こじらせ騎士と王子と灰色の魔導士

有沢真尋

文字の大きさ
上 下
82 / 122
第八章 国難は些事です(後編)

おはよう

しおりを挟む
 まだ朝が明けきらない時間。
 冷たい風に身を浸そうと、吹きさらしの渡り廊下に出てきてみれば、見慣れた人影がひとつ。
 簡素なシャツの肩に、軽くストールをのせて遠くを見ている。
 無視しようにもさりげなく引き返すタイミングは逸していたので、クライスは諦めてそのまま近づいた。

「おはよう」

 声が重なる。
 これ以上気まずいのは御免だと互いに思った結果、呼吸がぴたりと合ってしまったらしい。
 それが結局、どうしようもなく気まずい。
 並んでいるというには微妙な距離を置いて、顔を合わせぬように眼下に広がる草地や木々を視界におさめつつ手すりにもたれかかって朝陽を待つ。

「お前……、喉どうかした?」

 冷たい風に髪をなぶられ、目を細めながらクロノスが顔を向けてきた。

「飲んだ。そのせいかも」

 話してみて、たしかに話しづらいと気付く。何度か小さく咳払いをしてから、首を覆っている立襟を、苦しくもないのに指先で摘まんでみる。
 その動作の間、遠慮のない視線を感じた。

「なんで見てんの」
「いや。昨日はバタバタしていたから。レティシアの件は今日この後関係者を集めて話し合う。ルーナは無事か?」
「僕の部屋で寝ているよ」

 掠れた声で言ってから、クライスはクロノスを見た。
 うまく笑えないまま、問い返す。

「ロイドさんは」

 クロノスは目にかかった髪をくしゃっとかきあげてから、口を開いた。

「俺の部屋で寝ている」

 表情を作り損ねて、真顔で見つめ合ってしまう。
 先に強張った笑みを浮かべるのに成功したのはクライスだった。

「何してんだろうね、僕たち。こんなところで話している場合じゃないよね」

 対するクロノスは、ぼさっとした表情で見返してきた。

「そうか? 俺はお前が視界にいるとやっぱり嬉しいよ。朝から会えて良かったなって」
「えっと、大丈夫? 何言ってんの?」
「本心」

 もう少し配慮の上、包み隠してほしい。
 クライスは片手で目元を覆うと、小さく呻いた。

「ロイドさんのところに戻りなよ。目が覚めたときに隣にいないと、焦るよきっと」
「ルーナを置いてきたくせに」

 それを言われると。
 言い訳も思いつかずに視線を逸らしたところで、小さなくしゃみが出た。
 クロノスは素早く肩に巻き付けていたストールを外して大股に歩み寄り、クライスの肩に乗せる。

「借りるわけには」

 体温が残る布から頬に伝わるぬくもりはどこか生々しい。はぎ取ろうと手で掴んだら、清涼感のある香りが微かに立ち上った。まるで間近で肌を寄せているかのような感覚だった。
 ひときわ強い風が吹いて、背中を手すりに預けて空を仰いだクロノスの黒髪を乱した。
 ストールを外してしまったせいでさらされた首筋が、いかにも寒そうにも見える。

「返さなくていい。適当に処分しろ」
「うーん……」

 王族の給料はどこから出ていると思ってるのと言ってやろうか考えて、結局何も言えなかった。
 喉の奥に重い何かがあって、うまく言葉が話せない。
 それでいて、自分からさっさとこの場を立ち去ることが出来ないのだった。
 せめてクロノスがいなくなってくれたらとは思うのだが、そんな気配はない。

(偶然だし、何も悪いことなんかしていないのに。逢引しているみたいなこの罪悪感は何?)

 吹きさらしの渡り廊下には、物見の塔からきちんと見張りが目を光らせている。
 王宮の警備にあたるクライスはそのことをよく知っていたし、クロノスだって知っているはず。
 今この瞬間にも人から見られているのだ。不測の事態など起きるはずもない。
 これ以上クロノスと距離を詰めることもない。
 そのことに安堵する反面、妙な胸騒ぎも覚えている。

「昨日は忙しかったね。僕は最後には酔いつぶれて寝ちゃったんだけど。イカロス様の件は解決しているんだよね?」
「アレクスが終わらせている。その後の襲撃の件は、襲撃者が逃亡中。今日も一日対策で忙しい。しかしお前が酔うのは珍しいな。何か、酒の勢いが必要なことでも?」
「カインと話す為にね。少しこじれて。長引かせたくなくてさ」

 掠れた声でつっかえながら言うと、思いがけず穏やかなまなざしを向けられていたことに気付いた。

「友だちに戻れそう?」

 艶めいた声に優しく問いかけられて、クライスは首もとのストールをぎゅっと握りしめる。

「……わからない」

 正直なところを言うしかなかった。
 本当はもっと話したいことがたくさんあった。
 自分がどれだけルーク・シルヴァのことが好きなのか。昨日、カインに滔々と語って聞かせたように、クロノスにも言いたかった。
 認めて欲しかった。
 好きでいいよ、と。

(許して欲しいんだろうな)

 前世の出来事を、何一つ思い出せず、すべて忘れてしまったことを。
 自分は片田舎で双子の片割れとして生まれ、弟の死のタイミングで入れ替わり、騎士となるべく生きて来た。
 前世とはなんの関係もない人生を歩んでいて、前世には出会わなかった人に出会い、好きになった。
 そのことを、どうか許して欲しいと――。

(前世で僕はルーク・シルヴァに会ったことはないんだよな……? 「見たことはある。話したことはない」と言っていた……よな。知り合いじゃなさそうだけど、知っている感じではあった……)

「今でもずっと不思議なんだ。なんでルーク・シルヴァは僕と一緒にいてくれるのかなって。僕はあのひとのことが好きだけど、あのひとが僕の何を気に入ってくれているのかはいまいちわかっていなくて」
「参考までに俺がお前のどこを好きか聞くか?」
「前世。ルミナス。覚えてなくてごめんね。だけど今は聞きたい気分じゃない」
「小一時間語れるのに」
「聞いてもどうにもできない。僕にとってそのひとは知らないひとだから」

 クライスは朝焼けの空に目を向けた。
 精一杯そっけなく言ったのに、クロノスはくすくすと笑いながら腰高の手すりに正面からもたれかかると、肘をついて遠くを見る。その横顔は屈託なく、少年のような爽やかさすら漂っていた。

(嫌な奴でいてくれたら、楽だったのに。僕が覚えていないことをクロノス王子だけ覚えていて、大切にしている。そのことに僕は報いるころができない。ものすごく後味が悪い……)

 出会い方が違っていたら、友達として好きになっていたと思う。
 その幸せを当然のように願っていたはず。
 だがクロノスの願いはおそらく「友達」じゃない。そしてクライスはそれを、受け入れることができない。
 せめて他に幸せを見つけて欲しいと願うばかりなのだが、気安く「ロイドさんとどうだった?」と聞ける図太さはない。
 どうにかなっていたとしても、それがクロノスの幸せにつながっているのかは未知数すぎて。

「あの……さ」
「どうした」

 思い切って声をかけて注意を引くと、背伸びして肩にストールをのせた。

「返す!! で、僕は少し走りこんでくる!! 早朝稽古している人探して打ち込んでくる!!」
「おお……。さすがだな」
「考えすぎて頭痛いから、身体動かしたいんだよね!!」

 宣言して、クライスはくるりと背を向けた。

「いやそれたぶん二日酔いじゃないのか? 動くともっとひどいことになるぞって。聞いてないなあいつ」

 走り出した背中に届かぬ忠告をしつつ、クロノスはほんのりと笑みを浮かべた。
 少年のような少女のような、前世のルミナスよりは一回り小柄な背中。
 はずむ赤毛を見つめてから、クロノスは指を組み合わせて頭上に腕を突き上げ、軽く伸びをする。
 その拍子にすべりおちたストールを素早く空で受け止めて「さてと」と小さく呟いた。

「あいつがいないうちに、ルーナと話でもつけてくるか」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

モブ転生とはこんなもの

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。 乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。 今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。 いったいどうしたらいいのかしら……。 現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。 どうぞよろしくお願いいたします。 他サイトでも公開しています。

うちの冷蔵庫がダンジョンになった

空志戸レミ
ファンタジー
一二三大賞3:コミカライズ賞受賞 ある日の事、突然世界中にモンスターの跋扈するダンジョンが現れたことで人々は戦慄。 そんななかしがないサラリーマンの住むアパートに置かれた古びた2ドア冷蔵庫もまた、なぜかダンジョンと繋がってしまう。部屋の借主である男は酷く困惑しつつもその魔性に惹かれ、このひとりしか知らないダンジョンの攻略に乗り出すのだった…。

転生幼女は幸せを得る。

泡沫 呉羽
ファンタジー
私は死んだはずだった。だけど何故か赤ちゃんに!? 今度こそ、幸せになろうと誓ったはずなのに、求められてたのは魔法の素質がある跡取りの男の子だった。私は4歳で家を出され、森に捨てられた!?幸せなんてきっと無いんだ。そんな私に幸せをくれたのは王太子だった−−

気づいたら美少女ゲーの悪役令息に転生していたのでサブヒロインを救うのに人生を賭けることにした

高坂ナツキ
ファンタジー
衝撃を受けた途端、俺は美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生していた!? これは、自分が制作にかかわっていた美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生した主人公が、報われないサブヒロインを救うために人生を賭ける話。 日常あり、恋愛あり、ダンジョンあり、戦闘あり、料理ありの何でもありの話となっています。

愛し子

水姫
ファンタジー
アリスティア王国のアレル公爵家にはリリアという公爵令嬢がいた。 彼女は神様の愛し子であった。 彼女が12歳を迎えたとき物語が動き出す。 初めて書きます。お手柔らかにお願いします。 アドバイスや、感想を貰えると嬉しいです。 沢山の方に読んで頂けて嬉しく思います。 感謝の気持ちを込めまして番外編を検討しています。 皆様のリクエストお待ちしております。

 社畜のおじさん過労で死に、異世界でダンジョンマスターと なり自由に行動し、それを脅かす人間には容赦しません。

本条蒼依
ファンタジー
 山本優(やまもとまさる)45歳はブラック企業に勤め、 残業、休日出勤は当たり前で、連続出勤30日目にして 遂に過労死をしてしまい、女神に異世界転移をはたす。  そして、あまりな強大な力を得て、貴族達にその身柄を 拘束させられ、地球のように束縛をされそうになり、 町から逃げ出すところから始まる。

老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜

二階堂吉乃
ファンタジー
 瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。  白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。  後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。  人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話7話。

処理中です...