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第四章 腹黒王子と付き合いの良い魔族たち

この空の下に君がいる(後)

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「さてどうする。飲み直そうか?」

 ロイドの提案に対し、クロノスはふっと遠くを見るような目をしてから毅然として答えた。

「五分過ぎたら踏み込みますので、待ちます」

 宿の入り口をくぐり、小さなエントランスに置かれた、優美な猫足の華奢なソファにどかっと腰を下ろす。受付には男性従業員が立っているが、客の姿は他にない。
 ロイドもまたなんとなくその横に座りながら、細いひじ掛けに肘を載せて足を組み、姿勢を楽に崩してクロノスに目を向けた。

「魔物が出たって聞いて、オレとルーク・シルヴァがいるのをわかっていたのに、全然頼る気がなかったね。殿下、結構な魔導士でしょ」

 両膝の上に両肘をつき、指を組み合わせた上に顎をのせて猫背になっていた王子は、だるそうに目を閉じたまま掠れた声で答えた。

「そうですね。負ける気がなかったので。クライスも修行の成果が出ていましたね。……とはいえ、できれば戦いたくなかったんです。クライスは説得を諦めましたが、ロイドさんだったらあの魔物、説得できましたか」

 睫毛の長い横顔に、疲労の色が濃い。酒が入っているせいかもしれないし、他に理由があるのかもしれないが、単純に元気がない。「大丈夫?」と言おうか悩んで、言えないままロイドはやや長い時間クロノスを見つめてしまった。それから、思い出したように口を開いた。

「オレでも諦めたと思う。クライスの判断のタイミングは絶妙だったよ。バランス感覚っていうか、戦闘センスあるよね。王子も。息ぴったりだったじゃん」

 クロノスは、身体をやや前のめりに倒したままロイドに顔だけ向けて目を開けた。

「それ、何か言いたいことあります? オレとクライスのことで」

 試したり、肚を探ったりという緊張感はまったくなかった。ただ、何か用? という態度だった。

「うーん……。べつにないかな。殿下が魔導士だと誰かに言うつもりもない。正直なところ、オレは無関係だからさ。ルーク・シルヴァも友達だけど、誰と付き合おうが知ったことじゃないし。ま、多少意外性はあったけど」
「ということは、ロイドさんの認識でもクライスとお付き合いしているのはルーナではなく、ルーク・シルヴァさんの方なんですね」

 ロイドは失敗を悟った。
 クロノスは金色がかった瞳をにっと細めて笑った。

「そうなんだ。じゃあ『ルーナ』ってなんなんだろう」
「ええと……」

 何かまずったかな。まずったな。と、気まずい顔をするロイド。その背に触れぬ程度に、背もたれに腕を伸ばして横から顔をのぞきこみ、クロノスは笑みを深めた。

「だいたい、『彼女のお兄さん』とあんなやりとりをして、そのまま二人で部屋にしけこむほうがおかしいでしょう。ロイドさんが何を言おうが関係ないですよ」
「そうね。そりゃそうだ。……あいつらはあいつらで自重しろってな」

 言い終えても、視線は向けられたまま。ロイドはあえてクロノスを見ずに、前方に視線をさまよわせつつ言った。

「何見てるの」
「ロイドさんの横顔。美人ですね」
「ありがとうな。よく言われるぜ」
「うん。眼福。ちょっと元気出ました」

 クロノスは立ち上がると、大きな欠伸をして腕を伸ばした。眠そうな目をしばたいて、目じりの涙を指で拭う。

「そろそろ行くかな。さすがに二人で睦みあった後の部屋で寝るのは嫌だ。ほどほどにしてもらおう」
「生々しいな……」

 想像しちゃった、と呟きをもらしてロイドも立ち上がる。
 クロノスが動く気配がなかったので、先に歩き出して階段に向かう。
 それほど間隔をおかずにクロノスが背後に続いた。
 少し近くないか? と肩越しに振り返ると、眠気がきているのか半眼程度のクロノスが顔を上げた。ロイドの何か言いたげな目に、もごもごと不明瞭な声で言う。

「受付の男が見てたから……」
「ん? ああ、こんな人泊まってたかなと思われたのかな。受け付けたときは男だったからなー」

 特にひっかかることもなく言ったロイドを、ぼんやりと見つめていたクロノスが、すっとロイドのキャミソールドレスの裾を人差し指で示した。膝上ぎりぎりくらいの長さの……。

「たぶん、階段で見えるかなって期待している。オレが後ろにいるからこのまま上ってください」
「ん……? ずいぶん気が利くんだな」

 なんだその気遣い。眠そうな顔をしているくせに。
 毒づく気勢も削がれながら、ロイドはさりげなく裾を手でおさえて階段を上った。
 クロノスは、自分も見えない程度の距離感を意識しているのだろう、歩調を合わせて上りつつ、盛大な欠伸をしていた。

 * * * 

 ロイドの部屋の前で二人組と遭遇した。
 そう仕向けたとはいえ、憑き物が落ちたかのように幸せなクライスの顔を見て、クロノスは顔を逸らし、ロイドは苦笑いをした。

「仲直りした?」
「もともと喧嘩をしたわけでは」 

 妙に焦りつつ頰を赤らめるクライス。
 ロイドはちらりとルーク・シルヴァに目を向ける。

(魔族の怨念の矛先であるクライスと離れたら危険だと、煽ったからなー。ルーク・シルヴァなりに絆を深めようとはしたんだろうな)

 長年の付き合いから、「目的を達成すれば良いんだろう」とばかりに死ぬほど直接的なことを言ったりする友人のことはよくわかっている。
 対人スキルには全然期待はしていないのだが、クライスの状態が改善されているあたり、何かしら響くものはあったのだろう。
 さすがこいつと付き合うだけある……とクライスの強者ぶりに感じ入ってひとり頷いた。

「もういいのか」

 腕を組んで、見下ろしながら問いかけたクロノス。
 クライスは僅かの間クロノスと視線を絡めた。

「アレクス様が剣の腕を見せたのは何か意図があると思うけど、クロノス殿下のことは、まだ人に言わない方が良いのかな」
「察しが良くて助かる。それで頼む」

 組んでいた腕をほどくと、クロノスは顔を伏せてクライスの横を通り過ぎる。それ以上の対話を避けるように。
 そして、見守っていたルーク・シルヴァの腕に腕をひっかけた。

「さて。それじゃ、おっかないお兄さんと寝るかな。おやすみなさい。あ、ロイドさん、明日少しお時間ください。魔物の侵攻については話し合いたい。今は頭が死んでる」
「わかった」

 ロイドの返答に、軽く頷くクロノス。
 腕を掴んだことで、ルーク・シルヴァにどやされながらも、笑み崩れてその顔を見上げ、楽し気に話しながら立ち去った。
 それを見送って、ロイドとクライスは顔を見合わせた。ロイドが肩をすくめて笑いかけ「寝るか」とクライスに声をかけた。

 * * *
 
「腕を掴むな重い。面倒くさい」

 毒づきつつも、預けられる体重がそのままクロノスの今の疲労を表しているようで、振り切れずにルーク・シルヴァは部屋まで戻った。ほとんど崩れ落ちそうなクロノスを寝台に投げ出す。

「ここでさっき、何か悪さしました?」

 ベッドに掌を乗せて、身を横たえたままのクロノスが薄く笑った。

「隣。そっちじゃない」

 言いながら、ルーク・シルヴァももう一方、ベッドカバーに皺の寄った寝台に腰を下ろす。その背後で、クロノスが身体を起こす気配があった。まだ何か、と声をかける前にルーク・シルヴァの背に背を預ける形で寝台に腰かけられた。

「『ルーナ』じゃなくて良かった。消し炭にされるとわかっていても、手を出したと思う」
「そうか。お互い良かったな」

 身動きもできずにそう答えると、クロノスが背を合わせたまま伸びをし──不意に腕を掴んで身を乗り出してきた。

「クライスとお付き合いしているのはルーク・シルヴァということで良いですか?」
「間違いない」 

 思わず、少し下から見上げてきているクロノスの顔を見る。
 金色がかった瞳が、にこっと笑みを浮かべていた。

「では、ルーナはオレにください」
「……ん!?」

 聞き間違いか、さもなくば何か裏の意味があるのかと聞き返したが、クロノスは笑顔で続けた。

「おっかないお兄さんにお願いします。妹さんのルーナをオレにください」
「いや、お前自分で同一人物って言ってたよな!? わかって言ってるよなそれ……!!」
「クライスの恋人に、オレが本気になったらまずいよなって思ってたんです。でも、クライスが好きなのがあなただというのなら、オレは躊躇なくルーナを狙いにいきます」

 声は掠れているが、まなざしは蕩けるほどに甘く、鋭い。

「お前な……」

 呆れのままに呟くと、クロノスがちらりと視線を唇に向けてきた。
 なぜか、見られただけで妙に緊張した。クロノスはそこから視線を外さないまま、どこか不敵な調子で言った。

「前世の記憶を持ったまま転生し、ルミナスであるクライスがそばにいることにも気付いてしまった。以来、オレにとってクライスはずっと特別でした。でも、クライスにとってオレは特別じゃない。いつまでもあいつの顔色をうかがっている必要はないんだって、はっきりわかりました。だからオレも正直に生きる。ルーナが好きです」
「俺だぞ……? 俺だからな!?」
「それが何か? オレは前のままの兄妹設定でいいです。おっかないお兄さんはクライスのものとして、ルーナのことは諦めない。お兄さん、そことのところよろしく」

 言うだけ言うと、ふらりと立ち上がって自分の寝台に向かい、倒れこむ。

「俺だって言ってんだろ、聞けよ……!!」
「寝てまーす」

 人を食ったような返事をしたと思ったら、そのすぐ後には実に健やかな寝息をたてていた。

(一瞬で寝やがった……)

 置いてきぼりをくらったルーク・シルヴァは、クロノスの今日一番の不可解な言動を頭の中でよくよく検証しようとした。心が拒否した。意味がわからない。
 ただ、すうすうと寝息を立てている黒っぽい後ろ姿を見て、今一度繰り返す。

「ルーナは俺だからな。俺は……お前にはやれないぞ」

 もちろん、返事はなかった。
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