息絶える瞬間の詩のように

有沢真尋

文字の大きさ
上 下
7 / 21

2 画家と写真家(2)

しおりを挟む
 困惑を浮かべた美術部の面々を見回し、有島は穏やかな笑みを浮かべる。

「俺に何が出来るわけでもないけど、せいぜい偉そうなこと言わせてもらうんで、精進してください」

 その有島へ向けて、凪人がシャッターを切っている。部員達も撮っている。
 撮るほどの何があるんだろう、と意識を奪われかけた香雅里にも、カメラは向けられた。レンズ越しに、目が合った感覚。シャッターが切られる。
 まぶしさに目を細めると、凪人がカメラの陰から顔を覗かせた。

「そんな顔しないで」
「……何を撮っているのかなと思って」
「かがりちゃん」
 撮るほどのものでも、と思った香雅里の心中を見透かしたように、カメラをおろしフィルムを替えながら凪人は続けた。

「オレは今回の芸術祭の記録係なんだ。準備風景、町の表情、アーティストの活動。そういったものも含めて、記録としての写真を撮ってる。一番メインは作品の撮影だけどね」
「作品の撮影?」
 かちりとフィルムをはめこみ、凪人は胸のポケットから取り出したデジカメをそばの机の上に置いた。

「そ。たとえば絵は光の当て方とか撮る角度で全然色合いも印象も変わっちゃうよね。彫刻にしても、目の前にそのものがあるならともかく、写真の平面にしてしまうと、切り取る角度によって作品が違うものに見えちゃったりするし。そのへんに配慮してくださった町側が、プロのフォトグラファーであるオレを呼んでくれたんだ。今回の参加アーティストとは、ちょっと立場違うんだけど」
 カメラを置いてデジカメを持ち上げ、香雅里に向けてシャッターを切る。

「空気みたいなものだと思っておいてくれていいよ」
「あんまり変な顔しているのは、記録からは省いてくださいね」

 香雅里がとりあえず了解の意味で言うと、凪人はいたずらっぽく目を輝かせ、笑った。

「任せて。美術作品に強いってことになってるけど、オレが一番得意なのはカワイイ女の子をカワイク撮ることだから」
 それぞれの製作物の前についた部員たちの間をめぐりながら、有島は立ち止まって早速声をかけている。
 どれだけ横柄なことを言っているものやら、と心配する気持ちは香雅里の中からもはや薄れていた。

 二年生の花梨のキャンバスを覗き込んでいる有島の目は真剣そのもので、しばらく考えるような沈黙ののちに、腰を折って小柄な花梨に視線を合わせ、話し始めていた。

 窓から吹き込む風が、どこかで紙を揺らす。
 その乾いた音の合間から静かな声が聞こえてくる。

「どう描くかではなく『何を』描くのか。もっと見つめて。最初にある感覚は『こういうものを描きたい』じゃないか。『何か描きたい』じゃなくて『こういうもの』だよ」

 ひらりと大きな手が舞って、絵のどこかを示した。花梨の顔と交互に見ながら話を続けている。

「美大に行くと『絵が描ける』から来た奴って結構いるんだけど、『何を』がないと必ず壁にぶつかる。技術はいくばくか伸ばすことはできるだろう。だけど、自分の心の中の飢餓感を見つめる描き手とは差が開いていく。飢えた絵描きには、何を描いても、どんなに描いても、欠落しているという感覚があるから。描きたいものにどうしても届かない。どうすればいい。苦しい。もっと先に、もっと遠くへ行きたいのに。その感覚」

 黒い瞳に切ない光が浮かんでいる。力強いのに、叫びみたいな言葉には渦巻く感情が込められているように聞こえた。

(有島さんみたいなひとでさえ)

「作業、始めてください。有島が順番にまわります」
 カメラを手にキャンバスの間をめぐっていた凪人が、気もそぞろになっている部員たちに声をかけた。
 歩きながら、ふと気がついたように、机の上に鎮座していた木彫りの海猫に目を向け、微かに口元をほころばせ、カメラを向けている。

 他の連中が来るまでに、と有島は言った。
 確かにポスターには若手アーティストの名前が他にも並んでいた。勅使河原凪人、という名はそこにはなかったけれど。
 とにかく、最初の二人が現れた。

 芸術祭が始まる。
 描きかけの自分の絵に向き直る。
 顔を上げた有島が、視線を流してきた。
 意味もなく、睨み返すように応える。
 先に逸らしたのは有島だった。

 結局、その日有島が香雅里の絵を見ることはなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】ぽっちゃり好きの望まない青春

mazecco
青春
◆◆◆第6回ライト文芸大賞 奨励賞受賞作◆◆◆ 人ってさ、テンプレから外れた人を仕分けるのが好きだよね。 イケメンとか、金持ちとか、デブとか、なんとかかんとか。 そんなものに俺はもう振り回されたくないから、友だちなんかいらないって思ってる。 俺じゃなくて俺の顔と財布ばっかり見て喋るヤツらと話してると虚しくなってくるんだもん。 誰もほんとの俺のことなんか見てないんだから。 どうせみんな、俺がぽっちゃり好きの陰キャだって知ったら離れていくに決まってる。 そう思ってたのに…… どうしてみんな俺を放っておいてくれないんだよ! ※ラブコメ風ですがこの小説は友情物語です※

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

処理中です...