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第二話
宿にて
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体力を使うだけ無駄と判断したアシュレイは、道中腹をくくって寝ることにした。
夢を見た。
もぬけの殻となった小屋に戻ったエグバード。
表情の想像がつかないせいか、顔が見えない。何を言っているかもわからない。
身代わり強要。偽装結婚。その挙句、出先で監禁され、脱出時に怪我。
エグバードとしては、アシュレイに対してかなり申し訳なく思っているらしいのが、その態度からよく伝わってきた。
たとえ偽りの夫婦といえども、誠意はあるように感じていた。実際、彼はアシュレイに無体を働くこともなく、大事にしてくれていたと思う。
しかし今度は、目を離した隙に誘拐。
――調子の良いことを言っていると思うだろうが、守る
(あんなこと言った後だからなぁ……。エグバード様、「守り切れなかった」って、落ち込んでいないと良いのだけど)
もっとも、誘拐の場面は見ていないはずだから、アシュレイが自分から出て行った可能性も考えているかもしれない。
その結果、怪我の具合から遠くに行くはずがないと近場を探して、カイルの逃避行を見逃した恐れは十分にある。
(簡単に攫われて申し訳ありません……)
アシュレイとしても、エグバードに申し訳ない気持ちがある。
カイルは手練れだ。剣の稽古で一度も勝ったためしがない。怪我もしているとあっては、敵うはずがないと弱気になってしまった。
もっと本気を出せば良かったのではないか。それこそ死ぬ気で暴れれば、近くにいたであろうエグバードに気付いてもらうことができたかもしれないのに。
今頃どうしているだろう。
夢の中のエグバードは、顔も見えず声も聞こえない。
何を考えているのか、本当にわからない。
* * *
目を覚ます前から、これまでとは違う空気を感じていた。
脇腹に痛みがあるのは今まで通りだが、体全体が柔らかいものに包まれている。きちんとした寝台に横たえられているらしい。
そうっと重い瞼を持ち上げてみると、灯りは仄かで辺りは暗い。
緩慢な仕草で首を巡らす。
燭台の灯り一つを卓に置き、椅子に腰かけたカイルの姿が見えた。窓が開いていて、その向こうには星空が広がっている。
「気付いた?」
身じろぎを察したのだろう。素早く声をかけられる。
「うん」
今さら寝たふりをしても始まらないと、素直に返事をした。
カイルは立ち上がり、卓上にあった水差しからコップに水を注いで寝台に歩み寄って来る。
「無理させて悪かった。夕方に町について、医者に見てもらった。処置が良かったみたいできれいな傷口だって。痕は残るかもしれないけど、いずれきちんと治るって言っていたから、安心していい。喉渇いているんじゃないか」
アシュレイはコップを受け取る為に起き上がろうとする。体に力が入らない。
カイルは寝台に腰を下ろすと、アシュレイの背に腕を差し入れて上半身を支えて起こしてくれた。
「コップは俺が持っているから、ゆっくり飲んで」
唇にコップを寄せて、少しずつ傾けて飲ませてくれる。乾ききった口内から喉へ、甘露のように水が染みわたる。
「可哀そうに、頬がこけている。ここ数日あまり食べていないみたいだね。いきなり食べると腹が痛くなるかもしれないから、飲み込みやすい柔らかいものから。ハチミツ入りの白パン。少しずつ」
寝台横の小卓に、皿にのせて用意していたらしい。カイルは手を伸ばしてパンを掴むと、膝の上に置いて片手で器用に小さくちぎり、アシュレイの口元に持ってくる。
(ものすごく親切なんですが……!?)
故国にいた頃は、これほど親しく話したことはない。年齢差もあったし、距離も感じていた。
打ち合ったり切り合ったりしたことはあるが、触れ合うことなどなかった。
はぐ、とパンを噛んで飲み込んでから、アシュレイはおそるおそる尋ねてみる。
「状況が飲み込めないんですが」
「今はパンが飲み込めればいいんじゃないか?」
(そういう問題なのかな?)
疑問に思うものの、パンは続けざまに口元に運ばれてくる。しかも、食べれば食べるほどに自分の飢えを自覚することになり、すぐに話す余裕を失ってしまった。
怪我人の介助慣れしているのか、カイルの振舞いは的確で、水も良いタイミングで飲ませてくれる。
時間はいつもよりかかったが、気が付いたら完食していた。
「うん。それだけ食べることができるなら、何も心配はいらない。明日はもっと元気になっているよ。今日はそのまま眠るといい」
優しい口調で言って、ゆっくりとアシュレイの体を寝台に寝かせてから、背にまわしていた腕をそっと抜き取る。
ありがたい優しさであったが、アシュレイの中に積もった疑問は晴れない。
「カイル、どうしてここに? その……、私はエグバード様の妻なので。あ、ええと……実は姫様がオズワルド団長と……。それで、私がいまその穴埋めとして、姫様の代わりをつとめているんだけど」
何をどこまで知っているのかわからず、しどろもどろになりながら説明をする。
(たしかカイルも私のことを「花嫁」と言っていたから、ついそのまま話してしまったけど。使節団に加わっていなかったカイルは、姫の駆け落ちを知っているのかな)
まずはその説明から、と身構えて言ってはみたものの。
にこり、とカイルは微笑んだ。少年めいて見える端整な容貌が、窓からの星明りに際立つ。
「その髪。姫と同じ色に染めていたし、切り裂かれてはいたけれど、およそ護衛騎士らしからぬドレスを着ていた。大体の事情は理解しているつもり。ひどい男だね」
なぜか背筋に寒気が走るほどの冷気に満ち満ちた声。
気のせいでなければ、怒っている。
(カイル?)
「ドレス……は、あれは自分で! アクチュエラ城で捕まって逃げることになって、動きにくくて」
「どうして国賓と招かれた城でそんな目に遭うんだ。あの王子は一体何をしてそこまで怒りをかったんだ?」
自分の説明能力のなさに焦りを覚えつつ、「違うの」とアシュレイは繰り返した。
「エグバード様は悪くないの。アリシア姫がエグバード様を好いて……執着してらっしゃって。それで、自分を振って妻を迎えたエグバード様を逆恨みしていて。それで、姫様のふりをしていた私を葬ろうとしていたみたいなんだけど……ブスだから許してもらえた? みたいで」
絶望的に説明が下手だ。間違いない。
カイルは凍り付いたような笑みを浮かべたまま「寝たら?」と言ってきた。
明らかに、真に受けていない。
「カイル、話を聞いて。何かこう、いまたぶん、すごく誤解がある」
「大丈夫、大体わかっている。つまりアシュレイは団長と駆け落ちしたレイナ様のふりをして、エグバード様と結婚したふりをした。その挙句、殿下の昔の女に刺された。そういうことだね?」
だいぶ端折られた気がしたが、大筋は間違いではない。
(間違いではない……かな?)
心許無い。何かが。絶対に何か見落としていると思えば思うほど、動悸が激しくなってきて、すぐには眠れそうにない。
「カイル」
未練がましく声をかけたところで、目の上に大きな手を置かれて、強制的に目を閉ざされた。
「まず寝なさい、アシュレイ。話は明日だ。口答えは許さない。これ以上夜更かしするつもりなら、気絶させる。喋らないで」
視界がきかないというのは、生殺与奪を握られている緊張感がすごい。
アシュレイはひとまず口を閉ざした。納得はしていない。
(エグバード様は……今どうなさっているんだろう)
考えているうちに、弱り切った体が休息を必要としていたらしく、眠りに落ちた。
夢は見なかった。
夢を見た。
もぬけの殻となった小屋に戻ったエグバード。
表情の想像がつかないせいか、顔が見えない。何を言っているかもわからない。
身代わり強要。偽装結婚。その挙句、出先で監禁され、脱出時に怪我。
エグバードとしては、アシュレイに対してかなり申し訳なく思っているらしいのが、その態度からよく伝わってきた。
たとえ偽りの夫婦といえども、誠意はあるように感じていた。実際、彼はアシュレイに無体を働くこともなく、大事にしてくれていたと思う。
しかし今度は、目を離した隙に誘拐。
――調子の良いことを言っていると思うだろうが、守る
(あんなこと言った後だからなぁ……。エグバード様、「守り切れなかった」って、落ち込んでいないと良いのだけど)
もっとも、誘拐の場面は見ていないはずだから、アシュレイが自分から出て行った可能性も考えているかもしれない。
その結果、怪我の具合から遠くに行くはずがないと近場を探して、カイルの逃避行を見逃した恐れは十分にある。
(簡単に攫われて申し訳ありません……)
アシュレイとしても、エグバードに申し訳ない気持ちがある。
カイルは手練れだ。剣の稽古で一度も勝ったためしがない。怪我もしているとあっては、敵うはずがないと弱気になってしまった。
もっと本気を出せば良かったのではないか。それこそ死ぬ気で暴れれば、近くにいたであろうエグバードに気付いてもらうことができたかもしれないのに。
今頃どうしているだろう。
夢の中のエグバードは、顔も見えず声も聞こえない。
何を考えているのか、本当にわからない。
* * *
目を覚ます前から、これまでとは違う空気を感じていた。
脇腹に痛みがあるのは今まで通りだが、体全体が柔らかいものに包まれている。きちんとした寝台に横たえられているらしい。
そうっと重い瞼を持ち上げてみると、灯りは仄かで辺りは暗い。
緩慢な仕草で首を巡らす。
燭台の灯り一つを卓に置き、椅子に腰かけたカイルの姿が見えた。窓が開いていて、その向こうには星空が広がっている。
「気付いた?」
身じろぎを察したのだろう。素早く声をかけられる。
「うん」
今さら寝たふりをしても始まらないと、素直に返事をした。
カイルは立ち上がり、卓上にあった水差しからコップに水を注いで寝台に歩み寄って来る。
「無理させて悪かった。夕方に町について、医者に見てもらった。処置が良かったみたいできれいな傷口だって。痕は残るかもしれないけど、いずれきちんと治るって言っていたから、安心していい。喉渇いているんじゃないか」
アシュレイはコップを受け取る為に起き上がろうとする。体に力が入らない。
カイルは寝台に腰を下ろすと、アシュレイの背に腕を差し入れて上半身を支えて起こしてくれた。
「コップは俺が持っているから、ゆっくり飲んで」
唇にコップを寄せて、少しずつ傾けて飲ませてくれる。乾ききった口内から喉へ、甘露のように水が染みわたる。
「可哀そうに、頬がこけている。ここ数日あまり食べていないみたいだね。いきなり食べると腹が痛くなるかもしれないから、飲み込みやすい柔らかいものから。ハチミツ入りの白パン。少しずつ」
寝台横の小卓に、皿にのせて用意していたらしい。カイルは手を伸ばしてパンを掴むと、膝の上に置いて片手で器用に小さくちぎり、アシュレイの口元に持ってくる。
(ものすごく親切なんですが……!?)
故国にいた頃は、これほど親しく話したことはない。年齢差もあったし、距離も感じていた。
打ち合ったり切り合ったりしたことはあるが、触れ合うことなどなかった。
はぐ、とパンを噛んで飲み込んでから、アシュレイはおそるおそる尋ねてみる。
「状況が飲み込めないんですが」
「今はパンが飲み込めればいいんじゃないか?」
(そういう問題なのかな?)
疑問に思うものの、パンは続けざまに口元に運ばれてくる。しかも、食べれば食べるほどに自分の飢えを自覚することになり、すぐに話す余裕を失ってしまった。
怪我人の介助慣れしているのか、カイルの振舞いは的確で、水も良いタイミングで飲ませてくれる。
時間はいつもよりかかったが、気が付いたら完食していた。
「うん。それだけ食べることができるなら、何も心配はいらない。明日はもっと元気になっているよ。今日はそのまま眠るといい」
優しい口調で言って、ゆっくりとアシュレイの体を寝台に寝かせてから、背にまわしていた腕をそっと抜き取る。
ありがたい優しさであったが、アシュレイの中に積もった疑問は晴れない。
「カイル、どうしてここに? その……、私はエグバード様の妻なので。あ、ええと……実は姫様がオズワルド団長と……。それで、私がいまその穴埋めとして、姫様の代わりをつとめているんだけど」
何をどこまで知っているのかわからず、しどろもどろになりながら説明をする。
(たしかカイルも私のことを「花嫁」と言っていたから、ついそのまま話してしまったけど。使節団に加わっていなかったカイルは、姫の駆け落ちを知っているのかな)
まずはその説明から、と身構えて言ってはみたものの。
にこり、とカイルは微笑んだ。少年めいて見える端整な容貌が、窓からの星明りに際立つ。
「その髪。姫と同じ色に染めていたし、切り裂かれてはいたけれど、およそ護衛騎士らしからぬドレスを着ていた。大体の事情は理解しているつもり。ひどい男だね」
なぜか背筋に寒気が走るほどの冷気に満ち満ちた声。
気のせいでなければ、怒っている。
(カイル?)
「ドレス……は、あれは自分で! アクチュエラ城で捕まって逃げることになって、動きにくくて」
「どうして国賓と招かれた城でそんな目に遭うんだ。あの王子は一体何をしてそこまで怒りをかったんだ?」
自分の説明能力のなさに焦りを覚えつつ、「違うの」とアシュレイは繰り返した。
「エグバード様は悪くないの。アリシア姫がエグバード様を好いて……執着してらっしゃって。それで、自分を振って妻を迎えたエグバード様を逆恨みしていて。それで、姫様のふりをしていた私を葬ろうとしていたみたいなんだけど……ブスだから許してもらえた? みたいで」
絶望的に説明が下手だ。間違いない。
カイルは凍り付いたような笑みを浮かべたまま「寝たら?」と言ってきた。
明らかに、真に受けていない。
「カイル、話を聞いて。何かこう、いまたぶん、すごく誤解がある」
「大丈夫、大体わかっている。つまりアシュレイは団長と駆け落ちしたレイナ様のふりをして、エグバード様と結婚したふりをした。その挙句、殿下の昔の女に刺された。そういうことだね?」
だいぶ端折られた気がしたが、大筋は間違いではない。
(間違いではない……かな?)
心許無い。何かが。絶対に何か見落としていると思えば思うほど、動悸が激しくなってきて、すぐには眠れそうにない。
「カイル」
未練がましく声をかけたところで、目の上に大きな手を置かれて、強制的に目を閉ざされた。
「まず寝なさい、アシュレイ。話は明日だ。口答えは許さない。これ以上夜更かしするつもりなら、気絶させる。喋らないで」
視界がきかないというのは、生殺与奪を握られている緊張感がすごい。
アシュレイはひとまず口を閉ざした。納得はしていない。
(エグバード様は……今どうなさっているんだろう)
考えているうちに、弱り切った体が休息を必要としていたらしく、眠りに落ちた。
夢は見なかった。
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