こじらせ騎士と王子と灰色の魔導士

有沢真尋

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第六章 国難は些事です(前編)

治療師たちの攻防戦

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 何かおかしなことになっています。

 宿の一室でアレクスという男と二人きり。
 自分の外見年齢や女性体であることを考えると、あまり好ましい事態ではないのがわかる。
 しかも状況としては、まさにアレクスに追い詰められていて、アレクスの上着を羽織ったままの肩が壁にぶつかり、これ以上は逃げようもないという有様である。

(屈強な感じじゃないけど、背は高いし顔が怖いんですけど~~!?)

 見た目こそ少女だが、アゼルはかつての英雄であり、本性は魔族。決して見た目通りのか弱さではない。
 しかし、磨き抜いた感覚がしきりと訴えかけてくるのだ。
 この相手には、勝てないだろう、と。

「そろそろ背中の怪我を見せてもらおう。血が出ていたんだ、痛いはずだ」
「平気だって言ってるんだから、放っておいてよ!」

 ぐりっと背中を壁におしつけると、落ち着き始めていた疼痛に鋭い痛みが加わり、思わず顔をしかめてしまった。
 じわりと涙の気配があって、あわてて目をしばたく。

 治療師として。
 どれだけルミナスやステファノに怒られても、いつだって自分の怪我は後回しにしてきた。自分以外の誰かが傷ついていることの方が耐えられないから。

(だから、痛みに強いんだってば)

 歯を食いしばり、目を潤ませているアゼルを壁際に追い詰めていた男は、アゼルの強情な態度や負けん気の強さに対してわかりやすく機嫌を傾けたりはしなかった。
 たとえば、溜息をついたり、肩をそびやかしたり。
 そういった予備動作の一つもなく、やにわに手を伸ばしてアゼルの背と壁の間に腕をねじこんだ。
 そのまま強い力で抱き寄せられて、抵抗する間もなく抱え上げられる。
 ちょうど背中の傷に固い腕があたってしまい、アゼルは呻き声をあげた。

「んッ」

 痛みを逃がそうと身をよじろうとしたが、動きはすべて封じられていて、そのまま寝台に運ばれてしまう。
 手つきに荒々しさはなかったが、うつ伏せに置かれたアゼルが這って逃げようとすると、羽織っていた上着を奪われた。そのまま、掌で背中を押されて、身体をシーツに縫い留めるように押し付けられる。

「痛っ」

 もがいた瞬間。
 覚えのあるじんわりとした温かさが背に広がる。痛みが収束して吸い込まれていく感覚。

(まさか)

 その魔法の痕跡を探るように意識を凝らすあまり、息を止めて動きも止めたアゼルの背から、掌ははなれて行った。
 手をついて身体を起こし、首をひねって寝台に腰かけていた男を振り返る。

「治癒魔法が使えるの!?」
「使う気はなかったんだが、やむを得ない」

 顔を背けながら答えられて、アゼルは寝台の上を這って男のもとへと身を寄せる。かなり純度が高く、抜群の魔力の強さを感じた。

(人間の男で、この若さで、こんなに強い治療師ですって……!?)

 それは同じ治療師としてのアゼルの興味関心をひくには十分すぎるスキル。 
 強い魔導士であるところのステファノを敬愛していたアゼルだけに、いわゆる「ときめく」には十分な事実でもあった。
 それは断じて恋愛めいた意味を持つものではなかったが、このアレクスという男へ俄然興味が湧いてくる。

「どこで修業したの? どのくらい使えるの? 多人数同時とかもできちゃう?」

 にじり寄るアゼルに対し、アレクスはかなりの憂い顔でためらいがちに言った。

「胸が」
「ん?」

 目を合わせないどころか、遠くを見てしまったアレクス。
 このときのアゼルはといえば、もともと露出の多いワンピースを身に着けていたものの、背中が裂けてしまったことにより、豊かな胸が少ない布からこぼれそうになっていた。
 目のやり場に困る、という状態である。
 しかし所詮は「人間の肉体」が醸す何がしかの情緒を重要視していないアゼルは、寝台から足を下ろして男の横に腰かけつつ、極めて淡白な口調で言った。

「なんかねー、胸ばかりがどんどん大きくなってしまって」

 ぼやきながら一本の腕で胸元をおさえる。
 視線を下に向けると腿の横もかなり深く裂けているのが目に入った。

「手籠めにされた後みたい。事後」
「てご」

 アレクスが変なところで絶句してしまったが、構わずに続ける。

「この宿に入るときも受付のひとちらちら見ていたもんね。あなたに変な嫌疑がかかっていたらごめんなさいね。どっちかっていうと森の木に手籠めにされていたわたしを助けただけなのに」

 妙に静かだった。
 なんだろう、と思いながらアゼルが見上げると、横顔にほんのりと朱がさしている。
 暗い部屋にいくつか燈した灯りだけでそれが見えたのは、アゼルの目が魔族的に突き抜けて良いからなのだが、気付いてしまった時点で流すことができなかった。

「まさか想像しちゃった? 樹木魔人にわたしがいいようにされちゃう感じ? やだなー、それ」

 確かにそういう魔物もいるけど、わたし本当は竜だから絶対負けないんだよー。
 という、人間には決して言えない事情を思い浮かべながら、アゼルはふふふ、と邪気のない笑みをもらす。
 アレクスはといえば、顔を上げて真っすぐ前を見たまま呟いた。

「さっきまでの警戒心はどうしたんだ」
「あなたの魔力の質が悪くなかったからかな~~。つい、気を許しちゃった」

 えへへ、と笑うアゼルに対し、アレクスは暗澹たる溜息をついて立ち上がる。

「どこ行くの? まだ聞きたいことがあるんだけど」

 すかさず背中に声をかけると、振り返らぬままの返答。

「近すぎるんだ」
「距離が? でも、この部屋さっきから誰かに聞き耳たてられてるみたいだよ? 話をするなら近い方が良さそうだけど」

 ドアの外に気配がある。なんだろうと思いつつ、正直に言ってみる。
 使うつもりのなかった治癒魔法というのであれば、彼も普段は治療師としての面を隠しているのかもしれない。 

「安宿にしたのが間違いだった」

 アレクスは仄暗い声で呟きをもらすと、ドアへ向かって大股に進んだ。

(安くはないよね。中の上とか上の下くらい)

 旅人には不必要なほど調度品の揃った部屋を眺めて、アゼルは心中で呟いた。
 アレクスの身なりや立ち居振る舞いを見れば、お金に困る生活をしていないのはよくわかる。それでこの宿を選んだというのは、単に森から出てきて一番近かったからに違いない。
 破れた服で歩き回るわけには、と言われて街に入るなり直行だった。料金はさっさと前払いにし、宿の者に女性の着替えを頼んでいた。人を使い慣れた落ち着きがあった。

「何か用か」

 声をかけて、アレクスがドアを控えめに開ける。
 その上、身体でふさぐように立っている。

(……? 手籠め疑惑を懸念して中を探らせないようにしている?)

 そう考えてから、もしかして、と思い当たる。
 単純に、アゼルのあられもない姿を他人の目から隠しているだけかもしれない。
 剣士で、治療師で、育ちが庶民ではない。性格はおそらく親切。顔立ちは誰かに似ている。

(誰だろうなぁ。最近見たような気がするんだけど)

 のんびり考えていると、女性ものとおぼしき服を手にしたアレクスが、ドアを閉めて戻ってきた。

「宿の人間だった。続きの間に湯の用意ができたらしい。服は気に入るかわからないが、これを。色々不足があるだろうから、着替えたら外に出よう。食事も」
「なんでそんなに面倒見る気になってるの? 大丈夫だよ?」

 ロイドとも落ち合わないといけないし。
 その思いからアゼルはきっぱりと断ったつもりだった。
 しかし、アゼルを見ないように視線をさまよわせながら、アレクスもまた断固として言った。

「君には、知られるつもりのなかったことを色々知られてしまった。口止めをする必要がある。まだここを立ち去る気はない」
「それって、あなたとわたしが一夜をともにするってこと?」
 
 ごく単純な疑問から尋ねたのだが、アレクスは腕を組んでうなだれてしまった。
 しかし、顔を上げたときには意志の強そうな光をその純黒の瞳に宿して言った。

「そうだ。議論をする気はない。夜中はドアの番でもしている」
「暇なの? 帰らなくていいの?」

 アレクスが横を向いた。

「君には関係ない。私の事情は私がなんとかする」
「それ、完全に何かあるひとの発言じゃない。忙しいんじゃないの?」
「一晩くらい……。まあ、捜索がかからないように言伝ことづてだけはしておこう」
「捜索されるような身の上なんだ!?」

 言えば言うほど墓穴を掘るこの男、色男といって差し支えのない見た目ほどには練度が高くなさそうだ。
 
(ロイドが追跡している一行が到着するのは深夜だろうし、何も無ければ朝に会う予定だから……。今夜一晩この男を振り切れなくても問題はない、かしら)

 素早く思案してから、アゼルは方針を固めた。
 ただし、釘を刺すのは忘れない。

「わかったわ。落ち着いて話し合う必要があるのは理解した。だけど、わたし好きな人がいるからね。絶対に変な気を起こして手を出したりしないでよ?」
「操を立てる相手がいるというのならば、男の前であまり肌を見せるな。早く着替えるように」

 ふっと口元をほころばせたアレクスが、思わずのように目を向けてきた。
 漂わせた余裕にアゼルは一瞬目を見開いてから、すぐに横を向く。

「わかってるわよ。先に湯を使わせてもらうわ。見ないでよね」

 心もとない程度の布に覆われた自分が、急に頼りなく感じられて、急いで立ち上がると続きの間のドアに向かう。

「着替えは衝立の後ろに置いておく」

 接近して服を手渡しすることすら避けるように、アレクスは再び横を向いてそう宣言した。

(なんだろうな。このひと。いい人すぎて調子狂うんだけど)

 足早に立ち去ったアゼルの気配が続きの間に消えてから、アレクスは開け放たれたドアに目を向ける。
 わずかに眉を寄せて、一瞬だけ難しい顔をし、唇の動きだけで小さく呟いた。
 名乗りを受けて以降もただの一度も口にはしていないその名を、まるで呼び慣れたものであるかのように。

 アゼル、と。
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