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第四章 腹黒王子と付き合いの良い魔族たち

カエルの王子様

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「君が魔導士で良かった。君の魔法で飛んでるって体裁に出来る」

 王宮に戻り、関係先に王子が外出する旨を伝えたクライスは、中庭に出てルーナに手を差し出してくる。
 その手は、目的地まで二人で飛ぼうという意味だと理解できた。

(この男、長距離の飛翔に耐える程度の魔力はあるのか)

 ルーナが旅の魔導士ルーク・シルヴァの血縁という噂話は、王宮中を駆け巡っていた。魔導士であるという事実も。
 第三王子付き侍女のアンジェラから、リュートのときに聞いた話だ。
 その世間話のついでに、探るように尋ねられた。

「クライスさんとお付き合いしているルーナさんは、妹さんなんですよね……? だけどこの間リュートさんから『遠距離になった年下の恋人』を聞いたときに、まるでクライスさんみたいだなーと思いまして。でも、そんなはずないですよね。そうそう、ルーナさんは、普段どこにお住まいなんですか。近くにいらっしゃるんですか。もしかして一緒にお住まいだったりして」

(……ほとんど正解だ。勘が良いな)

 リュートが何かきわどいことを口をすべらせ、知らぬ間にヒントを与えてたのだろうか。その恐れは十分にあった。
 その場では適当に話を切り上げたが、アンジェラには気を付けよう、と心に誓った。

 さておき、それほどの露出もないはずなのに、有名人になってしまったルーナは「あの魔導士の妹ならば」という意味合いでその実力に一目置かれているらしい。
 一方で、第二王子クロノスが魔導士であるという事実は王宮でも秘されている。
 ゆえに、ルーナと二人でいるときに何らかの魔法を使った場合、出どころはすべてルーナだとするつもりなのかもしれない。

「飛ぶ魔法を使って実際に疲れるのはお前だから、俺は構わないが」
「素直で助かるよ」

 黒縁眼鏡の奥で目を細めて微笑むと、クロノスはルーナの背後から肩に腕を回し、もう一方の腕で腰を支えて胸に抱き込んだ。

「なんのつもりだ」

 肩越しに振り返って尋ねると、クロノスはしれっと言う。

「落とすといけないから」
「落とされても死なない。自分でどうにかする」
「人目がなくなるまでは、オレが君にしがみついているように装うわけだから。少しの間このままでいて」

 言いくるめようとしている。
 絶対、言いくるめて何かしようとしている。

「ここまで拘束しなくても今さら逃げないぞ」
「拘束……」

 クロノスの笑いが直に体に伝わってくる。ルーナは不機嫌もあらわにぐっと眉を寄せた。

「拘束じゃないならなんだよ。何をするつもりなんだ」

 くっくっく、と軽い笑い声が震えとなって響く。ややして、クロノスが愉快そうに言った。

「これがもう、何かされている状態という発想はないんだ。隙だらけで心配になっちゃう」

(こいつは何を言ってるんだ? どういう意味だ? この密着具合に下心でもあると? 俺だぞ?)

「もういい、さっさと飛べ。今日中に着かないにしても行けるところまでは行け」

 呆れ果てて言い捨てると、体に回された腕に力が込められた。

「了解、姫」

 姫じゃない。魔王だよ。

 * * *

 クライスの生家に着くのが夜では良くない、というクロノスは目的地手前の大きな町へと降り立った。
 まだ陽も暮れていないが、間もなく空が茜色に染まりはじめる頃合い。
 飛行魔法の連続使用に関しては、体力的問題もある。
 今日はその町で宿をとる、というのが空で語られた計画であった。


 魔物がいた時代の名残で、町はぐるりと外周を高い石の壁に囲われている。
 街道に続く門には、門番がいるものの、夜間以外は簡易の審査で通行可能だ。

 門をくぐって、いくらも進まないうちに小ぎれいな宿を見つけた。
 クロノスが一瞬悩むそぶりを見せたが、ルーナは「ここでいい」とすかさず押し切ってドアをくぐった。

「部屋の空きは一つですけど、よろしいですね」

 受付で確認されて、クロノスはぼさっと考え込んだ。
 それから「よそをあたるか」と聞いてきたが、ルーナは「面倒だ」と切り捨て取り合わなかった。

 宿はこじんまりとした、少し年季の入った木造二階建て。
 部屋の中は温かみのあるタペストリーで飾られており、擦り切れてはいるが、綺麗な模様の古びた絨毯も敷かれていた。どこもかしこも必要十分なさっぱりとした清潔感がある。寝台はきちんと二つ。

「どうする? このまま食事と買い物を済ませる?」

 着替えも何もなく手ぶらできたルーナに対し、自分の荷物を備え付けのクロゼットに放り込んでいたクロノスが言った。

「まず休んだ方が良いんじゃないか。顔色悪いぞ」

 寝台に腰かけて、両腕を上に思い切り伸ばしていたルーナは、ちらりとクロノスを見て答える。

「大丈夫なんだけど、飛行魔法久しぶりだったから」
「言えばいいだろ。俺は得意だぜ」
「そこは誘った手前、甘えたくない」

 クロゼットにもたれかかって、眼鏡のつるを指で押さえているクロノスを無言で見つめてから、ルーナは自分の隣を手でぽんぽんと叩いた。

「なんのやせ我慢かわからないけど、座れよ。魔力が空になってるだろ」
「……そこに?」

 別にどこでもいいけど、と思ったルーナであるが、クロノスは素直に歩み寄ってくると隣に腰を下ろした。重みを受け止めて、寝台がぐっと沈み込む。

「一応言っておくけど、部屋が一緒なのは、作為じゃない。……クライスが怒りそうだけど」

 声に疲労が滲んでいる。飛行魔法がよほど体にキてるな、と察しつつルーナは後ろ手について背から首まで思い切り伸ばした。飛んでいる間中クロノスとひっついていたせいで、体中が強張って凝っている。

「不満はない」

 肩を鳴らしながら、ふと視線を流した。

「ああうん。でも、嫌だろうなと」
 妙にしおらしく、申し訳なさそうな横顔だった。
 ルーナはすうっと目を細めた。

「ここで良いって決めたのは俺だ。お前は駄目だったのか」
「駄目というか……」

 ぐずぐず言いそうな気配に、ルーナは付き合いきれないとばかりに腕を伸ばしてクロノスの体を押した。寝台に倒すつもりだったが、ルーナのウェイトが軽すぎたのか、クロノスは特に倒れることもなく、困ったように目を向けてきた。

「うん?」
「寝ろ。休め。明日は俺が飛ぶ」
「うーん……。やだ」

 クロノスはルーナを避けつつ、寝台に身を投げ出す。

「なんの意地を張ってるんだ」

 呆れて見下ろすと、薄く笑ってクロノスが言った。

「オレさ、好きになると尽くしたくなっちゃうんだよね」
「お前の魔法特性と前世の死因を考えれば、わかる。重いよな」
「重い……そうだな」

 クロノスは大きく息を吐いて目を閉ざす。
 ルーナは手を伸ばして、顔から眼鏡を奪い取った。

「そのへん置いておくぞ」

 そう言って立ち上がろうとしたそのとき、クロノスに手首を掴まれて、引き倒された。胸の上に転がり込む形になる。

(この体、体重が軽すぎる)

 力はそれなりに強かったとはいえ、あまりにも勢いよく飛び込んだことに、ルーナは意表を突かれて一瞬息を止めた。

「一緒の部屋で、ルーナは本当にいいと思ってるの? 恋人のいる女の子が他の男と同じ部屋だよ」

 間近で見つめ合ったクロノスに念を押され、ルーナはふっと鼻先に息を吹きかけた。

「俺はお前に何もしない。お前も何もしなければいい。俺の判断力に問題があるような言い方はするなよ」

 そのままクロノスの胸に手をついて体を起こす。
 すでにルーナから手を離していたクロノスは、眠そうな瞼の上に手をのせて、甲でごしごしとこすった。

「そうだね。勝手に期待している男が悪い。うん……。ねえ、君は変化へんげの魔法は使える?」

 変化の魔法。得意分野だ。
 実際に、今も使っている。本体は人間ですらない。

「使えるけど?」
「じゃあいっそ、オレのことはカエルにでもしてよ。なんにも悪いことでき無さそうなやつ」

 弱々しい声音で言われて、ルーナは失笑しかけた。
 こいつそこまで自分のり性に信用がないんだろうか。
 お望みならできないこともないが……、と思いつつクロノスの顔をしげしげと眺める。

「そのカエル、友達になって、隣に座って、同じお皿から料理を食べて、同じベッドで寝たいとか言い出すんじゃないだろうな……?」
「よくわかったね」
「叩き付けて殺すぞ」
「死なないよ。王子様に戻るだけだ」

 くすっと笑ってから、クロノスは目を見開いた。
 黒縁眼鏡がないせいで、印象が違う。
 いつもの悪戯っぽく人の悪そうな雰囲気はなりをひそめ、まなざしはひたすらに甘い。

「君の重みが気持ちよくて辛い。いつまでオレの上に乗ってるの?」

 居ても立ってもいられないような気持ち悪いことを言われたのを直感的に感じ取り、ルーナは速やかにクロノスの上から下りた。
 寝台から逃れて床に足がついたとき、踵のある靴を履いたままだったので、踏み外してぐらりと体が傾く。
 倒れるような反射神経をしていないというのに、跳ね起きたクロノスに腕を掴まれていた。

「ごめんね。靴買いに行くつもりだったのに。三十分だけ寝るから、起こしてくれると嬉しい」

 すぐに腕をはなすと、それだけ言ってクロノスは再び寝台に横になる。寝返りを打って、背を向けた。
 眼鏡を手にしたまま取り残されたルーナは、完全にクロノスのペースに乗せられた気がして苛立ちを覚えつつ、きつい口調で言った。

「さっさと寝ろ。夜は望み通りのカエルにしてやる」

 振り返らぬまま、クロノスが小声で答えた。

「やったー。堂々と寝台にもぐりこんじゃおう」

 こりない男だった。
 しかしルーナが何を言おうか思案している間にすぐに寝息を立て始めた。
 もしかしたら、寝言だったのかもしれない。そう思うことにした。
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