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第六章
素顔の語らい
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マディラケーキが食べたい、とフィリップスが言った。
バターと砂糖と粉と卵をしっかりと混ぜ合わせて焼く、飾り気がなく歯ごたえのあるケーキだ。
「街中のケーキを買い占めてきます。アレンジいろいろあるんですよ。ナッツやスパイスを混ぜたり、レモンやオレンジの輪切りを乗せて焼いたり」
ベッドのそばで語るジュディに、フィリップスは苦笑して「ふつうので良い」と呟く。
「昔食べたのが、忘れられないくらい美味しかったんだ。また食べたいなって思っただけだよ。そんなに凝ってなくて良いんだ。頑張れば先生でも作れるくらい」
からかうような物言いに対し、ジュディは「わかりました」と椅子から立ち上がった。
「私、いざというときはなんでも自分でできるようにと、料理を勉強していたこともあります。殿下は私がケーキを焼くなんてできないと思っているみたいですけど、目にものを見せてあげますね」
「目にものをじゃなくて口にケーキを食べさせてくれ。それとも先生のケーキは観賞用で、味はさっぱりなのか?」
さらっと揚げ足をとられて、ジュディも負けじと言い返し、応酬はなおも続いた。
その様子を、夜になって屋敷に帰ってきたガウェインは、静かに見守る。ドアのそばに立っていたステファンが、目配せをしてから小声で声をかけた。
「おかえりなさい。殿下、少し元気になってきているみたいですよ。先生と話していると安心するみたいですね」
「子ども時代に、誰も殿下に与えてあげられなかった安心感だろう。裏切られないし、脅かされない。下心もない。そういう相手が、殿下のそばにはいなかった」
「先生のこと、このまま好きになっちゃうかもしれないですよ? 閣下、それは大丈夫なんですか」
心の柔らかいところを抉るような揶揄に、ガウェインは少しだけ眉をひそめた。
「問題ない。それも含めて正常な精神の発達段階だ。母親が恋しくなれば、父親が目障りになる。俺を邪魔がるくらいで良いんだ、殿下は。子どもって、そういうものだろ」
ばし、とステファンがガウェインの肩を叩く。「お父さま、頑張って」と耳のそばで囁き、ガウェインは「お前のお父さんではない」と腕を払ってステファンを追いやった。
そして、ベッドの方へと歩み寄る。
「ガウェイン様! おかえりなさい」
気付いたジュディが、ぱっと顔を輝かせた。「ただいま帰りました」とガウェインが微笑みでこたえる。
ベッドに横たわり、上半身を起こしたフィリップスは、口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「後始末か、ご苦労なことだな。仕事が増えただろう。昨日の今日で、周りもずいぶん騒がしかったんじゃないのか」
「問題ありません。やるべきことをやり、帰ってきました。夜は自分の家でゆっくり休みます。フィリップス様、食事は? ジュディのケーキが良いんですか?」
「軽く食べた。今日はもういい。寝る」
くるっと背を向けて、掛布をかぶってもぐりこんでいく。その丸まった背を見てから、ガウェインは傍らに立つジュディへと体ごと向き直った。
「今日は一日、ありがとうございました。ゆっくり休んでください。と、言いたいところなんですが。私が着替えと食事をすませてくるまで、もう少しここをお願いしても良いですか」
「もちろんです。ごゆっくりどうぞ」
顔をのぞきこんでくるガウェインを見返して、ジュディは力強く答える。内心では、なぜそんなに見つめてくるのでしょう? と思っていたが、聞くに聞けない。
二、三言ステファンに指示を出し、ジュディと言葉をかわすと、ガウェインは足早に立ち去った。
廊下の足音が遠のいてから、楽しげに笑ったステファンが、ジュディにありがたい助言をする。
「閣下、お帰りのキスをしてほしそうでしたよ」
「お帰りのキス!? それはジュール侯爵家の伝統か何かですか?」
「なるほど。伝統だと言えば、先生も郷に入りては郷に従えの精神でしてくれるんですか?」
ステファンの非の打ち所のない微笑を目にして、ジュディは確信した。
(これは、からかわれてだまされるパターンですね……)
真面目に取り合って、ジュディからキスを迫ったらガウェインに驚かれるに違いない。その手には乗るものか、と固く決意をする。
少しだけ、驚かせてみたい気がしなくもなかったが。
時刻はもう遅い。ステファンとは、最近読んだ本の話など、フィリップスに聞かれても問題ない話題を選んで話していた。二人とも話が尽きることなく、一日中熱心に議論をしているうちにまたたくまに時間が過ぎたのだ。
やがて、いくらもしないうちにガウェインが部屋に戻ってきた。
「ステファン、もういい。今日は一日世話になったな。明日も頼む」
「了解です。おやすみなさい、閣下」
シャツにトラウザーズの、部屋着程度に飾り気のない姿をしたガウェインに、ステファンは丁重に挨拶をして部屋を出て行く。
ドアを閉める直前、ジュディに目配せをくれた。「キス」と唇が動いたように見えた。まだ冗談を引きずっている、とジュディは黙殺をする。
「ジュディも隣の部屋でゆっくり休んでください。夜は俺が殿下のそばについています。昨日より元気そうなので、夜中に目を覚ますかもしれません」
若いだけあって、回復が早い。骨折もなかったことから、歩き回ったり出ていくことを懸念しているのかもしれなかった。
ジュディは、一度ベッドに近づいて、フィリップスをのぞきこむ。
不意に、自らがばっと掛布を払って、ぱっちりと目を開けたフィリップスが、ジュディを見上げてきた。
「先生、おやすみのキス」
ぞんざいな口調であったが、ジュディは自分の子ども時代を思い出してふわりと笑った。母に頭を撫でてもらい、額にキスをしてもらうのを心待ちにしていたのだ。その通りの手順で、ジュデイはフィリップスの頭を撫でて前髪に軽く口付けた。
「おやすみなさい。良い夢を見られますように」
掛布を顎の下まで持ってきて、ぽんぽん、と軽く手で整えてからベッドを離れる。
ふと、先ほどよりも近づいてきていたガウェインに気づいた。ほんの少しのいたずら心から、背伸びをして肩に手を置き、頬に触れるだけの口づけをする。
「ガウェイン様もおやすみなさい」
「あ、はい。おやすみ……」
固まってしまったガウェインを見て、ジュディは子ども扱いしすぎたせいかしら? と少しだけばつの悪い思いをしつつ、隣室へのドアから退散した。
* * *
ぱたん、とドアが閉まってから少しの間、しーんと辺りが静まり返っていた。
掛布を払い飛ばし、ベッドに体を起こしたフィリップスが、実に面倒くさそうな調子でガウェインに対して指摘をする。
「もっとすごいことたくさんしてるだろうに、なんで真っ赤なんだよ」
「あー……いや。ジュディからされたのが、初めてで……」
素直に答えてから、ガウェインは顔に片手を当て、深い溜め息をついた。
「自分のことながら、恐ろしい。毎日好きになる。限界が見えない。こんなのが死ぬまで毎日続くんだろうか。結婚が怖い。できるかぎり長生きしたい」
「黙れ。聞いているほうが辛いからもうお前は黙れ」
からかったことを心底後悔したように言い捨てて、フィリップスはごろんとベッドに体を投げ出し、寝返りを打つ。
しかし、ベッドが沈み込みすぐ真横に人の気配を感じたことで慌てて振り返った。
「なんでここで寝るんだよ! 俺が寝てるだろ!」
「パパだよ~」
「絶対違うだろやめろ馬鹿。せいぜい兄貴……」
口にしてしまってから、つまらないことを言ったとばかりに背を向ける。その背に向かい、ガウェインがさりげない口ぶりで切り出した。
「普段寝るとき裸なんですが脱いでも」
「うるせえな。それ先生に言えるのかお前!」
耐えきれないとばかりにいきり立って振り返ったフィリップスに、ガウェインは真顔で頷いた。
「言った」
はーっ、とフィリップスは盛大なため息をつく。
「……脱・ぐ・な! 信じられねぇ。お前が、仕事以外でそこまでアホだなんて誰も信じねぇだろうな。よく今までボロ出さないで生きてきたよ。もしくは知られた相手は仕留めてきたのだ」
「それはありますね。何かと邪魔なので」
「シャレになんねえ。お前、それなりの権力者なんだからそういうの……」
疲れた、と言って急に動きを止める。
不意に黙り込んだフィリップスに対し、ガウェインはいつもと変わらぬ口調で声をかけた。
「王族にはなる気はありません。俺の父親はフローリー公ではない。それだけはあのクソガキなんとしてでも黙らせて撤回させます。迷惑この上ない」
「本音ダダ漏れてるぞ……」
呆れたように言ってから、フィリップスは背中を向けたまま話題を変えた。
「お前、先生のことすげえ好きなのに、よく仕事に行くよな。一日中あのステファンがそばにいて、先生とられないって本当に思ってる? 閉じ込めておこうって思わないのか?」
その背に、ガウェインがぽん、と手を置いた。
「心配も嫉妬も疑うことも全部してる。それでも、俺は信じるしかない。それに、彼女をその意に反してまで、囲い込んで閉じ込めるわけにはいかないんだ。それをしたら、俺はアリンガム子爵以下の男になる。絶対にだめだ」
「やせ我慢」
「自覚あるよ。我慢の連続だけどこればかりは仕方ない。嫌われたくないんだ」
ガウェインの素直な呟きを耳にして、フィリップスは頭を抱えてベッドの上でのたうちまわった。
言いたいことが多すぎて、言葉にならない、という。
やがて、ため息とともにがっくりと脱力し、気のない口ぶりで言った。
「仮にお前の父親がフローリー公だと認定されてしまえば、ジュール侯爵ではいられないよな。この屋敷もどっかの遠縁の手に渡るんじゃないか」
「それですよ。今のところ、フローリー公が事故後も生存していて前ジュール侯爵夫人との間に俺をもうけたというのは、ジェラルドの妄言でしかない。まずはフローリー公を連れて来いと突っぱねるだけですが……」
答えるガウェインの声に、苦いものが混ざり込む。その意を汲んだように、フィリップスが後を継いだ。
「アルシア様を押さえられると、それはそれでまずいんじゃないか。いま領地にいらっしゃるんだろう」
「そうですが。母は頑固ですし、説得しに行こうにも俺は王都を離れられない」
ゆっくりと、寝返りを打ちながら、フィリップスはベッドに腰掛けているガウェインを仰ぎ見た。
「俺が行こうか? 怪我といっても、移動は支障ない。あと二、三日もあれば動き回れるだろう。先生とステファンを貸してくれれば、呼びに行く。名目はお前の結婚式で」
きょとん、とした顔で見返したガウェインであったが、言われた内容を吟味するように黙り込み、やがて「ありですね」と呟いた。そして、フィリップスを見下ろして、にこりと笑いかけた。
「ぜひそれでお願いします、フィリップス様」
バターと砂糖と粉と卵をしっかりと混ぜ合わせて焼く、飾り気がなく歯ごたえのあるケーキだ。
「街中のケーキを買い占めてきます。アレンジいろいろあるんですよ。ナッツやスパイスを混ぜたり、レモンやオレンジの輪切りを乗せて焼いたり」
ベッドのそばで語るジュディに、フィリップスは苦笑して「ふつうので良い」と呟く。
「昔食べたのが、忘れられないくらい美味しかったんだ。また食べたいなって思っただけだよ。そんなに凝ってなくて良いんだ。頑張れば先生でも作れるくらい」
からかうような物言いに対し、ジュディは「わかりました」と椅子から立ち上がった。
「私、いざというときはなんでも自分でできるようにと、料理を勉強していたこともあります。殿下は私がケーキを焼くなんてできないと思っているみたいですけど、目にものを見せてあげますね」
「目にものをじゃなくて口にケーキを食べさせてくれ。それとも先生のケーキは観賞用で、味はさっぱりなのか?」
さらっと揚げ足をとられて、ジュディも負けじと言い返し、応酬はなおも続いた。
その様子を、夜になって屋敷に帰ってきたガウェインは、静かに見守る。ドアのそばに立っていたステファンが、目配せをしてから小声で声をかけた。
「おかえりなさい。殿下、少し元気になってきているみたいですよ。先生と話していると安心するみたいですね」
「子ども時代に、誰も殿下に与えてあげられなかった安心感だろう。裏切られないし、脅かされない。下心もない。そういう相手が、殿下のそばにはいなかった」
「先生のこと、このまま好きになっちゃうかもしれないですよ? 閣下、それは大丈夫なんですか」
心の柔らかいところを抉るような揶揄に、ガウェインは少しだけ眉をひそめた。
「問題ない。それも含めて正常な精神の発達段階だ。母親が恋しくなれば、父親が目障りになる。俺を邪魔がるくらいで良いんだ、殿下は。子どもって、そういうものだろ」
ばし、とステファンがガウェインの肩を叩く。「お父さま、頑張って」と耳のそばで囁き、ガウェインは「お前のお父さんではない」と腕を払ってステファンを追いやった。
そして、ベッドの方へと歩み寄る。
「ガウェイン様! おかえりなさい」
気付いたジュディが、ぱっと顔を輝かせた。「ただいま帰りました」とガウェインが微笑みでこたえる。
ベッドに横たわり、上半身を起こしたフィリップスは、口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「後始末か、ご苦労なことだな。仕事が増えただろう。昨日の今日で、周りもずいぶん騒がしかったんじゃないのか」
「問題ありません。やるべきことをやり、帰ってきました。夜は自分の家でゆっくり休みます。フィリップス様、食事は? ジュディのケーキが良いんですか?」
「軽く食べた。今日はもういい。寝る」
くるっと背を向けて、掛布をかぶってもぐりこんでいく。その丸まった背を見てから、ガウェインは傍らに立つジュディへと体ごと向き直った。
「今日は一日、ありがとうございました。ゆっくり休んでください。と、言いたいところなんですが。私が着替えと食事をすませてくるまで、もう少しここをお願いしても良いですか」
「もちろんです。ごゆっくりどうぞ」
顔をのぞきこんでくるガウェインを見返して、ジュディは力強く答える。内心では、なぜそんなに見つめてくるのでしょう? と思っていたが、聞くに聞けない。
二、三言ステファンに指示を出し、ジュディと言葉をかわすと、ガウェインは足早に立ち去った。
廊下の足音が遠のいてから、楽しげに笑ったステファンが、ジュディにありがたい助言をする。
「閣下、お帰りのキスをしてほしそうでしたよ」
「お帰りのキス!? それはジュール侯爵家の伝統か何かですか?」
「なるほど。伝統だと言えば、先生も郷に入りては郷に従えの精神でしてくれるんですか?」
ステファンの非の打ち所のない微笑を目にして、ジュディは確信した。
(これは、からかわれてだまされるパターンですね……)
真面目に取り合って、ジュディからキスを迫ったらガウェインに驚かれるに違いない。その手には乗るものか、と固く決意をする。
少しだけ、驚かせてみたい気がしなくもなかったが。
時刻はもう遅い。ステファンとは、最近読んだ本の話など、フィリップスに聞かれても問題ない話題を選んで話していた。二人とも話が尽きることなく、一日中熱心に議論をしているうちにまたたくまに時間が過ぎたのだ。
やがて、いくらもしないうちにガウェインが部屋に戻ってきた。
「ステファン、もういい。今日は一日世話になったな。明日も頼む」
「了解です。おやすみなさい、閣下」
シャツにトラウザーズの、部屋着程度に飾り気のない姿をしたガウェインに、ステファンは丁重に挨拶をして部屋を出て行く。
ドアを閉める直前、ジュディに目配せをくれた。「キス」と唇が動いたように見えた。まだ冗談を引きずっている、とジュディは黙殺をする。
「ジュディも隣の部屋でゆっくり休んでください。夜は俺が殿下のそばについています。昨日より元気そうなので、夜中に目を覚ますかもしれません」
若いだけあって、回復が早い。骨折もなかったことから、歩き回ったり出ていくことを懸念しているのかもしれなかった。
ジュディは、一度ベッドに近づいて、フィリップスをのぞきこむ。
不意に、自らがばっと掛布を払って、ぱっちりと目を開けたフィリップスが、ジュディを見上げてきた。
「先生、おやすみのキス」
ぞんざいな口調であったが、ジュディは自分の子ども時代を思い出してふわりと笑った。母に頭を撫でてもらい、額にキスをしてもらうのを心待ちにしていたのだ。その通りの手順で、ジュデイはフィリップスの頭を撫でて前髪に軽く口付けた。
「おやすみなさい。良い夢を見られますように」
掛布を顎の下まで持ってきて、ぽんぽん、と軽く手で整えてからベッドを離れる。
ふと、先ほどよりも近づいてきていたガウェインに気づいた。ほんの少しのいたずら心から、背伸びをして肩に手を置き、頬に触れるだけの口づけをする。
「ガウェイン様もおやすみなさい」
「あ、はい。おやすみ……」
固まってしまったガウェインを見て、ジュディは子ども扱いしすぎたせいかしら? と少しだけばつの悪い思いをしつつ、隣室へのドアから退散した。
* * *
ぱたん、とドアが閉まってから少しの間、しーんと辺りが静まり返っていた。
掛布を払い飛ばし、ベッドに体を起こしたフィリップスが、実に面倒くさそうな調子でガウェインに対して指摘をする。
「もっとすごいことたくさんしてるだろうに、なんで真っ赤なんだよ」
「あー……いや。ジュディからされたのが、初めてで……」
素直に答えてから、ガウェインは顔に片手を当て、深い溜め息をついた。
「自分のことながら、恐ろしい。毎日好きになる。限界が見えない。こんなのが死ぬまで毎日続くんだろうか。結婚が怖い。できるかぎり長生きしたい」
「黙れ。聞いているほうが辛いからもうお前は黙れ」
からかったことを心底後悔したように言い捨てて、フィリップスはごろんとベッドに体を投げ出し、寝返りを打つ。
しかし、ベッドが沈み込みすぐ真横に人の気配を感じたことで慌てて振り返った。
「なんでここで寝るんだよ! 俺が寝てるだろ!」
「パパだよ~」
「絶対違うだろやめろ馬鹿。せいぜい兄貴……」
口にしてしまってから、つまらないことを言ったとばかりに背を向ける。その背に向かい、ガウェインがさりげない口ぶりで切り出した。
「普段寝るとき裸なんですが脱いでも」
「うるせえな。それ先生に言えるのかお前!」
耐えきれないとばかりにいきり立って振り返ったフィリップスに、ガウェインは真顔で頷いた。
「言った」
はーっ、とフィリップスは盛大なため息をつく。
「……脱・ぐ・な! 信じられねぇ。お前が、仕事以外でそこまでアホだなんて誰も信じねぇだろうな。よく今までボロ出さないで生きてきたよ。もしくは知られた相手は仕留めてきたのだ」
「それはありますね。何かと邪魔なので」
「シャレになんねえ。お前、それなりの権力者なんだからそういうの……」
疲れた、と言って急に動きを止める。
不意に黙り込んだフィリップスに対し、ガウェインはいつもと変わらぬ口調で声をかけた。
「王族にはなる気はありません。俺の父親はフローリー公ではない。それだけはあのクソガキなんとしてでも黙らせて撤回させます。迷惑この上ない」
「本音ダダ漏れてるぞ……」
呆れたように言ってから、フィリップスは背中を向けたまま話題を変えた。
「お前、先生のことすげえ好きなのに、よく仕事に行くよな。一日中あのステファンがそばにいて、先生とられないって本当に思ってる? 閉じ込めておこうって思わないのか?」
その背に、ガウェインがぽん、と手を置いた。
「心配も嫉妬も疑うことも全部してる。それでも、俺は信じるしかない。それに、彼女をその意に反してまで、囲い込んで閉じ込めるわけにはいかないんだ。それをしたら、俺はアリンガム子爵以下の男になる。絶対にだめだ」
「やせ我慢」
「自覚あるよ。我慢の連続だけどこればかりは仕方ない。嫌われたくないんだ」
ガウェインの素直な呟きを耳にして、フィリップスは頭を抱えてベッドの上でのたうちまわった。
言いたいことが多すぎて、言葉にならない、という。
やがて、ため息とともにがっくりと脱力し、気のない口ぶりで言った。
「仮にお前の父親がフローリー公だと認定されてしまえば、ジュール侯爵ではいられないよな。この屋敷もどっかの遠縁の手に渡るんじゃないか」
「それですよ。今のところ、フローリー公が事故後も生存していて前ジュール侯爵夫人との間に俺をもうけたというのは、ジェラルドの妄言でしかない。まずはフローリー公を連れて来いと突っぱねるだけですが……」
答えるガウェインの声に、苦いものが混ざり込む。その意を汲んだように、フィリップスが後を継いだ。
「アルシア様を押さえられると、それはそれでまずいんじゃないか。いま領地にいらっしゃるんだろう」
「そうですが。母は頑固ですし、説得しに行こうにも俺は王都を離れられない」
ゆっくりと、寝返りを打ちながら、フィリップスはベッドに腰掛けているガウェインを仰ぎ見た。
「俺が行こうか? 怪我といっても、移動は支障ない。あと二、三日もあれば動き回れるだろう。先生とステファンを貸してくれれば、呼びに行く。名目はお前の結婚式で」
きょとん、とした顔で見返したガウェインであったが、言われた内容を吟味するように黙り込み、やがて「ありですね」と呟いた。そして、フィリップスを見下ろして、にこりと笑いかけた。
「ぜひそれでお願いします、フィリップス様」
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