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第六章 国難は些事です(前編)

灰色の魔導士

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 ――イカロス王子が、国王夫妻を人質におさえて王宮の奥に立てこもった。

 駆け巡った一報。
 近衛隊士に召集がかかる。
 号令を下したのはクロノス王子であり、当然クライスもカインも名指しで呼び出されていた。

「このひとは顔見知りの魔導士だ。クロノス殿下も知っている。身元は保証する」

 ロイドのことを、クライスはカインをはじめとした近衛隊士にそう説明して押し切った。

(身元……か。本当は何も知らない)

 ルーク・シルヴァのことさえ。
 痛みに堪えて目を伏せたのは一瞬。
 知らないことは多いけど、嘘をつかれたことはない。信じるに足る相手だ。悩む場面ではない。

 数人で早駆けてたどりついた謁見の間では、クロノスが座には着かずにすべての報告を立ったまま受けていた。

「アレクス兄上が城下から戻らないことがあるなんて知らなかったな。頻繁なのか」

 聞き返された従僕は、「いえ、滅多にないのですが」と言葉を濁らせつつ困った顔をして答える。
 クロノスは、他にも進み出て来た者と二、三言葉を交わしながら、駆けつけたばかりの近衛隊士たちに視線をすべらせた。
 クライスに、目をとめる。そのことにカインが気付く。
 しかし、それ以上の特別な意思を悟らせないまま視線は流れてロイドに向けられた。

「来てくれましたか。こちらへ」

 目配せを受けて、ロイドが進み出る。
 触れ合うほどに自ら距離を詰めたクロノスが、その耳元でごく小さく囁いた。

「レティシアが姿をくらませました。騒動の隙をつかれて」
「了解」

 ロイドは諦念の滲んだ声で短く答えた。

 傍目には、ひどく親密に見える距離感。
 華奢な女性と並び立つことで、普段物静かなこの王子が、意外なほどに背が高く恵まれた体格をしており、並み居る武官にもひけをとらない存在感であることが浮き彫りとなる。
 衆目を集めつつ、ロイドはクロノスににこりと微笑みかけた。

「全面的に協力する。私の魔法が必要なら、遠慮せず」

 軽く肩をすくめるような動作に沿って、長い髪が揺れた。

(……「私」……?)

 絶妙な違和感。
 ロイドが「女性」として振舞っているのだ、とクライスは遅れて気付いた。おそらく、男性型のロイドに結び付けられないために。
 その試みは正しく効力を発揮しているように見える。クライスは、ロイドの男女型両方に会ったことがあるカインを横目でうかがうが、不審がっている気配はない。
 視線に気づいたのか、偶然か、カインもクライスに目を向けてきたところだった。「なんだ」と目で問われた気はしたが、クライスから先に顔を逸らす。
 女として組み伏せられた記憶が甦って、思わず自分の腕で自分を抱き寄せた。 

(やだな……。早く忘れたい。素知らぬふりして、今まで通りの関係に戻りたい)

 顔色の悪いクライスを、クロノスとロイドが見ていた。
 立場上あまり露骨に動けないのだろう、と察したロイドがクロノスの腕に手をかけ、耳元に唇を寄せる。

「あの男、クライスを手籠めにしようとした。未遂だったけど、あの怯えはたぶん、そのせいだよ」

 クロノスの表情に、変化はなかった。その静けさが、かえって彼の激情の兆しを思わせた。

 数人のローブ姿の者がその場に足を踏み入れた。宮廷魔導士たちだ。
 それを見とめて、クロノスは軽く首を振ってから視線を全体にすべらせる。
 張りのある声で告げた。

「こんな朝早くからよく集まってくれた。旅先で倒れたイカロスがぴんぴんしていたとか、実は魔導士だったとか、国王夫妻をおさえてクーデターを起こしているとか、寝耳に水の話ばかりだと思うが、事実だ。一般向けの発表は出来るだけ遅らせるが、王宮としては非常事態を宣言する。我々は、とにもかくにも陛下の身の安全の確保に勤めねばならない」

 普段派閥を形成する気配もなければ、飄々としてとらえどころなく振舞っているクロノスだが、決して王子として頼りないわけではないことが伝わって来る。
 落ち着き払った態度と、明晰さをうかがわせる話しぶり。

「魔法は、イカロス様が行使しているとみて、間違いはないわけですか」

 カインが尋ねると、クロノスは軽く頷いた。

「詳しいことはこれからだが、うちの宮廷魔導士も全員、あれが魔法という見立てで一致すると考えている。全員……」

 クロノスが視線をさまよわせた。

(全員はいないよね!? 絶対揃わないよね!!)

 紫紺や黒といった暗色系のローブ姿の数人に目を向けつつ、クライスは心中で喚いた。
 まさにその時。
 謁見の間に通じる廊下を、急ぐでもなく悠々と歩いて来た人影がいた。
 歩幅が広い。ずば抜けた長身で、地味な灰色のローブを翻しながら進んでくる。
 注目を集めているのを気にする様子もなく、のんびりとした動きでクライスの横に立った。

「う……そ……」

 呟いたクライスの頭の上に、大きな掌がぽんと置かれる。
 目を大きく見開いて見上げるクライス。

「『リュート』……?」

 目深にかぶっていたフードを軽く手で払うと、黒縁眼鏡をかけた美貌があらわになった。
 笑みを形作った唇が開かれる。

「おう。久しぶりだな」

 * * *

……?」

 クロノスは口の中で小さく呟いた。
 さすがに意表をつかれた形であり、目を瞠ってその男を見てしまう。

だったのか……!?)

 一応、元魔導士として、宮廷魔導士たちの顔ぶれや力量を気にかけてはいた。灰色ローブの魔導士の存在も、把握している。
 すべての能力値が、ギリギリ採用程度で特筆するところのない長身の男。
 やる気は全くなく、積極的な研究や後進の育成をしている気配もなく、折を見て雇止めをしてもいいのではと思っていた末席の魔導士。

「対魔導士戦は一般兵には荷が重いでしょう。ご用命頂ければひとっ走り行ってきますが」

 しれっと進言してくる美声。
 クロノスは薄い笑みを浮かべつつ、指と指を組み合わせて、パキリと骨を鳴らした。

「面白いことを言うね」

 居合わせた近衛隊士や魔導士、それ以外の文官武官の間に、さざ波のように囁きがおきる。

(あれって)(先だっての『旅の魔導士』?)(ルーク・シルヴァとかいう)(宮廷魔導士!?)

「クロノスには『同一人物判定能力』があるらしい。隠すだけ無駄ということだ」

 クライスにだけ聞こえる音量で、ぼそりとルーク・シルヴァが呟いた。
 そのクライスはといえば、完全にのぼせ上っていた。

(このやる気無さそうなリュート、落ち着く~~~~。姿かたちは変わらないのに、ルーク・シルヴァになるとなんであんなにおっかないお兄さんなんだよ~~。もう、この出世も昇進も何一つ関係ありませんみたいな怠惰で灰色の感じがいいよ~~)

「これで裏庭の木の上で惰眠を貪ってくれていたらもう最高……。一生養う……」

 のぼせついでに妄想が口をついて出ていた。
 間近で、並ぶ二人の姿を見ていたカインが、いぶかしむように目を細める。

「宮廷魔導士……? そんな身近な相手だったのか?」

 声を耳にして、ルーク・シルヴァが視線を流す。黒縁眼鏡の奥から、キッツイ眼光を飛ばして唇の端を釣り上げた。

「俺のクライスがいつも世話になってるらしいな、同僚」

 さざなみのように動揺がまき起こり、空気が揺れた。
 挑まれているカインは、気丈にも軽く肩をそびやかして笑みすら浮かべてみせた。

「クライスから聞きました。ルーナではなく、お兄さんの方が、本当の恋人だと。争う気はありません。オレは二番めでいいです。そういう話になりました」

 だん、とクライスが一歩踏み出した。

「なってなーーい!! 何さらっと嘘ねじこんでんだよ、誰もそんなこと言ってないよね!?」
「倫理的にはありなんだろ? オレもありかな、愛人。お前より出世する予定だから稼ぎに関しては心配するな」
「何言ってんの!? なんでカインが僕を養う気になってるわけ!?」 

 言い争う二人を見ながら、ロイドがしみじみと呟いた。

「いまいち何が争点なのかわかんないんだよね、あいつら……」

 顔には笑みを浮かべているのに、こめかみには青筋を立てたクロノスが、ふわりと前に進み出た。

「カイン」

 凍てついた声に、渦中の三人が顔を向ける。
 注意を引いた上で、クロノスはにこやかな笑みをそのままに言った。

「オレもまざっていいかな」

 まざ……? と小声で呟くカインをさておき、クロノスはルーク・シルヴァの正面に立って、わずかに目線の高い相手を見上げて微笑む。

「二番めとか生温いよね。オレはもちろん一番がいいな、せっかく新しい人生なわけだし。生まれ直しても二番めとか身体だけとか絶対嫌だし、ね」

 すれすれ。
 完全に何か前世的なことをあてこすっているようにしか思えない。
 ロイドは痛む心臓をおさえながらひきつった笑いを浮かべてクロノスを見守っていたが、恐る恐る発言した。

「作戦会議、しましょうよー。緊急事態なんだよね? そんなちびっこをムキになって取り合ってないで、いい加減話進めようよー。王宮破壊されたり人質殺されたりしたら洒落にならないでしょー」

 呆然としていた多くの者から、畏敬の視線が向けられる。

(救世主)(勇者……)(勇者だ……!)

 小声だけど人数が多いせいでしっかり耳に届いてしまうその呟きを耳にしつつ、ロイドは顔には笑みを湛え、心の中だけで盛大に反論していた。

(勇者じゃないよ、魔族だよーーーー!!)
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