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2 画家と写真家(2)
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困惑を浮かべた美術部の面々を見回し、有島は穏やかな笑みを浮かべる。
「俺に何が出来るわけでもないけど、せいぜい偉そうなこと言わせてもらうんで、精進してください」
その有島へ向けて、凪人がシャッターを切っている。部員達も撮っている。
撮るほどの何があるんだろう、と意識を奪われかけた香雅里にも、カメラは向けられた。レンズ越しに、目が合った感覚。シャッターが切られる。
まぶしさに目を細めると、凪人がカメラの陰から顔を覗かせた。
「そんな顔しないで」
「……何を撮っているのかなと思って」
「かがりちゃん」
撮るほどのものでも、と思った香雅里の心中を見透かしたように、カメラをおろしフィルムを替えながら凪人は続けた。
「オレは今回の芸術祭の記録係なんだ。準備風景、町の表情、アーティストの活動。そういったものも含めて、記録としての写真を撮ってる。一番メインは作品の撮影だけどね」
「作品の撮影?」
かちりとフィルムをはめこみ、凪人は胸のポケットから取り出したデジカメをそばの机の上に置いた。
「そ。たとえば絵は光の当て方とか撮る角度で全然色合いも印象も変わっちゃうよね。彫刻にしても、目の前にそのものがあるならともかく、写真の平面にしてしまうと、切り取る角度によって作品が違うものに見えちゃったりするし。そのへんに配慮してくださった町側が、プロのフォトグラファーであるオレを呼んでくれたんだ。今回の参加アーティストとは、ちょっと立場違うんだけど」
カメラを置いてデジカメを持ち上げ、香雅里に向けてシャッターを切る。
「空気みたいなものだと思っておいてくれていいよ」
「あんまり変な顔しているのは、記録からは省いてくださいね」
香雅里がとりあえず了解の意味で言うと、凪人はいたずらっぽく目を輝かせ、笑った。
「任せて。美術作品に強いってことになってるけど、オレが一番得意なのはカワイイ女の子をカワイク撮ることだから」
それぞれの製作物の前についた部員たちの間をめぐりながら、有島は立ち止まって早速声をかけている。
どれだけ横柄なことを言っているものやら、と心配する気持ちは香雅里の中からもはや薄れていた。
二年生の花梨のキャンバスを覗き込んでいる有島の目は真剣そのもので、しばらく考えるような沈黙ののちに、腰を折って小柄な花梨に視線を合わせ、話し始めていた。
窓から吹き込む風が、どこかで紙を揺らす。
その乾いた音の合間から静かな声が聞こえてくる。
「どう描くかではなく『何を』描くのか。もっと見つめて。最初にある感覚は『こういうものを描きたい』じゃないか。『何か描きたい』じゃなくて『こういうもの』だよ」
ひらりと大きな手が舞って、絵のどこかを示した。花梨の顔と交互に見ながら話を続けている。
「美大に行くと『絵が描ける』から来た奴って結構いるんだけど、『何を』がないと必ず壁にぶつかる。技術はいくばくか伸ばすことはできるだろう。だけど、自分の心の中の飢餓感を見つめる描き手とは差が開いていく。飢えた絵描きには、何を描いても、どんなに描いても、欠落しているという感覚があるから。描きたいものにどうしても届かない。どうすればいい。苦しい。もっと先に、もっと遠くへ行きたいのに。その感覚」
黒い瞳に切ない光が浮かんでいる。力強いのに、叫びみたいな言葉には渦巻く感情が込められているように聞こえた。
(有島さんみたいなひとでさえ)
「作業、始めてください。有島が順番にまわります」
カメラを手にキャンバスの間をめぐっていた凪人が、気もそぞろになっている部員たちに声をかけた。
歩きながら、ふと気がついたように、机の上に鎮座していた木彫りの海猫に目を向け、微かに口元をほころばせ、カメラを向けている。
他の連中が来るまでに、と有島は言った。
確かにポスターには若手アーティストの名前が他にも並んでいた。勅使河原凪人、という名はそこにはなかったけれど。
とにかく、最初の二人が現れた。
芸術祭が始まる。
描きかけの自分の絵に向き直る。
顔を上げた有島が、視線を流してきた。
意味もなく、睨み返すように応える。
先に逸らしたのは有島だった。
結局、その日有島が香雅里の絵を見ることはなかった。
「俺に何が出来るわけでもないけど、せいぜい偉そうなこと言わせてもらうんで、精進してください」
その有島へ向けて、凪人がシャッターを切っている。部員達も撮っている。
撮るほどの何があるんだろう、と意識を奪われかけた香雅里にも、カメラは向けられた。レンズ越しに、目が合った感覚。シャッターが切られる。
まぶしさに目を細めると、凪人がカメラの陰から顔を覗かせた。
「そんな顔しないで」
「……何を撮っているのかなと思って」
「かがりちゃん」
撮るほどのものでも、と思った香雅里の心中を見透かしたように、カメラをおろしフィルムを替えながら凪人は続けた。
「オレは今回の芸術祭の記録係なんだ。準備風景、町の表情、アーティストの活動。そういったものも含めて、記録としての写真を撮ってる。一番メインは作品の撮影だけどね」
「作品の撮影?」
かちりとフィルムをはめこみ、凪人は胸のポケットから取り出したデジカメをそばの机の上に置いた。
「そ。たとえば絵は光の当て方とか撮る角度で全然色合いも印象も変わっちゃうよね。彫刻にしても、目の前にそのものがあるならともかく、写真の平面にしてしまうと、切り取る角度によって作品が違うものに見えちゃったりするし。そのへんに配慮してくださった町側が、プロのフォトグラファーであるオレを呼んでくれたんだ。今回の参加アーティストとは、ちょっと立場違うんだけど」
カメラを置いてデジカメを持ち上げ、香雅里に向けてシャッターを切る。
「空気みたいなものだと思っておいてくれていいよ」
「あんまり変な顔しているのは、記録からは省いてくださいね」
香雅里がとりあえず了解の意味で言うと、凪人はいたずらっぽく目を輝かせ、笑った。
「任せて。美術作品に強いってことになってるけど、オレが一番得意なのはカワイイ女の子をカワイク撮ることだから」
それぞれの製作物の前についた部員たちの間をめぐりながら、有島は立ち止まって早速声をかけている。
どれだけ横柄なことを言っているものやら、と心配する気持ちは香雅里の中からもはや薄れていた。
二年生の花梨のキャンバスを覗き込んでいる有島の目は真剣そのもので、しばらく考えるような沈黙ののちに、腰を折って小柄な花梨に視線を合わせ、話し始めていた。
窓から吹き込む風が、どこかで紙を揺らす。
その乾いた音の合間から静かな声が聞こえてくる。
「どう描くかではなく『何を』描くのか。もっと見つめて。最初にある感覚は『こういうものを描きたい』じゃないか。『何か描きたい』じゃなくて『こういうもの』だよ」
ひらりと大きな手が舞って、絵のどこかを示した。花梨の顔と交互に見ながら話を続けている。
「美大に行くと『絵が描ける』から来た奴って結構いるんだけど、『何を』がないと必ず壁にぶつかる。技術はいくばくか伸ばすことはできるだろう。だけど、自分の心の中の飢餓感を見つめる描き手とは差が開いていく。飢えた絵描きには、何を描いても、どんなに描いても、欠落しているという感覚があるから。描きたいものにどうしても届かない。どうすればいい。苦しい。もっと先に、もっと遠くへ行きたいのに。その感覚」
黒い瞳に切ない光が浮かんでいる。力強いのに、叫びみたいな言葉には渦巻く感情が込められているように聞こえた。
(有島さんみたいなひとでさえ)
「作業、始めてください。有島が順番にまわります」
カメラを手にキャンバスの間をめぐっていた凪人が、気もそぞろになっている部員たちに声をかけた。
歩きながら、ふと気がついたように、机の上に鎮座していた木彫りの海猫に目を向け、微かに口元をほころばせ、カメラを向けている。
他の連中が来るまでに、と有島は言った。
確かにポスターには若手アーティストの名前が他にも並んでいた。勅使河原凪人、という名はそこにはなかったけれど。
とにかく、最初の二人が現れた。
芸術祭が始まる。
描きかけの自分の絵に向き直る。
顔を上げた有島が、視線を流してきた。
意味もなく、睨み返すように応える。
先に逸らしたのは有島だった。
結局、その日有島が香雅里の絵を見ることはなかった。
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