こじらせ騎士と王子と灰色の魔導士

有沢真尋

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第五章 もつれあう前世の因縁

白銀の女王(後)

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「違う、違うんだ。殺したかったわけじゃない。レティシア……僕は本当は君を……」
 
 手を伸ばして、触れたいのに触れられないというようにさまよわせながら、イカロスは呻き声を漏らし続けていた。

「君は世界に仇なす存在なのだと……。強すぎる魔力を持って、世界を滅ぼそうとしているのだと。僕たちはそう信じ込まされていた。殺さねばならないと思って、殺せるのは自分しかいないと思っていた。ああ、信じてくれ。君の本性がそんなに儚い少女とは知らなかったんだ。君を殺して、その素顔を見て、僕たちがどれほど驚いたことか。ずっと信じ込まされていた。危険な存在なんだと。だけどそんなものはどこにもいなかった。知らなかったんだ。殺せとだけ言われていて……」

 白銀の乙女は夢見るようなあえかな微笑を湛えてイカロスの顔を覗きこんだ。

「誰に?」

 怯え切ったイカロスの頬に指を伸ばして、撫でるように触れる。

「もうずっと昔のことだ……誰一人生きてはいない。あの時僕やあいつを焚き付けて君を殺させた連中は。今はもう誰も……。僕も、殺したしね……。君を殺したあと、用済みの僕とあいつはだまし討ちにあって殺された。だけど僕はすぐに生まれ変わった。『記憶が途絶えることのない存在』になって、覚えている限りの相手を一人で殺し歩いた。だからあの時君を傷つけさせた人間は、誰も残っていない。安心してレティシア」

 吐き出すものを吐き出して。
 胸の中に凝っていた淀みを洗いざらいぶちまけたというように。
 奇妙なほど輝かしい顔でイカロスはレティシアの手に頬を摺り寄せ、自らの手を重ねる。

「安心して。もう誰にも君を殺させない」
「安心はできない。『あいつ』はどこだ。お前の他に、もう一人いただろう。私を剣で貫いた人間が」 

 乙女の顔は微笑みを絶やしてはいない。
 声は透き通るほどに澄み渡り、可憐だ。
 その美貌に幻惑されたように、イカロスは赤い目を見開き、涙を流しながら言った。

「僕は、何度生まれ変わってもあいつを追いかけるている。だけど見つけるたびにあいつは……、僕が手を出すまでもなく、惨い死を繰り返した。レティシア、あれは君が……?」

 イカロスの探るような瞳は、目の前の少女から離れ。
 遠くを見た。
 ここにはいない誰かを探そうとするように、虚空に向けられて。
 ゆっくりと、赤毛の少年に向けられる。
 焦点の定まったイカロスの目が誰を見ているのか。
 レティシアが肩越しに振り返った。
 黒髪の青年に抱きしめられているクライスを見てから、小さく吐息した。
 やにわに、イカロスに向き直るとその頭に手を置き、鷲掴みにする。

《魔族の言葉を覚えて何をしていた。大戦以降、『魔王』をかたりくすぶる魔族を動かしていたのはお前か》

 強靭さを備えた、芯のある声。
 銀の瞳に走った雷鳴の如き怒りに打たれたように、イカロスは赤い目を見開いた。

「なんのことだ、知らない!」

《憐れだぞ、ディートリヒ。お前ほどの力があれば、愚かな人間に使われる必要などなかった。レティシアが何者か見極めれば殺す必要もなかった。……俺はずっとそう思っていた。この期に及んでお前が保身の為に嘘を言わなければ見逃そうとすら思っていた。愚かなのは俺なのかもしれないな》

 掴んだイカロスの頭髪をぐいっと持ち上げて、白銀の乙女は切り捨てる鋭さで言った。

《お前がレティシアを殺したのは、自分のものにならないと知ったからだ》

「違う。そうじゃない。僕は騙されていた……!!」

《まだ言うか。あれほど念入りに腹を裂いたのは、レティシアが身ごもっていると思ったからじゃないのか。俺の子を、な》
 
 間近で見つめ合い、どうかすれば唇が触れあいそうな距離で。
 イカロスが場違いなほど穏やかに笑った。

「それで、レティシアは僕をどうするの? 殺すの? この永劫の孤独から僕を解き放つの? 楽しいね、あなたは何もわかっていないんだ。僕とレティシアの間に何かがあったと気付いていながら、それが何かわかっていない。だから苛立っているんでしょう?」

 うつくしい花のかんばせを怒りに染まるにまかせた乙女を見つめ、先程までの怯え切った擬態をかなぐりすてて言い放った。

《彼女の腹の子が自分の子か確信を持てなかったんだろう。彼女にとどめを刺したのはお前自身だ》

 赤い舌で自らの下唇を舐めて、腕を伸ばし髪をひっつかんでいた乙女の腕を強く握る。

《こんにちは。お目にかかれて嬉しいよ。『魔王』。お兄さんの方だね》

 * * *

「やっぱり、怪我のせいであいつまだ……」

 ロイドは呟いて、指を空に走らせた。
 そこに素早く魔法の術式を書き込みながら、短く詠唱をする。

(ロイドさんも魔導士として考えると、異常な強さではあるんだよな)

 増大する魔力の気配をとらえて、クロノスはロイドの展開する魔法を見る。
 的確にして強力。未知数の潜在力。自分自身、一対一で勝てるか怪しい。
 それを思うたびに、考えまいとする考えがどうしても浮かんでしまう。

 ──先の大戦でこの人たちが『人間側』だったなら、勝利はもっと容易かったはず……。

 アゼルの加入だけで目覚ましい変化があったのだ。ロイドか、ルーク・シルヴァもいたなら。

(この人たちは、あのとき、どこにいたんだ?)

 手の中に雷を呼び起こしたロイドが、乙女の姿をした彼らの王に声をかける。

「いつでもいけるぞ」

 乙女はイカロスに腕を強く掴まれたまま、ゆっくりと空を仰いだ。
 一度目を閉ざしてから、深呼吸をして言った。

「大丈夫だ。俺に任せろ」

 真っ赤な瞳を愉快そうに輝かせている少年に視線を転じる。

《お前と話すことはもおう何もない。その無益な生をここで終わらせてやる》

 強風に嬲られたかのように、乙女の銀の髪がふわりと持ち上がった。

「魔力の申し子にして奴隷よ。ご苦労だったな。もういい、御仕舞いだ。眠りにつけ」

 乙女の身体から青い光が溢れ出し、爆発的に広がる。
 それは急速に収束して、イカロスへと向かった。
 イカロスは怯えでも達観でもなく、純粋に興味深そうにその有様を見ていた。何が起こるのか楽しみにしているかのように、赤い瞳は精彩を帯びて輝いていた。
 輝きをそのままに、青い光を見つめたまま、ゆっくりと瞼が落ちた。

 光が消え失せて、イカロスの身体がゆっくりと傾ぐ。
 それを受け止めることなく倒れるに任せ、乙女はその場にかがむと自分を戒めていた手の指を一本一本外した。
 魔法を放つ用意をしていたロイドが高まっていた魔力の気配を霧散させた。

「終わった……?」

 クロノスが半信半疑に呟くと、すくっと立ち上がった乙女が真っすぐに歩いて来た。
 この世のすべての賛辞を並べ立ててなお、言葉を敗北させるほどの美貌の持ち主。
 クロノスの前に立ち、その腕の中にいるクライスは全く見ないまま「手を出せ、魔導士」といつも通りのぶっきらぼうな調子で言った。
 拒むことはまったく思いつかぬまま、クロノスが速やかに手を出す。
 乙女はその手をひっつかむと、止める間もなく指の一本を口に含んで歯を立てた。

「いてっ」

 びくっと身を震わせたクロノスに構わず、乙女は指先を吸い、舌で舐めてから口を離した。

「強すぎる魔力はお前を幸せにはしない。お前という器に魔力が執着し、幾たび生まれ変わっても支配しようとする。化け物にならないようにするためには、死の間際にその魔力を捨てていくしかないんだ。俺がそれを引き受けてやるよ」

 何を言っているのか、と。
 瞠目するクロノスに向かって、乙女は花がほころぶように微笑んだ。

「何十年後か知らないが、お前が死ぬときには世界中のどこにいても駆けつけて看取ってやる。その身体から魔力を削ぎ落して安らかな眠りにつかせてやるよ。次に生まれ変わるときは、化け物になんかなるな」
「どうしてそんな約束を」

 いぶかしむクロノスに対し、どこかルーク・シルヴァに似た面差しの乙女は不敵に笑って答えた。

「お前は俺のこと好きなんだろ? 少しぐらい応えてやってもいいかなと。ま、勝手に契って悪かったな。遠慮されたくなかったから。そもそも遠慮なんかさせる気はないが。俺はお前のことは好きに扱うだけだ」

 すっかり力の緩んでいたクロノスの腕の中から、クライスはゆっくりと膝を折ってくずおれた。

「なんなの……。その熱烈な告白はどういうことなの」

 わけがわからないよ、とついには両膝を地についてうなだれてしまう。
 アゼルはアゼルで「あわわわわ、ち、契った」と言葉にならない声を漏らしながら固まっていた。
 ロイドはといえば「あらー」と変な笑いを浮かべていた。

「そんなに中身までレティシアにならなくても……」
 
 独り言を聞き留めたアゼルが「え、あの人そういう性格だったの?」と驚愕を顔に張り付けて問う。
 ロイドはそうねえ、と一度流しかけてから、小声で続けた。

「ものすごーく押しが強かったよ。ルーク・シルヴァなんか毎日無茶苦茶押し切られてたよ。そのせいだろうね、あの押しに弱い性格……」

 おそらく、今はもう限られた者しか知らないのであろう過去を思うように、ロイドはひそやかに笑みをこぼした。
 その時。

「驚いたな」

 男の声が全員の耳を打った。
 はっと顔を上げたクライスは、そのまま慌てて立ち上がる。

「カイン! どこ行っていたんだ!?」

 現れた、見覚えのある青年に向かい、声を張り上げた。
 茶色の髪の背の高い青年は、まじまじと赤毛の同僚の顔を見て、わずかに眉をひそめた。

「お前、イカロス王子を殺したのか? そうなると言われてお前を探していたんだけど……。もし本当なら、オレはどうやらお前を捕縛する必要があるみたいなんだが」

 倒れた白い少年にちらりと目を向けてから、カインはクライスを見つめた。
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