王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~

有沢真尋

文字の大きさ
上 下
74 / 104
第六章

素顔の語らい

しおりを挟む
 マディラケーキが食べたい、とフィリップスが言った。
 バターと砂糖と粉と卵をしっかりと混ぜ合わせて焼く、飾り気がなく歯ごたえのあるケーキだ。

「街中のケーキを買い占めてきます。アレンジいろいろあるんですよ。ナッツやスパイスを混ぜたり、レモンやオレンジの輪切りを乗せて焼いたり」

 ベッドのそばで語るジュディに、フィリップスは苦笑して「ふつうので良い」と呟く。

「昔食べたのが、忘れられないくらい美味しかったんだ。また食べたいなって思っただけだよ。そんなに凝ってなくて良いんだ。頑張れば先生でも作れるくらい」

 からかうような物言いに対し、ジュディは「わかりました」と椅子から立ち上がった。

「私、いざというときはなんでも自分でできるようにと、料理を勉強していたこともあります。殿下は私がケーキを焼くなんてできないと思っているみたいですけど、目にものを見せてあげますね」

「目にものをじゃなくて口にケーキを食べさせてくれ。それとも先生のケーキは観賞用で、味はさっぱりなのか?」

 さらっと揚げ足をとられて、ジュディも負けじと言い返し、応酬はなおも続いた。
 その様子を、夜になって屋敷に帰ってきたガウェインは、静かに見守る。ドアのそばに立っていたステファンが、目配せをしてから小声で声をかけた。

「おかえりなさい。殿下、少し元気になってきているみたいですよ。先生と話していると安心するみたいですね」

「子ども時代に、誰も殿下に与えてあげられなかった安心感だろう。裏切られないし、脅かされない。下心もない。そういう相手が、殿下のそばにはいなかった」

「先生のこと、このまま好きになっちゃうかもしれないですよ? 閣下、それは大丈夫なんですか」

 心の柔らかいところを抉るような揶揄に、ガウェインは少しだけ眉をひそめた。

「問題ない。それも含めて正常な精神の発達段階だ。母親が恋しくなれば、父親が目障りになる。俺を邪魔がるくらいで良いんだ、殿下は。子どもって、そういうものだろ」

 ばし、とステファンがガウェインの肩を叩く。「お父さま、頑張って」と耳のそばで囁き、ガウェインは「お前のお父さんではない」と腕を払ってステファンを追いやった。
 そして、ベッドの方へと歩み寄る。

「ガウェイン様! おかえりなさい」

 気付いたジュディが、ぱっと顔を輝かせた。「ただいま帰りました」とガウェインが微笑みでこたえる。
 ベッドに横たわり、上半身を起こしたフィリップスは、口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「後始末か、ご苦労なことだな。仕事が増えただろう。昨日の今日で、周りもずいぶん騒がしかったんじゃないのか」
「問題ありません。やるべきことをやり、帰ってきました。夜は自分の家でゆっくり休みます。フィリップス様、食事は? ジュディのケーキが良いんですか?」
「軽く食べた。今日はもういい。寝る」

 くるっと背を向けて、掛布をかぶってもぐりこんでいく。その丸まった背を見てから、ガウェインは傍らに立つジュディへと体ごと向き直った。

「今日は一日、ありがとうございました。ゆっくり休んでください。と、言いたいところなんですが。私が着替えと食事をすませてくるまで、もう少しここをお願いしても良いですか」
「もちろんです。ごゆっくりどうぞ」

 顔をのぞきこんでくるガウェインを見返して、ジュディは力強く答える。内心では、なぜそんなに見つめてくるのでしょう? と思っていたが、聞くに聞けない。
 二、三言ステファンに指示を出し、ジュディと言葉をかわすと、ガウェインは足早に立ち去った。
 廊下の足音が遠のいてから、楽しげに笑ったステファンが、ジュディにありがたい助言をする。

「閣下、お帰りのキスをしてほしそうでしたよ」
「お帰りのキス!? それはジュール侯爵家の伝統か何かですか?」
「なるほど。伝統だと言えば、先生も郷に入りては郷に従えの精神でしてくれるんですか?」

 ステファンの非の打ち所のない微笑を目にして、ジュディは確信した。

(これは、からかわれてだまされるパターンですね……)

 真面目に取り合って、ジュディからキスを迫ったらガウェインに驚かれるに違いない。その手には乗るものか、と固く決意をする。
 少しだけ、驚かせてみたい気がしなくもなかったが。

 時刻はもう遅い。ステファンとは、最近読んだ本の話など、フィリップスに聞かれても問題ない話題を選んで話していた。二人とも話が尽きることなく、一日中熱心に議論をしているうちにまたたくまに時間が過ぎたのだ。
 やがて、いくらもしないうちにガウェインが部屋に戻ってきた。

「ステファン、もういい。今日は一日世話になったな。明日も頼む」
「了解です。おやすみなさい、閣下」

 シャツにトラウザーズの、部屋着程度に飾り気のない姿をしたガウェインに、ステファンは丁重に挨拶をして部屋を出て行く。
 ドアを閉める直前、ジュディに目配せをくれた。「キス」と唇が動いたように見えた。まだ冗談を引きずっている、とジュディは黙殺をする。

「ジュディも隣の部屋でゆっくり休んでください。夜は俺が殿下のそばについています。昨日より元気そうなので、夜中に目を覚ますかもしれません」

 若いだけあって、回復が早い。骨折もなかったことから、歩き回ったり出ていくことを懸念しているのかもしれなかった。
 ジュディは、一度ベッドに近づいて、フィリップスをのぞきこむ。
 不意に、自らがばっと掛布を払って、ぱっちりと目を開けたフィリップスが、ジュディを見上げてきた。

「先生、おやすみのキス」

 ぞんざいな口調であったが、ジュディは自分の子ども時代を思い出してふわりと笑った。母に頭を撫でてもらい、額にキスをしてもらうのを心待ちにしていたのだ。その通りの手順で、ジュデイはフィリップスの頭を撫でて前髪に軽く口付けた。

「おやすみなさい。良い夢を見られますように」

 掛布を顎の下まで持ってきて、ぽんぽん、と軽く手で整えてからベッドを離れる。
 ふと、先ほどよりも近づいてきていたガウェインに気づいた。ほんの少しのいたずら心から、背伸びをして肩に手を置き、頬に触れるだけの口づけをする。

「ガウェイン様もおやすみなさい」
「あ、はい。おやすみ……」

 固まってしまったガウェインを見て、ジュディは子ども扱いしすぎたせいかしら? と少しだけばつの悪い思いをしつつ、隣室へのドアから退散した。


 * * *


 ぱたん、とドアが閉まってから少しの間、しーんと辺りが静まり返っていた。
 掛布を払い飛ばし、ベッドに体を起こしたフィリップスが、実に面倒くさそうな調子でガウェインに対して指摘をする。

「もっとすごいことたくさんしてるだろうに、なんで真っ赤なんだよ」
「あー……いや。ジュディからされたのが、初めてで……」

 素直に答えてから、ガウェインは顔に片手を当て、深い溜め息をついた。

「自分のことながら、恐ろしい。毎日好きになる。限界が見えない。こんなのが死ぬまで毎日続くんだろうか。結婚が怖い。できるかぎり長生きしたい」

「黙れ。聞いているほうが辛いからもうお前は黙れ」

 からかったことを心底後悔したように言い捨てて、フィリップスはごろんとベッドに体を投げ出し、寝返りを打つ。
 しかし、ベッドが沈み込みすぐ真横に人の気配を感じたことで慌てて振り返った。

「なんでここで寝るんだよ! 俺が寝てるだろ!」
「パパだよ~」
「絶対違うだろやめろ馬鹿。せいぜい兄貴……」

 口にしてしまってから、つまらないことを言ったとばかりに背を向ける。その背に向かい、ガウェインがさりげない口ぶりで切り出した。

「普段寝るとき裸なんですが脱いでも」
「うるせえな。それ先生に言えるのかお前!」

 耐えきれないとばかりにいきり立って振り返ったフィリップスに、ガウェインは真顔で頷いた。

「言った」

 はーっ、とフィリップスは盛大なため息をつく。

「……脱・ぐ・な! 信じられねぇ。お前が、仕事以外でそこまでアホだなんて誰も信じねぇだろうな。よく今までボロ出さないで生きてきたよ。もしくは知られた相手は仕留めてきたのだ」
「それはありますね。何かと邪魔なので」
「シャレになんねえ。お前、それなりの権力者なんだからそういうの……」

 疲れた、と言って急に動きを止める。
 不意に黙り込んだフィリップスに対し、ガウェインはいつもと変わらぬ口調で声をかけた。

「王族にはなる気はありません。俺の父親はフローリー公ではない。それだけはあのクソガキなんとしてでも黙らせて撤回させます。迷惑この上ない」
「本音ダダ漏れてるぞ……」

 呆れたように言ってから、フィリップスは背中を向けたまま話題を変えた。

「お前、先生のことすげえ好きなのに、よく仕事に行くよな。一日中あのステファンがそばにいて、先生とられないって本当に思ってる? 閉じ込めておこうって思わないのか?」

 その背に、ガウェインがぽん、と手を置いた。

「心配も嫉妬も疑うことも全部してる。それでも、俺は信じるしかない。それに、彼女をその意に反してまで、囲い込んで閉じ込めるわけにはいかないんだ。それをしたら、俺はアリンガム子爵以下の男になる。絶対にだめだ」

「やせ我慢」

「自覚あるよ。我慢の連続だけどこればかりは仕方ない。嫌われたくないんだ」

 ガウェインの素直な呟きを耳にして、フィリップスは頭を抱えてベッドの上でのたうちまわった。
 言いたいことが多すぎて、言葉にならない、という。
 やがて、ため息とともにがっくりと脱力し、気のない口ぶりで言った。

「仮にお前の父親がフローリー公だと認定されてしまえば、ジュール侯爵ではいられないよな。この屋敷もどっかの遠縁の手に渡るんじゃないか」

「それですよ。今のところ、フローリー公が事故後も生存していて前ジュール侯爵夫人との間に俺をもうけたというのは、ジェラルドの妄言でしかない。まずはフローリー公を連れて来いと突っぱねるだけですが……」

 答えるガウェインの声に、苦いものが混ざり込む。その意を汲んだように、フィリップスが後を継いだ。

「アルシア様を押さえられると、それはそれでまずいんじゃないか。いま領地にいらっしゃるんだろう」

「そうですが。母は頑固ですし、説得しに行こうにも俺は王都を離れられない」

 ゆっくりと、寝返りを打ちながら、フィリップスはベッドに腰掛けているガウェインを仰ぎ見た。

「俺が行こうか? 怪我といっても、移動は支障ない。あと二、三日もあれば動き回れるだろう。先生とステファンを貸してくれれば、呼びに行く。名目はお前の結婚式で」

 きょとん、とした顔で見返したガウェインであったが、言われた内容を吟味するように黙り込み、やがて「ありですね」と呟いた。そして、フィリップスを見下ろして、にこりと笑いかけた。

「ぜひそれでお願いします、フィリップス様」




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

当て馬令嬢と当て馬騎士の恋

鳥花風星
恋愛
令嬢エレノアは幼馴染のアンドレを好きだったが、アンドレにはアリスという思い人がいた。アンドレはアリスを安心させるため、エレノアに面と向かって「妹としか思っていない。君も俺を兄のようにしか思っていないだろう?」と口にする。 自分はアンドレとアリスの当て馬でしかないと思ったエレノアは、ヤケになって仮面をつけて参加する夜会に来ていた。そこでエレノアは強引な男性に連れ去らわれそうになったが、黒髪の仮面の男性に助けられて……。 当て馬令嬢と当て馬騎士は、当て馬同士恋心を抱く。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

偏屈な辺境伯爵のメイドに転生しましたが、前世が秋葉原ナンバーワンメイドなので問題ありません

八星 こはく
恋愛
【愛されスキルで溺愛されてみせる!伯爵×ぽんこつメイドの身分差ラブ!】 「私の可愛さで、絶対ご主人様に溺愛させてみせるんだから!」 メイドカフェ激戦区・秋葉原で人気ナンバー1を誇っていた天才メイド・長谷川 咲 しかし、ある日目が覚めると、異世界で別人になっていた! しかも、貧乏な平民の少女・アリスに生まれ変わった咲は、『使用人も怯えて逃げ出す』と噂の伯爵・ランスロットへの奉公が決まっていたのだ。 使用人としてのスキルなんて咲にはない。 でも、メイドカフェで鍛え上げた『愛され力』ならある。 そう決意し、ランスロットへ仕え始めるのだった。

当て馬失恋した私ですが気がついたら護衛騎士に溺愛されてました。

ぷり
恋愛
 ミルティア=アシュリードは、伯爵家の末娘で14歳の少女。幼い頃、彼女は王都の祭りで迷子になった時、貧民街の少年ジョエルに助けられる。その後、彼は彼女の護衛となり、ミルティアのそばで仕えるようになる。ただし、このジョエルはとても口が悪く、ナマイキな護衛になっていった。 一方、ミルティアはずっと、幼馴染のレイブン=ファルストン、18歳の辺境伯令息に恋をしていた。そして、15歳の誕生日が近づく頃、伯爵である父に願い、婚約をかなえてもらう。 デビュタントの日、レイブンにエスコートしてもらい、ミルティアは人生最高の社交界デビューを迎えるはずだったが、姉とレイブンの関係に気づいてしまう……。 ※残酷な描写ありは保険です。 ※完結済作品の投稿です。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...