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第一章 策士のデート
Magic mirror on the wall,(後)
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「待て。ここからは別行動だ」
デートの続きでエスコートでもするつもりなのか、クライスはリュートと一緒に部屋を出ようとしていたが、リュートから止めた。
「ルーナの正体が知られるのもまずいけど、そもそも俺とお前が知り合いなのは隠した方が良い。今後、極力顔を合わせないようにしよう」
「そっか……。そうなるのか」
「もちろん、ここも時間差で出る……、ってなんだお前。変な顔してる」
それほど衝撃的な話をしたつもりはないのに、クライスが目に見えて落ち込んだ。
何がそこまで、と思いつつリュートが手を伸ばしてクライスの顎に軽く触れると、どことなく拗ねた上目遣いで見上げてくる。
「変かな。僕いつもこんな顔じゃない?」
「全然。もっと覇気がある。そういう、喧嘩別れしたような顔して帰るのはやめておけ」
(クロノスあたりにすぐに付け込まれるぞ。というか、問題の第一王子に限らず、クロノスみたいなのが出てくるってことは、この先何匹出てくるかわかったものじゃない。悪い虫が)
「あ、うん。外に出たら気を付ける」
目を逸らしながら答えた声が、弱っていた。
リュートは思案してから、わずかに身体を傾けて顔を寄せ、つかまえていた顎を上向けさせると、唇に唇を重ねた。
「……!?」
一瞬で身体を固くしたのが伝わってきた。この反応、一晩睦みあった偽装なんかできるんだろうかと心配になる頑なさだった。
「別れ際の恋人なら、こんな感じかな。名残惜しいのは仕方ないにしても、落ち込むなよ」
「恋人……」
クライスは、顔を赤らめて俯く。なぜか目まで潤んでいた。
そんな自分を恥じらうように、クライスは顔を逸らしたまま背を向けて、ドアに向かう。
「僕、もう行くね」
向けられた細い背を、リュートは即座に無言のまま追いかける。
クライスがドアノブに手をかけたところで、クライスの背後、肩の上から腕を伸ばして戸板に掌を押し付けて開くのを阻止した。
「なに!?」
「三分待って、落ち着いてから出ろ。いまのお前はさすがにだめだ」
「だめって何が!?」
振り返ろうとして、リュートの腕にぶつからないように気を付けたのか腰がひけたように体勢を崩しつつ、戸に背をもたれかけながら見上げてきた。
(……言うか?)
悩んだのは一瞬。誤魔化してもこいつは納得しない、と結論付けて口を開く。
「お前、いますごく女の顔してる」
「なに、言って……」
「嘘だと思うなら鏡見ろ」
特別変装しているわけではない普段のクライスがギリギリ男に見えているのは、人々の先入観の他に、表情の作り方に拠る部分が大きいのだと思う。
だからこそ、隙が出来てうまくコントロールできなくなると、本来の女性的な雰囲気が表に出てしまうようだった。知り合いでも違和感を覚えるだろうし、まったく先入観のない者に至っては普通に女性に見えてしまう、そういう顔をしていた。
「悪い、今のは俺が失敗した。お前を受け身にするとまずいみたいだな。ただでさえそういう顔立ちなのに、俺の男を意識しすぎて顔が女になってる。持ち直せよ、お前を狙っている奴らに食いものにされるぞ」
偽装恋人の延長で恋人ごっこをすれば、悪乗りして回復するかな、と軽く考えたのが完全に裏目に出た。
「顔が女……」
クライスは手で口元をおさえて俯いてしまう。
「うん。お前からキスをさせれば良かった。なんだかんだ、リードしている時の方がイキイキしていたからな。今からでもするか?」
「何を?」
「俺にキスを。女性型じゃないと無理か?」
「む…………………………………………り、じゃない、けど」
見開かれた瞳に、穴があきそうなほど見つめられてしまった。不安を覚える反応だった。
「できるだけ、奪う感じで。気弱になるなよ。俺を抱くくらいのつもりでこい」
「リュート……」
息絶える寸前のような儚さで、クライスはその場でずるっと腰を落として床に座り込んでしまった。
「たとえなんだが……。べつに本当に抱けとは言ってない。偽装だってわかっているし、肉体は求めない。ただ、気持ちの問題だ。今のお前、確実に押し倒すより倒される側になってるんだよ」
「力説ありがとう。リュートは経験が豊富そうだね」
ありがとうという割には、機嫌はみるみる間に悪化した。女、女と言われて、普段は隠しているものを暴かれた気分になっているのだろうか。
そのまま三分待っても、回復しそうにないほどに沈み込んでいる。
(どうする)
放っておいても時間だけが過ぎてしまう。
「わかった。ちょっと来い」
しゃがみこんで、手首をつかまえてひきずるように立ち上がらせる。
備え付けのクロゼット横の壁に、全身大の鏡があった。
その前に、二人で並んで立つ。
(わかってたけど、身長の割に華奢だなーこいつ)
改めて実感してしまったことはさておき、クライスの肩に手を置いて、顔の高さを合わせて一緒に鏡を見た。
「わかるか。自分がいまどういう顔をしているか」
「頼りない。情けない、感じかな」
「それはネガティヴすぎる。俺からすれば、守りたいとか、なぐさめたいとか。人によっては、いじめたいとか、泣かせたいなんてのもあるかな。要するに、隙だらけだ」
リュート自身普段は鏡を見る習慣はないのだが、元魔王ということもあり、自分でも面と向かって見ると眼光はきついと感じる。
その気の強い顔と並ぶと、クライスの弱気さは顕著だった。
「守りたい……?」
「クライスは本来は守る側だろ。仕事が。というかお前の周りはみんな基本的に守る側の人間のはずだ。そこに守らなきゃいけなさそうな奴が一人紛れ込むと、滅茶苦茶意識されるぞ。そういうのを恋だとか愛だと錯覚する奴も出て来る。お前、女人禁制を標榜する護衛部隊にいる以上、絶対に周りに変な気を起こさせない程度には常に緊張してなきゃいけないんだよ」
噛んで含めるように言うと、納得はしているのだろう、頷く。
但し気持ちはまだ追いついていない。
「だから、暗示をかけよう」
そこで一度言葉を切り、咳ばらいをしてからリュートは言った。
「鏡よ鏡。この世で一番強くて有望な若者は誰でしょう」
おとぎ話になぞらえつつ、真面目くさって言う。
裏声で、「それはそこにいるクライス様ですよ」まで言ってやろうかと思った。
だが、その前に面食らった様子で見ていたクライスが、ようやく吹っ切れたようにくすりとふきだした。
「違うよなそれ。鏡よ鏡、この世で一番うつくしいのは誰? のはずだ」
「知ってるけど。いまうつくしさは求めてないから」
混ぜっ返すなよとリュートが呟くも、クライスの笑みがぐっと深まる。
「僕、答えも知ってる。それは、ここにいるリュート様です」
かがんで顔の高さを合わせていたせいか、首に腕を回され、やすやすと捕まえられた。そのまま、クライスは顔を傾け、唇に唇を軽く重ねる。一度少しだけ離れて、間近で目をのぞきこんでから、自分は目を閉ざして、気持ちよさそうにもう一度。
「……どう? 僕もやればできるでしょ?」
目を開けたときには、いつもの炯々とした悪ガキのような光が戻っていた。
「そうだな。合格。いい線いってた」
正直、不意打ちだったので焦った。という本音は隠して余裕ぶって。
クライスはにこりと微笑んで、鏡を振り返り、自分の顔を確認する。
「よし。大丈夫。いける」
言い聞かせるように、ひとり頷く。
先程とはその顔つきが、まったく違う。
(これなら俺も安心して送り出せる、か)
「じゃあ、先に行くね。昨日からありがとう。すごく楽しかった」
ひらっと手を振ってクライスが歩き出す。
すぐに何か思い出したように振り返って、戻ってきて、もう一度リュートの首に腕を回して顔を見上げた。
「会わないなんて言わないでよ。僕は絶対リュートに会いに行くから。王族なんて怖くないって言ってたもんね?」
「……情熱的なことで」
言葉とは裏腹に、瞳が真剣過ぎて、茶化しきれないままリュートはそれだけ言った。
クライスは背伸びをすると、慣れた仕草でもう一度口づけをし、ようやく身体を離して部屋を出て行った。
「何あいつ、いきなり練度上がってるんだよ……」
いつの間にかしてやられっぱなしになってしまった事実に少しばかり呆然として、リュートはひとり呟いた。
どことなく負け惜しみの響きがあった。
デートの続きでエスコートでもするつもりなのか、クライスはリュートと一緒に部屋を出ようとしていたが、リュートから止めた。
「ルーナの正体が知られるのもまずいけど、そもそも俺とお前が知り合いなのは隠した方が良い。今後、極力顔を合わせないようにしよう」
「そっか……。そうなるのか」
「もちろん、ここも時間差で出る……、ってなんだお前。変な顔してる」
それほど衝撃的な話をしたつもりはないのに、クライスが目に見えて落ち込んだ。
何がそこまで、と思いつつリュートが手を伸ばしてクライスの顎に軽く触れると、どことなく拗ねた上目遣いで見上げてくる。
「変かな。僕いつもこんな顔じゃない?」
「全然。もっと覇気がある。そういう、喧嘩別れしたような顔して帰るのはやめておけ」
(クロノスあたりにすぐに付け込まれるぞ。というか、問題の第一王子に限らず、クロノスみたいなのが出てくるってことは、この先何匹出てくるかわかったものじゃない。悪い虫が)
「あ、うん。外に出たら気を付ける」
目を逸らしながら答えた声が、弱っていた。
リュートは思案してから、わずかに身体を傾けて顔を寄せ、つかまえていた顎を上向けさせると、唇に唇を重ねた。
「……!?」
一瞬で身体を固くしたのが伝わってきた。この反応、一晩睦みあった偽装なんかできるんだろうかと心配になる頑なさだった。
「別れ際の恋人なら、こんな感じかな。名残惜しいのは仕方ないにしても、落ち込むなよ」
「恋人……」
クライスは、顔を赤らめて俯く。なぜか目まで潤んでいた。
そんな自分を恥じらうように、クライスは顔を逸らしたまま背を向けて、ドアに向かう。
「僕、もう行くね」
向けられた細い背を、リュートは即座に無言のまま追いかける。
クライスがドアノブに手をかけたところで、クライスの背後、肩の上から腕を伸ばして戸板に掌を押し付けて開くのを阻止した。
「なに!?」
「三分待って、落ち着いてから出ろ。いまのお前はさすがにだめだ」
「だめって何が!?」
振り返ろうとして、リュートの腕にぶつからないように気を付けたのか腰がひけたように体勢を崩しつつ、戸に背をもたれかけながら見上げてきた。
(……言うか?)
悩んだのは一瞬。誤魔化してもこいつは納得しない、と結論付けて口を開く。
「お前、いますごく女の顔してる」
「なに、言って……」
「嘘だと思うなら鏡見ろ」
特別変装しているわけではない普段のクライスがギリギリ男に見えているのは、人々の先入観の他に、表情の作り方に拠る部分が大きいのだと思う。
だからこそ、隙が出来てうまくコントロールできなくなると、本来の女性的な雰囲気が表に出てしまうようだった。知り合いでも違和感を覚えるだろうし、まったく先入観のない者に至っては普通に女性に見えてしまう、そういう顔をしていた。
「悪い、今のは俺が失敗した。お前を受け身にするとまずいみたいだな。ただでさえそういう顔立ちなのに、俺の男を意識しすぎて顔が女になってる。持ち直せよ、お前を狙っている奴らに食いものにされるぞ」
偽装恋人の延長で恋人ごっこをすれば、悪乗りして回復するかな、と軽く考えたのが完全に裏目に出た。
「顔が女……」
クライスは手で口元をおさえて俯いてしまう。
「うん。お前からキスをさせれば良かった。なんだかんだ、リードしている時の方がイキイキしていたからな。今からでもするか?」
「何を?」
「俺にキスを。女性型じゃないと無理か?」
「む…………………………………………り、じゃない、けど」
見開かれた瞳に、穴があきそうなほど見つめられてしまった。不安を覚える反応だった。
「できるだけ、奪う感じで。気弱になるなよ。俺を抱くくらいのつもりでこい」
「リュート……」
息絶える寸前のような儚さで、クライスはその場でずるっと腰を落として床に座り込んでしまった。
「たとえなんだが……。べつに本当に抱けとは言ってない。偽装だってわかっているし、肉体は求めない。ただ、気持ちの問題だ。今のお前、確実に押し倒すより倒される側になってるんだよ」
「力説ありがとう。リュートは経験が豊富そうだね」
ありがとうという割には、機嫌はみるみる間に悪化した。女、女と言われて、普段は隠しているものを暴かれた気分になっているのだろうか。
そのまま三分待っても、回復しそうにないほどに沈み込んでいる。
(どうする)
放っておいても時間だけが過ぎてしまう。
「わかった。ちょっと来い」
しゃがみこんで、手首をつかまえてひきずるように立ち上がらせる。
備え付けのクロゼット横の壁に、全身大の鏡があった。
その前に、二人で並んで立つ。
(わかってたけど、身長の割に華奢だなーこいつ)
改めて実感してしまったことはさておき、クライスの肩に手を置いて、顔の高さを合わせて一緒に鏡を見た。
「わかるか。自分がいまどういう顔をしているか」
「頼りない。情けない、感じかな」
「それはネガティヴすぎる。俺からすれば、守りたいとか、なぐさめたいとか。人によっては、いじめたいとか、泣かせたいなんてのもあるかな。要するに、隙だらけだ」
リュート自身普段は鏡を見る習慣はないのだが、元魔王ということもあり、自分でも面と向かって見ると眼光はきついと感じる。
その気の強い顔と並ぶと、クライスの弱気さは顕著だった。
「守りたい……?」
「クライスは本来は守る側だろ。仕事が。というかお前の周りはみんな基本的に守る側の人間のはずだ。そこに守らなきゃいけなさそうな奴が一人紛れ込むと、滅茶苦茶意識されるぞ。そういうのを恋だとか愛だと錯覚する奴も出て来る。お前、女人禁制を標榜する護衛部隊にいる以上、絶対に周りに変な気を起こさせない程度には常に緊張してなきゃいけないんだよ」
噛んで含めるように言うと、納得はしているのだろう、頷く。
但し気持ちはまだ追いついていない。
「だから、暗示をかけよう」
そこで一度言葉を切り、咳ばらいをしてからリュートは言った。
「鏡よ鏡。この世で一番強くて有望な若者は誰でしょう」
おとぎ話になぞらえつつ、真面目くさって言う。
裏声で、「それはそこにいるクライス様ですよ」まで言ってやろうかと思った。
だが、その前に面食らった様子で見ていたクライスが、ようやく吹っ切れたようにくすりとふきだした。
「違うよなそれ。鏡よ鏡、この世で一番うつくしいのは誰? のはずだ」
「知ってるけど。いまうつくしさは求めてないから」
混ぜっ返すなよとリュートが呟くも、クライスの笑みがぐっと深まる。
「僕、答えも知ってる。それは、ここにいるリュート様です」
かがんで顔の高さを合わせていたせいか、首に腕を回され、やすやすと捕まえられた。そのまま、クライスは顔を傾け、唇に唇を軽く重ねる。一度少しだけ離れて、間近で目をのぞきこんでから、自分は目を閉ざして、気持ちよさそうにもう一度。
「……どう? 僕もやればできるでしょ?」
目を開けたときには、いつもの炯々とした悪ガキのような光が戻っていた。
「そうだな。合格。いい線いってた」
正直、不意打ちだったので焦った。という本音は隠して余裕ぶって。
クライスはにこりと微笑んで、鏡を振り返り、自分の顔を確認する。
「よし。大丈夫。いける」
言い聞かせるように、ひとり頷く。
先程とはその顔つきが、まったく違う。
(これなら俺も安心して送り出せる、か)
「じゃあ、先に行くね。昨日からありがとう。すごく楽しかった」
ひらっと手を振ってクライスが歩き出す。
すぐに何か思い出したように振り返って、戻ってきて、もう一度リュートの首に腕を回して顔を見上げた。
「会わないなんて言わないでよ。僕は絶対リュートに会いに行くから。王族なんて怖くないって言ってたもんね?」
「……情熱的なことで」
言葉とは裏腹に、瞳が真剣過ぎて、茶化しきれないままリュートはそれだけ言った。
クライスは背伸びをすると、慣れた仕草でもう一度口づけをし、ようやく身体を離して部屋を出て行った。
「何あいつ、いきなり練度上がってるんだよ……」
いつの間にかしてやられっぱなしになってしまった事実に少しばかり呆然として、リュートはひとり呟いた。
どことなく負け惜しみの響きがあった。
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