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第六章

旅に出る理由

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 ジュディにとって、ガウェインはある種の完璧超人である。

(優しくて曲がったことが嫌いだけど、したたかで計算高くて合理的。弁も立つ上に腕っぷしも強くて……、見た目もとても素敵《ハンサム》)

 彼に任せておけば間違いなんてないし、きっとどんな時も頼もしくきびきびと無駄なく行動をして、周囲の模範となってくれる存在なのだ。
 そのように、考えていた時期もあった。
 一緒に暮らすまでは。

「おはようございまーす! 朝です、ガウェイン様、起きてますか?」

 王宮に出仕することを考えると、そろそろ起きてこなければ間に合わない、という時間になってなお、隣室が静まり返っていた。
 これはいけない、もう放ってはおけない、と意を決してジュディはガウェインの私室へと乗り込んで、高らかに朝の訪れを告げた。

「ん~、先生、早くこいつをどかしてくれ」

 カーテンが閉ざされたままの部屋で、天蓋付きのベッドからフィリップスの救援を求める声が答える。
 ジュディはひとまず、重厚な生地で仕立てられた部屋のカーテンを全部開け放った。
 その足でベッドに向かうと、フィリップスがガウェインの下敷きとなり、もぞもぞともがいていた。

「こいつ、見た目痩せてるのにでかいし筋肉ついてるから、重いんだ。変なところ圧迫されて血が止まる。怪我の治りが遅くなる……っ」
「ガウェイン様! フィリップス様の上からおりてください! 怪我人ですよ!」

 ジュディは、ガウェインの体に手をかけて、果敢に揺り起こす。
 さらりとした枯れ草色の髪が、枕に広がる。ハッとするほど美しい顔立ちがあらわになり、きつく閉ざされた瞼が微かに震えた。軽くほころんだ唇からは「ん……」と悩ましげな吐息が漏れる。

「起ーきーてくださーい!! 朝ですよー!!」

 ぐいぐいと体に掴みかかり、揺すりながらジュディが叫ぶ。
 不意に、ぱちり、と目が開く。
 流れるような動作で腕を伸ばし、ベッドの傍らに立つジュディを胸元まで引き寄せて、がっちりと押さえ込むように抱きしめた。

「おはようございます、ジュディ。今日の目覚めはいかがですか? 俺は最高です」

 ぐいぐい、と腕を突っ張りながら、ジュディはなんとかガウェインを突き放そうと精一杯の抵抗をする。

「それは良うございました! そのまま起きて身支度なさってください!」
「もう少しジュディとこうして」
「お時間ですよ」

 ガウェインの腕の力が緩んだところで、ジュディは素早くその拘束から抜け出た。
 一方、ガウェインの下から這い出して逃れていたフィリップスは、ベッドの上で身を起こし、呆れたようにガウェインを見下ろして呟いた。

「朝に弱い。弱すぎる」
「そうなんです。起きると準備は早いんですけど、起きるまでが」

 一緒に暮らし始めて知った、ガウェインの弱点。
 屋敷の者によると「起こさなければ起きる」のだという。どういう意味かとジュディが尋ねると「起こしてくれるひとがいると、甘えて寝過ごす」という答えだった。だから屋敷の者は、朝のガウェインをきれいに無視しているのである。放っておいた方が、放っておかれる危機感からしっかりと時間通りに目覚めるらしい。

 それが、ジュディが来たことで少しだけ、生活習慣に乱れが生じていた。
 朝に弱くなったのである。ずっと寝ていたい、と切なげに言ってジュディにまとわりついてベッドでぎりぎりまで過ごそうとするのだ。
 初日にすでに危機感を覚えたジュディは、自分が来たことでガウェインがだらしなくなるのはいけないと、二日目以降「起きてください!」と声をかけるようになった。そうすると「ジュディの声に起こしてもらいたい」と言って、ジュディ待ちをするようになったのである。
 大の男に甘えられた経験のないジュディは、おおいに面食らった。
 当のガウェインは、とにかく機嫌が良い。

「よく寝た……」

 ボタンが全部はずれ、剥き出しの肌がのぞいたくしゃくしゃのシャツ姿で、のそっと起き上がる。目のやり場に困り、うつむいたジュディの頭に大きな手のひらを乗せて軽く撫でて、通り過ぎて行った。

「あれと寝るの大変だな、先生」

 立ち去るガウェインの背に目を向けながら、フィリップスがからかい半分、同情半分のやや深刻な口ぶりで言う。ジュディは「そこまで大変なわけでは……」と濁しながら呟いた。

「一歩外に出ると敵だらけなのでしょうから、少しくらい気を抜いても良いのではと思いますが」
「甘やかすとつけあがるぞ。もともと人心掌握があいつのお家芸なんだ。先生が許してくれると知ったら、限界まで寄りかかってくる」

 口酸っぱく言われて、ジュディは自分に寄りかかってくるガウェインを想像してみた。
 骨抜きで従順になった大型犬に、懐かれるような。

(それはそれで……可愛いかもと思ってしまう私は……)
 
 完全に重度な恋煩いかもしれない。
 ふるふると頭を振って「寄りかかってくる大型犬」を想像の中から追い払う。
 ひとりで表情をくるくる変えるジュディをぼさっと見つめつつ、フィリップスが「まあいいけど」と話題を移した。

「あいつはしばらく王都を離れられないらしいから、あいつ抜きで旅行に行くことにした。先生も一緒に」
「どちらへ?」
「アルシア様のところ。先生とあいつの、結婚報告及び結婚式のお誘い。どうせなら大聖堂で大々的に結婚式しちゃえよ。再婚だって気にするな」

 結婚式。
 これまで一度も、一切考えていなかった単語を出され、ジュディは目を丸くしてフィリップスを見つめた。

「私と閣下の、結婚式を、するんですか?」
「その前にアルシア様の説得があるぞ。手強いぞ~」

 何やら脅されたが、ジュディはそれどころではない。

「ガウェイン様……っ」

 焦って立ち上がり、ガウェインの姿を目で探す。
 どんな早業か、すでにきちっと出仕に備えた着替えを済ませ、ウェストコート姿でジャケットを小脇に抱えたガウェインが、片手でネクタイをいじりながら笑顔で近づいてくる。

「花嫁衣装、俺が一番楽しみにしています。他の人には見せたくないんですけど、全世界に見せたいような複雑な気分です」

 本当に、結婚するらしい、と知ってジュディは「ええと、あの」と上ずった声を出した。
 その動揺しきった顔のジュディを見下ろし、ガウェインはにこりと微笑んだ。

「旅行の手配と、母への連絡は済ませておきます。数日以内に出られるように準備を進めますので。ステファンもつけますが、気をつけてどうぞ」

 あわあわ、とそれでもジュディが落ち着かない顔をしていると、フィリップスが後ろから「いってらっしゃいのキスは?」とすかさず言った。
 動揺しきったジュディは、言われるがままに背のびをして、ガウェインの顎に唇を押し付ける。

「いってらっしゃいませ。お気をつけて」
「はい。いってきます」

 くるりと踵を返す。
 そのまま数歩進んでから、ガウェインは思い直したように引き返してきて、ジュディを強く抱きしめた。

「いってきます。愛しいひと。はやく結婚しましょう」

 熱烈に囁いて、ジュディの額に唇を押し付けた。


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