殿下の婚約者は、記憶喪失です。

有沢真尋

文字の大きさ
上 下
5 / 6

【5】

しおりを挟む
 数日おきに一度、「見舞い」と称して公爵邸に通う生活が三ヶ月ほど続いた。

「ヒースのおじさま、こんにちは」
「(おじさんじゃないけど)こんにちは」
「おじさまですよ。私よりずっと大きいんですもの」

 その日は、庭でのお茶会に招かれることになった。
 アメリアとしては「お友達をたくさん」招きたいらしいのだが、今の状態のアメリアを衆目にさらすわけにはいかないという公爵の判断から、かつての友人たちとの交流は絶たれている。よって、招待客はときどき訪れる「ヒースのおじさま」のみ。
 それでいて、お茶会は簡易のものなどではなく、公爵家らしい万全の準備がなされていた。並んだテーブルも、運び込まれたお菓子も、飾り付けや居並ぶ使用人の数まで抜かりがない。

「客が私一人ではもったいないですね」

 大ぶりに切り分けられたチョコレートムースやマジパンで飾られたケーキを黙々と胃に収めながらヒースが言うと、アメリアは「お客様がいるだけ幸せよ」と微笑んだ。
 そのとき、立ち働いていた使用人たちの元へ、屋敷から走り込んできた従僕が何かの先触れを告げた。
 
 ――リチャード様が、女性を伴って訪れた。

 ヒースは速やかに立ち上がった。きょとんと見上げてくるアメリアを見下ろし、注意深く誘いかける。

「最近このお庭に可愛らしい猫がくるのをご存知ですか? おじさまと一緒に探しましょう」
「まあ、猫? 行くわ」

 二人が立ち上がったことで使用人たちが戸惑いを浮かべていたが「責任は私が。絶対に悪いようにしないから、少し席を外させてほしい」と告げて、アメリアの手を取る。屋敷から逃れるように、庭の奥へと続く小径へと小走りに入り込む。どこで姿を見られるとも知れないので、「あそこの茂みかな?」と言いながらヒースはアメリアの手をひき、道を外れた。

 ヒースがアメリアを連れ出したのは、リチャードの来訪の用件に思い当たるところがあったからだ。
 おそらく連れの女性はリチャードが見出した侯爵家の娘。ただの火遊びではなく、婚約を前提とした付き合いに発展している相手に違いない。王家もアメリアの父もその関係を了承しており、最初の婚約は解消の発表を待つ段階であった。
 それは幼女のアメリアの知らぬところで進めてしまえばいいのに、リチャードはどうしてか自分の選んだ女性をアメリアに見せつけねば気が済まぬらしい。確かに相手は物怖じせずはっきりとした性格の好人物で、リチャードにも良い兆しがあるのはヒースも感じていたところである。
 しかしけじめの付け方として、いまこの時点での直接の対面は、賛成できない。

(いつか言う必要があるとしても、今でなくても良いはず。アメリア様の心が育ってから)

 闇雲に進もうとしたとき、不意にアメリアがヒースの手を強く引っ張った。何事かとヒースが振り返ると、アメリアは黒の瞳を茫洋と見開き、視線をさまよわせていた。
 やがて、目の焦点が合ってくると、顔を上げてヒースをまっすぐに見た。才知の煌めく瞳。

「違います」
「何がです?」
「私は、その、用を足すために急いで走っていたわけではありません。なのに、あなたときたら……」

 抗議された内容を、ヒースは記憶に照らしてゆっくりと思い出す。
 もしかして、と思ったところで、アメリアにさらに言われた。

「王宮で、リチャード様のお側に女性がいるのが嫌で夜会会場から逃げてきて、庭に走り出した私を見て、あなたは言いました。『花を摘むなら良い場所があります』と。そのまま穴場の茂みを教えてくださいました。あのとき、私がどれだけ恥ずかしかったことか……!」

「そんなこともありましたね。私は同僚から教わっていた『花を摘む』という表現がもしかして嘘だったのかと焦りました。それで言いました、もう少し直接的なことを。あのとき私は王太子付きになったばかりで、アメリア様をお見かけしたのも初めてで。……まさか、シチュエーションかぶりで記憶が……?」

 恐る恐る尋ねると、アメリアはどこかから取り出した扇を開き、赤く染まった顔を隠してしまう。

「後にも先にもあれほど真剣に心配されたことがなく、変わった男性だと思いました。殿下のお付きなのに、真心のある方がいるものだと、あなたのことが妙に記憶に残りました。でも記憶喪失は嘘ではないんです。たった今まで」
「困惑なさっているのはわかります。落ち着いてから殿下にお目にかかりますか? 騙していたわけではなく本当に無邪気な幼女だったことは私が保証します。あなたとはこの三ヶ月、この庭でたくさんのミミズや虫を」

 ずぶずぶとその場にしゃがみこみながら、アメリアは「昔はお転婆だったのですよ」とかすれた声で呟いた。
 その手を取り、助け起こしながら、ヒースは思わず笑みをこぼして告げた。

「とても楽しい時間でした。あなたと過ごす日々が、このまま続けば良いと願うほどに」

 * * *
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

純白の牢獄

ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。  この作品は、小説家になろう様にも掲載しています。

君のためだと言われても、少しも嬉しくありません

みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は……    暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

公爵令嬢は逃げ出すことにした【完結済】

佐原香奈
恋愛
公爵家の跡取りとして厳しい教育を受けるエリー。 異母妹のアリーはエリーとは逆に甘やかされて育てられていた。 幼い頃からの婚約者であるヘンリーはアリーに惚れている。 その事実を1番隣でいつも見ていた。 一度目の人生と同じ光景をまた繰り返す。 25歳の冬、たった1人で終わらせた人生の繰り返しに嫌気がさし、エリーは逃げ出すことにした。 これからもずっと続く苦痛を知っているのに、耐えることはできなかった。 何も持たず公爵家の門をくぐるエリーが向かった先にいたのは… 完結済ですが、気が向いた時に話を追加しています。

記憶を失くして転生しました…転生先は悪役令嬢?

ねこママ
恋愛
「いいかげんにしないかっ!」 バシッ!! わたくしは咄嗟に、フリード様の腕に抱き付くメリンダ様を引き離さなければと手を伸ばしてしまい…頬を叩かれてバランスを崩し倒れこみ、壁に頭を強く打ち付け意識を失いました。 目が覚めると知らない部屋、豪華な寝台に…近付いてくるのはメイド? 何故髪が緑なの? 最後の記憶は私に向かって来る車のライト…交通事故? ここは何処? 家族? 友人? 誰も思い出せない…… 前世を思い出したセレンディアだが、事故の衝撃で記憶を失くしていた…… 前世の自分を含む人物の記憶だけが消えているようです。 転生した先の記憶すら全く無く、頭に浮かぶものと違い過ぎる世界観に戸惑っていると……?

処理中です...