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第七章

母の後悔

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 夕暮れ時の街の風景は、陽気な風をはらんでいた。
 蜂蜜色の建物群はガス灯によってライトアップされていて、明かりの落ちた石畳の上を、ひとと馬車が行き交う。
 賑やかで、活気がある。

 一行は馬車二台に分乗して、温泉施設に向かった。
 到着した建物は、古代都市の浴場施設を再現したかのような石造建築で、ファサードに立ち並ぶ石柱がさながら神殿のような威容であった。

「こちらが一般向けの大浴場。自称殿下をお通ししたのは、あちらよ」

 建物の前で馬車から下りたアルシアが、暮れなずむ空を手で指し示す。

(上?)

 つられてジュディは顔を上げた。
 かなり高い建物の向こうに、何があるのかと目を凝らしたところで、アルシアが解説を添える。

「屋上の露天風呂。絶景よ。空が近くて、夜景も一望できるわ。お酒は、飲んで溺れたら命に関わるからオススメしないけど、少しくらいなら。男性陣はごゆっくり。私たちは後からいきましょうか。お腹空いてない?」

 アルシアに誘導されるがままに一般向けとは別の入口から建物に入り、屋上行きの昇降機《エレベーター》の前でフィリップスたちとは別れる。
 ステファンが若干迷うそぶりを見せたが、ジュディから「殿下についていてください。こちらにはアルシア様の護衛がいます」と申し出た。アルシアは「ひとりだけ入りそびれるわよ。それとも、後で私たちと一緒に入りたいの?」と笑いながらからかい、ステファンは「先に頂きます」と言って別行動を了承をした。

 男性たちを見送り、他に誰ともすれ違わない贅沢な造りの廊下を、アルシアとともに進む。敷き詰められた絨毯は真っ青で、ガス灯が両脇の壁に規則正しく並んでいた。
 ちらっと、肩越しにジュディを振り返り、アルシアが微笑んだ。

「レストランには、ちょっとした仕掛けがあるのよ。奥にバルコニーのようにせり出した舞台を作っていて、オペラのライブを聞きながら食事ができるの。今日は、全員揃ったところで始めるよう手配してあるわ」

「素敵ですね……!」

 さすが、貴族にも注目される観光地として躍進しているだけある。そんなレストランは王都にもなかなかないのでは、とジュディは目を輝かせた。
 まさにその心を読んだように、アルシアが話を続けた。

「私が知る限り、王都にも一軒あったわ。舞台に立っているのはプロの卵、音楽学校の学生が多くて、料理はそれほど気取っていなかった。だから、貴族の利用はさほど多くなかったと思うけど、私は好きでときどきガウェインとも行ったの。きっと彼は今でも好きよ。一緒に行ったことない?」

 笑顔で尋ねられ、ジュディはとっさに表情を作り損ねた。
 最近彼と知り合った自分とは違い、アルシアは母親だ。ジュディの知らないことをたくさん知っているのは当然のこと。この話題選びにも、試す意図や悪気などあるはずもない。
 だが、ふとした瞬間に、彼と積み重ねた思い出があまりにも少ないことに気づいてしまうのだ。

「何度か、デートをしようとしたことはあるんですけど、タイミングが悪くて。もしかしたら、誘おうとはしてくれていたかもしれません。夜に出かけようと話していた日もあります」

 返答は、なんとも歯切れの悪いものになった。
 
(その日はジェラルドに誘拐されてしまって、うやむやになったんですよね)

 冴えない反応は予想外だったのか、水を向けたアルシア自身、ジュディの表情に動揺したように「あら、そうなの」と声に出して呟いた。

「気が利かない子でごめんなさいね。一体何をしているのかしら。もしかして、本当に家に閉じ込めているだけなの? ちょっと叱りたいわ」

 本格的に責任を感じているような口ぶりに、ジュディは慌てて「違います、大丈夫です」と思わず遮ってしまう。そのまま続けた。

「決してそんなことは無いです。本当にタイミングの問題だと思います。王都に戻ったら、話題にしてみます」

「彼、肝心なところで察しが悪そうなのよね。言うときは、間違いようがないようにはっきり言った方が良いわ。下手に『ブルー・ヘヴンで素敵なお店があって』なんて言おうものなら『もう一回行きますか?』って勘違いしそう。ああ、目に浮かぶ。なんで今日この場に来ていないのよ。言いたいことがたくさんある……!」

 アルシアの切羽詰まった物言いを耳にして、ジュディもようやくアルシアの心情に思い至った。
 飄々として余裕を見せていたから、息子の結婚相手と初対面などあまり気にしていないかと思っていたが、そんなわけがなかったのだと。
 気を使われているとは感じていたが、それ以上にアルシアも実は緊張していたのかもしれない。

「ガウェイン様の察しが悪いと感じたことはないんですが、意外に楽観的なところはあるかもしれません。ですので、こう……、私とアルシア様が、初対面でも問題なく話が弾むと信じていたと思います。話題選びで緊張するとか、そういったことは全然想定もしていなかったのではないかと」

「私の育て方が悪くて……」

 追い詰めるつもりはなかったのに、アルシアは両手で顔を覆ってしまった。
 いけない、とジュディは勢い込んで身を乗り出す。

「育て方は全然問題無いと思います! ものすごく周りの人を信頼している方なんです! 自分の好きなひとと好きなひとなら当然うまくいく、とお考えになっているのではないかと!」

 精一杯のフォローをしたのに、アルシアにはきりっとした顔で見返されて、きっぱりと言い切られた。

「ビジネスでは『友達の友達は友達ですから』とリップサービスで言うこともありますが、現実的に友達の友達は、友達ではありません。自分が知り合うまでは完全な他人です。そのくらい、あの子もわかっているでしょう。母と嫁は他人です。自分がいなくても良いと判断した根拠を示して頂きたいものね。だめだわ。説教決定」

 ここでもガウェインが責められる流れとなってしまった。

(どうしましょう。私が何がなんでもガウェイン様が来てくださらないと、とお願いすべきだったのかもしれないわ。遠慮したつもりはなかったけど、お仕事があるから無理だと最初から決めつけていて)

 ガウェインだけが悪いわけではないと思いつつ、ジュディはそっと頭を下げた。

「申し訳ありません」
「勘違いしないで。あなたを叱っているわけではないの。いいわ、喉も乾いたことだし何か飲みましょう。温泉組が戻ってくるまで」

 即座に言い返されて、否やもなく、ジュディはアルシアとともに廊下を進み、レストランのホールへと足を踏み入れた。


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