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第五章 もつれあう前世の因縁
思い出はいつも美しいけれど
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魔王……!!
イカロスが名乗りを上げたことに対し、クロノスは「へぇ」と薄く笑った。
余裕に満ち溢れた表情であったが、全身からは湯気のような、空気を揺らめかせる何かが立ち上っている。
クライスも、戦闘本能に従い剣の柄に手をかけていた。まなざしは凛々しく、厳しい。
戦う気合が高まりに高まっている二人の傍らで。
(騙りなんですけど……)
アゼルは額をおさえていた。錯覚だとは思うが、頭痛がしていた。
なお、木陰ではロイドがまったく同じ心境で頭を抱えていた。
思うところは一つ。
(魔王本人目の前にいるからね……!!)
興味がなさそうに成り行きを見守っているルーク・シルヴァを、アゼルはちらりと見てみた。
(わかんない。表情が全然変わらない。なんでぼさっとしてるの? もしかして怒ってる? わかりづらい)
「魔王か。べつにまた会いたいなんて思ったことはないけど。会ったらそれなりにお返しはしようと思っていた。あいつの死に顔は今でも心の傷だよ」
クロノスの黒髪が、やや強い風になびいた。
クライスが視線を向けるが、クロノスはイカロスだけを見て視線に応えることはない。
(あいつ)
親しみと愛しさと、どろどろとした感情を極限まで煮詰めて叩き込んだような響き。そんな風にしか言えない、名前すら呼べない誰か。
クロノスの、熱に潤んだような熱いまなざしを見てクライスは思う。
(きっと、今その人のこと思い出してるんだね。その人の……死に顔?)
やだなぁ、と俯いてしまう。
やだ。本当に嫌だ。
(察しは良くないけど、馬鹿じゃないつもり。「アゼル」「ステファノ」名前を聞いたことがある。救国の英雄。あの少女がアゼル? 年齢が合わない気はするけど。そして、勇者とともに命を落とした魔導士の名がステファノ。もし、生まれ変わりがこの世にあるというのなら)
俯くのをやめて、顔を上げる。
クロノスを見ても、見返してこないのはわかっているから、前を向く。
(馬鹿じゃないよ。何一つ思い出せないけど、この会話の流れで『僕』が『誰』だと思われているのか)
――前前世ではね。僕は勇者ルミナスの運命の相手だった。
――二人とも、そこの赤毛が誰かはわかっているんだよね?
(嫌だ。そんなこと知りたくなかった)
クロノスと並び立っても、距離があり、身体のどこかが触れあうわけではない。
だけど、隣に『いる』のを今までにないくらいに感じている。
好きだなんてただの一度も感じたことがないし、きっとこの先だって思うはずがないのに。
そこにいてくれることを、求めてしまう。
絶望的に手に負えないその予感だけがある。
彼が思っている以上に、自分は彼を必要としている。
それこそ、彼こそが、彼だけが魂の片割れのように。
(僕と殿下で一緒に戦ったことなんか一度しかないのに。誰のものだか知らない記憶が教えてくれる。君が強い敵を前にして、どんな魔法を組み立てていくのか。僕が前に出たら、どんな風に補助し、守ろうとするか。手に取るように。後衛だけじゃないんだよね。ときどき、周りが見えない僕のすぐそばで背中を守ってくれるから、僕が負うべき傷を君が負う)
……嫌だなぁ。
わかっちゃう。
二人で生きて肩を並べて目も合わせない言葉すら交わさないけど、共に敵に向かおうとするこの瞬間が。
愛も恋も少したりともないけど、『最上』なんだと。他の何もの、世界中のあらゆるすべてを凌駕する。
そこに君がいるだけで、頭のてっぺんから、つまさきまで満たされる。
「魔王はまた世界を魔族のものにしようとしているの?」
クライスの問いに、イカロスはにこりと微笑んだ。
「どうだろう。それもいいかな」
「何がいいの? 僕には良さがわからないよ。だけど、イカロス殿下が僕を巻き込みたがっているのはわかる。僕は殿下が必要じゃないけど、殿下は僕が欲しいんでしょう?」
露悪的なまでに直截的に言って、クライスは剣を抜いた。
「あれは魔物だ。自分でそう言っている。剣を向けることを許可する。たとえあれがここで命を落とそうとも、すべての責任は俺にある」
クロノスが淀みのない口調で宣言し、ついでのように付け加えた。
「俺も攻撃する」
ちらり、とクロノスがクライスを見た。同時に、クライスもクロノスを見た。
互いの視線が絡んだほんの一瞬、まなざしに笑みを湛えて。
* * *
「ほんとに……、記憶ないの……?」
離れて見守っていたアゼルが呻きながら呟いた。
姿かたちは違うけれど。あれでは、あの二人はまるっきりそのままではないかと。
アゼルの目にはもう、ルミナスとステファノが並んでいるようにしか見えない。
木陰に待機していたロイドもまた、目を細めて二人を見ていた。
(かつて魔王を、人の身にありながら限界まで追い詰めた英雄か……)
敗北は、クロノスの言葉を借りればロイドにとっても「心の傷」だ。
負けるはずのない最強の王が、死の間際まで追い詰められたのだから。
その時の怪我で魔力の多くを失った魔王は、多くを語らず人の世界を目指して去った。
彼の中にどんな考えがあったか、ロイドは今でも知るよしがない。
一触即発の空気の中。
銀色の魔導士が動いた。
「クロノス。この喧嘩は俺に買わせろ」
一歩前に進み出る。
わずかに眉をしかめて、クロノスは「だめです」と言った。
「あれが魔王だというなら、オレには戦う理由があります。譲れない」
ルーク・シルヴァは口の端に笑みを浮かべて、皮肉っぽい口調で言った。
「悪いな。戦う理由があるのはお前だけじゃない。俺にも譲れないものがある」
「それはなんですか」
一歩もひかないと言わんばかりのクロノスに対し、ルーク・シルヴァはふっと息を吐いて小さく笑った。
(まさか……、魔王、言わないよね……!?)
言ったらめちゃくちゃ場が荒れるよ……!! と、アゼルは固唾をのんで見守ってしまったが。
笑顔のままルーク・シルヴァは告げた。
「そこの赤毛は俺の恋人だ。欲しいと言われて渡せるものじゃない。というか俺の前でクライスに求愛した時点で宣戦布告だろ。この喧嘩は俺が買うべきだ」
「ルーク・シルヴァ……」
クロノスの表情に迷いが生じる。
未知数なのだった。銀色の魔導士の力量が。
(知りたい気もする……。絶対に一般人じゃないんだ、この人。相手が魔王と聞いても一切気にした様子もない)
かつて骨身に沁みついて馴染み過ぎた感覚として、強者であるところのクロノスは、弱者を、一般人を己の前に立たせることなどできるはずがない。
だが。
こと彼に関してはその強烈な使命感すら薙ぎ倒す何かがある……。
沈黙に口を閉ざしてしまったクロノスを差し置き、ルーク・シルヴァはイカロスに向き直った。
瞳に力がこもる。
《王の名を騙る者は死を免れ得ない。恐れを知らぬ者よ、我が手の中で息絶えよ》
クロノスとクライスに、その言葉は聞き取れなかった。
しかし、クロノスは素早くアゼルの表情を確認した。銀色の魔導士と同族だという少女は唇まで色を失って細かく震えていた。
ルーク・シルヴァが何か恐ろしい呪詛を吐いたのだと、直感的に悟った。
イカロスもまた、悪寒に吹き付けられたかのように、顔に驚愕を張り付けていた。
何事もなかったように、ルーク・シルヴァが落ち着き払った声で言った。
「さて。覚悟はいいか?」
イカロスが名乗りを上げたことに対し、クロノスは「へぇ」と薄く笑った。
余裕に満ち溢れた表情であったが、全身からは湯気のような、空気を揺らめかせる何かが立ち上っている。
クライスも、戦闘本能に従い剣の柄に手をかけていた。まなざしは凛々しく、厳しい。
戦う気合が高まりに高まっている二人の傍らで。
(騙りなんですけど……)
アゼルは額をおさえていた。錯覚だとは思うが、頭痛がしていた。
なお、木陰ではロイドがまったく同じ心境で頭を抱えていた。
思うところは一つ。
(魔王本人目の前にいるからね……!!)
興味がなさそうに成り行きを見守っているルーク・シルヴァを、アゼルはちらりと見てみた。
(わかんない。表情が全然変わらない。なんでぼさっとしてるの? もしかして怒ってる? わかりづらい)
「魔王か。べつにまた会いたいなんて思ったことはないけど。会ったらそれなりにお返しはしようと思っていた。あいつの死に顔は今でも心の傷だよ」
クロノスの黒髪が、やや強い風になびいた。
クライスが視線を向けるが、クロノスはイカロスだけを見て視線に応えることはない。
(あいつ)
親しみと愛しさと、どろどろとした感情を極限まで煮詰めて叩き込んだような響き。そんな風にしか言えない、名前すら呼べない誰か。
クロノスの、熱に潤んだような熱いまなざしを見てクライスは思う。
(きっと、今その人のこと思い出してるんだね。その人の……死に顔?)
やだなぁ、と俯いてしまう。
やだ。本当に嫌だ。
(察しは良くないけど、馬鹿じゃないつもり。「アゼル」「ステファノ」名前を聞いたことがある。救国の英雄。あの少女がアゼル? 年齢が合わない気はするけど。そして、勇者とともに命を落とした魔導士の名がステファノ。もし、生まれ変わりがこの世にあるというのなら)
俯くのをやめて、顔を上げる。
クロノスを見ても、見返してこないのはわかっているから、前を向く。
(馬鹿じゃないよ。何一つ思い出せないけど、この会話の流れで『僕』が『誰』だと思われているのか)
――前前世ではね。僕は勇者ルミナスの運命の相手だった。
――二人とも、そこの赤毛が誰かはわかっているんだよね?
(嫌だ。そんなこと知りたくなかった)
クロノスと並び立っても、距離があり、身体のどこかが触れあうわけではない。
だけど、隣に『いる』のを今までにないくらいに感じている。
好きだなんてただの一度も感じたことがないし、きっとこの先だって思うはずがないのに。
そこにいてくれることを、求めてしまう。
絶望的に手に負えないその予感だけがある。
彼が思っている以上に、自分は彼を必要としている。
それこそ、彼こそが、彼だけが魂の片割れのように。
(僕と殿下で一緒に戦ったことなんか一度しかないのに。誰のものだか知らない記憶が教えてくれる。君が強い敵を前にして、どんな魔法を組み立てていくのか。僕が前に出たら、どんな風に補助し、守ろうとするか。手に取るように。後衛だけじゃないんだよね。ときどき、周りが見えない僕のすぐそばで背中を守ってくれるから、僕が負うべき傷を君が負う)
……嫌だなぁ。
わかっちゃう。
二人で生きて肩を並べて目も合わせない言葉すら交わさないけど、共に敵に向かおうとするこの瞬間が。
愛も恋も少したりともないけど、『最上』なんだと。他の何もの、世界中のあらゆるすべてを凌駕する。
そこに君がいるだけで、頭のてっぺんから、つまさきまで満たされる。
「魔王はまた世界を魔族のものにしようとしているの?」
クライスの問いに、イカロスはにこりと微笑んだ。
「どうだろう。それもいいかな」
「何がいいの? 僕には良さがわからないよ。だけど、イカロス殿下が僕を巻き込みたがっているのはわかる。僕は殿下が必要じゃないけど、殿下は僕が欲しいんでしょう?」
露悪的なまでに直截的に言って、クライスは剣を抜いた。
「あれは魔物だ。自分でそう言っている。剣を向けることを許可する。たとえあれがここで命を落とそうとも、すべての責任は俺にある」
クロノスが淀みのない口調で宣言し、ついでのように付け加えた。
「俺も攻撃する」
ちらり、とクロノスがクライスを見た。同時に、クライスもクロノスを見た。
互いの視線が絡んだほんの一瞬、まなざしに笑みを湛えて。
* * *
「ほんとに……、記憶ないの……?」
離れて見守っていたアゼルが呻きながら呟いた。
姿かたちは違うけれど。あれでは、あの二人はまるっきりそのままではないかと。
アゼルの目にはもう、ルミナスとステファノが並んでいるようにしか見えない。
木陰に待機していたロイドもまた、目を細めて二人を見ていた。
(かつて魔王を、人の身にありながら限界まで追い詰めた英雄か……)
敗北は、クロノスの言葉を借りればロイドにとっても「心の傷」だ。
負けるはずのない最強の王が、死の間際まで追い詰められたのだから。
その時の怪我で魔力の多くを失った魔王は、多くを語らず人の世界を目指して去った。
彼の中にどんな考えがあったか、ロイドは今でも知るよしがない。
一触即発の空気の中。
銀色の魔導士が動いた。
「クロノス。この喧嘩は俺に買わせろ」
一歩前に進み出る。
わずかに眉をしかめて、クロノスは「だめです」と言った。
「あれが魔王だというなら、オレには戦う理由があります。譲れない」
ルーク・シルヴァは口の端に笑みを浮かべて、皮肉っぽい口調で言った。
「悪いな。戦う理由があるのはお前だけじゃない。俺にも譲れないものがある」
「それはなんですか」
一歩もひかないと言わんばかりのクロノスに対し、ルーク・シルヴァはふっと息を吐いて小さく笑った。
(まさか……、魔王、言わないよね……!?)
言ったらめちゃくちゃ場が荒れるよ……!! と、アゼルは固唾をのんで見守ってしまったが。
笑顔のままルーク・シルヴァは告げた。
「そこの赤毛は俺の恋人だ。欲しいと言われて渡せるものじゃない。というか俺の前でクライスに求愛した時点で宣戦布告だろ。この喧嘩は俺が買うべきだ」
「ルーク・シルヴァ……」
クロノスの表情に迷いが生じる。
未知数なのだった。銀色の魔導士の力量が。
(知りたい気もする……。絶対に一般人じゃないんだ、この人。相手が魔王と聞いても一切気にした様子もない)
かつて骨身に沁みついて馴染み過ぎた感覚として、強者であるところのクロノスは、弱者を、一般人を己の前に立たせることなどできるはずがない。
だが。
こと彼に関してはその強烈な使命感すら薙ぎ倒す何かがある……。
沈黙に口を閉ざしてしまったクロノスを差し置き、ルーク・シルヴァはイカロスに向き直った。
瞳に力がこもる。
《王の名を騙る者は死を免れ得ない。恐れを知らぬ者よ、我が手の中で息絶えよ》
クロノスとクライスに、その言葉は聞き取れなかった。
しかし、クロノスは素早くアゼルの表情を確認した。銀色の魔導士と同族だという少女は唇まで色を失って細かく震えていた。
ルーク・シルヴァが何か恐ろしい呪詛を吐いたのだと、直感的に悟った。
イカロスもまた、悪寒に吹き付けられたかのように、顔に驚愕を張り付けていた。
何事もなかったように、ルーク・シルヴァが落ち着き払った声で言った。
「さて。覚悟はいいか?」
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