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第七章
素朴な疑問
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通路は、レストラン内のアルシアのための席に直通だった。
個室として区切られており、正面から舞台がよく見える。
ジュディは、屋上露天風呂の男性陣のことは、気にしても仕方ないと忘れることにした。仲良くしてくれていると、信じるしかない。望み薄ではあったが。
クロスのかかった丸テーブルにアルシアと並んで座り、果実酒で喉を潤しながら、まだ何も始まっていない舞台を眺めつつのオペラ談義となる。
「オペラの筋立てって、悲恋が多いですよね。気の所為ではないと思います。もちろん恋愛成就や大団円もありますけど、初見の舞台は下調べが必須かと思います。不倫と愛憎の果てに全員死亡エンドなんてのもありますし」
グラスを傾けていたアルシアは、ジュディの語る内容にうんうんと頷く。
「わかるわ。決闘、毒薬、すれ違い、裏切り。重いわよね。この場は、食事をしながらだからなるべく明るい演目をお願いしているけれど。悲劇も人気はあるから、たまになら良いかなと……悩ましいところなの。客入りが読めないわ」
経営者らしく頭を抱える様子を見て、ジュディは何気なく尋ねた。
「アルシア様のお好きな作品なんですか?」
ちらっとアルシアはジュディに物言いたげな視線を流す。
そして、ぼそりと言った。
「不倫にまつわる愛憎は勘弁ね。私と夫とフローリー公の話はどこまで聞いているの?」
果実酒を口に含んでいたら、まちがいなく悲惨なことになっていた。ジュディは辛くもその難を逃れ、掴みかけていたグラスから手を引っ込めると、アルシアを見つめて慎重に答えた。
「再婚だと、聞いています。フローリー公が生死不明になったあと、一年以上時間を置いてジュール前侯爵と結婚なさったと」
「そうね。その通りよ。それなのに、ガウェインは夫ではなくフローリー公の子ではないかという噂が立った。噂は……、意図的に流されたものだとは思うけれど、そのせいで夫も私もずいぶん振り回されたものよ。私たち夫婦は、ガウェインにずいぶんみっともない姿を見せてしまった。彼が結婚に興味関心がないのは、育った環境の影響だと思っていたもの。結婚するって知らせがあって、驚いちゃった」
アルシアは、あまり酒に強くないのかもしれない。
すっきりとした美貌を朱に染めて、瞳を潤ませながら笑っている。泣き笑いのようにも見えた。
「そして因果は巡る――なのかしら。再婚だと。ガウェインが選んだあなたに文句をつける気はないわ。ただ、心配なの。私は長いこと夫の信頼を得ることができなかった。あなたは……」
唇を噛み締めて、絶句してしまったアルシア。
その様子を見ていられず、ジュディは告白した。
「私は白い結婚と言いますか、その、結婚当初から夫となった方には別に大切な女性がいまして。その方と結ばれるためには、私との間に子供ができては困るというのが元夫の言い分でした。私もそこで食い下がる気はまったくなくて、ですね。寵愛を競うですか、そういったこともまったく考えませんでした」
「嘘ぉ。そんなこと言っても、とりあえず手は出すものじゃないの?」
あけすけと言い返されて、今度はジュディが絶句した。
(手を……出されませんでした!)
言って良いものか。自分のプライドや体面など些細なことを気にするくらいなら、いっそ全部言ってすっきりしたほうが良いのではないか。完全に嘘偽りなく白い結婚だったのは間違いない、と。
短い間にジュディは悩みに悩み、打ち明けることを決意した。
しかし、先に口を開いたのはアルシアだった。
「ガウェインは? どうなの?」
答えにく過ぎる質問である。
それでも、ジュディはなんとか努力して正確なところを伝えようとした。
「あの……ガウェイン様とはですね……、一緒に暮らしているわけですから」
「でも、前の方とも一緒に暮らしていて、何もなかったのよね?」
追い詰める意図ではないと思うものの、地味にダメージが大きい。
ジュディはひとまず、グラスの果実酒をあおった。
自分を鼓舞して、なんとかアルシアの質問に答えようと居住まいを正す。
そのとき、アルシアの側仕えが控えめに近づいてきて、アルシアに耳打ちをした。
来客があります、と告げたようだった。
個室として区切られており、正面から舞台がよく見える。
ジュディは、屋上露天風呂の男性陣のことは、気にしても仕方ないと忘れることにした。仲良くしてくれていると、信じるしかない。望み薄ではあったが。
クロスのかかった丸テーブルにアルシアと並んで座り、果実酒で喉を潤しながら、まだ何も始まっていない舞台を眺めつつのオペラ談義となる。
「オペラの筋立てって、悲恋が多いですよね。気の所為ではないと思います。もちろん恋愛成就や大団円もありますけど、初見の舞台は下調べが必須かと思います。不倫と愛憎の果てに全員死亡エンドなんてのもありますし」
グラスを傾けていたアルシアは、ジュディの語る内容にうんうんと頷く。
「わかるわ。決闘、毒薬、すれ違い、裏切り。重いわよね。この場は、食事をしながらだからなるべく明るい演目をお願いしているけれど。悲劇も人気はあるから、たまになら良いかなと……悩ましいところなの。客入りが読めないわ」
経営者らしく頭を抱える様子を見て、ジュディは何気なく尋ねた。
「アルシア様のお好きな作品なんですか?」
ちらっとアルシアはジュディに物言いたげな視線を流す。
そして、ぼそりと言った。
「不倫にまつわる愛憎は勘弁ね。私と夫とフローリー公の話はどこまで聞いているの?」
果実酒を口に含んでいたら、まちがいなく悲惨なことになっていた。ジュディは辛くもその難を逃れ、掴みかけていたグラスから手を引っ込めると、アルシアを見つめて慎重に答えた。
「再婚だと、聞いています。フローリー公が生死不明になったあと、一年以上時間を置いてジュール前侯爵と結婚なさったと」
「そうね。その通りよ。それなのに、ガウェインは夫ではなくフローリー公の子ではないかという噂が立った。噂は……、意図的に流されたものだとは思うけれど、そのせいで夫も私もずいぶん振り回されたものよ。私たち夫婦は、ガウェインにずいぶんみっともない姿を見せてしまった。彼が結婚に興味関心がないのは、育った環境の影響だと思っていたもの。結婚するって知らせがあって、驚いちゃった」
アルシアは、あまり酒に強くないのかもしれない。
すっきりとした美貌を朱に染めて、瞳を潤ませながら笑っている。泣き笑いのようにも見えた。
「そして因果は巡る――なのかしら。再婚だと。ガウェインが選んだあなたに文句をつける気はないわ。ただ、心配なの。私は長いこと夫の信頼を得ることができなかった。あなたは……」
唇を噛み締めて、絶句してしまったアルシア。
その様子を見ていられず、ジュディは告白した。
「私は白い結婚と言いますか、その、結婚当初から夫となった方には別に大切な女性がいまして。その方と結ばれるためには、私との間に子供ができては困るというのが元夫の言い分でした。私もそこで食い下がる気はまったくなくて、ですね。寵愛を競うですか、そういったこともまったく考えませんでした」
「嘘ぉ。そんなこと言っても、とりあえず手は出すものじゃないの?」
あけすけと言い返されて、今度はジュディが絶句した。
(手を……出されませんでした!)
言って良いものか。自分のプライドや体面など些細なことを気にするくらいなら、いっそ全部言ってすっきりしたほうが良いのではないか。完全に嘘偽りなく白い結婚だったのは間違いない、と。
短い間にジュディは悩みに悩み、打ち明けることを決意した。
しかし、先に口を開いたのはアルシアだった。
「ガウェインは? どうなの?」
答えにく過ぎる質問である。
それでも、ジュディはなんとか努力して正確なところを伝えようとした。
「あの……ガウェイン様とはですね……、一緒に暮らしているわけですから」
「でも、前の方とも一緒に暮らしていて、何もなかったのよね?」
追い詰める意図ではないと思うものの、地味にダメージが大きい。
ジュディはひとまず、グラスの果実酒をあおった。
自分を鼓舞して、なんとかアルシアの質問に答えようと居住まいを正す。
そのとき、アルシアの側仕えが控えめに近づいてきて、アルシアに耳打ちをした。
来客があります、と告げたようだった。
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