱりアレクスは目を向けてこない。
「アレクス様。こっち」
「嫌だ」
「嫌だじゃないです。僕の質問にも答えてください。今の話を総合すると、ルーク・シルヴァは魔族ですか?」
ものすごくハッキリと聞いたのに、アレクスは横顔をさらしたままだ。大人げない。
一部始終きっちり見ていたジュリアが口を開く。
「なんで無視しているんですか? 私がそれ答えてもいいんですか。その名前、教団にいたときに聞いたことがあります」
ジュリアはアレクスにやけに厳しい。
弱り切った様子でアレクスは首を振ると、ジュリアに対し「それ以上はやめておけ」と今さらなことを言った。
匙を投げつけられた。
もちろん「匙を投げる」は比喩で、実際にはそこに何もないわけだが、クライスは丁寧に拾って投げ返す仕草をした。
「嫌ですよ。殿下の弟君です」
「話は聞いている『フィリス』。あれはお前の弟の『クライス』なんだろ?」
投げつけられた架空の何かをかわす仕草をしながら、アレクスは確認するように言った。
「前世の話はやめてください。率直に嫌なんですよ。イカロス殿下とは関わりたくないんです」
「『嫌です』二回目だな」
「嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です」
数えられたのが癇に障ったせいで、意固地になってしまった。
何か言おうとしたアレクスだが、結局何も言わずにふーーっと大きな息を吐き出してクライスを見つめ、眉間に皺を寄せる。
膠着状態に陥った。
広場での後処理が終わった昼すぎ、王宮のアレクスから呼び出しがあった。
何事かと急いで帰ってみれば、前日使った会議室に通されて、バルコニーで待ち構えていたアレクスに「ちょっとイカロスを叱ってくれ」などと言われてしまい。
なんでそっちの兄弟喧嘩をこっちに投げて来るのかと、感情的に反発してしまった次第。
「イカロスが、『お姉ちゃん』の言うことなら聞くって言っている。裏を返せばお姉ちゃんの言うことしか聞きたくないと。そもそも昨日両親を人質にとって要求してきたのがお前、『お姉ちゃん』だったんだ」
さらりと驚愕の事実が明かされていたが、クライスは黙殺をすることにした。よもやクーデターもどきの原因が自分にあるなどと、迂闊に話題にしたくない。すでに片付いたその件は、事情を知る家臣団の間では兄弟喧嘩+親子喧嘩で、解決済みとみなされている。クライスもその流れにのりたい。
「僕がお姉ちゃんだったのはもう随分前の話です。どうにもできません。それに、お姉ちゃんがいなくてもお兄ちゃんはもう一人いますよね。何しているんですか、クロノス様。戦闘にも出てきませんでしたし」
「クロノスはいない」
「いない?」
片眉をぴくっと跳ね上げて聞き返すと、アレクスは細めた目でクライスを見返した。
「どこに行ったか、知らないか」
「朝早くに会いましたけど。部屋にはいませんか」
「誰も入るなとは言っていたらしいが、そもそも封印されている。あと、いる様子がない。イカロスの件はともかく、昨日の襲撃者の件はクロノスが対応している。詳しい話を聞いて、早急に話し合う必要があるというのに。街が強襲されても姿を見せなかったとなると、本格的にいないようだ」
風が吹いて、アレクスの長い黒髪を乱していた。
その様子をしげしげと見ていたクライスだが、思わず口走ってしまった。
「元気がないですね。アレクス様が。よぼよぼしていますけど、大丈夫ですか」
「クライスは容赦がないな」
しおれた様子で返されても、よぼよぼの裏付けにしかならない。
(容赦する筋合いでもないような……)
この先王宮勤務を続けるなら、まず間違いなく仕えることになる相手だ。出世の類にそれほど関心がなかったとはいえ、意地悪しちゃまずいな、くらいはわかる。
わかるが、昨日また終わったはずの求婚話で無駄に引っ掻き回された覚えがあるので、優しくできない。
「殿下。発言してもよろしいですか」
クライスの後ろに控えていたスヴェンが、そのときになってようやく口を挟んだ。
「許可する。早速の働きご苦労だった。スヴェンと……」
アレクスの視線が、その横にいる金髪の麗人に向けられる。
心得ていたように、スヴェンがひとつ頷いてみせた。
「神聖教団の脱走兵です。魔族の逃亡を手引きした罪状で教団に追いかけ回されていましたが、無事に保護が完了しました。この上は殿下の良き兵として剣を振るうと誓いをたてています。ジュリア」
促されて、ジュリアが進み出る。
(教団の脱走兵!? しかも、魔族の逃亡を手引? 魔族と関わりのある「人間」?)
この若さであの強さ、何かわけはあるだろうなとひしひしと感じていたが、思った以上の素性を明らかにされたような気がする。
「お初にお目にかかります。お招きいただきありがとうございます」
「君か。かなり実戦向きだったとは報告を受けている。『魔族』を切るのに躊躇はなかったのか」
アレクスの問いかけに対し、ジュリアはすうっと目を細めた。まとう空気が冷ややかなものになる。
「どういう意味ですか?」
相手が王族であると知っていてなお、態度に卑屈さのかけらもない。
(このひと、強い)
剣の腕だけじゃない。そもそも、この若さであれだけの強さを身に着けている時点で、並の精神力ではないのだと知れた。
ジュリアから圧を感じているだろうに、アレクスは泰然自若としてしれっと言った。
「ずっと『魔族』と暮らしてきたと聞いている。街を襲撃した魔物たちが本当は人型をとれて、人間と意思疎通もできる相手だと、ちらっとも考えなかったのか。問答無用で切ることに抵抗はなかったのか」
(人型をとれる? 人間と意思疎通ができる?)
クライスには未知の情報が語られる中、ジュリアは落ち着き払って答えた。
「戦争で人間を切った兵士にも同じ質問をしますか? お前はいつも人間と暮らしているだろうに、よくも敵というだけで相手を殺せるな、と。殿下の仰っているのはそういうことです。俺はそれに答えた方がいいんですか」
すらっと言い放ってから、こほんと咳ばらいをして、言い直した。「私は」と。
(このひと、どっちなんだろう。男の人にも、女の人にも見える)
それこそほんの少し化粧をして着飾れば、これ以上ないくらい映えるだろう。だが、名目上男性しかいない近衛の正装で街にくりだそうものなら、確実に女性たちの目も心も奪うのがわかる。
聖剣の勇者が、かつての自分だと言われているからこそ結びつけないようにしていたが、「ルミナス」の名にふさわしいのはこういう人なのではないだろうか。
「たしかに。今の質問は悪かった。君はそういった事情に流されない人間のようだ」
言いながら、アレクスが視線を広間の方へと向ける。バルコニーとの境目に立つ柱に、いつの間にか現れたアゼルがもたれかかっており、ぼんやりとアレクスを見つめていた。
クライスと同じように、ジュリアも視線を流す。そして物言いたげにアレクスを見つめた。そのまま待ちになるのかと思いきや、待たなかった。
「スヴェンの説明を聞いたときから気になっていました。殿下は随分魔族に詳しいようです。身近にいたんですか。人型の魔族が。というか……、将来的に魔族と王族の婚姻もあり得ると? それはどんな未来予想図ですか」
「ジュリア」
さすがにスヴェンが口を挟むが、ジュリアは黙れとばかりにきつい視線をスヴェンに向ける。苦言を聞く気はないと態度で示していた。
「人型をとれる魔族な……。その辺の事情を知る人間は一握りだ。実際に彼らに会えばかなり特殊なので気付かざるを得ないわけだが。彼らは一様に人間の魔導士より魔力が高く、人間基準で言えば寒気がするほどの美形が多い。本来は人間よりよほど高等な生き物ではないかと思わされる。不老長寿でもあるし」
アレクスの語る内容が、クライスの耳から耳へと通り過ぎる。
何か、聞いてはならないことを言っているような気がする。
優れた魔力と容姿。不老長寿。そういった特徴を持つひとを知っている。
人とは少し違う種族だという彼の同族は、いずれもずば抜けて端正な容姿の持ち主である。
そして、力の強い魔導士でもあった。
クライスが見つめると、アゼルは曰く言い難い顔をして目を逸らした。
(勇者ルミナスの仲間の「アゼル」だとしても、年齢が合わない気はしていたけど、不老長寿……、いやいやいやいやいや!? 『魔族』なの!? なんで魔族が勇者の仲間で魔王と戦っているの!?)
クライスはそっと挙手してみた。アレクスは気付いただろうに顔をそむけた。
もう少しわかりやすく主張しようと背伸びまでして手をぴんとたててみる。やっぱりアレクスは目を向けてこない。
「アレクス様。こっち」
「嫌だ」
「嫌だじゃないです。僕の質問にも答えてください。今の話を総合すると、ルーク・シルヴァは魔族ですか?」
ものすごくハッキリと聞いたのに、アレクスは横顔をさらしたままだ。大人げない。
一部始終きっちり見ていたジュリアが口を開く。
「なんで無視しているんですか? 私がそれ答えてもいいんですか。その名前、教団にいたときに聞いたことがあります」
ジュリアはアレクスにやけに厳しい。
弱り切った様子でアレクスは首を振ると、ジュリアに対し「それ以上はやめておけ」と今さらなことを言った。
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