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第七章 国難は些事です(中編)

どこまでも

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 円卓の間において、クロノスは改めてカインから状況の聴取をした。

「カインがイカロスに従っていたのは、王妃の命だったのか。それでイカロスからはあの街で『知人の墓参りがあるから少し時間が欲しい』と言われて、側を一度離れた。王妃からは『イカロスに何か異変があった場合、慌てず騒がずその場で関りを持った者を拘束しなさい』と命が下っていたので、その間に念の為別に動いていた騎士隊と合流し、イカロスのもとへと戻った」

 カインの説明を整理しつつ、クロノスの表情は険しいものとなる。

(王妃と仲悪いんだっけ)

 横で聞いていたロイドはちらりとクロノスに視線を投げてから、周囲を見渡した。

「その後、倒れたイカロスに生者の反応がないのを確認し、その場にいたクライスや俺を拘束して王都へ戻った。その後だが、部屋に運び込まれていたイカロスは何かのきっかけで意識を取り戻した。そして、国王夫妻の寝室に侵入して魔法の結界を張った。イカロスは魔導士だった。これは明確な敵対行動であり、現在、結界の中からこちらにある要求をしてきている」

 カインをはじめとして、近衛隊から五名、宮廷魔導士三名、文官が三名。そこにクライスとルーク・シルヴァを加えただけの、きわめて少人数がその場に集められている。大ごとにしないで速やかに終わらせる、という強い決意の表れにも見えた。

「ある要求ってなんですか。陛下たちは無事なんですか」

 クライスが当然の疑問を口にしたが、クロノスは首を振った。

「お前が知る必要はない。こちらの魔導士たちで結界をぶち壊してイカロスを引きずり出してしまえば、それまでだ」

(殿下、これいざとなったら自分でイカロス王子の息の根止めに行くつもりじゃないかな)

 穏当ではない様子に、ロイドは唾を飲み込む。
 周囲には明かしていないだけで、クロノスの中身はステファノという、かつての大魔導士だ。負けないつもりはあるのだろう。
 ロイドもルーク・シルヴァもいる。
 相手がイカロス一人であればいかようにでも、という心づもりはロイドにもあった。

 その時、会議室のドアが忙しなく叩かれた。
 クロノスが声をかけると、ドア越しにアレクスの帰還が告げられた。軽く事情を耳に入れたので、そのまま向かっている、と。
 会話は途中で「殿下、こちらです」との声にとってかわる。
 ドアが開いて、姿勢の良い黒髪の男が部屋に足を踏み入れた。
 どこかクロノスに通じるものがある、繊細な面差しの青年はロイドにも見覚えがある。伸ばした黒髪に、引き締まった長身。

 そのアレクスの後ろに、ひょこっと軽快な動きの何者かが続いた。
 近衛騎士たちや文官らに微かな違和感が生じる。
 遺憾ながら。誠に遺憾ながら、ロイドも同じ反応になった。ただし、彼らが(誰だ?)(女性?)という空気だったのに対し、より具体的に衝撃を受けていた。

(アゼル、何やってんの? どうして王子と一緒なの?)

 * * *

王宮おうち……)

 アゼル自身、そこに近づくにつれ「もしかして」と危ぶんではいたが、いざたどり着いてアレクスが「殿下」と呼ばれているのを見て猛烈な後悔に襲われていた。 
 同時に、家臣団の戸惑いも感じた。明らかに、アレクスが女連れで朝帰りをしたことに対してひるんでいた。

(女は女ですけど、別にわたしこの人の「女」じゃないんですけどね……!?)

 顔色こそ変えたものの、よく訓練された家臣団はぶしつけに聞いて来ることもないので、アゼルも言い訳のタイミングがない。出来れば言い訳させて欲しいのに、それとなく勘違い・誤解で包囲網が出来上がっていくのをひしひしと実感した。

「イカロス様が……」

 こそこそと耳打ちしてくる文官に軽く頷いて、アレクスは迷いのない足取りで王宮を進んで行く。

「わたしこの場にいていいの……っ?」

 人が離れた隙に、アゼルは足早にアレクスの横に追いついて肩を並べて、小声で尋ねた。
「だめな理由はないね。誰にも咎められてもいないだろ?」
「それは王子様効果でね! 王子だなんて聞いていないんですが」
「言っていないからな。気付いているかとは思ったけど、気付かなかったならそれはそれで。可愛い反応が見られて私も楽しい」

(可愛いって言った。ひとがいいだけ動揺しているのを、可愛いって言った。やっぱり、この人ときどきちょっとおかしいような気がするんですけど……っ)
 
 長い廊下の先、たどり着いた部屋の前で、中にいる誰かに先触れとしてアレクスの到着を告げている者がいた。
 アレクスが声をかけると、待ち構えていたようにドアを開け、通してくれる。

「わたし」
「一緒に」

 逃げようとしたが無駄だった。
 先に中へ入っていったアレクスの後を、アゼルは悩みながらも追いかける。
 円卓のある大きな部屋だったが、人数はさほど多くない。
 さっと視線をすべらせた。なんとなく予想していた顔ぶれを見つけた。

「何か面倒なことになっているらしいな」

 アレクスが声をかけたのは、アゼルもよく知る人物だった。前世的な意味で。
 どう見ても会議の席だが、「朝帰りで遅刻か」と軽口を叩くといった反応はない。
 アゼルが何やら情けない気持ちで顔を見ると、気遣うような視線が向けられていることに気付いた。

(そうだよね~。ここでアレクスを茶化したら、わたしと「何かあった」って囃し立てるようなものだもんね。ステファノはそういうことしないよね……)

 優しいしそこまでガキじゃないもんね、と改めて惚れ直しておく。 
 アレクスが止まらないので、結果的にアゼルもクロノスの側まで近づくことになった。

「皆の手前、俺が聞いておくのが筋だろう。兄上、後ろの女性は?」

 もうすでに懐かしさすら感じる「クロノス」の声。
 アレクスは落ち着き払った動作でクロノスの隣の空いた椅子に手をかけ、腰を下ろす。
 おっとりとした調子で答えた。

「お前もよく知っているんじゃないか? 知り合いなんだろうと思っていたが」

 アゼルはがっくりと首を落とした。

(これ絶対、わたし、昨日何か言った)

「アゼル。気分はどう? 顔色が良くないかな、ちょっと俺に見せてごらん」

 クロノスが、優しくも厳しい声で話しかけてきた。従わざるを得ない気分になり、アゼルは顔を上げて大好きな人を見る。
 その拍子に、思わず呟いた。

「こぶたさん……」

 言われたクロノスが、軽く目をしばたいた。

「なに、今の。もしかして少し罵られた感じ? いいね、嫌いじゃないよそういうの」
「殿下。そういう趣味嗜好さらっと口にしないで。知りたくないから」

 すかさず、その横にいたロイドがクロノスの肩をごく軽く小突いた。
 クロノスは、大変愛想の良い声で答える。

「趣味嗜好と言えば俺は断然いじめ倒す方が好きですけど。ぐずぐずに泣かせて懇願されるのが好きです」
「もっといらないが情報きた。見ればわかるよ。殿下どう見てもそっちだ。言わなくていいって」
「どう見ても? 慧眼ですね」
 
 二人の会話をよそに、アゼルはいたたまれない思いで立ち尽くしていた。アレクスが「座るといい、席は余っている」と自分の隣の椅子を軽くひきながら声をかけてくる。
 もうこの場から立ち去る選択肢などないだろう、とアゼルは諦めて腰を下ろした。
 なおも視線を感じて顔を上げると、アレクスと目が合った。

「『こぶたさん』とは」
「あれはあなたのせいよっ。昨日、こぶたの話なんかするからっ。ああ、そういうこと、三兄弟、こぶたさんだなって……!」
「なるほど。記憶をなくすくらい酔っていたみたいだけど、少しは覚えているんだ」

 くすくすと笑われて、アゼルは顔を背ける。絶対に、赤くなってしまっている。頬が熱い。
 さっと辺りを見回すと、ぼーっとしている赤毛の少年が目に入った。その横には魔王もいる。魔王は一切関心がなさそうで、椅子にそっくりかえって目を瞑っていた。なんだか妙に心休まる反応だった。
 もちろん、無関心でいてくれない面々もいる。

「昨日? 記憶をなくすまで酔った? アゼルに事情聴取して泣かせるのは嫌だから兄上に聞きますけど、なんの話ですか?」

 完璧な笑みを浮かべたクロノスに対し、アレクスはなんでもないことのように答えた。

「三匹のこぶたの話を寝物語にしたんだ」

(間違いじゃないけど何かひどいことを言ったー!)

「寝」

(当然ひっかかるよねー!!)

 アゼルはもはや頭を抱え、呻き声を必死に堪えていた。

「殿下、やめておきなって。アゼルの泣き顔も見たいの? 大人の男女なんだから放っておきなって。それともお兄ちゃんコンプレックスの方?」

 ロイドが完全に間違えたフォローをした。

「いい加減にしてくれる……!? 違うからね!! 昨日わたしが怪我したところにこの人が通りがかって、えっと、治療師に見せてくれたの。その流れで食事しただけ!! 何もないですから!!」

 耐え切れずに、アゼルは卓にばん、と両手をついて立ち上がる。
 クロノスは艶やかに微笑んでいた。

「俺の可愛いアゼルに手を出されたかと、焦ったよ。何もないなら良かった」

 その向こう側で、ロイドが「あー」という形に口を開けたまま固まっていた。
 アゼルは、くっ、と卓に爪を立てて内心で叫ぶ。

(ロイド、言いたいことはわかる……っ。ステファノは素でそういう男だから……っ)

 俺の可愛いアゼル。見えない注釈付き。

 アレクスは弟の笑顔を見て、小さく息を吐き出した。
 それから、居並ぶ面々に視線をすべらす。
 やりとりを呆然と見ていた赤毛の少年に目をとめた。

「おかえり、クライス。修行はどう?」
「はいっ。あの、不測の事態で戻って参りましたが、完遂してはいません。できればもう少し続けたいと考えているんですが」
「なるほど。では、婚約に関しては落ち着いてからにしよう」

 しん、と場が静まり返った。

「え!?」
「婚約」

 聞き返してきたクライスに対し、予期していたかのようにアレクスは簡潔に答え、続けた。

「私とクライスの婚約だ。女性であることを公表した上で、結婚するぞ」
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