王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

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第七章

姫と騎士と美学

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 屋上温泉組が合流してテーブルを囲み、会話を始めてほどなくして、ジュディはこれまでとは空気感が違うことに気付いた。

(ギスギスしていない。ガウェイン様の態度が、柔らかい。ジェラルドに対してもすごく優しい?)

 グラスを傾けながら、楽しげに話しかけている。ジェラルドもまんざらではない様子で軽口を叩き、よく笑っていた。顔立ちに似通ったところがある二人だけに、そうしているとまるで仲の良い兄弟のように見える。
 アルシアのはからいで、ステファンやラインハルトもテーブルについていたが、これまでのところジェラルドと衝突する素振りもなく、実に和やかな晩餐の席となっていた。

 アルシアの向こう側に座るステファンに対し、ジュディは少しばかり声をひそめて尋ねた。

「皆さんすごく打ち解けていますが、裸の付き合いは効果抜群ということでしょうか」

 ローストビーフをたっぷりと盛られた皿を前に、量をものともせずに優雅な手つきで確実に平らげていたステファンは、ジュディとアルシアにちらりと視線をくれて答える。

「私は湯に入っていないのでわかりかねますが、フィリップス様の血色はだいぶよくなったように思います。楽しかったのではないでしょうか」
「怪我人も出ていませんし、一触即発の気配が嘘みたい」
「嘘ではないでしょう。危機は依然としてそこにあります。ただの休戦ですよ。閣下がその事実を見誤ることはありません」

 実直そうなその声が、ジュディの胸に重く響いた。

 この国の築き上げてきたものを瓦解させ、一気に独裁への道を駆け上がろうとしている者がいる。
 戦争を起こし、犠牲を払いながら覇道を進もうとする者。

(年若いジェラルドではなく……。動機があって、能力もある人物を私たちは思い描くことができる。公的には亡くなったことにされていて、いまだその実態が掴めない王弟殿下フローリー公。そして、フィリップス様のお兄様)

 運命を捻じ曲げられ、東地区で育った王子が実在するのだとすれば、彼は何を思っているのだろう。
 生きていれば、それこそガウェインとあまり年齢的には変わらないはず。その決して短くはない年月に積み重ねた思いとは。
 言い知れぬ不安を覚えて、ジュディがガウェインに視線を向ける。赤ワインのグラスを傾けていたガウェインが気付いた。優しげなまなざしで応えられ、ジュディもとっさに微笑み返す。
 胸騒ぎがするのは、気の所為だと忘れようとした。

「そろそろオペラが始まるわ――」

 アルシアの声がけとともに、テーブルの上での会話が途絶え、つかの間の静寂が訪れる。
 灯りに照らし出されたバルコニータイプの舞台に、ガウェインが伏し目がちに視線を向けた。

 高く豊かに響く、女性歌手のはじまりの口上。
 歌い上げられた詞を耳にして、ジュディは目をみはった。
 歌詞を追いかけながら、記憶を探る。

(この演目は……バードランドの姫君が、和平のために隣国の老王の下へ嫁ぐ筋立ての。誇り高い姫君は、老王から迎えの騎士を差し向けられたときに「和平のために」と騎士に杯をすすめ、自分も飲み干す。けれどそれは毒の杯で)

 騎士は、毒の杯と知りながら、姫の目を見つめて飲み干す。
 姫もまた、騎士と見つめ合いながら毒の杯をあおる。
 そのとき、毒は「愛の秘薬」となり、杯を飲み干した二人はその場で抱き合って、道ならぬ恋に身を焦がすことになるのだ……。
 行き着く先は、騎士と姫に対する老王の怒り、そして国を裏切った姫への国民の怒り。
 姫と騎士は逃避行の末に、死の淵でも愛を叫んで息絶える。
 老王は行き場のない悲しみを抱えながら二人を許すと歌い上げて、終幕。

「……これは、悲恋ですよね」

 普段は悲恋ものは避けていると、言っていたはずなのに。
 その意味でジュディがこそっとアルシアに小声で尋ねると、アルシアは沈痛な面持ちで頷いた。

「バードランドの出てくる演目にしてと頼んだのだけど、裏目に出てしまったわ。婚約のお祝いの席にとんだ不倫ものをお見舞いしてしまって、申し訳ないことを」

 ステファンの出自に気づき、アルシアとしては決して差別的な待遇をするつもりはなく、歓迎の意思を示そうと気を回したのだろう。それが、まさかの演目を選ばれてしまったということらしい。

「ですがこれは、この国とバードランドが愛によって結ばれる内容ですから、まったく悪くないと思います」

 ジュディは、アルシアの気持ちを汲み、ポジティヴな要素を全力で持ち上げた。
 しかし、気落ちしたアルシアはごくごく正直な所感を口にした。

「不倫なのよね。私、不倫って嫌いなのよ。噂でずいぶん煩《わずら》わされたから」

 そこには大変な実感がこもっていた。
 ぼそぼそと話すジュディとアルシアの横で、ガウェインとステファンは目配せを交わしていたが、この場はガウェインがステファンに譲った。 
 譲られたステファンが、落ち着き払った声で告げた。

「俺は好きですよ、この演目。選んでくださってありがとうございます。たとえ道ならぬ恋であっても、思いを貫く騎士の姿は男の美学にふさわしい」

 落ち込んでいるアルシアに対しての、真心のこもったフォローであった。
 アルシアは顔色を失ったままであったが、「ええ、そうね」と慰めを得たように頷いてみせる。

「私も好きよ。若く美しい騎士に愛される姫君は、永遠の憧れだわ。不倫はいけないと思うけど」
「そうは言っても、いまのアルシア様は相手のいる方に恋をしない限り、不倫にはならないのでは?」

 珍しく、ステファンが踏み込んだ発言をした。
 言われたアルシアは少し考える素振りをみせたが、やがてくすりと声を上げて笑った。

「二度目の夫ラザレスは、きちんと看取っていますからね。死体も見つからなかった一人目の夫、フローリー公とは違って」

 乾いた響きの声であった。
 それまで黙って聞いていたガウェインが、不意に口を挟んだ。

「俺はそんなに、フローリー公に似ていますか? 最近またずいぶんと言われるんです」

 核心に迫る問いかけに対し、アルシアは即座に答える。

「いいえ。あなたは、あなたよ。私はあの方に似ているとは思わない。似ていると言う者たちは目が節穴なの。あなたはラザレス様と私の子。似ているとすれば私とラザレス様にであって、私のひとり目の夫は関係がありません」

 きっぱりと答えるアルシアの顔を、ジュディは黙って見つめていた。

(嘘はないと、思う。ガウェイン様が信じるこの方のことを、私も信じるわ)

 ガウェインは、そうですかと短く答えた。その横顔には、ほっとしたような表情が浮かんでいた。

 その後は、食事をしながら会話は最小限にして、全員でオペラに耳目を集中させていた。
 やがて、デザートまで食べ終わり、終幕となったところでアルシアが軽やかに告げる。

「それでは、私たちは一足先に屋敷に帰りましょう。あなたたちは少しゆっくりしてきてもいいわよ。屋上の温泉、使えるから」

 温泉……と聞いていたジュディは、それがガウェインと自分に向けられた言葉だと遅まきながら気づき、ぎょっとして聞き返してしまった。

「温泉ですか!? 私とガウェイン様で!?」
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