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第七章

その母、女傑につき

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「ジュール侯爵家の領地ですか。俺は良いところだと思いますよ。通称ブルー・ヘヴン。バードランドと隣接している温泉都市《スパ・タウン》で、以前はギャンブルや売春が目立つ遊興の地でしたが、女傑のアルシアさまが改革にあたられてから、ここ十年でずいぶん様変わりしています。温泉の効用を強調して医療機関やホテルを誘致し、一大保養地に生まれ変わらせたのがその代表的な業績でしょうか」

 ガウェインとの結婚報告のため、前ジュール侯爵夫人に会いに行く。
 任務《ミッション》に先立ち、昼食後の食堂で早速アルシア夫人の話題を振ったジュディに、ステファンが滔々と説明をしてくれた。

(ブルー・ヘヴン! そうだわ。離婚前にあれこれ調べていた中で、開発の成果がめざましい土地と耳にして、気にはしていたけど。アルシア様の手腕だったのね)

 事業モデルとして関心はあったが、ジュディの生家リンゼイ家の領地とは何かと条件が違いすぎたため、情報収集が後回しになっていたのだ。
 ステファンが言った通り、もともと荒っぽいイメージのある土地で、しかも遠方ということもあり、気軽に足を伸ばそうと思わなかったこともある。
 だが、王都から離れたその地の改革は、着実に実を結んでいたらしい。

「人口増に対応するため、資金を出して礼拝堂の建て替えを実施、大きな教会の建設も進めていますね。しかも、取り壊した礼拝堂の資材は学校建設に再利用したりと、市民生活に役立つ公共施設の建設にも力を入れています。市場も賑わっていると聞きますし、王都から隔たっているにもかかわらず、国内ではいまトップクラスの先進性を誇っているのではないかと」

「優秀な方なんですね。アルシア様は」

 それ以外の言葉が浮かばない。

(ガウェイン様のお母様、どんな方か具体的に想像したこともなかったわ。儚げな女性とは思っていなかったけれど「女傑」だなんて)

 言われてみればさもありなんで、ひたすら感心してしまう。その母にして、あのガウェインありなのだ、と。

「優秀で美人で弁も立つし気が強い。初婚の相手がフローリー公で、再婚相手がジュール侯爵。社交の場に出てくれば、それだけで話題をさらう。王妃にとっては、天敵だ。しかも、実の妹ときた」

 ベッドから起き出して、食堂で食事をすると言い張って同席していたフィリップスが、食後のお茶を飲みつつすかさず口を挟んできた。
 さらっとした物言いであったが、魔物が跳梁跋扈《ちょうりょうばっこ》するのが貴族社会・社交界だと思っているジュディにとっては、それがかなり重い事実であることは察するに余りある。

(王妃様に同情はしないけれど、国母として皆の上に君臨しなければならないと使命感を抱いているときに、自分より人目を引く女性が視界をうろうろしているのは、きっととても大変だったに違いない)

 心理的にこじれる原因は無数にあったらしい、と納得しながらジュディは呟いた。

「姉妹だからこそ、まったくの他人より難しそうですね。王妃様とアルシア様は不仲だと聞いてはいましたが。ご結婚前に一悶着あったとかなんとか」

 うっかり言いかけてしまったが、途中からまさしく薄氷を踏む思いで、危機感から声が小さくなった。場合によって、フィリップスの脆い部分を踏み抜くのではないかと、気が気ではなかった。
 当のフィリップスはといえば、ジュディの動揺を別段気にした様子もなく「そうだな」と頷いていた。

「王妃が、妹の夫であるフローリー公に横恋慕していたとは、子どもの耳にも入ってきた。だからこそ、ガウェインの扱いは王宮内でも難しいんだよ。王妃からすれば憎い妹の子であり、関係性としては甥。そして、若かりし頃の憧れフローリー公に生き写しの容姿。もしこれでガウェインの父親がジュール侯爵ではなくフローリー公ともなれば、前国王の孫でなおかつ陛下の甥でもあることになる。本人は飄々としているけど、しがらみでがんじがらめの爆心地のど真ん中みたいな……」

 ああ、はい、わかりますとジュディは固い笑みを浮かべてみせた。蜘蛛の巣の、張り巡らされた糸の中心にいるのがガウェインなのだ。

(王妃様にあれほど強気に出られる理由も、このへんの事情が絡んでいるのでしょうか。さらに、王宮内では御本人が辣腕を振るっていて、領地は女傑のお母様が管理なさっていて、目覚ましい発達を遂げていると)

 失脚させるよりは取り込むしかないと判断されるのも、わかろうというもの。
 敵にまわすなら、息の根を止めるくらいのつもりでいなければ、仕返しがおそろしい。それだけの圧倒的な権力と存在感がガウェインにはあるのだ。

「ガウェイン様のお母様。どんな方か、お会いするのが楽しみです」

 ジュディは、嘘ではなく事実として言った。しかし、フィリップスとステファンから、妙に同情っぽい視線を向けられてしまう。

「アルシア様のこと、知ったように言ってしまいましたが、俺は実際にお目にかかったことはないので、どんな方かは存じ上げません。ただ、普通の女性ではないと思います」

 ステファンが、わかるようなわからないようなことを言いだした。

「俺は小さい頃、公式行事で顔を合わせたことがある。笑っているのに目が笑わないタイプだ。王妃と面影が似ていることもあって、俺はひやりとしたな。怖いおばさんだなって思った」

「おばさん」

「怖いくらいの美女。本人はしばらく領地に下がって、社交のシーズンが来ても絶対に王都には戻ってこないんだが。忙しいだろうし、良い思い出もないからかな。それを説得して呼び戻すだなんて、ジュディ先生はさすがだな」

 感心したようにフィリップスに言われて、十中八九からかいだろうと思いつつ、ジュディはふるふると首を振った。

「まだ何も、さすがと言われるようなことはしていません」
「意気込みがもう、さすがだよ。がんばれよ、嫁姑。少しでも問答でしくじると、おそらくそこでアルシア様には会話を打ち切られ、全部の取引を停止される。違うな、取引ではなく『親戚づきあい』だ。大変だよな~」

 軽口は叩くものの、面白がっているというより、明らかに心配をしているい様子のフィリップスに対し、ジュディは精一杯強がって笑いかけた。

「がんばります。ガウェイン様に任務として託されたということは、結婚式にお母様を呼びたいと思っていたってことですからね。なんとか説得しなくては」

 まだ式に関して本決まりではないとはいえ、ジュディはともかく初婚のガウェインは大々的に華々しい結婚式を挙げるつもりなのかもしれないのだ。

(その場にお母様を呼ぶつもりだというのなら、願いを叶えて差し上げたい。そうでなくても、開発手腕に長けた「女傑」に、私だって会ってみたい)

 決意を胸に。
 それから二日後、ジュディとフィリップス、ステファンの三人で鉄道に乗り、その地へ向かうことになる。
 ブルー・ヘヴンへと。
 
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