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第七章

血を感じる

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「遠いところまで、ようこそお越しくださいました。滞在中はどうぞ羽根を伸ばしてゆっくりなさってくださいね」

 本当に街を徒歩で歩き切り、アルシアの住まいである連棟住宅《テラスハウス》に着いてから、一行は改めて挨拶を受ける運びとなった。

(なぜわざわざテラスハウス住まいかと思いましたが……、ゴージャス!)

 貴族向けに作られたということもあり、蜂蜜色の外観も圧巻の素晴らしさであったが、室内の調度品もすべて行き届いている。
 アルシアは、領主代行としてブルー・ヘヴンの発展に辣腕を振るう傍ら、屋敷の女主人としても実に有能なひとなのだと、ジュディは舌を巻く思いだった。
 しかも、迫力の美人。
 肌と髪が綺麗で、年齢がまったくわからない。
 表情が豊かで仕草に可愛らしさがあり、茶目っ気たっぷりの印象だが、口を開くと見た目の想像より低めの声で、引き締まった話し方をする。
 
「婚約の件は、本当にめでたいことと思います。我が家に新しい家族を迎えられて、私も嬉しいです。ですがその話の前に。フィリップス様、何やらまた災難に見舞われていると聞いておりますが」 

 アルシアは応接室《ドローイングルーム》の窓際に立ち、ソファに座ったフィリップスへと視線を向けて、早速本題に切り込んできた。
 ふん、とフィリップスは皮肉っぽく笑う。

「災難とはいうが、天災ではなく人災だ。此度の件には、人間の意志が介在している。俺を排除したい、という。そこまで邪魔ならば、さっさと毒でも盛っておけば良かったものを」

 投げやりなセリフであったが、アルシアは眉一つ動かさずに耳を傾け、遠慮のない口ぶりで返した。

「入れ替わりが完了するまでは、死なれるわけにはいかなかったのでしょう。あくまであなたが生きてその日まで席を守っていたからこそ、連れてこられた別人がそこに収まることができたわけです。あの王宮で、あなたはよくぞ今日まで生きて頑張りましたね」

「徒労だ」

 答えたフィリップスは、横を向いてアルシアから視線を外す。その先には固唾をのんで見守るジュディがいて、目が合ったフィリップスは嫌そうなため息とともに反対側を向いてしまった。
 顔を背ける寸前、その目元が潤んで光っていたのを、ジュディは見た。

(王妃様が絶対にフィリップス様には与えない言葉を、アルシア様はくださるんですね。姉妹でも王妃様とは、あまり似ていらっしゃらないけど……。フィリップス様にとっては叔母様で、ある意味とても近い方だわ。泣きたくも、なりますね)

 生きていて良いのだと、力強く肯定する。
 頑張ってきたのだと、その生き方を丸ごと褒める。
 実の親に疎まれ続けてきた彼の存在を、まっすぐに受け止めて、認める。
 フィリップスの壊れかけていた心に、慈雨が染み込むがごとく、その言葉が行き渡るのをジュディも感じた。
 アルシアは、慈悲深い顔からほんの少し表情を違うものに変えて、淡々と続けた。

「徒労かどうかは、この時点では決まっておりません。私はあなたが生きているだけで十分かと思いますが、一方で悪がのさばっているのは大変に寝覚めが悪いです。仕置も受けずにこの先のうのうと生きていられるなんて、まさかそんなこと思ってもいないでしょうが、せっかくなので想像以上の借りを返して差し上げたい」

 わぁ、とジュディは思わず目を細めた。

(ガウェイン様の血を感じる……。そっくりでいらっしゃいます)

 ソファの横に立っていたステファンへそれとなく視線を向けると、まさにジュディと同じことを考えている表情をしていた。
 答えたのはフィリップスである。

「その心意気は結構だが、メディアを完璧に押さえて入れ替わりを事件化させずに風化させようとしている連中だぞ。生半可な手立てではダメージを与えられない」

「私の辞書に生半可という言葉はございませんので、ご安心を。やると言ったことは徹底的にやるのみです。ひとまず、先回りをして立太子式を潰しておきましょう。それをされてしまうと、その後手出しが難しくなるので」

 ジュディは王都にいるはずのガウェインを、その美女に幻視してしまう。そこにいるんですか? ガウェイン様と。
 ただ、受けた印象からすると、アルシアはもう少し過激だ。
 フィリップスが復帰できるかどうかとは無関係に、相手を潰すことに焦点を当てた話をしている。
 声に混じり気のない怒りを乗せ、今にも部屋から飛び出していきそうな剣呑さで。

「立太子式を潰すというのは、具体的にどのような手順でですか?」

 アルシアの激昂をひりひりするほどに感じながら、ジュディは果敢に質問をした。
 美しく切れ上がった瞳をぱちりと瞬いて、アルシアは魅力的な笑みを浮かべる。

「王家の儀式を司宰《しさい》する紋章院の紋章院総裁《アール・マーシャル》以下十三人の紋章官を何らかの方法で押さえましょうか」

「それはなんというか、かなり強引すぎてまずいです」

 ステファンが、良識溢れる一言を放った。アルシアの発言の意味するところは「儀式を執り行う人間の動きを封じる」だが、ジュディもそれはやってはいけないと直感的にわかる。

「では、立太子式の会場であるフォルテ城を攻め落としておきましょう」

「それ、真面目に言ってませんよね? ブルー・ヘヴンは軍を擁しているんですか?」

 ふたたび、ステファンが食い下がった。ジュディはこういった会話にうっすら覚えがある。

(ステファンさん、アルシア様とガウェイン様の親子二代に対するつっこみ役が忙しそうです)

 二人が似ているせいもあってか、ついつい言わずにはいられないのかもしれない。
 却下され続けてもめげずに、アルシアは「そうねえ」と可愛らしく小首を傾げた。

「慣例ではプリンスが継ぐべき領地での叙位式、つまりフォルテ城の引き継ぎが立太子式に当たるわけだけど、そこまで移動の手間をかけずに王都の王室直轄の寺院で強行する線が濃厚だと私は思う。その方が国民の目もあるから派手なパフォーマンスがしやすいし。ぜひ邪魔したい。つまり、この先王家が予定をねじこんできそうな日の寺院を、こちらでふさいでおけばいいと思うわ。とびっきりの慶事で、結婚式がベストね。向こうもなるべく急いでいるはずだから、一ヶ月かせいぜい二ヶ月が勝負よ」

 結婚式で寺院をふさいで、王家に使わせない?
 ジュディはアルシアを見つめて、それは難しいのではの意味で尋ねてしまった。

「かなり大物の結婚式が必要になってきますよね、それ」
「そうね。でもそのつもりで私、もう動いているの。心配しないで、寺院にも顔が利くのよ。あなたはなるべく早くドレスを仕立てて準備を整えて」

 →大物?←←

 隣のフィリップス、立っているステファンとラインハルトの三者から熱い視線を受けて、ジュディは「ひえっ」と声を上げた。

「その結婚式、私ですか?」

 口にした瞬間、ジュディとて自分が間抜けなことを聞いてしまっているとはさすがに気づいた。
 アルシアはそれを咎めることはなく、むしろ不思議そうに聞き返してきた。

「そうよ。他に誰がいるの? もしかして私? 再再婚しようにも相手がいないわ。誰か結婚してくれるかしら」

 そう言いながら、さっと視線をすべらせてステファンを見る。

「どう?」

 何が「どう」なのかは明言せぬまま尋ねられたステファンは、やわらかい微笑を浮かべつつ目はまったく笑っていないというねじれた表情で「光栄です」と答えた。




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