こじらせ騎士と王子と灰色の魔導士

有沢真尋

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第八章 国難は些事です(後編)

悲鳴

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 目が覚めてしまった。

(いない、か)

 寝台の上に投げ出されていた手は何も掴んでおらず、起き上がって見ても室内に人の気配がない。
 寝ている間ずっと側にいて欲しいなんて望み過ぎだし、何かしら用を足しに出ているのであろうとは思うが、胸に寂寥感がこみあげてきそうで慌てて首を振る。

「たぶん、僕が予定より早く目を覚ましたのかな」

 よほど深い眠りについていたのか、身体は軽くなっている。その点だけ見れば時間は経過しているような気はするのだが。
 掛け布を握りしめ、座ったままではやや高いところにある窓を見上げる。

(光が変わらなすぎる。ほとんど時間が過ぎていないのか?)

 胸騒ぎがする。
 魔法で眠りにつかせて、どこかへ行ったらしい灰色魔導士。
 もし何もなければ、自分はもっと後に目覚めて、彼はそのときそばにいるつもりだったんじゃないだろうか。
 考えたときにはすでに足を下ろし、揃えて置いてあったブーツを履きながら、ベッドサイドに置いてあった剣を目で確認している。
 立ち上がるときには片手で掴んで、ほとんど前のめりに、部屋を大股に横切った。

 ドォォン

 遠くで、何か大きな音がした。
 軽い振動が身体に伝わる。
 その瞬間、クライスはバタンとドアを開け放った。
 廊下に踏み出して一瞬立ち止まって耳を澄ます。

(どこ……? 何が起きている? イカロス王子の件? それとも)

 ゆら、っと地が揺れた。
 水色の瞳を見開いて、クライスは石造りの天井を睨みつける。そして、走り出す。

(誰かに呼ばれた。誰だろう。わからない。でも僕を呼んでいる)

「行かないと……!」

 * * *

 身体能力の差で、遅れをとった。
 クロノスが自室に飛び込んだときには、シグルドが寝台の上に張り巡らせた結界を拳でぶち破ろうとしていたところだった。

「物理……ッ」

 違う。魔力を拳に結集させて結界に直接ぶつけているのだ。
 だが、筋骨隆々とした男が殴打している様は空恐ろしい力技を思わせた。
 その荒々しさによって、強固に編み上げたはずの防御が貫かれる無力さを、突きつけられる。
 クロノスは、散々ひびを入れられた結界が、叩き壊される最後の一撃を目にすることになった。

 虹色の光がキラキラと粉のように舞い散り、寝台に横たわっていたロイドがぱちりと目を開ける。

 わずかに顔を傾けて、自分を覗き込んでいるシグルドを視認した。
 その仕草を見た瞬間、クロノスは叫んでいた。

「ロイドさん、俺はここだ!!」

 シグルドの伸ばした手を間一髪でかわして、ロイドが寝台の反対側へと転がり落ちる。
 その場でしゃがみこんだまま体勢を立て直し、自分に迫ってきていたシグルドを寝台越しに見上げた。

「誰だ!?」
「私だ私、レティシアだ。迎えに来たんだ、ロイド」

 シグルドは、胸をしめつけるほど甘い笑みを浮かべて、ロイドに手を差し伸べる。
 クロノスはその様を見ながら、胸の前に指を上に向けて左手を立てた。口の中で呪文を唱え続けながら、右手で空に術式を書いていく。

「どういうこと?」

 全身に緊張を漲らせ、ロイドが恐々とクロノスを振り返る。
 構わず、シグルドが腕を伸ばす。
 その指先が掠る前にロイドは立ち上がって身を引いた。

「私だと言っているだろう。ロイド、私と来い。逆らうな」
「何言ってる。『それ』は誰なんだ? レティシア、誰の身体の中にいる?」

 寝台を回り込むのが面倒だったのか、シグルドは靴のまま寝台に乗り上げてロイドに迫る。

「『これ』は若い同族だ。お前ほど顔が広くてもわからないのか?」
「……身体的特徴……、その年代の男性型を取りそうな同族といえば、シグルドか? どうして『そう』なっている?」
「ああ、さすがだ。わかったのか。そうだ、シグルドと名乗っていた。今は私の支配下にある。身体を借り受けるにあたり、いくつか約束をした。果たさせてくれ」

 胸焼けを起こしそうなほどの、爛れた甘さを匂わせて、シグルドは歩を進めて手を伸ばす。
 ロイドは目を逸らさぬまま、一歩、二歩と後退した。

「何を果たすと」
「お前を与えると約束した。逃がす気はない。あまり手こずらせるな。従え」
「オレを与えるってなんだよ……!?」
 
 シグルドが、ふっと息をもらした。
 あまりにも美しく、残忍な美貌を際立たせる笑みを浮かべて、寝台から降り立つ。

「お前、発情期なんだろ?  孕ませてやる」

 膝から力が抜けたように、ロイドはバランスを崩した。

「いやだ、来るな!」
「人間との間には子どもはできにくい。同族を相手にした方がいいだろう」

 ロイドは前を見たまま、後退する。
 シグルドを睨みつけながら震える声で言った。

「来るなって言ってるだろ!!」

 手が、胸元の合わせ目をおさえる。身体を値踏みされる感覚にはっきりと恐怖を顔に張り付けて。
 聞き分けの悪い子どもを前にしているかのように、シグルドは軽く眉をひそめた。

「お前は誰より一族の未来を考えていると思っていた。その身を捧げろよ。次代に繋げたいだろ」

 ロイドの見開かれた瞳が揺れて、潤む。

「……いやだ……怖いよお前」

 唇から掠れた声がもれる。
 怯え切ったまなざしで、すがるように視線をさまよわせた。

 視線の先にいたのはクロノスで、折しも立てていた左手をシグルドに向けたところであった。
 その手から、爆発的に魔力が噴き出し、一条の光の矢となってシグルドに襲い掛かる。
 咄嗟に、シグルドは矢を掴もうとするように手を伸ばす。
 だが矢は胸に吸い込まれて行き、そこを起点として八方向に光のヒビを走らせた。

「魔導士……っ!!」

 歪んだ形相でシグルドが叫ぶ。
 完全に注意が逸れたところで、ロイドが走り出した。

「だめだ。行かせない」

 ゴボっ、と口から血を吐き出しながら、シグルドは床を蹴ってロイドの元へと飛び込んだ。
 逃れようとした細い身体に手を伸ばすと、腰を抱えるように片腕で抱く。

「いやだってば!! ……あっ」

 骨がきしむほどの力を加えられ、ロイドが呻き声を上げた。
 空いた手の甲で唇から滴る血をぬぐったシグルドは、汚れを拭ききれぬままにいっと笑った。 

「強烈。すごい雌の匂い……こっちの頭までおかしくなりそうだ。まあ、安心しろ。他の男に手は出させない」
「何言ってんだよ、放せよ!! 他のも何もお前が嫌なんだってば!!」

 シグルドはシグルドで、胸を焦がされて煙と肉の焼けた匂いを立ち上らせていたが、ロイドに拳を叩き込まれても笑みを崩さない。
 暴れるロイドを抱え直して、口の端を吊り上げた。

「確実に孕むまでたっぷりと可愛がってやる。お前、滅茶苦茶泣かせたい顔してるよな」

 言うなり、ロイドの足を床につけ、背後から拘束するように両腕で抱きしめる。
 片手で揺れる胸を鷲掴むと、身体がぐいっと持ち上がって踵が床を離れ、つま先立ちになった。

「やだ、怖い、やだって!!」

 ロイドの悲鳴が響き渡り、耐え切れなかったクロノスが走りこんで引きはがそうとするが、身体をひねったシグルドに回し蹴りをあてられ、勢いを転がしきれずに床に倒れこんだ。 

(相当ダメージ与えてるはずなのに動いてやがるし、ロイドさんを盾にしてるようなものだから、下手な魔法は撃てないし……!!)

 そもそも接近戦はクロノスの得意とするところではない。
 誰かが前衛としてシグルドの注意をひいたり、ロイドを奪還してくれればまだやりようがあるというのに。
 倒れたクロノスが態勢を整える間にも、シグルドはロイドの身体をまさぐる手を止めない。

「ふざんけなっ」

 濡れた悲鳴がとぎれとぎれにあがる。
 冷静な態度を崩さぬように見えたロイドであるが、追い詰められて魔法を撃つのもままならぬようだ。
 一方、無体を働いているシグルドが、まったく警戒を緩めていないのは明らかで、クロノスは手を出すに出せない。
 絶望的な心境でロイドの悲鳴を聞きながら、空に術式を描く。すぐに攻撃に転じられるよう、魔力を集中させる。

(誰でもいいから来いよ……!)

 一瞬でもいいから、あいつの気を逸らしてくれ、と切に願う。
 その時、戸口に誰かが立った。

「呼ばれて来てみれば、そこの男。何をしている? 嫌がっているように見えるんだが」

 実直すぎて間抜けにすら思える声を聞き、クロノスは組み立てる魔法を決める。
 さらりとした黒髪をなびかせて剣を抜いて立つのはアレクス。
 その背後から顔をのぞかせ、「えええ、ちょっとロイド大丈夫!?」とアゼルが声を上げる。

(これで戦術の幅が広がる!)

 ……あの二人とうまく連携できれば。
 いや、できるできる。
 自分に言い聞かせて、クロノスは次なる魔法に集中しようとした。

 いいようにやられている場合ではない。
 これより反撃を開始する、と。
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