こじらせ騎士と王子と灰色の魔導士

有沢真尋

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第八章 国難は些事です(後編)

歩く厄介

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 何も考えずに剣のことだけ考えていた頃は楽だった。
 圧倒的に恐れ知らずだった。

 自分が変わり始めたのはいつからだっただろう。
 灰色魔導士の姿を目で追うようになった頃からか。

(どんな人かもわからない時から、いつか話してみたいと思っていた。どこかにいないか、いつも探していた。すれ違うだけで一日の終わりに幸せをかみしめていた)

 長いこと思いつめて、ようやく友達になった。
 第一王子のアレクスから婚約の話がきて……、助けを求めてしまった。
 どさくさに紛れて、そのまま恋人になれたらいいなという肚積もりは完全に読まれていたけれど。
 そのうち、なんだか訳ありらしいとか、どこかの王族らしいなんて話も出て来て落ち着かない。

(普通の人じゃないとは覚悟していたけど)

 正直、不安定な関係に疲れてきていたのだと思う。
 どれだけあの人が好きなんだと言っても、誰からも軽く見られて本気にされていない空気。
 次の関係に進んだら。
 はっきりとあの人のものになったら、周りはもう黙ってくれるだろうか。
 自分はもっと強くなれるのだろうか。
 修行中と言って二の足を踏んでいるうちに、何かが手遅れになったら、悔やんでも悔やみきれない。

 ――たとえ過去の自分ルミナスが誰を選んだのだとしても。現在の自分が好きな相手はただ一人。

 次に目を覚ましたら、出来るだけそばにいて欲しい。
 リュート。ルーク・シルヴァ。
 銀色の魔導士。

 ほんのりと笑みを浮かべて、赤毛の剣士は眠り続けていた。
 目覚めたら隣に大好きなひとがいることを疑いもせず。

 * * *

 正面から見慣れた相手が歩いて来る。その名を「厄介事」という。
 
(勘弁してくれ。今か。このタイミングで何を考えているんだ……)

 四方向から交わる人の多い王宮の廊下で、すれ違う者が、足を止めてあ然として見ていた。
 生きて動いて存在しているだけで奇跡のような美貌。
 白銀の髪に透き通るような白い肌。爪の先に至るまで完璧な造作。そこだけ違う風が吹いている。
 クロノスは足早に歩み寄る。ちょうど交差する廊下の中心で向き合うことになった。

「レティシア。どうしてあなたがフラフラ歩いているんです」
「足があるから。翼があればわざわざ歩かない」

 軽く肩をすくめて、微笑みながら言う。彼女なりの冗談なのかもしれない。
 女官のような簡素な生成りのドレスを身にまとい、細い腰にベルトをしめ、サンダルをつっかけただけの恰好だというのに、空恐ろしいまでの存在感。

「その辺で声をかけて、クロノス殿下に服も与えられずに締め出されたと言ったら、すぐに着る物を用意してくれた。王子にすぐに連絡を、とも言われたけど断った。赤毛の美女と取り込み中だろうからと」

 渋面のクロノスに対し、レティシアは一歩踏み込んで距離を詰める。
 鼻先がぶつかりそうなほど胸元に潜り込んで、瞳にいたずらっぽい光を浮かべて言った。

「処女だっただろ。楽しめたか? ロイドは虐めがいがありそうだ」
「たとえあの人とあなたの関係がどうであれ、それを俺が話題にするとは思わないでください」

 レティシアは笑みを深めて、残念、と明るく呟いてから顔を背けて歩き出す。
 クロノスが向かおうと思っていた先とは逆方向だが、その確信に満ちた背中は、追いかけてくるのを疑っているようには見えなかった。
 事実、見かけた以上放置はできない。

「レティシア」

 名を呼んでも足を止めない。
 大股に歩み寄って、肩を並べた。
 横顔に目を向けると、わずかに視線を流してきたので、一息に言った。

「ルーク・シルヴァをどこへやった」
「姿が変わっても、俺は俺だよ。中身は『おっかないお兄さん』だ」

 ごく軽い調子で、楽し気に返されるが、クロノスはきっぱりと否定した。

「別人だ。ルーク・シルヴァとルーナはぶれない。あなたはそうじゃない。異質だ。完全に別人とは思わないが、違う存在が重なって見える。おそらくルーク・シルヴァとは違う意思を持っている」

 面白そうに笑みを浮かべて聞いていたレティシアは「なるほど」と呟いた。

「概ね間違いではない。私が表に出て来るために、ルーク・シルヴァは沈めている。しばらくこの体を返すつもりはない」
「何をするつもりだ」
「知りたいか」
「知・り・た・い」

 望み通りに振舞ってあげたというのに、やや機嫌を傾けたようにレティシアは片眉をぴくりと跳ね上げた。

「ルーク・シルヴァがあの赤毛のチビを抱くと言って、チビも了承していた。面白くない。邪魔をすることにした」
「小姑根性丸出しですね」

 レティシアの瞳に、苛立ちの炎が走る。

「お前こそいいのか。あのチビが好きなんだろ。それとも、ロイドを吐け口にして満足したのか」
「いい加減にしろ。ロイドさんだって、好きであんな状態になったわけじゃないはずだ。俺に対応を任せた以上、詮索は拒否します」

 ムッとした表情でクロノスを睨みつけていたレティシアであったが、小さく息を吐き出して、歩き出す。

「べつにそこまで興味は無い。ロイドが気持ちよくて幸せならそれでいいよ。ロイドの子どもを抱っこできるかと思うと楽しみだなー」

 わずかに後ろを歩いていたクロノスは、輝きを放つ白銀の髪をじっと見つめた。

(そういえばロイドさん何か言ってなかったか。この二人は兄妹で恋人だった……? だけど、こんな風に一つの身体を共有もしくは奪い合っている状態なら、触れ合うことすらできない……)

 レティシアにはルーク・シルヴァの記憶がありそうだが、ルーク・シルヴァはその限りではない。
 だとすれば、このひとは触れ合うことはおろか、気持ちを伝えることもできないのではないか。
 もう少し話してみるべきかと、口を開きかける。
 その時、耳が何か騒ぎを拾った。 
 バタバタと進行方向から走って来る者がいる。近衛隊士の一人。近づいてきてレティシアを見ると顔を強張らせていたものの、その後ろにクロノスがいることに気付きハッと息を呑む。

「殿下! 急ぎお伝えしたいことが」
「話せ」

 イカロスが国王夫妻を閉じ込め、アレクスがそれを説得しに行っている。報告は、クロノスが受ける場面であった。

「表門から『魔王』を名乗る男が。誰でもいいから話ができる相手を探していると……!」

 クロノスが、ちらりとレティシアに目を向ける。

「あなたがどこかに行こうとしたのは、これですか?」
「さて『魔王』ときたか。イカロスも騙っていたし、流行りかな」

 考えている口調であったが、ひとまずクロノスは近衛隊士に顔を向けた。

「武力行使でもされたか?」
「はい。それが、衛兵の誰もがまったく敵わず……」
「わかった。行く」

 皆まで言わせずに、クロノスは駆けだす。レティシアも続く。
 いくらもしないうちに、前方に青いマントを身体にまとわりつかせた、長身で金髪の男が見えて来た。
 遠巻きに衛兵に囲まれても、場違いなほどに明るく爽やかな笑みを浮かべている。
 人懐っこそうで甘やかな顔はよく日焼けしており、白い歯がきらりと輝くのが見えた。

「出た。人外美貌だ。先に聞いておきますけど、あなたがたの『同族』ですか」
「かもな

 レティシアの曖昧な返答を聞いてから、クロノスはその場で声を張り上げた。

「全員ひけ! 無駄な怪我人を出すな!」
 
 一拍間に合わなかった。
 男が腕を振り上げた拍子に、周囲にいた者たちが突風をあてられたように吹き飛んだ。
 そこに、クロノスは大股で近づく。

「誰?」

 男からは能天気までに明るい声で問われた。
 近くで見ると、その顔立ちが、粗削りながらも極めて整った造作であることがわかる。

(間違いなく、彼らの同族だな)

「第二王子のクロノスだ。今はこの王宮を預かっている。話があるなら聞こう」

 それとなくレティシアを背後にかばいつつ進み出ると、男の真っ青な瞳はクロノスだけに向けられた。
 興味深そうに細められる。
 男はクロノスと身長こそさほど変わらぬものの、とにかく肩が広く身体に厚みがある。鍛え抜かれた筋肉が服の下から熱を放つかの如く、圧倒的な存在感だった。
 じっとクロノスを見てから、男は口元に笑みを浮かべた。

「この辺に発情期のメスがいる。あなた知っていそうだ。匂いがうつってる。教えてくれよ、どこに隠した?  ちょうど俺の子どもを生める女が欲しかったところだ」

 クロノスは眉間にぐっと皺を寄せた。
 男から漂うのは、獰猛で危険な色香。あどけないとすら見える笑顔の裏に、牙を隠しているのが容易に想像がつく。
 同族であるレティシアとて、目をつけられたらただでは済まされないだろう。
 そう思った矢先に。
 レティシアが、クロノスの背後から姿をあらわにした。
 男がいぶかし気に目を瞠ったにもかかわらず、やにわに走り出す。男の目の前で飛び上がる。

「何が『魔王』だ、この若造が」

 鋭い一喝とともに、見事な飛び蹴りがその胸の中心を直撃した。

「えぇえ……」

 クロノスの口から間の抜けた声が漏れた。
 レティシアの蹴りは、その細い身体からはおよそ想像がつかないほどの威力があったらしく、男はどうっと重い音を立ててその場に倒れ込んだ。 
 すかさずその身体をまたぐと、胸ぐらを掴んで顔を引き寄せ、拳で頰をしたたかに打つ。返す流れで反対側も打つ。その度に、バキッ、ゴキッと確実に顔が変形しそうな音がしていた。
 何度かそれを繰り返したレティシアは、ふうっと拳に息を吹きかけて立ち上がる。

「雑魚が。近頃はこんなゴミが魔王を名乗っているのか、片腹痛い。魔族も落ちたものだ」

 衛兵に無体を働く侵入者を、純粋に物理攻撃だけで打ち倒してから、悪役感満載の迫力で言い捨てて周囲に鋭い視線を投げかける。

「この国は国防をどれだけ疎かにしているんだ。私一人で簡単に滅ぼせそうだ」

 不敵に目を細めて、笑った。
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