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第八章 国難は些事です(後編)
長い一日でした(後)
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カインが出ていき、足音が遠のく。
少しずつしゃくりあげる声をおさえていたクライスは、眠そうな目に光を取り戻して言った。
「カインの居心地が悪くなるようにいかがわしい空気にしてくれたんだろうけど、ルーナは子どもだ。こういうの、あんまり良くないよね」
謝罪から続いた内容がうまく理解できずに、ルーナは髪を撫でていた手を止めた。
「いかがわしい空気」
「関わりたくない感じ? 目の前でイチャイチャされると『よそでやってくれ』って気分になるじゃない?」
「どちらかといえばあの男、『まぜてくれ』って感じに見えたが」
しん、と場が静まり返った。
やがて、クライスがため息まじりに言った。
「僕は今まで、すごく気を付けてきたんだ。街で誰かと飲んだりするときも、絶対にお酒注いだり料理切り分けたりしないの。僕は見た目強そうじゃないから、そういう『サポートする』役割を始めると抜けられないなとわかっていた。近衛の中には、弱みを見せれば『オレがお前を守ってやるから、お前はオレに尽くせ』って自動的に思い込んじゃう奴もいるんだよ。『女役』っていうのかな」
話しながら自分でも落ち着こうとしているらしく、少しずつ呼吸が整えている。
一方で、気持ちはどんどん沈んでいるように見えた。
「男だらけの中で女だってバレるのはまずいのはわかっていたけど。みんなのことを仲間だとは思っていたけど、隙を見せないようにずっと気を付けて気を付けて生きてきた。だけど結局、いろんなものが壊れちゃった。カインとの仲も」
「壊れたのか?」
「うん。女だって聞いた途端に、カインは『だったら遠慮はしない』って。別にカインの為に打ち明けたわけじゃないのに。だからいま、自棄酒に付き合わせた。僕には好きなひとがいて、それはお前じゃないんだって。お酒の力を借りてでもしっかり伝えたくて」
だんだんと声が小さくなるクライスに対し、ルーナは軽く吐息して頭を抱き寄せる。
「『お前はどう頑張っても友達なんだよ』と思い知らせてやったんだろ。いや、『友達に据え置いてやるから、男女になろうとしたことはお互い忘れよう』か? 自棄酒なんて、今まで仲間にも見せなかった仲間らしい一面を見せて」
「そう。こんなに飲んだの初めてだけど、僕、意外とお酒強いのかな?」
顔を上げて下からルーナをのぞきこみ、へろっと笑ったクライスの顔には疲労が滲んでいる。
ルーナは額に口づけを落としてから、背中に手をすべらせて軽くさすった。
「とりあえず寝台に横になれ。いい加減、寝た方がいい」
「うん」
立ち上がったクライスは、覚束ない足取りで寝台に向かう。ルーナは横で支え、靴を脱ぐのを見守り、ふらつく身体に覆いかぶさるように寝台に押し倒した。
すでに目を閉じていたクライスは、小さな声で言った。
「今度は朝まで一緒にいてほしいんだ」
「側にいる」
「約束してね。起きたらいないのは勘弁して。ものすごく眠い。今日、僕が寝ている間にルーク・シルヴァとレティシアが入れ替わった件、明日アレクス王子を交えて話すよね? 明日になったら……、寝て起きて頭がすっきりしたら全部話して。知りたい」
「約束する」
緩慢な仕草で腕を伸ばしてきたクライスに、ルーナは不意にぎゅっと抱きしめられてしまった。その感触に戸惑っている間に、気が付くとくるりとひっくり返されていて、位置が逆転していた。
ルーナのほっそりとした身体の上に乗り上げたクライスは、重そうな瞼をなんとかこじ開けて、うっすらと笑みを浮かべる。
「信用してないから。寝ているうちに逃げないようにおさえつけないと。今日は君が僕の下で寝てよ」
「いいぜ」
全体重をかけられているようだが、息苦しいというほどではない。どうしても重く感じるようになったら、寝入ってから抜け出せばいい。
ぼんやりと考えているルーナの頬を、クライスの五指がかすめていき、撫でながら包み込まれてしまった。
「ルーナで良かった。これだけ華奢なら僕の力でもなんとかなりそう。抵抗しないでね」
「ん……?」
「と、思ったけど。ルーナ子どもだからこういうのはだめだった。おやすみ」
唐突に。
酔いが抜けたようなしっかりした口調で言われ、「子ども?」と反論する間もなく健やかな寝息が耳に届いた。
もう指先までぴくりとも動かない、力の抜けきった身体が上にあるだけだ。
「寝てる」
べつに。
前後不覚な酔っ払いに手を出す気などまったくなかったとはいえ、まさか手を出されたあげくに中途半端なところで投げ出されるとは考えてもいなかった。
くー。
ぷすー。
安らかな吐息。
鼻先をくすぐる髪からはせっけんの匂い。
引き締まっていながらふんわりと柔らかな温かな身体。
(子どもだから……)
さすが護衛を仕事とする人間は「弱きもの」への扱いが徹底しているなと感心と呆れがないまぜに、諦めて頭を撫ぜ、髪を指で梳いた。
愚痴を言っていた。
愚痴というより、カイン本人を相手にしていたので、文句といえるかもしれない。
言いたいことを酒の力に任せてぶちまけた――と、カインは受け取ったかもしれないが。
「お前、結局クロノスのことは、一切言わなかったよな」
言わなかったのか、言えなかったのか。
どちらにせよ、クライスの中でそれがどうでもいいことであるはずがないのは、ひしひしと感じている。
むしろ、口にも出せないほど重い何かであることを。
もはや限界だったのだろう、起きる気配は微塵もないクライスの様子に、ルーナも目を閉ざしてしばしの眠りについた。
少しずつしゃくりあげる声をおさえていたクライスは、眠そうな目に光を取り戻して言った。
「カインの居心地が悪くなるようにいかがわしい空気にしてくれたんだろうけど、ルーナは子どもだ。こういうの、あんまり良くないよね」
謝罪から続いた内容がうまく理解できずに、ルーナは髪を撫でていた手を止めた。
「いかがわしい空気」
「関わりたくない感じ? 目の前でイチャイチャされると『よそでやってくれ』って気分になるじゃない?」
「どちらかといえばあの男、『まぜてくれ』って感じに見えたが」
しん、と場が静まり返った。
やがて、クライスがため息まじりに言った。
「僕は今まで、すごく気を付けてきたんだ。街で誰かと飲んだりするときも、絶対にお酒注いだり料理切り分けたりしないの。僕は見た目強そうじゃないから、そういう『サポートする』役割を始めると抜けられないなとわかっていた。近衛の中には、弱みを見せれば『オレがお前を守ってやるから、お前はオレに尽くせ』って自動的に思い込んじゃう奴もいるんだよ。『女役』っていうのかな」
話しながら自分でも落ち着こうとしているらしく、少しずつ呼吸が整えている。
一方で、気持ちはどんどん沈んでいるように見えた。
「男だらけの中で女だってバレるのはまずいのはわかっていたけど。みんなのことを仲間だとは思っていたけど、隙を見せないようにずっと気を付けて気を付けて生きてきた。だけど結局、いろんなものが壊れちゃった。カインとの仲も」
「壊れたのか?」
「うん。女だって聞いた途端に、カインは『だったら遠慮はしない』って。別にカインの為に打ち明けたわけじゃないのに。だからいま、自棄酒に付き合わせた。僕には好きなひとがいて、それはお前じゃないんだって。お酒の力を借りてでもしっかり伝えたくて」
だんだんと声が小さくなるクライスに対し、ルーナは軽く吐息して頭を抱き寄せる。
「『お前はどう頑張っても友達なんだよ』と思い知らせてやったんだろ。いや、『友達に据え置いてやるから、男女になろうとしたことはお互い忘れよう』か? 自棄酒なんて、今まで仲間にも見せなかった仲間らしい一面を見せて」
「そう。こんなに飲んだの初めてだけど、僕、意外とお酒強いのかな?」
顔を上げて下からルーナをのぞきこみ、へろっと笑ったクライスの顔には疲労が滲んでいる。
ルーナは額に口づけを落としてから、背中に手をすべらせて軽くさすった。
「とりあえず寝台に横になれ。いい加減、寝た方がいい」
「うん」
立ち上がったクライスは、覚束ない足取りで寝台に向かう。ルーナは横で支え、靴を脱ぐのを見守り、ふらつく身体に覆いかぶさるように寝台に押し倒した。
すでに目を閉じていたクライスは、小さな声で言った。
「今度は朝まで一緒にいてほしいんだ」
「側にいる」
「約束してね。起きたらいないのは勘弁して。ものすごく眠い。今日、僕が寝ている間にルーク・シルヴァとレティシアが入れ替わった件、明日アレクス王子を交えて話すよね? 明日になったら……、寝て起きて頭がすっきりしたら全部話して。知りたい」
「約束する」
緩慢な仕草で腕を伸ばしてきたクライスに、ルーナは不意にぎゅっと抱きしめられてしまった。その感触に戸惑っている間に、気が付くとくるりとひっくり返されていて、位置が逆転していた。
ルーナのほっそりとした身体の上に乗り上げたクライスは、重そうな瞼をなんとかこじ開けて、うっすらと笑みを浮かべる。
「信用してないから。寝ているうちに逃げないようにおさえつけないと。今日は君が僕の下で寝てよ」
「いいぜ」
全体重をかけられているようだが、息苦しいというほどではない。どうしても重く感じるようになったら、寝入ってから抜け出せばいい。
ぼんやりと考えているルーナの頬を、クライスの五指がかすめていき、撫でながら包み込まれてしまった。
「ルーナで良かった。これだけ華奢なら僕の力でもなんとかなりそう。抵抗しないでね」
「ん……?」
「と、思ったけど。ルーナ子どもだからこういうのはだめだった。おやすみ」
唐突に。
酔いが抜けたようなしっかりした口調で言われ、「子ども?」と反論する間もなく健やかな寝息が耳に届いた。
もう指先までぴくりとも動かない、力の抜けきった身体が上にあるだけだ。
「寝てる」
べつに。
前後不覚な酔っ払いに手を出す気などまったくなかったとはいえ、まさか手を出されたあげくに中途半端なところで投げ出されるとは考えてもいなかった。
くー。
ぷすー。
安らかな吐息。
鼻先をくすぐる髪からはせっけんの匂い。
引き締まっていながらふんわりと柔らかな温かな身体。
(子どもだから……)
さすが護衛を仕事とする人間は「弱きもの」への扱いが徹底しているなと感心と呆れがないまぜに、諦めて頭を撫ぜ、髪を指で梳いた。
愚痴を言っていた。
愚痴というより、カイン本人を相手にしていたので、文句といえるかもしれない。
言いたいことを酒の力に任せてぶちまけた――と、カインは受け取ったかもしれないが。
「お前、結局クロノスのことは、一切言わなかったよな」
言わなかったのか、言えなかったのか。
どちらにせよ、クライスの中でそれがどうでもいいことであるはずがないのは、ひしひしと感じている。
むしろ、口にも出せないほど重い何かであることを。
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