上 下
2 / 18
第一章 旅立ち

訳ありの騎士

しおりを挟む
 キィ、と蝶番の軋む音が耳につく。
 戸口に立っていた人影は、その場にゆっくりと膝をついた。
 背に遮られていた夕陽がさっと差し込み、床の上で砕けたガラスがキラリと光る。

(様子がおかしい? 怪我をしているのかな……)

 がっくりと頭を垂れた様子は、苦しみに耐えているかのようだ。
 その横をすり抜けて外に出るのは、難しくはないだろう。こうなった以上、形見の指輪は諦めて、ひとまず脱出をはかったほうが良い。
 頭ではわかっていたが、アリスは慎重な足取りでその人へと近づいた。
 神経を研ぎ澄ませているせいか、すぐにハァ、ハァ、と荒い呼吸をしていることに気づく。
 落陽に全身が染め上げられている、長い銀髪を広い背に流した男性。
 躊躇いを振り切り、アリスは息を吸い込んだ。

「どうしましたか。お怪我を?」
「……ひとがいたのか。この荒れ方は、ひどい。無事か?」

 ハァ、と大義そうな息をしながらであったが、低く澄んだ声が響いた。
 アリスは素早く思考を巡らせた。

(身なりは悪くない。帯剣している。見た所旅装のようだけど、少なくとも雇われの荒くれ者という雰囲気ではないわ。ここを襲撃した人とは、別ということ?)

 無事か、と気遣う一言はあったが、気を許すことなく、話を進めることにした。

「あなたは何故ここへ? 薬師の工房ですよ。薬をお探しですか」
「そうだ。何か盛られたらしい……。体の自由がきかない……」
「他に症状は。苦しいなら喋らなくても大丈夫。私が調べます」

 慎重な足取りで近づき、そばに膝をつく。
 苦しげな吐息に、微かに林檎のような匂いを感じた。

「……麻痺毒のようです。私の考えているもので正しければ、解毒薬はあります。魔法で効力を高めるので、飲んだらすぐに動けるようになるはず。薬が無ければ、少なくとも明日の朝までは動けない。どうしますか」
「金貨百枚と言われたら考えるけど、できれば今すぐ欲しいな……。この場所は、安全じゃない」

 顔を上げた男が、冗談めいた口調で答え、にこりと微笑みかけてくる。
 アイスブルーの鮮やかな瞳。くっきりと整った顔立ちに、清冽な香気が漂っている。市井に紛れそうな地味なマントをまとってはいても、全体的に品のある印象。

「たしかに、この場所は見ての通りの有様で、いつ襲撃者が戻ってくるかわかりません。私は今すぐ立ち去ろうとしていました。そこにあなたが来た。私には、あなたが襲撃者の一味ではないと断定する根拠はなく……」
「迂闊に助けたら、恩を仇で返されると、警戒している?」

 青年は、目元にも唇にも笑みを絶やさぬまま、穏やかに問いかけてきた。

(その通り。でも、もしこのひとが無関係だった場合、私は薬を求めてきたひとを拒み、危険な場所に置き去りにしただけになってしまう。それはアンブローズの薬師一族の者としても、ひととしても、あり得ない)

「警戒はしていますが、見捨てることはできません。薬はお渡しします。動けるようになったら、あなたもすぐにこの場を離れて。何が起きるかわからないですから」

 決断して、立ち上がる。
 ひっくり返された薬草棚に思いを巡らせたが、万が一毒でも混ぜられていたらと思うと、使うのは怖い。
 出先を回る際に肩から下げている鞄を探り、解毒薬の詰まった瓶を握りしめる。口の中で小さく祈りを唱えて、魔法をのせた。

「これを飲んでください。ああ、手の自由もきかないんですね。では私がゆっくり飲ませます。毒ではなく、本物の薬です。私はあなたが誰か知らないし、あなたの命を狙う理由もありません。抵抗しないで、身を任せてください」

(考えてみると、毒を盛られるということは、このひとも何か危機的状況から逃れてきた訳ありということよね?)

 何があったのだろうとチラッと考えたが、深入りはしないものとする。
 すぐそばに膝で立ち、首の後ろに左腕を差し入れて後頭部を支え、角度をつけた上で唇に小瓶を寄せた。
 青年は目を瞑り、されるがままにゆっくりと薬を飲み込んでいく。
 瞼を閉じると、なおいっそうその彫刻めいた白皙の美貌が際立った。
 まったく見覚えはない。記憶をあたっても、該当しそうな人物は思いつきもしなかった。

「ありがとう。すごいな。もう指の感覚が戻ってきた。効いてる。おっとごめん、重いんじゃないかな」

 嫌味のない爽やかさで言いながら、青年はアリスの腕からさりげなく逃れた。
 必要があったとはいえ、青年を抱きかかえるような体勢になっていたことに気付き、アリスもぱっと離れて立ち上がる。

「良かったです。私はもう行きますね。あなたも気をつけて」
「それなんだけど、薬の代金がまだだ」

 青年もまた立ち上がった。細身であったが、ずいぶん背が高い。
 アリスはその顔を見上げながら、早口に告げた。

「もし、少しでも恩を感じてくれているなら、私がここに戻ってくるまで、ドアを気にしていて欲しいです。すぐに戻ってきます。どうしても取って来たいものがあるの。……無理にとは言わない」
「そのくらいなら、お安い御用だよ。こう見えて、剣も多少は使える旅の騎士だ。麻痺が解けた今なら、あなたを守るくらい、わけがない」
「今だけで大丈夫よ。他人を巻き込むわけにはいかないの。自分でなんとかするから」 

 背を向けるほどに警戒を解くことはできなくて、アリスは青年から目をそらさないまま後退する。
 そのとき、青年がふっとドアの向こうに顔を向けた。
 バラバラと複数の足音が近づいてきていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

拝啓、私を追い出した皆様 いかがお過ごしですか?私はとても幸せです。

香木あかり
恋愛
拝啓、懐かしのお父様、お母様、妹のアニー 私を追い出してから、一年が経ちましたね。いかがお過ごしでしょうか。私は元気です。 治癒の能力を持つローザは、家業に全く役に立たないという理由で家族に疎まれていた。妹アニーの占いで、ローザを追い出せば家業が上手くいくという結果が出たため、家族に家から追い出されてしまう。 隣国で暮らし始めたローザは、実家の商売敵であるフランツの病気を治癒し、それがきっかけで結婚する。フランツに溺愛されながら幸せに暮らすローザは、実家にある手紙を送るのだった。 ※複数サイトにて掲載中です

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

ふしだらな悪役令嬢として公開処刑される直前に聖女覚醒、婚約破棄の破棄?ご冗談でしょ(笑)

青の雀
恋愛
病弱な公爵令嬢ビクトリアは、卒業式の日にロバート王太子殿下から婚約破棄されてしまう。病弱なためあまり学園に行っていなかったことを男と浮気していたせいだ。おまけに王太子の浮気相手の令嬢を虐めていたとさえも、と勝手に冤罪を吹っかけられ、断罪されてしまいます。 父のストロベリー公爵は、王家に冤罪だと掛け合うものの、公開処刑の日時が決まる。 断頭台に引きずり出されたビクトリアは、最後に神に祈りを捧げます。 ビクトリアの身体から突然、黄金色の光が放たれ、苛立っていた観衆は穏やかな気持ちに変わっていく。 慌てた王家は、処刑を取りやめにするが……という話にする予定です。 お気づきになられている方もいらっしゃるかと存じますが この小説は、同じ世界観で 1.みなしごだからと婚約破棄された聖女は実は女神の化身だった件について 2.婚約破棄された悪役令嬢は女神様!? 開国の祖を追放した国は滅びの道まっしぐら 3.転生者のヒロインを虐めた悪役令嬢は聖女様!? 国外追放の罪を許してやるからと言っても後の祭りです。 全部、話として続いています。ひとつずつ読んでいただいても、わかるようにはしています。 続編というのか?スピンオフというのかは、わかりません。 本来は、章として区切るべきだったとは、思います。 コンテンツを分けずに章として連載することにしました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく

たまこ
恋愛
 10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。  多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。  もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。

元稀代の悪役王女ですが、二度目の人生では私を殺した5人の夫とは関わらずに生き残りたいと思います

景華
恋愛
リザ・テレシア・ラブリエラは1度目の人生で殺された。 夫達以外の一人の男性を愛してしまった彼女の、5人の夫の手によって。 首謀者は不明。 五人の夫もその場で命を絶ち、地獄絵図と化した。 “もう一度だけチャンスを上げましょう。真実の愛を見つけて、どうか幸せに” という謎の声に導かれ、リザは人生を巻き戻され、二度目のリザを生きることに。 「人生のやり直し、ね」 なんとか18歳まで生きてきたものの、二度目の人生には異性の求婚、求愛の言葉が「ピー」という自主規制音になってしまう、【プロポーズ無効化スキル】なんてものが備わっていた!? 加えて婚約者候補として、一度目の人生の夫のうち4人と会うことになったり、閨授業の講師として残りの一人の夫が来ることになったり、「いきなり詰んだ……!!」な状態に。 二度目の人生こそ生き残るため。 そして幸せになるため。 幼馴染で護衛騎士のセイシスを連れて、婚約者候補達のフラグを折ろうと奮闘する。 自分を殺すことをたきつけた首謀者であろう5人の一度目の人生の夫の中の一人は誰なのか。 そして一度目の人生、彼女がただ一人本気で愛してしまった男とは? 元悪役王女の、生き残りと国の存亡を駆けた謎解きやりなおし恋愛ファンタジー!! 小説家になろう、カクヨムでも公開中。

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...