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第七章
名を奪われた者の視線の先
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ジェラルドを追いかけてきた従者が「殿下、どこへ行かれたかと」と慌てふためいた顔で呼びかける。
それから、対峙しているフィリップスに気付いてばつの悪そうな顔をした。
ジェラルドは、ステファンとの格闘で乱れた立ち襟を指で弄りながら従者へ向かって「なんでもない。行こう」と愛想よく笑顔で答える。
その様子を、フィリップスは無言で見つめていた。
(すっかり立場を奪われていますね。ガウェイン様が王宮内で執務を続けていても、ジェラルドの入れ替えに関する流れは食い止められないのでしょうか)
彼が、何もしていないわけがない。いずれフィリップスが帰ってくることを前提に動いていると、ジュディは信じている。
一方で、ガウェインが実際的な人物であるのも確かで、その一点において現行その場に居る者を「殿下」として扱っているのも想像に難くないのだった。ガウェインひとりが彼を無視をしたり、認めなかったとしても、仕事が滞るだけなのだから。
彼の性格を考えれば、飄々とした態度でジェラルドにつかず離れず、その様子を悪魔的な用心深さで観察していると考えるのが自然かもしれない。
拒絶ではなく、まず知らなければ、対策も立てようがないのだと考えて。
ジュディもまた、今はこの場で自分のできることをしてみようと思い立つ。まずはジェラルドに話しかけて、彼を知るのはどうか、と考えた。
その矢先に、フィリップスが立ち去ろうと背を向けたジェラルドに声をかけた。
「ジェラルド」
ジェラルドは無表情に振り返った。
自分を見つめるフィリップスと視線を交わすと、ゆっくりと相好を崩して破顔する。
「教えてあげよう。僕の名前はフィリップスだよ。そしてお前は名無しだ。それが嫌なら僕が名前をつけてあげようか。さて、何が良いか」
友好的と勘違いしそうなほど、魅力的な笑顔で挑発的なことを口にした。
(実質の勝利宣言。嫌味が本当に嫌味だわ)
ガウェインに似た面影を持つ者に、こうも皮肉っぽく話されると、ジュディとしても言い知れぬ苦痛がある。
その横で、フィリップスは軽く眉をひそめ、澄んだ声で返した。
「さっきから襟が気になっているようだが、白いシャツは着慣れないんじゃないか? 無理をせず、従者の手を借りたらどうだ」
すぅっと、劇的なまでにジェラルドの顔から表情がかき消えた。
瞳には怒りが迸り、今にも向かってきそうな気迫が溢れ出す。
その目覚ましい変化を目の当たりにし、殺気にあてられて、ジュディはぴくりとも動けぬまま息を止めてしまった。
(殿下、いまのは東地区での生活をあてこすりましたね。さすがに相手の泣き所をご存知で!)
ジェラルドの直接的な嫌味に対して、たった一言で実にスマートに煽り返している。
白いシャツは着慣れないんじゃないか? とは。
貴族階級では以前、格子柄や縦縞の柄の入ったシャツがお洒落とされて流行った時期がある。しかし、流行は廃れていまは白く糊のきいたシャツが主流となった。
一方で、柄シャツは現在平民階級で流行となっている。理由は簡単で、汚れが目立ちにくいからだ。
フィリップスがジェラルドに言ったのは、つまり「馬子にも衣装とは言うが」ということで、その衣装が似合っていない、貴族の服が様になっていないと煽ったのだ。
「まだ立場がわかっていないようだな。殴られ足りなかったのか?」
顔色を失って脅すように悪態をついてきたジェラルドに対し、フィリップスはあははは、と軽やかに声を立てて笑った。
「それはお前じゃないのか。ステファンにずいぶんしてやられたみたいだが、そんなに弱かったのか? それでよく東地区で頭張ろうとしていたよな。お前ほど弱い奴に、誰がついてくるんだ。案外、向こうでうまくいかなくて王宮に転がり込んできたんじゃないか? 王宮の面々はお前に優しいか?」
畳み掛けるように言って、笑い飛ばしながらフィリップスはとどめのように言った。
「優しくしてもらえて良かったな。お前が生き生きしていて俺も嬉しいよ。潰し甲斐がある」
言い終えたときには、すでにその顔から笑みが消えていた。
恐ろしく真剣な目で、ジェラルドを見据えて唇を引き結ぶ。
その表情が、どんな言葉よりも雄弁に彼の心の内を語っていた。
その悔しさを。
それから、対峙しているフィリップスに気付いてばつの悪そうな顔をした。
ジェラルドは、ステファンとの格闘で乱れた立ち襟を指で弄りながら従者へ向かって「なんでもない。行こう」と愛想よく笑顔で答える。
その様子を、フィリップスは無言で見つめていた。
(すっかり立場を奪われていますね。ガウェイン様が王宮内で執務を続けていても、ジェラルドの入れ替えに関する流れは食い止められないのでしょうか)
彼が、何もしていないわけがない。いずれフィリップスが帰ってくることを前提に動いていると、ジュディは信じている。
一方で、ガウェインが実際的な人物であるのも確かで、その一点において現行その場に居る者を「殿下」として扱っているのも想像に難くないのだった。ガウェインひとりが彼を無視をしたり、認めなかったとしても、仕事が滞るだけなのだから。
彼の性格を考えれば、飄々とした態度でジェラルドにつかず離れず、その様子を悪魔的な用心深さで観察していると考えるのが自然かもしれない。
拒絶ではなく、まず知らなければ、対策も立てようがないのだと考えて。
ジュディもまた、今はこの場で自分のできることをしてみようと思い立つ。まずはジェラルドに話しかけて、彼を知るのはどうか、と考えた。
その矢先に、フィリップスが立ち去ろうと背を向けたジェラルドに声をかけた。
「ジェラルド」
ジェラルドは無表情に振り返った。
自分を見つめるフィリップスと視線を交わすと、ゆっくりと相好を崩して破顔する。
「教えてあげよう。僕の名前はフィリップスだよ。そしてお前は名無しだ。それが嫌なら僕が名前をつけてあげようか。さて、何が良いか」
友好的と勘違いしそうなほど、魅力的な笑顔で挑発的なことを口にした。
(実質の勝利宣言。嫌味が本当に嫌味だわ)
ガウェインに似た面影を持つ者に、こうも皮肉っぽく話されると、ジュディとしても言い知れぬ苦痛がある。
その横で、フィリップスは軽く眉をひそめ、澄んだ声で返した。
「さっきから襟が気になっているようだが、白いシャツは着慣れないんじゃないか? 無理をせず、従者の手を借りたらどうだ」
すぅっと、劇的なまでにジェラルドの顔から表情がかき消えた。
瞳には怒りが迸り、今にも向かってきそうな気迫が溢れ出す。
その目覚ましい変化を目の当たりにし、殺気にあてられて、ジュディはぴくりとも動けぬまま息を止めてしまった。
(殿下、いまのは東地区での生活をあてこすりましたね。さすがに相手の泣き所をご存知で!)
ジェラルドの直接的な嫌味に対して、たった一言で実にスマートに煽り返している。
白いシャツは着慣れないんじゃないか? とは。
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一方で、柄シャツは現在平民階級で流行となっている。理由は簡単で、汚れが目立ちにくいからだ。
フィリップスがジェラルドに言ったのは、つまり「馬子にも衣装とは言うが」ということで、その衣装が似合っていない、貴族の服が様になっていないと煽ったのだ。
「まだ立場がわかっていないようだな。殴られ足りなかったのか?」
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言い終えたときには、すでにその顔から笑みが消えていた。
恐ろしく真剣な目で、ジェラルドを見据えて唇を引き結ぶ。
その表情が、どんな言葉よりも雄弁に彼の心の内を語っていた。
その悔しさを。
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