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第三章 宮廷薬師として
どうかその手を
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「さて打ち上げでもするか」
晩餐会は、「ちょっとしたいざこざ」の後も何事もなかったように執り行われていたが、エイルとアリスはダンスを踊る気はないと意見が一致し、さっさと場を辞してきた。
フローラをエスコートしていたラファエロは、遠巻きに何か言いたそうに視線を送ってきていたが、「あいつは王族の務めをしっかり果たすときだ」とエイルは一向に気にしていなかった。
そのまま王宮奥の薬師の詰め所に戻ってきたところである。
「あまり食べたり飲んだりできなかったからですね……。お腹すきましたね」
ひとまず自分の仕事机の前に座ったアリスが言うと、薬品棚に向かっていたエイルが楽しげに振り返った。
「俺の置き酒ならあるけど。飲む? 今日も今日とて告白してフラレて失恋した俺のやけ酒に、ぜひ付き合ってもらいたいものだ。ついでに識者としての見解もうかがいたい」
「安い求婚ばかりしているからフラれるんだと思います。べつに私は識者ではありませんが」
「なるほど」
いつもながらに軽口を叩きながらも、エイルは棚から酒瓶とビーカーを二つ取り出す。
(職場に「置き酒」とは……。薬に使うと言えば皆納得しますけど、完全に飲み慣れている……)
やや呆れた顔で見ていたアリスであったが、ふと廊下を走り込んでくる足音に気づいた。
立ち上がる間もなく、ばん、とドアが開かれる。
「ここにいると思った……!」
珍しく髪を振り乱したラファエロを目にしたエイルは、のんびりと「ビーカーもう一つ追加か」と言いながら薬品棚に向かう。
ラファエロは大きく肩で一呼吸し、息の乱れを整えると、アリスへ向かって微笑みかけてきた。
「今日はありがとう。巻き込むつもりはなかったんだが、来てくれて結果的には良かったかもしれない。事情は見ての通りだ。口封じ目的か、それとも血を残すためか、子爵家と王弟殿下でアリスを探しているという情報があった。それでいっそ王宮まで招いた。アンブローズの偽薬に関しては、この後うちの薬師たちで総力を上げて調べ尽くして、フローラ様が王宮に持ち帰ることになっている。一般に出回るのは阻止できるだろう」
「何から何まで」
立ち上がったアリスが深々と頭を下げると「顔を上げて」とラファエロに即座に言われる。
アリスが視線を合わせるように見上げると、咳払いをしたラファエロが続けて言った。
「ここのところこの件を粛々と進めていたのでなかなか時間をとれなかったわけだが、せっかくなので今晩はもう少し時間をもらえないだろうか。二人でゆっくりと話したい」
「婚約者のいる男性と夜に二人でゆっくり話すわけには。明日以降ではだめなんですか」
ごくまっとうな感覚で言い返したつもりであったが、自分の執務机に腰を預けるようにして軽くよりかかかっていたエイルが、遠慮なくふきだしていた。
ラファエロはアイスブルーの瞳を見開いてアリスを見つめたまま「若干、そんな気はしていたけど、誤解が」と呻くように呟いている。
(誤解? 何が?)
アリスが目を瞬いていると、すたすたと歩いてきたエイルが、ラファエロの手を取り、誰が止める間もなく持っていたナイフで指先に軽く切りつけた。
ぴしゅ、と紛れもなく真っ赤な血が小さく流れ出す。
「え、エイル室長!」
「殿下が出血してる。治してあげて。いま薬草切らしているから薬草園まで摘みにいって。早く」
「切りつけましたよね!?」
「どうでもいから早く行って行って。アンブローズの特効薬使うような怪我じゃないから。うちの薬草園にある、一番安い薬草でじゅうぶんだから」
(どうでもよくはないですねー!!)
声に出して言わなかったのは、こんな場でも思わぬ誰かに聞きつけられたら困るせいだ。アリスとラファエロの言い争いが面倒になったとはいえ、エイルから王子に切りつけるなど暴挙にすぎる。晩餐会での席ですら、グリムズは幻術を使っただけなのに。
「殿下、いま怪我の手当を……」
混乱しながら、立ち尽くしているラファエロに声をかける。
ラファエロはエイルを咎めることもなく、何やら妙に嬉しそうに微笑むと「うん。痛いから頼む」と頷いていた。
* * *
星明かりの下、夜の薬草園で摘んだ薬草に魔法をのせて、ラファエロの指の傷を手当した。
そのまま、腰までの高さの薬草の畝の間を歩き出す。
「いろいろとご配慮を頂いたみたいで、ありがとうございます。この上は仕事でお返しできればと」
先を行くラファエロの背を見上げながらとつとつと言うと、ラファエロは過剰な仕草で振り返って、笑顔で言った。
「うん。そうだね。アリスがそう言うのはわかっていたし、その点おおいに期待もしているけど、誤解だけは解いておきたい。フローラ様は俺の婚約者じゃない。今日は不在の二番目の兄上の婚約者だ。領地で問題があって急に出ることになったんだが、上の兄にはすでに王太子妃がいる。釣り合いから考えても、王子で婚約者もいない俺がエスコートするのがふさわしかっただけだ。それでなくてもフローラ様は兄上以外眼中にもないし、俺のことは遊びでも相手になどしていない」
勢い込んで言われて、アリスもつられた。
どうにかフォローしなければの一心で答える。
「相手にされてなくても、殿下に何か落ち度があるとは思えません。性格は親切ですし、見た目だってその、素敵ですし、それにお強いです。私、応援します」
「しなくていいかな、その応援は!」
「そ、そうですよね! 兄上の婚約者の略奪なんて応援している場合じゃないですよね!」
間違えた~とアリスは手を額にあてる。
ラファエロはラファエロで、痛恨の極みというように腰に手をあて、背を反らして夜空を見上げていた。
少しの沈黙の後、咳払いしてから、改まった口調で言う。
「俺はフローラ様のことはもちろん全然女性として好きというわけではなく。好きな相手は……。好きな相手には、安い求婚もできないわけだが、本気の求婚なら近いうちにしたいものだと」
「そうですね。安い求婚は玉砕率高いですからね。本気の場合は本気が伝わる求婚が良いと思います」
アリスはしっかりと頷いて、自分の偽らざる本心を伝える。
そのアリスに向かい、ラファエロは蕩けるような甘い笑みを向けて「そうしようと思う。勘違いのしようもない、真心を伝えたいと考えている」と言ってから、手を差し伸べた。
アリスはその手を取ると、念の為星あかりの下でじっくりと確認してから「怪我はもう治っていますね?」とラファエロを見上げる。
その瞬間、手に手を取られて、握りしめられた。
「このまま戻ろう。受け入れる気があるなら、この手を振り払わないで欲しい」
真摯な囁きが耳を掠めて、アリスは頬を染めて硬直してしまった。
か細い声で、はい、とだけ答えた。
結局、薬師の詰め所に戻るまでの間、どちらからも手を離すことはなかった。
* * *
「薬師殿ー。手が空いてからで良いので、傷薬をもらえないだろうか」
その後も、アリスはエキスシェル王宮で仕事に追われる多忙な日々を送ることになる。
アンブローズの偽薬に関しては、エイルを始めとした薬師たちで効能の低さをしっかりと検証した上で、その証明書をフローラが持ち帰った。
やがてアンブローズの家名を冠した魔法薬草事業は潰え、叔父一家も離散し、数人がアリスを頼ってエキスシェル王宮に現れたという話も耳にしたが、面会まではしていない。
「騎士団の皆さん、甘えないでください。甘えているひとは名前を控えて殿下に報告するようにと言われています」
てきぱきと言い返しながらも、アリスは用意していた薬で詰めかけた傷病者に対応する。そこに遅れて走り込んできたラファエロが姿を現すなり「お前らいい加減にしろよ!」と一喝する。
書き物机から顔を上げていつもと変わらぬその光景をぼんやりと見ていたエイルは、顔をそらして小さく笑うのだった。
晩餐会は、「ちょっとしたいざこざ」の後も何事もなかったように執り行われていたが、エイルとアリスはダンスを踊る気はないと意見が一致し、さっさと場を辞してきた。
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そのまま王宮奥の薬師の詰め所に戻ってきたところである。
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「なるほど」
いつもながらに軽口を叩きながらも、エイルは棚から酒瓶とビーカーを二つ取り出す。
(職場に「置き酒」とは……。薬に使うと言えば皆納得しますけど、完全に飲み慣れている……)
やや呆れた顔で見ていたアリスであったが、ふと廊下を走り込んでくる足音に気づいた。
立ち上がる間もなく、ばん、とドアが開かれる。
「ここにいると思った……!」
珍しく髪を振り乱したラファエロを目にしたエイルは、のんびりと「ビーカーもう一つ追加か」と言いながら薬品棚に向かう。
ラファエロは大きく肩で一呼吸し、息の乱れを整えると、アリスへ向かって微笑みかけてきた。
「今日はありがとう。巻き込むつもりはなかったんだが、来てくれて結果的には良かったかもしれない。事情は見ての通りだ。口封じ目的か、それとも血を残すためか、子爵家と王弟殿下でアリスを探しているという情報があった。それでいっそ王宮まで招いた。アンブローズの偽薬に関しては、この後うちの薬師たちで総力を上げて調べ尽くして、フローラ様が王宮に持ち帰ることになっている。一般に出回るのは阻止できるだろう」
「何から何まで」
立ち上がったアリスが深々と頭を下げると「顔を上げて」とラファエロに即座に言われる。
アリスが視線を合わせるように見上げると、咳払いをしたラファエロが続けて言った。
「ここのところこの件を粛々と進めていたのでなかなか時間をとれなかったわけだが、せっかくなので今晩はもう少し時間をもらえないだろうか。二人でゆっくりと話したい」
「婚約者のいる男性と夜に二人でゆっくり話すわけには。明日以降ではだめなんですか」
ごくまっとうな感覚で言い返したつもりであったが、自分の執務机に腰を預けるようにして軽くよりかかかっていたエイルが、遠慮なくふきだしていた。
ラファエロはアイスブルーの瞳を見開いてアリスを見つめたまま「若干、そんな気はしていたけど、誤解が」と呻くように呟いている。
(誤解? 何が?)
アリスが目を瞬いていると、すたすたと歩いてきたエイルが、ラファエロの手を取り、誰が止める間もなく持っていたナイフで指先に軽く切りつけた。
ぴしゅ、と紛れもなく真っ赤な血が小さく流れ出す。
「え、エイル室長!」
「殿下が出血してる。治してあげて。いま薬草切らしているから薬草園まで摘みにいって。早く」
「切りつけましたよね!?」
「どうでもいから早く行って行って。アンブローズの特効薬使うような怪我じゃないから。うちの薬草園にある、一番安い薬草でじゅうぶんだから」
(どうでもよくはないですねー!!)
声に出して言わなかったのは、こんな場でも思わぬ誰かに聞きつけられたら困るせいだ。アリスとラファエロの言い争いが面倒になったとはいえ、エイルから王子に切りつけるなど暴挙にすぎる。晩餐会での席ですら、グリムズは幻術を使っただけなのに。
「殿下、いま怪我の手当を……」
混乱しながら、立ち尽くしているラファエロに声をかける。
ラファエロはエイルを咎めることもなく、何やら妙に嬉しそうに微笑むと「うん。痛いから頼む」と頷いていた。
* * *
星明かりの下、夜の薬草園で摘んだ薬草に魔法をのせて、ラファエロの指の傷を手当した。
そのまま、腰までの高さの薬草の畝の間を歩き出す。
「いろいろとご配慮を頂いたみたいで、ありがとうございます。この上は仕事でお返しできればと」
先を行くラファエロの背を見上げながらとつとつと言うと、ラファエロは過剰な仕草で振り返って、笑顔で言った。
「うん。そうだね。アリスがそう言うのはわかっていたし、その点おおいに期待もしているけど、誤解だけは解いておきたい。フローラ様は俺の婚約者じゃない。今日は不在の二番目の兄上の婚約者だ。領地で問題があって急に出ることになったんだが、上の兄にはすでに王太子妃がいる。釣り合いから考えても、王子で婚約者もいない俺がエスコートするのがふさわしかっただけだ。それでなくてもフローラ様は兄上以外眼中にもないし、俺のことは遊びでも相手になどしていない」
勢い込んで言われて、アリスもつられた。
どうにかフォローしなければの一心で答える。
「相手にされてなくても、殿下に何か落ち度があるとは思えません。性格は親切ですし、見た目だってその、素敵ですし、それにお強いです。私、応援します」
「しなくていいかな、その応援は!」
「そ、そうですよね! 兄上の婚約者の略奪なんて応援している場合じゃないですよね!」
間違えた~とアリスは手を額にあてる。
ラファエロはラファエロで、痛恨の極みというように腰に手をあて、背を反らして夜空を見上げていた。
少しの沈黙の後、咳払いしてから、改まった口調で言う。
「俺はフローラ様のことはもちろん全然女性として好きというわけではなく。好きな相手は……。好きな相手には、安い求婚もできないわけだが、本気の求婚なら近いうちにしたいものだと」
「そうですね。安い求婚は玉砕率高いですからね。本気の場合は本気が伝わる求婚が良いと思います」
アリスはしっかりと頷いて、自分の偽らざる本心を伝える。
そのアリスに向かい、ラファエロは蕩けるような甘い笑みを向けて「そうしようと思う。勘違いのしようもない、真心を伝えたいと考えている」と言ってから、手を差し伸べた。
アリスはその手を取ると、念の為星あかりの下でじっくりと確認してから「怪我はもう治っていますね?」とラファエロを見上げる。
その瞬間、手に手を取られて、握りしめられた。
「このまま戻ろう。受け入れる気があるなら、この手を振り払わないで欲しい」
真摯な囁きが耳を掠めて、アリスは頬を染めて硬直してしまった。
か細い声で、はい、とだけ答えた。
結局、薬師の詰め所に戻るまでの間、どちらからも手を離すことはなかった。
* * *
「薬師殿ー。手が空いてからで良いので、傷薬をもらえないだろうか」
その後も、アリスはエキスシェル王宮で仕事に追われる多忙な日々を送ることになる。
アンブローズの偽薬に関しては、エイルを始めとした薬師たちで効能の低さをしっかりと検証した上で、その証明書をフローラが持ち帰った。
やがてアンブローズの家名を冠した魔法薬草事業は潰え、叔父一家も離散し、数人がアリスを頼ってエキスシェル王宮に現れたという話も耳にしたが、面会まではしていない。
「騎士団の皆さん、甘えないでください。甘えているひとは名前を控えて殿下に報告するようにと言われています」
てきぱきと言い返しながらも、アリスは用意していた薬で詰めかけた傷病者に対応する。そこに遅れて走り込んできたラファエロが姿を現すなり「お前らいい加減にしろよ!」と一喝する。
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